2011-07-27

人間なんていやしなかった


定年

 ある日
 会社がいった。
「あしたからこなくていいよ」

 人間は黙っていた。
 人間には人間のことばしかなかったから。

 会社の耳には
 会社のことばしか通じなかったから。

 人間はつぶやいた。
「そんなこといって!
 もう四十年も働いて来たんですよ」

 人間の耳は
 会社のことばをよく聞き分けてきたから。
 会社が次にいうことばを知っていたから。

「あきらめるしかないな」
 人間はボソボソつぶやいた。

 たしかに
 はいった時から
 相手は会社、だった。
 人間なんていやしなかった。

【『石垣りん詩集』石垣りん(ハルキ文庫、1998年)】

石垣りん詩集 (ハルキ文庫)

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