2011-06-14

民主主義の正体/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル


 ツイッターにブロック機能というのがある。フォローされた相手のタイムラインに自分の投稿が表示されなくなるというもの。

 そもそもツイッターとは、呟(つぶや)き、囀(さえず)りといった意味合いなので独り言が基本である。だが妙な絡み方をする輩が必ず出てくる。目の前にいれば2~3発殴ってやれば済むのだが、光回線越しだとそうもいかない。

 だから私はどんどんブロックする。流れてきたリツイートやtogetterなどで癇に障る文章を見たら、片っ端からブロックする。後で間違えてフォローすることがないように先手を打っているのだ。

 大体、インターネット上にいる大半の人はまともではない。頭がおかしいというよりも、コミュニケーションスキルがなさすぎるのだ。文脈を無視して、つまらない印象を書いている人が目立つ。

 数年前からブログが大流行したが、読むに値するものは十に一つもないだろう。日記の類いが一番多いと思われるが、はっきり言って個人の日常に対して一片の興味も覚えない。

 次にこれは私も含まれるのだが、政治テーマや社会問題に対する意見・主張・文句・呪詛(じゅそ)がある。日本は民主主義国家なので、いくら首相を口汚く罵っても逮捕されることがない。ただし天皇の悪口を言うと右翼から襲われる可能性がある。

 我が国の民主主義は投票制度を意味するものであって民主的な合意形成とは無縁だ。私は既に半世紀近く生きているが、政治家から政治的な意見を求められたことが一度もない。我々は投票率や世論調査のパーセンテージを支える存在であっても政治の主体者ではない。

 政治制度の理論はどうでもいい。それよりも議院内閣制に国民の声が反映されていない事実を自覚すべきだ。福島の原発事故はその実態を白日の下にさらけ出した。

 そもそも政党政治である以上、選挙による政策の選択肢は限られている。原子力発電所の右側に保守、左側に革新勢力が鎮座している。国家権力があって、権力を牛耳る連中がいるゆえ、左右という政治ポジションが消えることは考えにくい。

 ま、こんなことをダラダラと書くこと自体、あまり意味のあることではない。それでも尚、私は何か言わずにはいられないし、書かずにはいられない。

 現代のもっとも大きな詐欺の一つは、ごく平凡な人に何か言うべきことがあると信じさせたことである。(ヴォランスキー)

【『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル:吉田城〈よしだ・じょう〉訳(大修館書店、1988年)】

 E・H・カーが近代以前の民衆は「歴史の一部であるよりは、自然の一部だった」としている(『歴史とは何か』)。驚くべき指摘だ。

 つまり、デカルトが「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)と言うまで、民衆に自我は存在しなかったのだ。近代の扉は「我」の発明によって開かれた。

 では私の意見を吟味してみよう。果たして本当に私の意見なのだろうか? 政治的な主張は田原総一朗の受け売りかもしれないし、人生の態度を説く場合はブッダやクリシュナムルティをパクっている可能性が高い(笑)。

 私はメディアからの情報に反応し、本を読んでは影響を受け、自分の感受性に適合した何かを編んでいるだけであろう。たとえ涙こらえて編んだセーターであったにせよ、毛糸を作ったのは他の誰かだ。

 私は私の権利を主張する。これが人権感覚の基本となる。私が大事であればこそ、見知らぬ誰かも大切な存在と受け止めることができる。

 でもさ、本当はただの化学反応かもしれないね。

速く:A Time Lapse Journey Through Japan

 この動画を観ると人間がアリと変わらないように思えてくる。

 悩みや苦しみは多くの場合、社会的な関係性から生じる。現実的に考えれば、痛みや疲労を大声で訴えないと群れから置いてけぼりを食らう。周囲からの配慮がなければ自我は保てない。

 ネット上の人々を私が蔑んでいるように、政治家も私を見下しているはずだ。

 民主主義の正体はひとかどの意見を言うことで、何かを成し遂げたと錯覚することなのだろう。



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