2012-04-28

Wayra - Voices of the Wind



Voices of the Wind

インディアンの戒律

9.11テロ以降、アメリカ人は航空機事故を恐れて自動車事故で死んだ/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー


 ・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
 ・避難を拒む人々
 ・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
 ・英雄的人物の共通点

『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

 人間の認知回路は常に歪(ゆが)んでいる。そして強い印象を受けるとバイアス(歪み)は強化される。

 1980年代から1990年代にかけて少年犯罪がメディアを賑わした。繰り返される報道が不要な詳細にまで迫り、加害者や被害者のプライバシーをも晒(さら)す。コメンテーターは一様に少年犯罪の増加を憂(うれ)えた。ところが実際は少年による凶悪犯罪は減少していた。

少年犯罪-少年犯罪は増加しているのか
病む社会と少年犯罪を考える

 9.11テロの目的は航空機の乗客を殺害することが目的ではなかった。アメリカの繁栄を象徴するツインタワーに衝突させることで強烈な物語を構成した。アメリカの世論は一気に戦争へと傾き、26日後の10月7日に「対テロ戦争」の御旗(みはた)を掲げてアフガニスタンを攻撃した。

 9.11のあと、アメリカ人の多くは、飛行機の代わりに車で移動しようと決心した。車のほうが安全だと感じられたのだ。さらに空港での、突発的に設定された新しいセキュリティチェックのわずらわしさを考えれば、車のほうが楽なことは確かだった。9.11以後の数ヵ月間に、攻撃以前の同じ時期に比べると、飛行機の乗客数は約17パーセント減少した。一方、政府の概算によると、車の走行距離は約5パーセント増えた。

 だが常識を覆(くつがえ)す恐ろしいことが起こった。9.11以降の2年間に、飛行機の代わりに車で移動していたために、2302人によけいに亡くなったと考えられるのだ。これはコーネル大学の3人の教授が2006年に行なったアメリカの自動車事故についての調査結果である。

【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年)以下同】

 日航ジャンボ機墜落事故(1985年)の時もそうだった。1984年の国内線旅客の対前年度比は9%増であったが、事故が起こった1985年は2.1%減となり、新幹線を利用する人々が増加した(Wikipedia)。

 それにしても何という運命のいたずらであろうか。安全を求めて車を選んだにもかかわらず、死亡リスクが高まるとは。認知-判断という脳のメカニズムは生死にかかわることが理解できよう。

「アメリカン・サイエンティスト」誌に掲載された2003年の分析によると、1992年から2001年にかけて主要な民間の国内線飛行機で死ぬ可能性は、おおよそ1億分の8だった。それに比べて車で平均的なフライト区間で同じ距離を走れば、約65倍もの危険を伴うのである。

 65倍と聞けば危険の度合いはわかりやすい。しかし1億分の8と1億分の520を比較すると、我々の認知はどうしても分母(1億)に集中する。数値の表現法ひとつで受け止め方は180度異なる。

「狼が出た!」と羊飼いの少年が叫び、大人たちは武器を持って集まってきた。面白がった少年は何度となく嘘をつく。本当に狼が現れた時、大人たちは耳を貸さなかった。そして村の羊をすべて食べられてしまうのだ。


 現代において「狼が出た!」と叫んでいるのは国家であり、メディアであり、専門家であり、大人たちである。原発安全神話はその最たるものだ。嘘や偽りの情報が認知を歪め、誤った判断へと導く。人間は感情の動物である。だからこそ理性を働かせ、正しく「勘定する」ことが重要だ。

生き残る判断 生き残れない行動

2012-04-27

震災後の過酷な生活を示す震災関連死数は福島県がトップ

ユダヤ人に襲われてアラブ人が死亡した場合は国全体が無関心

パレスチナ「土地の日」にもイスラエル軍は群集に発砲

私の名はイスラエル

平安から近世にかけては火葬が主流だった


 わが国最初の火葬例は、公式記録によれば、文武4年(700)に死んだ元興寺(がんこうじ)の僧道昭(どうしょう)である。

【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】
隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

2012-04-26

岸田秀、山本七平

1冊読了。

24冊目『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)/一度読んでいる。しかし全く理解できていなかったようだ。繰り広げられる知の饗宴。間髪を入れぬ応酬。解体される日本人の姿。骨太の知性は30年を経ても色褪せることがない。日本文化の伝統として、徳川時代の町人学者から連綿と続く断章取義を挙げている。そして日本社会を構成する原理は「擬制の血縁」である、と。唸(うなり)り続けているうちに読み終えていた。

2012-04-25

【MAD】岡本太郎の言葉



自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫) 芸術は爆発だ!―岡本太郎痛快語録 (小学館文庫) 今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫) 強く生きる言葉

◎『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』、『自分の中に毒を持て』岡本太郎

映画『スライブ いったい何が必要になるのか』


◎生々流転

ミステリー・サークルを持ち出した時点で「ユニークなドラマ」と認識すべきだろう。もちろん宇宙人も。

◎地球外文明(ETC)は存在しない/『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ

飯嶋和一


 1冊読了。

 23冊目『神無き月十番目の夜』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1997年/河出文庫、1999年/小学館文庫、2005年)/昨夜読み終えた。今朝、吐き気を催しながら目が覚めた。アルコール以外の二日酔いは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来のことだ。15年前に新刊を購入。本はきれいなままだった。飯嶋和一は寡作なので、アスリートがオリンピックに照準を合わせるように読むタイミングを測る必要がある。常陸国(現在の茨城県)小生瀬(こなませ)村で三百数十人の村民全員が虐殺された。徳川家康の時代のこと。物語は死屍が累々と連なる場面から始まる。果たしてこの村で何が起こったのか? 小生瀬(こなませ)を含む保内(ほだい)は特殊な地域であった。伊達政宗の脅威にさらされる要衝の地ゆえに、半農半士の土豪による自治が長らく認められていた。彼らは月居騎馬衆(つきおれきばしゅ)と呼ばれた。そこは「日本のアフガニスタン」であった。年貢を納めるために打ちひしがれた人生を選んだ百姓とは趣を異にしていた。水戸藩の正史には一行も記されていないという。飯嶋は聖地「火(か)の畑(はた)」に横たわる遺体を指さし、人々の人生に光を当てた。ルビが少なくて読むのが難儀であるが得るものは大きい。

2012-04-24

シリア ディルエルゾル(プロパガンダ創作チャンネル)の撮影現場

動画の最後に写っているマイクにこの衛星テレビ局の名前が読める。ディルエルゾル=プロパガンダの殿堂。このテレビ局は偽情報を作りアルジャジーラなどの偏向チャンネルに送­る役割を果たしている。後方の人々は“民間人”を演じ一斉に叫ぶために撮影監督の指示を待っている。カメラの前では幻の敵に向かって発砲する“叛徒”と指示を与える“上官”。


◎シリア危機 アルジャジーラ情報捏造の現場

シリア情勢 アルジャジーラ特派員はテロリストだった

イスラエル軍で宗教の影響力が拡大

レオポルド・ストコフスキーとの対談/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ


 真の対話は化学反応を起こす。著名人による対談は互いに太鼓をもって予定調和の音頭を奏でるものが多い。対話の中身よりも、むしろ名前が重要なのだろう。あるいは肩書き。ま、形を変えて引き伸ばした営業や挨拶みたいな代物だ。

 私はクラッシクをほとんど聴かないのでレオポルド・ストコフスキーの名前を知らなかった。フィラデルフィア・オーケストラの著名な指揮者だそうだ(当時)。クリシュナムルティ33歳、レオポルド・ストコフスキー46歳の時の対談が収められている。

 まずはレオポルド・ストコフスキーの指揮を紹介しよう。






 レオポルド・ストコフスキーの戸惑う様子が各ページから伝わってくる。クリシュナムルティ特有の文脈を異次元のもののように感じたはずだ。ストコフスキーは戸惑うたびに注意を払い、問いを深めている。

クリシュナムルティ●直観は、英知の極致、頂点、精髄なのです。

【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)以下同】

 直感、ではない。直感は「感じる」ことで、直観は「捉える」ことだ。第六感のような感覚的なものではなく、英知の閃(ひらめ)きによって物事をありのままに見通す所作(しょさ)である。

 直観という瞬間性に時間的感覚はない。主体と客体の差異も消失する。そこに存在するのは閃光(せんこう)の如き視線のみだ。

 我々は普段見ているようで見ていない。ただ漫然と眺めているだけだ。あるいは概念やイメージというフィルター越しに見てしまう。つまり、ありのままを見るのではなくして、過去を見ているのだ。これはクリシュナムルティが一貫して指摘していることだ。

ストコフスキー●私はかねがね、芸術作品は無名であるべきだと思ってきました。私が気にかけていた問いはこうです。詩、ドラマ、絵あるいは交響曲は、その創造者の表現だろうか、それとも彼は、想像力の流れの通路となる媒介だろうか?

 本物の芸術は作り手の意図を超えて、天から降ってくるように現れる。意思を超越した領域に真理や法則性が垣間見えることがある。ストコフスキーが只者でないことがわかる。

 無名性は永遠性に通じる。作者の名前を付与したものは自我の延長にすぎないからだ。何であれ世に残すことを意図したものは死を忌避していると考えてよい。

 私は大乗仏教の政治性に激しい嫌悪感を抱いているが、その無名性には注目せざるを得ない。

 クリシュナムルティは次のように応じた。

「創造的なものを解放するためには、正しく考えることが重要です。正しく考えるには、自分自身のことを知らなければなりません。自分自身を知るためには、無執着であること、絶対的に正直で、判断から自由でなければなりません。それは、自分自身の映画を見守るように、日中、受け入れも拒みもせずに、自分の思考と感情に連続的に気づくことを意味するのです」

「無執着≒判断から自由」という指摘が鋭い。我々は何をもって判断しているのか? 本能レベルでは敵か味方かを判断し、コミュニティレベル(社会レベル)では損得で判断している。判断を基底部で支えているのは所属や帰属と考えてよさそうだ。

 社会人として、大人として、親として、日本人として、「それはおかしい、間違っている」と我々は言う。相手を断罪する時、私は「社会を代表する人物」みたいな顔つきをしているはずだ。集団には必ず不文律があるものだが、結局のところ「村の掟」と同質だ。

「判断から自由」――これこそが真のリベラリズムといえよう。せめて判断を留保する勇気を持ちたい。

「いったんはじめられ、正しい環境を与えられると、気づきは炎のようなものです」 クリシュナムルティの顔は生気と精神的活力で輝いた。「それは果てしなく育っていくことでしょう。困難は、その機能を活性化させることです」

「正しい環境」とは脳の環境のことであろう。すなわち思考を脇へ置くことを意味する。思考から離れ、判断から離れることが、自我から離れる=自我からの自由を示す。

「自由な思考」という言葉は罠だ。思考は過去への鎖であり、自我への束縛であり、最終的に牢獄と化すからだ。哲学の限界がここにある。

クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの
あなたは「過去のコピー」にすぎない

私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集

2012-04-23

ヴェルナー・ゾンバルト、村松恒平


 1冊挫折、1冊読了。

戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳(論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)/原著刊行は1913年。第一次世界大戦が翌年のこと。「戦争がなければ、そもそも資本主義は存在しなかった」との指摘が重い。詳細を極める内容についてゆけなかった。

 22冊目『達磨 dharma』村松恒平(メタ・ブレーン、2009年)/やられた。文章道場は本書の販促が目的だったのだろう。巧みなマーケティングといえる。つまり村松はメールマガジンをソーシャル・ネットワーキングとして活用したのだ。B5判の薄い本で、本文は左ページのみ。短篇というよりは掌編である。ページの余白部分に言葉の響きが広がる。小説自体は「フーン」といった程度ではあるが、味わい深いのは確かだ。

2012-04-22

本当の戦争の話をしよう




本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン
ティック・クアン・ドック
画像検索:ベトナム戦争
罪もない少年を殺害し、笑顔で記念撮影をする米兵(アフガニスタン)
米兵、上半身吹き飛んだ遺体と笑顔で記念撮影(アフガニスタン)

「知性とは何か」茂木健一郎



G1サミット2012 第10部分科会 知性とは何か

知性とは何か。太古から人は言語を生み、火を使い、森羅万象の中に法則性を見出すことによって進歩を遂げてきた。闇の深淵に何があるのかという畏怖と探求心は、宗教を生み
­出し、天文学をつくり、ロケットを発明した。見えないものを見ようとする知性は、新たな世界観を育み、世界を変革する力となって、人類をいまだ知らざる土地へと連れて行く­。宇宙を回遊し、インターネットでつながれた情報の海を泳ぎながら、現代における知性は、どのような世界を夢想するのだろうか。脳科学者の茂木健一郎氏が語る知性とは。(­文中敬称略。肩書は2012年2月12日登壇当時のもの)。

スピーカー:
茂木健一郎 脳科学者

聴き手:
國領二郎 慶應義塾大学 教授

2012年2月12日 於:青森

【みどころ】
・才能とは「非典型的な知性」であり、これこそがグローバル社会で求められている
・知性のあり方、学力観を問い直さないと、日本はあぶない
・自然科学者が英語、文系学者が日本語で研究することが相互交流を分断している
・TOEICという検定試験のようなもので英語力を図るのはおかしい
・英語を学ぶ真の意味は、世界の知のバトルや現場の息吹を知るため
・圧倒的な知性の持ち主は、ペーパーテストなしでも話して、書いたものを見ればわかる
・遺伝の相関係数は平均50-60%、あとは環境によって決まる
・スティーブ・ジョブズのように「欠落」が非典型的な知性をはぐくむこともある
・美人は収束進化、皆の顔を平均的にしたものが美人。一方天才は収束的でなく、脳の特定部位の部分最適による
・大事なのはソーシャル・センシティビティ、グループで互いに能力を補い合うことで素晴らしいものを生み出せる
・面倒くさいことを粘り強くすると、脳の回路が活動しジェネラル・インテリジェンスは上がる
・非典型的な知性の育み方はケース・バイ・ケースで脳科学的にも不明
・パッション(受難が語源)、苦しんだ人、欠落した人が持つもの
・天才は、意識が押さえている無意識をうまく「脱抑制」できる人
・何が起こるかわからない状況にも適応できる知性を、いかにはぐくむか

◎茂木健一郎

感動する脳 (PHP文庫) 生命と偶有性 生きて死ぬ私 (ちくま文庫) 空の智慧、科学のこころ (集英社新書)