2011-07-01

R・ブルトマン


 1冊読了。

 44冊目『イエス』R・ブルトマン:川端純四郎、八木誠一訳(未來社、1963年)/序盤を乗り切れば後は何とかなる。凄まじいロジックだ。純粋教条主義、あるいは疾風怒濤原理主義ともいうべきか。これでルター派というのだから、カルヴァン派との違いが全くわからなくなった。岸田秀がキリスト教のことを「強迫神経症」と指摘しているが、本書を読めば病理を実感できる。啓典宗教はテキスト絶対主義を旨とする。神という存在が人智を超えたところに位置するため、これを信じさせるためには抑圧概念を作成するしかない。すなわち聖書とは服従のルールを絶対化したものである。人間は抑圧されると攻撃的になる。神に従う彼らが有色人種を奴隷にしたのも頷けよう。あいつらは神の代理人なのだ。異民族を殺戮することは神の命令であった。十字軍、魔女狩り、アメリカ先住民殺戮、ベトナム戦争などに共通している。

噴火する言葉/『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編


 舞い、踊り、躍る。人は喜怒哀楽を身体で表現せずにはいられない。アルキメデスは入浴中にアルキメデスの原理を発見し、「ユリーカ、ユリーカ!」(わかったぞ、わかったぞ)と裸のまま外へ駆け出した。

 私が大野一雄を知ったのは最近のことだ。舞踏・舞踊は異空間を生むところにその本領がある、というのが私の持論である。大野の舞踏は異様であった。彼は舞台で独り隔絶した世界にいた。観客に理解してもらおうという姿勢は微塵もなかった。それは、「ただ、こうせざるを得ないのだ」という大野の生き方であった。

 本書は稽古の合間に大野が紡(つむ)いだ言葉を編んだものだ。あとがきによれば、話すテーマは数日前から考えているようだが、いざ話すと吹き飛んでしまうという。しかも稽古に参加するメンバーは随時変わる。ここにあるのは噴火する言葉だ。灼熱の感性が言葉を爆発させている。狂気という点で大野は、岡本太郎を超えているかもしれない。

 ほんの一粒の砂のような微細なものでもいいから私は伝えたい、それならできるかもしれない。一粒の砂のようなものを無限にあるうちから取り出して伝えたとしても、それはあなたの命を賭けるに値することがあるだろう。大事にして、ささいな事柄に極まりなくどこまでもどこまでも入り込んでいったほうがいい。今からでも遅くない。

【『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編(フィルムアート社、1997年)以下同】

 まず出来ることから始めて一事に徹する。ミクロ世界にも広大な宇宙が存在する。「足下を掘れ、そこに泉あり」(ニーチェ)。悟りは山頂にではなく足下(そっか)にあるのだろう。尋常ならざる集中力が垣間見える。

 感ずるという言葉は人間が作り出したものだ。見上げることもあったでしょう。下を向いたとき、あなたは感じたでしょう。しかし感ずるという言葉ではなかったかもしれない。右を向き、左を向き、あらゆる運動のなかで、やがて人間との関係が成立したときに欠くことができないもの、それは運動だった。下を向くということは自分自身を見つめるということに関係しているか。右を向き、左を向き、それはあなたの喜びや悲しみの分かち合うために必要だったのか。そのようにしてあなたの関節が肉体がだんだん成立したんだ。命には理屈が不必要だった。

 ほとばしる言葉が支離滅裂な勢いとなって論理を打ち砕く。大野は何かを教えようとはしていない。彼は舞踏という世界を分かち合おうと懸命に言葉を手繰る。舞踏は言葉以前に誕生したはずだ。それは情動を司る大脳辺縁系や基本的な運動機能を支える小脳における神経の発火であったに違いない。大野の脳の古皮質が古代人と共鳴しているのだ。これは何もスピリチュアルな意味ではなく、同じ機能があるわけだから使うか使わないかといった次元の話だ。(「人間の脳の構造」を参照せよ)

 舞踏の場というのは、お母さんのおなかの中だ。胎内、宇宙の胎内、私の踊りの場は胎内、おなかの中だ。死と生は分かちがたく一つ。人間が誕生するように死が必ずやってくる。つねに矛盾をはらんでいる。われわれの命が誕生する。さかのぼって天地創造までくる。天地創造からずうっと歴史が通じてわれわれのところまで続いている。これがわれわれの考えになければならないと思う。考えるということは生きるということだ。われわれはあんまり合理的にわかろうわかろうとして、大事なものはみんなぽろぽろぽろぽろ落ちてしまって、残ったものは味もそっけもないものになってしまう。

 胎児は羊水の中で浮いている。重力の影響は極めて少なく、自由に遊ぶことができる。躍動しながら誕生する様を舞踏と捉える視線にたじろぐ。生と死、睡眠と活動、光と闇、陰と陽、阿吽(あうん)――この間にリズムがある。舞踏とは生きることそのものだった。

 そして合理性から離れよと教える。舞踏はスポーツや格闘技と異なる。得点や競争を追い求めない。真の躍動は現実を踏みつけて、自由に舞い上がることだ。大野の言葉は完全に宗教領域へ突入している。

 クレイジーじゃないとだめですよ。忘れたころに、花がここにあった。何か知らないけど、ここに花があった。花と、さて何しているんだ。花と語り合ってるんだ。トーキングですよ、花と。トーキングしようと思って、すっといくと、いつの間にか花がなくなってしまった。とにかくクレイジーですよ、だからフリースタイルで。

 こうなるとクリシュナムルティに近い。大野は脳の新皮質を破壊しようとしている。ルール、常識、合理性を粉砕し、身体を解き放つことを示しているのだろう。

 フリースタイル。何か表現しようというんじゃなくて。いま、トレーニングしたことは全部忘れてね。ただ立っているだけでもいい。

 これはアルハット(阿羅漢)の言葉だ。何かを悟らずしてこんな言葉は生まれ得ない。動は元より、静もまた舞踏であった。

 みんなの目を見た。何かね、考えているような目が非常に多いんだな。こうしよう、ああしようって。目のやり場がなくなってしまう。そういう中でさ、目がね、大事ですよ。宇宙の、宇宙が目のなかにすべて集約されている、要約されている。目がまるで宇宙のような、こういうなかで無心になることができる。目が開いている、目が。遠くを見るようにさ、瞳孔小さくして。見ない目ですよ、目に入っていない。宇宙がすっと入ってくる。そうすると、いつのまにか無心にもなれるんじゃないかと私は思ったわけです。探しているときは考えてるときなんだ。これじゃ無心になんかなれない。ものが生まれてこないんですよ。
 目を開いて、そして見ない。手を出しても反応がない。そういう目のほうがいい。これもある、あれもある、さあどうしたらいいかじゃなくて、見ない目。無心になる。じゃ勉強しなかったのか。勉強して勉強して勉強して全部捨ててしまった。捨ててしまったんではないんだ。それが自分を支えてくれる。私はそういう踊りを見るとね、あんまり派手に動かなくたって、じっと立っているだけでも、ちょっと動いただけでも、ああ、いいなと思う。

 舞踏は遂に瞑想に達する。

瞑想とは何か/『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔』J・クリシュナムルティ

 天衣無縫にして無作(むさ)。意図やコントロールとは無縁な言葉が心に染み渡る。遊ぶように舞い、戯(たわむ)れるように踊る。蝶が舞い、鳥が飛ぶように大野は生きた。

大野一雄―稽古の言葉 大野一雄 ロングインタビュー 1993年4月30日、大野一雄86歳の言葉 [DVD]




暗黒舞踏 土方巽、大野一雄の創造した前衛舞踊の今
大野一雄「美と力」(ラ・アルヘンチーナ頌)
はいから万歳 - 大野慶人

技の優劣は人間の価値を決めるものではない


「兵法は死ぬまでが修行という。技の優劣は修行の励みでこそあれ、人間の価値を決めるものではないぞ。人の師範たる根本は『武士』として生きる覚悟を教えるもので、技は末節にすぎない。貴殿はその本と末とを思い違えておる。さようなことでは、今日までの御扶持(ごふち)に対しても申し訳はござらぬぞ」(『芋粥(いもがゆ)』)

【『一人ならじ』山本周五郎(新潮文庫、1980年)】

一人ならじ (新潮文庫)

2011-06-30

本当の勉強をすることこそ、本当の反抗になる


 現代の若い人の中には、勉強を軽視することも大人の世界への反抗と思って、もっぱら動物系の探求反射だけで、次の時代の道を見出そうとしている人が少なくない。それも当然だろう。ところが、大人の押しつけている勉強は、本当の勉強ではないのだから、本当の勉強をすることこそ、本当の反抗になるのである。

【『脳 行動のメカニズム』千葉康則(知的生き方文庫、1985年)】

脳 行動のメカニズム

2011-06-29

神への信と不信


 祖父母は神以外に自分たちを殺せるものなど何もないと思っており、同時に神を信じていない。

【『卵をめぐる祖父の戦争』デイヴィッド・ベニオフ:田口俊樹訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2010年)】

卵をめぐる祖父の戦争 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1838)

2011-06-28

石川道子、ポール・コリアー


 2冊挫折。

 挫折36『死海文書と義の教師』石川道子(シェア・ジャパン出版、1996年)/ベティ・ストックバウアーなる人物が書いたクリシュナムルティの記事が2章に渡って紹介されている。ベンジャミン・クレームが主催する団体がシェア・ジャパンのようだ。「世界教師マイトレーヤ」って類いの代物。神智学協会の亜流みたいなものか。数行読むのがやっとだった。

 挫折37『民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実』ポール・コリアー:甘糟智子〈あまかす・ともこ〉訳(日経BP社、2010年)/文章が嫌な臭いを放っている。慌てて奥付を見たところ世界銀行の関係者であった。途端に読む気が失せた。アフリカを奴隷化し、搾取し尽くし、虐殺してきた側の開発学に興味はない。キリスト教が説く平和は日本人が想う平和と隔絶している。「民主主義がアフリカを殺す」だと? 散々アフリカ人を殺してきたくせしやがって。その前に「英・米・仏がアフリカ人を殺す」という本を出すべきだろう。ったく反吐(へど)が出そうだ。

この世界は、何人の安全も保障していない


 今日この世界は、何人の安全も保障していない。戦争は数多く発生しているし、暴力行為はあとを断たない。われわれには危険がないと、あえて断言できる人がいるだろうか。

【『民間防衛 あらゆる危険から身をまもる』スイス政府:原書房編集部訳(原書房、1995年)】

民間防衛 新装版―あらゆる危険から身をまもる

警句を味わう

 全部買っても3万円程度だ。知人の結婚式に出席したと思えば安い買い物といえる(笑)。

人生論ノート (新潮文庫)ゲーテ格言集 (新潮文庫)モンテーニュエセー抄 (大人の本棚)両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム (新潮文庫)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)緑雨警語 冨山房百科文庫 (41)魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集

夢・アフォリズム・詩 (平凡社ライブラリー (149))アフォリズムサキャ格言集 (岩波文庫)ブレヒトの写針詩 (大人の本棚)

蝿の苦しみ 断想中国古典名言事典 (講談社学術文庫 397)論語新釈 (講談社学術文庫 451)ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ギリシア・ローマ名言集 (岩波文庫)世界毒舌大辞典世界名言集世界名言大辞典

名誉心について/『人生論ノート』三木清
視覚は高尚な感覚/『ゲーテ格言集』ゲーテ
人間を照らす言葉の数々/『ブレヒトの写針詩』岩淵達治編訳
跳躍する言葉 予測不能なアフォリズム/『蝿の苦しみ 断想』エリアス・カネッティ
毒舌というスパイス/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル

教育の機能 4/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ


自由の問題 1
自由の問題 2
自由の問題 3
欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
教育の機能 1
教育の機能 2
教育の機能 3
・教育の機能 4
縁起と人間関係についての考察
宗教とは何か?
無垢の自信
真の学びとは

 幼児教育として家庭で行われているのは剪定(せんてい)と枝打ちだ。7年ほど経つと伐採されて工場へ送られる。裁断が施され、不要な樹皮を削り取り、研磨が加えられる。めでたく統一規格品に合格すれば小学校を卒業だ。

 これがエスタブリッシュメントの子弟であれば、幼児期から針金でぐるぐる巻きにされた盆栽状態と化す。最初から枝を伸ばす余地はない。

 現在行われているのは、教育という名の巧妙な暴力である。概念を支配し、感受性を束縛することで「正しい反応の仕方」を叩き込む。子供たちは社会の奴隷であればあるほど高く評価される。信念とは強要された忠誠心でしかない。

 若いうちに恐怖のない環境に生きることは、本当にとても重要でしょう。私たちのほとんどは、年をとるなかで怯えてゆきます。生きることを恐れ、失業を恐れ、伝統を恐れ、隣の人や妻や夫が何と言うかと恐れ、死を恐れます。私たちのほとんどは何らかの形の恐怖を抱えています。そして、恐怖のあるところに智慧はありません。それで、私たちみんなが若いうちに、恐怖がなく、むしろ自由の雰囲気のある環境にいることはできないのでしょうか。それは、ただ好きなことをするだけではなく、生きることの過程全体を理解するための自由です。本当は生はとても美しく、私たちがこのようにしてしまった醜いものではないのです。そして、その豊かさ、深さ、とてつもない美しさは、あらゆるものに対して――組織的な宗教、伝統、今の腐った社会に対して反逆し、人間として何が真実なのかを自分で見出すときにだけ、堪能できるでしょう。模倣するのではなく、発見する。【それ】が教育でしょう。社会や親や先生の言うことに順応するのはとても簡単です。安全で楽な存在方法です。しかし、それでは生きていることにはなりません。なぜなら、そこには恐怖や腐敗や死があるからです。生きるとは、何が真実なのかを自分で見出すことなのです。そして、これは自由があるときに、内的に、君自身の中に絶えま(ママ)ない革命があるときにだけできるでしょう。
 しかし、君たちはこういうことをするように励ましてはもらわないでしょう。質問しなさい、神とは何かを自分で見出しなさい、とは誰も教えてくれません。なぜなら、もしも反逆することになったなら、君は偽りであるすべてにとって危険な者になるからです。親も社会も君には安全に生きてほしいし、君自身も安全に生きたいと思います。安全に生きるとは、たいがいは模倣して、したがって恐怖の中で生きることなのです。確かに教育の機能とは、一人一人が自由に恐怖なく生きられるように助けることでしょう。そして、恐怖のない雰囲気を生み出すには、先生や教師のほうでも君たちのほうでも、大いに考えることが必要です。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)以下同】

 生の不安は恐怖に根差している。生存を脅かすのは暴力だ。戦争が報道されることで世界は常に戦場と化している。大量の殺人と自殺と事故死に我々は取り囲まれている。少年は少年兵となった。これが教育の成れの果てだ。

少年兵は自分が殺した死体の上に座って食事をした/『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア

 与えられる罰は暴力である。罰とは社会が許容する暴力の異名なのだ。罰を与えるのは楽だ。考える必要がない。決まったルールに従うだけで済む。教師がわかりやすい条件を示せば、児童はあっさりとパブロフの犬に変身する。


 暴力の本質は支配することだ。仏典では他化自在天として説かれている(あるいは第六天の魔王とも天魔とも)。「他人を自由自在に化(け)する(=コントロールする)」のが権力のメカニズムである。「天」とは六道の最上位に位置し天下を示す。つまり社会だ。

 とすると六道輪廻(ろくどうりんね)は、社会通念に従い、古い常識に額づく束縛状態を表しているのだろう。成功というゴールを目指す競争に参加することが、暴力や差別を結果的に支えてしまう。

 君たちはこれがどういうことなのか、恐怖のない雰囲気を生み出すことがどんなにとてつもないことになるのか、知っていますか。それは【生み出さなくてはなりません】。なぜなら、世界が果てしない戦争に囚われているのが見えるからです。世の中は、いつも権力を求めている政治家たちに指導されています。それは弁護士と警察官と軍人の世界であり、みんなが地位をほしがって、みんなが地位を得るために、お互いに闘っている野心的な男女の世界です。そして、信者を連れたいわゆる聖人や宗教の導師(グル)がいます。彼らもまた、ここや来世で地位や権力をほしがります。これは狂った世界であり、完全に混乱し、その中で共産主義者は資本主義者と闘い、社会主義者は双方に抵抗し、誰もが誰かに反対し、安全なところ、権力のある安楽な地位に就こうとしてあがいています。世界は衝突しあう信念やカースト制度、階級差別、分離した国家、あらゆる形の愚行、残虐行為によって引き裂かれています。そして、これが君たちが合わせなさいと教育されている世界です。君たちはこの悲惨な社会の枠組みに合わせなさいと励まされているのです。親も君にそうしてほしいし、君も合わせたいと思うのです。
 そこで、この腐った社会秩序の型に服従するのを単に助けるだけが、教育の機能でしょうか。それとも、君に自由を与える――成長し、異なる社会、新しい世界を創造できるように、完全な自由を与えるのでしょうか。この自由は未来にではなくて、今ほしいのです。そうでなければ、私たちはみんな滅んでしまうかもしれません。生きて自分で何が真実かを見出し、智慧を持つように、ただ順応するだけではなく、世界に向き合い、それを理解でき、内的に深く、心理的に絶えず反逆しているように、自由の雰囲気は直ちに生み出さなくてはなりません。なぜなら、何が真実かを発見するのは、服従したり、何かの伝統に従う人ではなく、絶えず反逆している人たちだけですから。真理や神や愛が見つかるのは、絶えず探究し、絶えず観察し、絶えず学んでいるときだけです。そして、恐れているなら、探究し、観察し、学ぶことはできないし、深く気づいてはいられません。それで確かに、教育の機能とは、人間の思考と人間関係と愛を滅ぼすこの恐怖を、内的にも外的にも根絶することなのです。

 クリシュナムルティの最大の功績は「教団の暴力性」を鋭く見抜いたことにあると私は考えている。宗教はもはや存在しないといっていいだろう。あるのは教団という器だけだ。現代において信仰は所属を意味する。教団が目指すのは衆生(しゅじょう)の救済ではなく、マーケットシェア(市場占有率)の拡大である。このため教団組織は必ず二次的な社会構造を形成する。社会の中の社会で行われるのもまた競争だ。信者はさしずめ、パンを食いながら、右手で玉を投げ、左手で綱引きをしているような状態だ。父兄の方はお下がりください。

「この腐った社会秩序の型に服従するのを単に助けるだけが、教育の機能でしょうか」――辛辣(しんらつ)な問いは我々一人ひとりに向けて放たれたものだ。

 愛情や慈悲までもが交換の対象となり経済性で計られる。ギブ・アンド・テイクが我々の流儀だ。

 社会的成功という脅迫観念を捨てるところから自由の一歩が始まる。自由の中から真の人間が誕生するのだ。我々大人は「人間の形をした何か」であって人間になり損ねた存在だ。果たして生(せい)の花を咲かせ、人間性の薫りを放つことは可能だろうか?

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

深遠なる問い掛け/『英知の教育』J・クリシュナムルティ
恐怖なき教育/『未来の生』J・クリシュナムルティ
比較が分断を生む/『学校への手紙』J・クリシュナムルティ
世界中の教育は失敗した/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一
邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ

趣味のいい者


「趣味のいい者は、たいてい少数派だ」

【『深海のYrr(イール)』フランク・シェッツィング:北川和代訳(ハヤカワ文庫、2008年)】

深海のYrr 〈上〉  (ハヤカワ文庫 NV シ 25-1) 深海のYrr 〈中〉  (ハヤカワ文庫 NV シ 25-2) 深海のYrr 〈下〉  (ハヤカワ文庫 NV シ 25-3)

2011-06-27

藤野ともね、アマンダ・リプリー


 2冊読了。

 42冊目『カイゴッチ 38の心得 燃え尽きない介護生活のために』藤野ともね(シンコーミュージック・エンタテイメント、2011年)/ブログ「フンコロガシの詩」を書籍化した作品。実に構成がよい。文章とイラストが絶妙にマッチしていて、レイアウトやフォントの色にも工夫が施されている。藤野はフリーライターだったのね。どうりで文章が上手いわけだ。難点は二つ。ブログという性質上もあって藤野のプライバシーに殆ど触れていないため、介護の背景に厚みがない。もう一点は値段。いくら何でも1300円は高い。

 43冊目『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年)/インタビュー集にすべきであったと思う。文章のリズムが悪く、竜頭蛇尾となってしまっている。素材を生かしきれていない料理みたいだ。登場人物が遭遇した事故に思いを馳せながら、自分で結論を導く必要がある。

異端妄説の譏を恐るることなく、勇を振て我思う所の説を吐くべし


 故に昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然ば即ち今日の異端妄説もまた必ず後年の通説常談なるべし。学者宜しく世論の喧しきを憚らず、異端妄説の譏を恐るることなく、勇を振て我思う所の説を吐くべし。
  ――福澤諭吉『文明論之概略』

【『自由貿易の罠 覚醒する保護主義』中野剛志〈なかの・たけし〉(青土社、2009年)】

自由貿易の罠 覚醒する保護主義文明論之概略 (岩波文庫)

中野剛志

2011-06-26

戦後の娯楽は映画からテレビに/『ナベプロ帝国の興亡』軍司貞則


 軍司貞則の本を読もうと思い立ち、取り敢えず入手しやすいものを選んだ。ナベプロの創業者・渡辺晋〈わたなべ・しん〉の一代記。芸能界から見た戦後の経済史として読むことも可能で、更にビジネス手法まで学べる。

 昭和30年代生まれであれば、幼い頃に観たテレビ番組の記憶が蘇ることだろう。シャボン玉ホリデーなど。

 戦後の娯楽といえば映画が王者の座に君臨していた。日常の情報は新聞とラジオが支えていた。そこへテレビが台頭してくる。

 NHKの関係者から「すさまじい勢いで受信契約世帯が増えている」という話をきいていた。昭和33年のNHK受信契約世帯は100万世帯だったが、1年後には500万世帯に迫る勢いだという。すごい伸び率である。こんな伸びを示しているものが他にあるだろうか。
 それに輪をかけるように、34年2月に東芝がカラーテレビ第1号を完成させていた。カラーテレビはまだまだぜいたく品で1台52万円だが、各方面から問い合わせが多いという。さらにソニーが昭和35年4月に向けてオールトランジスターテレビを発売するという噂も聞いていた。小売価格は6万9800円だという。
 確実にテレビは普及する。
 白黒(モノクロ)からカラーになり、サイズも自由になる、と渡辺晋は予測した。

【『ナベプロ帝国の興亡』軍司貞則〈ぐんじ・さだのり〉(文藝春秋、1992年/文春文庫、1995年)以下同】

 これは街頭テレビ(1953年/昭和28年)の影響が大きかった。力道山が白人レスラーをやっつける姿を見て、敗戦に打ちひしがれていた日本国民は狂喜した。ま、一種の敗者復活戦みたいなものだったのだろう。

 そして映画の斜陽が始まったのは1960年(昭和35年)であった。

 映画は確実にテレビに喰われ始めていた。劇場へ行く観客が減っているのだ。全盛期の昭和33年に年間11億2700万人を数えた映画館入場者数は、36年には8億6300万人へと激減していた。
 戦後、映画は娯楽の王者であり、テレビ創成期も映画俳優はテレビを「電気紙芝居」と蔑んで絶対にブラウン管には登場しなかった。ところが昭和37年にはNHKの受信契約世帯は1000万台を突破し、4月からTBS系で始まったアメリカのテレビ映画「ベン・ケーシー」が視聴率50パーセントを超えるという事態が生じる。徐々にではあるが「テレビ」と「映画」の関係の逆転現象が起こり始めていた。
 晋と美佐はそれに気づいていた。

 1958年から翌年にかけてミッチー・ブームが吹き荒れる。皇太子の御成婚(1959年)をひと目見ようと、人々はテレビを買い求めた。そして東京オリンピック(1964年)でテレビは全国のお茶の間に備えられた。

日本映画産業統計:過去データ一覧表

 入場者数を見ると1959年をピークに、1960年はほぼ横ばいだが1961年から激減している。この数字からテレビの普及率が窺えよう。

 ナベプロは創業期のテレビ局をバックアップしながら、その一方で落ち目となった映画界に触手を伸ばした。そして計算通り、クレージーキャッツの映画作品を次々と大ヒットさせる。

 大宅壮一が一億総白痴化といったのは『週刊東京』1957年2月2日号でのこと。まだまだテレビが蔑まれていた時代であった。

 テレビというパンドラの匣(はこ)は、広告代理店が企業を統治するメディア情況を生んだ。視聴者はコントロールされる対象に貶(おとし)められた。今となっては単なる世論誘導の道具にすぎない。

 先ほど以下のツイートが流れてきた。

1.もっと使わせろ、2.捨てさせろ、3.無駄使いさせろ、4.季節を忘れさせろ、5.贈り物をさせろ、6.組み合わせで買わせろ、7.きっかけを投じろ、8.流行遅れにさせろ、9.気安く買わせろ、10.混乱をつくり出せ【電通「戦略十訓」】(@take23asn

 完全に統治者の言葉づかいとなっている。ジョージ・オーウェルが描いた『一九八四年』の世界が現実化している。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

ナベプロ帝国の興亡 (文春文庫)

チャールズ・ダーウィン


 2冊挫折。

 挫折34『種の起源(上)』ダーウィン:渡辺政隆訳(光文社古典新訳文庫、2009年)/ツイッターで@untitled_skz氏から勧められたのだが、私の手に負える本ではなかった。敢えなく撃沈。いつの日か再チャレンジ。

 挫折35『新版・図説 種の起源』チャールズ・ダーウィン、リャード・リーキー編:吉岡晶子訳(東京書籍、1997年)/図があれば何とかなるだろうと思ったものの、やはり一度染みついた先入観を拭うことは難しい。ついてゆけなくなった授業の雰囲気が漂う。完全なKO負け。

科学と魔術


 科学の奇跡と出会うまで、ぼくの世界を支配していたのは魔術だった。

【『風をつかまえた少年 14歳だったぼくはたったひとりで風力発電をつくった』ウィリアム・カムクワンバ、ブライアン・ミーラー:池上彰解説、田口俊樹訳(文藝春秋、2010年)】

TED:William Kamkwamba on building a windmill

風をつかまえた少年

男の背を鞭打つ詩情/『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編


 福本伸行はギャンブル漫画の第一人者である。私が初めて買ったのは『無頼伝 涯』で、その後『銀と金』を読み、福本ワールドに絡め取られた。

 私はギャンブルとは縁がない。それでも心を揺さぶられるのは、ギャンブルという装置を通して福本が限界状況を描いているためだ。熾烈な攻防と過酷な勝負。ビジネスであれ、学問であれ、そうした局面に身を置くことは珍しくない。少なからず人生において「戦う」姿勢をもつ人であれば、福本が弾(はじ)く弦(いと)の響きに共振するはずだ。

 はっきりいって本の構成が悪い。せっかくの詩情が、解説のせいで台無しになってしまっている。それでも尚、福本の言葉は輝きを放って色褪せることがない。男の背が一直線になるまで鞭打つ。

 30になろうと40になろうと奴らは言い続ける…
 自分の人生の本番はまだ先なんだと…!
「本当のオレ」を使っていないから
 今はこの程度なのだと…
 そう飽きず 言い続け 結局は老い…死ぬっ…!
 その間際 いやでも気が付くだろう…
 今まで生きてきたすべてが
 丸ごと「本物」だったことを…!(『賭博黙示録 カイジ』)

【『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2009年)以下同】

 怠惰(たいだ)に甘んじ、怯懦(きょうだ)を恥じることなく、のうのうと人生を過ごしているうちに、弱さが実体となる。決断を先送りにすることが猶予(ゆうよ)であると錯覚し、「待った」をかける。優勝チームが決まった後の消化試合みたいな人生を送っている中年男性は山ほどいる。

 彼らは、いつか神様が降りてきて一発逆転を約束しているかのように漫然と構えている。僥倖(ぎょうこう)への淡い期待が、白馬に乗った王子様を待ち侘びる少女を思わせる。

 伸びきったバネは弾力を失う。力は発揮してこそ強まる。

 リスクを恐れ 動かないなんてのは
 年金と預金が頼りの老人のすることだぜ(『賭博黙示録 カイジ』)

 簡単にできそうで実際にはできないことがある。例えば転職や引っ越しなど。離婚も同様だ。こんなことが一大事件になること自体、瑣末な人生を歩んでいる証拠といえよう。

 保身は自らを腐らせる。

 あの男は死ぬまで
 純粋な怒りなんて持てない
 ゆえに本当の勝負も生涯できない
 奴は死ぬまで保留する…(『アカギ』)

 波をかぶる勇気を持たなければ泳ぐことは不可能だ。今時は溺れることよりも、濡れることを心配する若者が目立つ。決断を先延ばしにするな。間違ったら修正すればいいだけのことだ。歩き出せば、今までとは違った景色が見えるものだ。

 一生迷ってろ
 そして失い続けるんだ……
 貴重な機会(チャンス)を…!(『賭博黙示録 カイジ』)

 判断力を欠いた人は、判断を放棄することで、ますます判断に迷う性向が強まる。少子化のせいで、親が過干渉になっている側面もあるのだろう。依存心を棄(す)てなければ人生の主導権は握れない。チャンスは人との出会いに集約される。ボーっとした人間は大切な人を見失っている。

 教えたる
 正しさとは【つごう】や……
 ある者たちの都合にすぎへん…!
 正しさをふりかざす奴は…
 それは ただ
 おどれの都合を声高に主張しているだけや(『銀と金』)

 短刀のように肺腑(はいふ)を突く言葉だ。正義とは特定のポジションから放たれる「言いわけ」なのだろう。

 無念であることが
 そのまま“生の証”だ(『天 天和通りの快男児』)

 無念とは念を空(むな)しくすることである。欲望・願望から離れ、自我をも超越したところに悟りの境地が開ける。自由とは「自由に離れる」ことなのだ。生の証は死を自覚する中から生まれる。

 勝負へのこだわりを捨てれば、戦場は磁場と化す。それは宇宙の姿と一緒で格闘というよりは、むしろダンスというべきだろう。

 みんな… 幸福になりたいんだよね…
 だから… 危ないことはしたくないの
 自分にとって都合のいい条件を
 どんどん揃えていくの──
 そして限りなく安全地域(セーフエリア)に入っていって
 そこで今度は絶望的に煮詰まってゆくんだわ
 揃えた好条件に囲まれて…
 身動きもできない──
 なんて不自由なんだろう(『熱いぜ辺ちゃん』)

 政官業のサラリーマン化を見よ。エリートとは奴隷の中から選抜された奴隷監督者にすぎない。真のエリートは独立独歩の道を往く。国家や企業に寄生する輩をエリートと呼ぶべきではない。支配者は常に被支配者でもある。

 棺さ…!
 お前は「成功」という名の棺の中にいる…!
 動けない…
 もう満足に… お前は動けない
 死に体みたいな人生さ…!(『天 天和通りの快男児』)

 目に見えぬ重力や圧力が社会の至るところで働く。我々は知らず知らずのうちに「競争」というレールの上に乗せられている。情報という情報が消費を煽り、幸福像を示し、犬ように吠え立てながら迷える羊を誘導する。

 現代社会における自由とは「モノを買う自由」でしかない。社会的ステイタスは賃金の多寡で決まる。レールの上を走る電車は脱線することを許されない。それは身動きできない棺(ひつぎ)のようなものだろう。

 モノと金に隠れて現実が見えにくくなっている。福本作品は、人生の虚像を剥(は)ぎ取って読者に現実を突きつける。それは手垢(てあか)にまみれた教訓ではなく、剥(む)き出しにされた「痛み」なのだろう。

人生を逆転する名言集福本伸行 人生を逆転する名言集 2

ギャンブラーの哲学/『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
ギャンブラーという生き方/『賭けるゆえに我あり』森巣博