2012-08-18

藤村靖之、上村静


 1冊挫折、1冊読了。

月3万円ビジネス 非電化・ローカル化・分かち合いで愉しく稼ぐ方法』藤村靖之〈ふじむら・やすゆき〉(晶文社、2011年)/副業ならぬ複業を提唱。アイディアとしては素晴らしいのだが、具体性となると少々難しそうだ。マイクロ・コンツェルン的発想は重要だと思う。

 41冊目『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』上村静〈うえむら・しずか〉(岩波書店、2008年)/良書である。早速、「キリスト教を知るための書籍」に追加した。3分の2ほどは飛ばし読みのため本当なら挫折本にすべきなのだが、見栄を張って読んだことにしておく(笑)。あっさり味だが出汁(だし)がしっかり出ている塩ラーメンの趣がある。上村は東京大学や東海大学で非常勤講師をしているようだ。キリスト教の内部世界を描いているため、そこかしこに「甘さ」を感じるものの、抑制された筆致が清々しい。またユダヤ教~キリスト教の歴史については、今まで読んできた書物の中で最も勉強になった。

T-Mobileの巻き込み型プロモーション


 ドイツテレコムの子会社T-Mobileによる大掛かりなプロモーション。「立つ鳥跡を濁さず」といった終わり方が素晴らしい。人々を幸せな気分にさせる演出がグッド。









2012-08-17

縦横無尽の機知、辛辣な諧謔/『緑雨警語』斎藤緑雨〈さいとう・りょくう〉、中野三敏編


・縦横無尽の機知、辛辣な諧謔
資本主義の害毒が明治を覆う

 数日前から書こう書こうとしているのだが、どうも筆(※本当はキー)が重い。はっきり言ってしまえば、まったく書く気が起こらない。名文は人を沈黙させる。幾度となく音読し、ただ味わうのが正しい接し方なのかもしれぬ。警語とは警句と同義であるが、どことなく「警世の語」を思わせる

 斎藤緑雨〈さいとう・りょくう〉は1868年(慶応3年)1月生まれというから、今回紹介する「万朝報」(よろずちょうほう)に健筆を振るったのはちょうど30歳の時だ。

 Wikipediaによれば幸徳秋水〈こうとく・しゅうすい〉や樋口一葉〈ひぐち・いちよう〉らとも親交があったとのこと。

 樋口一葉の真価を理解評価し、森鴎外幸田露伴とともに「三人冗語」で紹介した一人である。1896年(明治29年)1月に手紙をやりとりし始め、緑雨は直截な批評を一葉に寄せるようになる。樋口家を訪問しては一葉と江戸文学や当時の文壇について語り明かし、一葉は「敵にまわしてもおもしろい。味方にするとなおおもしろそうだ」とその印象を日記に書き記している。以来、一葉没するまで2人の交流は続く。

【Wikipedia】

 一葉が24歳の若さで死去(1896年)。緑雨はそれから8年後(1904年)に36歳で没した。

 緑雨の名を知らない人でも次の川柳は聞いたことがあるだろう。「ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ」。文明開化に踊らされる風潮への軽妙な諷刺か。そのアフォリズムの数々には寸鉄人を刺す趣があり、ピリリと辛味が効いている。明治人の気風と教養が侮り難いのは、やはり漢籍などの暗誦によるものであろうか。社会を射抜く鋭い視線が、100年を経ても色褪せない言葉を生んだ。

 今はいかなる時ぞ、いと寒(さぶ)き時なり、正札(しょうふだ)をも直切(ねぎ)るべき時なり、生殖器病云々(うんぬん)の売薬広告を最も多く新聞紙上に見るの時なり。附記す、予が朝報社に入れる時なり。

【日刊新聞「万朝報」明治31年1月9日~32年3月4日(※送り仮名は適宜割愛した)/『緑雨警語』斎藤緑雨〈さいとう・りょくう〉、中野三敏編(冨山房百科文庫、1991年)以下同】

 一見すると関係のない事柄が羅列しているが、見事なまでに当時の風俗が窺える。

 代議士とは何ぞ、男地獄的壮士役者(おじごくてきそうしやくしゃ)と雖(いへど)も、猶(なほ)能(よ)く選挙を争ひ得るものなり。試みに裏町に入りて、議会筆記の行末をたづねんか、截(き)りて四角なるは安帽子(やすぼうし)の裏なり、貼りて三角なるは南京豆の袋なり、官報の紙質殊(こと)に宜(よろ)し。

 官報の紙質を持ち上げることで政治家をこき下ろしている。庶民が大笑いする光景まで目に浮かんでくる。

 拍手喝采は人を愚(おろか)にするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ、渠(かれ)おのづから倒れん。

 拍手という文化も明治以降に輸入されたものだ。演説をする者は拍手に酔い痴れ、人々の声が聞こえなくなってしまう。彼が求めるのは礼賛であって意見ではない。

 途(みち)に、未(いまだ)学ばざる一年生のりきみ返れるは、何物をか得んとするの望(のぞみ)あるによるなり、既に学べる三年生のしをれ返れるは、何物をも得るの望(のぞみ)なきによるなり。但し何物とは、多くは奉公口(ほうこうぐち)の事なり。

 これまた現代の大学生を思わせる言葉だ。

 選(えら)む者も愚なり、選まるゝ者も愚なり、孰(いづ)れか愚の大なるものぞと問はゞ、答(こたへ)は相互の懐中に存すべし。されど愚の大なるをも、世は棄(す)つるにものにあらず、愚の大なるがありて、初めて道の妙を成すなり。

 日本国民は長らく自民党を選び、新たに民主党を選び、そして今度は橋下新党(※別にみんなの党でも構わないが)を選ぼうとしている。「選(えら)む者も愚なり、選まるゝ者も愚なり」か。

 日本は富強なる国なり、商にもよらず、工にもよらず、将(はた)農にもよらず、人皆内職を以(もつ)て立つ。

 富国強兵は明治政府の国策であった。読みながら思わず吹き出してしまった。

 渠(かれ)はといわず、渠もといふ。今の豪傑と称せられ、才子と称せらるゝ者、いづれも亦(また)の字附(つ)きなり。要するに明治の時代は、「も亦」の時代なり。

 これなんぞは新聞による社会の情報化が窺える内容だ。

 涙ばかり貴(たふと)きは無しとかや。されど欠(あく)びしたる時にも出づるものなり。

 色々な涙があるものだ。背中を向けて唾をつけることも。

 問ふて曰く、今の世の秩序とはいかなる者ぞ。答へて曰く、銭勘定に精(くは)しき事なり。

 資本主義の本質を一言で抉(えぐ)り出す。算盤勘定が求められるのは現代においても同様だ。

 恩は掛くるものにあらず、掛けらるゝものなり。漫(みだ)りに人の恩を知らざるを責むる者は、己も畢竟(ひっきょう)恩を知らざる者なり。

「恩を知らざるを責むる」というのは大乗仏教教団にありがちな態度である。「恩知らず」と他人を罵る者は、恩を売り物にしているのだろう。

 若(も)し国家の患(うれひ)をいはゞ、偽善に在らず偽悪に在り。彼(か)の小才(せうさい)を弄し、小智(せうち)を弄す、孰(いづ)れか偽悪ならざるべき。悪党ぶるもの、悪党がるもの、悪党を気取る者、悪党を真似る者、日に倍■(ますます/伏字は「々」ではなく二の字点)多きを加ふ。悪党の腹なくして、悪党の事をなす、危険これより大なるは莫(な)し。

 石原某からネトウヨに至るまでが該当しそうだ。

 賢愚は智に由(よつ)て分(わか)たれ、善悪は徳に由て別たる。徳あり、愚人(ぐじん)なれども善人なり。智あり、賢人なれども悪人なり。徳は縦に積むべく、智は横に伸ぶべし。一(いつ)は丈(たけ)なり、一は巾(はば)なり、智徳は遂(つひ)に兼ぬ可(べか)らざるか。われ密(ひそか)におもふ、智は凶器なり、悪に長(た)くるものなり、悪に趨(はし)るものなり、悪をなすがために授けられしものなり、荀(いやし)くも智ある者の悪をなさゞる事なしと。

 政官財に加えて報(メディア)の面々をしかと凝視せよ。彼ら「智ある者の悪をなさゞる事なし」。

 勤勉は限(かぎり)有り、惰弱は限無し。他(た)よりは励すなり、己よりは奮ふなり、何ものか附加するにあらざるよりは、人は勤勉なる能(あた)はず、惰弱は人の本性(ほんせい)なり。

 確かに(笑)。

 打明けてといふに、已(すで)に飾(かざり)あり、偽(いつはり)あり。人は遂に、打明くる者にあらず、打明け得る者にあらず。打明けざるによりて、わづかに談話(はなし)を続くるなり、世に立つなり。

 まるでインサイダー情報のやり取りだ。あるいは未公開株か。

 知己(ちき)を後の世に待つといふこと、太(はなはだ)しき誤りなり。誤りならざるまでも、極めて心弱き事なり。人一代に知らるゝを得ず、いづくんぞ百代の後に知らるゝを得ん。

 正論や常識を疑うところから諧謔(かいぎゃく)は生まれる。

 己を知るは己のみ、他(た)の知らんことを希(ねが)ふにおよばず、他の知らんことを希ふ者は、畢(つひ)に己をだにも知らざる者なり。自ら信ずる所あり、待たざるも顕るべく、自ら信ずる所なし、待つも顕れざるべし。今の人の、ともすれば知己を千載(せんざい)の下(もと)に待つといふは、まことに待つにもあらず、待たるゝにもあらず、有合(ありあ)はす此句(このく)を口に藉(か)りて、わづかにお茶を濁すなり、人前をつくろふなり、到らぬ心の申訳(まをしわけ)をなすなり。

 斎藤緑雨は不遇の中で生きたが、決して不幸ではなかったに違いない。そんな一面が垣間見える。

 知らるとは、もとより多数をいふにあらず、昔なにがしの名優曰く、われの舞台に出(い)でゝ怠らざるは、徒(いたづ)らに幾百千の人の喝采を得んがためにあらず、日に一人の具眼者の必ず何(いづ)れかの隅(すみ)に有りて、細(こまか)にわが技(ぎ)を察しくるゝならんと信ずるによると。無しとは見えてあるも識者なり、有りとは見えてなきも識者なり。若(も)し俟(ま)つ可(べ)くば、此(かく)の如くにして俟つ可し。

 メッセージは一人に向けて発すればよい。人気よりもコミュニケーションの成立が重要だ。

 恐る可(べ)きもの二つあり、理髪師と写真師なり。人の頭を左右し得(う)るなり。

 クスリ(笑)。

 さる家の広告に曰く、指環(ゆびわ)は人の正札(しゃうふだ)なりと。げに正札なり、男の正札なり。指環も、時計も、香水も、将又(はたまた)コスメチツクも。

 銀座のホステスは腕時計と靴で男を判断するらしいよ。見てくれの時代が内実を失わせる。

 理ありて保たるゝ世なり。物に事に、公平ならんを望むは誤(あやまり)なり、惑(まどひ)なり、慾(よく)深き註文(ちゅうもん)なり、無いものねだりなり。公平ならねばこそ稍(やゝ)めでたけれ、公平を期すといふが如き烏滸(おこ)のしれ者(※大馬鹿者)を、世は一日(じつ)も生存せしめず。

 公平・公正は概念に過ぎない。これ社会主義の一大欺瞞なり。

 それが何(ど)うした。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。政治といわず文学といわず。

 黒船が幕府を始めとする日本の権威を崩壊させた。でもって明治期になると天皇の権威を築くわけだ。「それが何(ど)うした」の一言に価値観の激変を見る。

 斎藤緑雨は時代と社会に向かって唾を吐き続けた。その気概と気骨に痺れる。

 尚、「数多いアフォリズムを一冊に集めたのはさぞかし労の多かったことと思うが、編者が緑雨の向うを張って、全編に自作のアフォリズムを添えたのは邪魔ものであった」(「斎藤緑雨からはじまる」書迷博客)との意見に同感だ。

緑雨警語 冨山房百科文庫 (41)

ryokuu

斎藤緑雨
居酒屋「鍵屋」と斎藤緑雨
斎藤緑雨『油地獄』
語もし人を驚かさずんば死すとも休せず/『日本警語史』伊藤銀月

2012-08-16

「善意ではない」イラン、米の緊急支援を拒絶へ


 イラン北西部東アゼルバイジャン州で300人以上が死亡した地震で、イラン政府は15日、米国からの緊急支援の申し出を断る方針を明らかにした。

 イラン学生通信が伝えた。

 11日の地震発生後、イランにはカタールやパキスタンなどから支援物資が届き、米国も支援実施の姿勢を示していた。しかし、イラン内務省のガダミ危機管理監は15日の記者会見で、「米国の申し出は善意からのものではない」と述べ、「本当に善意があるなら、制裁を解除し、医薬品を輸入できるようにするべきだ」と米国への強い不信感を示した。米・イラン間では、核開発問題を巡って対立が先鋭化している。

【YOMIURI ONLINE 2012年8月16日10時34分】

Mideast Iran Earthquake

Mideast Iran Earthquake

Mideast Iran Earthquake

APTOPIX Mideast Iran Earthquake

IRAN EARTHQUAKE

Iran's Earthquake-24Feb2005-83

鳥のシルエット

FREE

 大自然が描く精妙な光景。海が太陽の輝きを跳ね返し、空が大地のような色を醸(かも)し出す。一条の光の中をゆく一羽の鳥。写真を見る者はスポットライトの反対側に追いやられる。光と闇の反転がリアリティを激しく揺さぶる。

安っぽい相対主義的な教訓ではなく


2012-08-14

Just For Laughs: Gags - Season 9 - Episode 10


 2番目のやつが凄い。

Just For Laughs: Gags - Season 9 - Episode 9


 ゲームは単純であればあるほど面白い。

デイヴィッド・イーグルマン、オリヴァー・サックス、ラドヤード・キプリング、G・K・チェスタトン、佐々木融、ロジャー・スミス、グレッグ・ルッカ


 7冊挫折。

脳神経学者の語る40の死後のものがたり』デイヴィッド・イーグルマン:竹内薫、竹内さなみ訳(筑摩書房、2010年)/フィクションだった。ま、軽めの創作小噺の類いだ。10ページまで辿りつけず。

火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者』オリヴァー・サックス:吉田利子訳(早川書房、1997年/ハヤカワ文庫、2001年)/満を持して読んだのだがダメだった。この人は文章に締まりがないと思う。テンプル・グランディンについて書かれた章すら読めなかった。「厳選120冊」改め「必読書」から外した。

少年キム』ラドヤード・キプリング:斎藤兆史〈さいとう・よしふみ〉訳(晶文社、1997年/ちくま文庫、2010年)/訳文が肌に合わず。冒険小説、スパイ小説の古典だけに期待していたのだが。

正統とは何か』G・K・チェスタトン:安西徹雄訳(春秋社『G・K・チェスタトン著作集 1 正統とは何か』、1973年/新装版、1995年)/チェスタトンがイギリスの保守派だったとはね。『木曜の男』を誤読してしまった可能性がある。

弱い日本の強い円』佐々木融〈ささき・とおる〉(日経プレミアシリーズ、2011年)/投資ではなく金融本であった。文章がやや冗長。

はいつくばって慈悲を乞え』ロジャー・スミス:長野きよみ訳(ハヤカワ文庫、2011年)/『血のケープタウン』と同じ翻訳者とは気づかなかった。それほど文章に力がない。原文の問題かもね。

逸脱者(上)』グレッグ・ルッカ:飯干京子〈いいぼし・きょうこ〉訳(講談社文庫、2006年)/遂にグレッグ・ルッカをも読了できず。巻頭のエピソードに問題あり。三人称と一人称の視点が入り交じっていて明らかにおかしい。我慢して読もうかなと思ったが、やっぱりやめた。

幼児期の虐待、うつ病のきっかけになる可能性 米研究


 子どもの頃に虐待されたり、虐待の場面を目撃すると、脳の構造が変化し、その後の人生でうつ病を患ったり、薬物を乱用する恐れが出てくるとの論文が、1日の英学術誌「Neuropsychopharmacology(神経精神薬理学)」に掲載された。

 研究を発表したのは、米テキサス大学(University of Texas)サウスウエスタン医療センター(Southwestern Medical Centre)、先進画像化研究センター(Advanced Imaging Research Centre)のハオ・ホアン(Hao Huang)氏ら。身体や情緒の発達および脳の成熟で極めて需要とされる青年期の段階での早期発見や予防的カウンセリングに期待がかかる。

 ホアン氏がAFPに語ったところによると、MRI(磁気共鳴映像法)を利用し、幼児期の虐待を経験している青年の脳を調べたところ、神経繊維の束からなる脳の白質の特定の場所で、微細な構造の乱れが確認された。

 調査は10歳前に肉体的もしくは性的に虐待されたか、6か月間以上家庭内暴力を目撃した経験を持つ青年19人のグループと、こうした経験がない青年13人のグループを、半年ごとに最大5年間比較対照する方法で行われた。虐待被害にあったグループは平均16歳の調査開始当時、肉体も精神も共に健康で、アルコールや薬物への依存も見られなかった。

 その後、虐待被害者グループの19人中5人がうつ病を発症した一方、虐待被害のないグループの発症者は1人にとどまった。薬物依存症についても、虐待被害者グループの4人に対し、虐待被害のないグループはわずか1人。さらに両方に当てはまった者は虐待被害者グループから2人出た。

 幼児期に虐待の被害にあった青年と後年うつ病を発症した青年、双方の脳を調べたところ、白質の効率性を示すFA値が著しく低かったという。

 ホアン氏は「脳のスキャンは、こうした症状を患うリスクが高い若者を特定し、早期予防に有効だと考えている」とコメントした。ただ白質が阻害されるメカニズムについてはまだ解明されていないため、さらなる研究が必要だという。

AFP 2012-08-13

マレーシアで、レイプされて生まれてきた我が子を虐待する動画

2012-08-13

賽は投げられた

New Game - New Luck

 ルビコン川を渡らんとするまさにその時カエサルは叫んだ。「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。進もう、神々の待つところへ! 我々を侮辱した敵の待つところへ! 賽(さい)は投げられた!」と。あとは決まった運命を確認しにゆくだけだ。

 我々の脳は「因果という物語」に支配されている。サイコロの目は幸運と不運とに書き換えられる。ま、キリスト教の運命も仏教の宿命も似たようなものだ。どちらも形を変えた決定論と考えてよかろう。

 サイコロは物理的法則によって動くわけだがそれだけではない。必ず何らかの不確実性が働く。因果が絶対的なものであると考えるのは信仰者だけだ。

 全知全能の神様はラプラスの悪魔となり、ハイゼンベルク不確定性原理がこれを打ち砕いた。

 賽は投げられた――しかし、どの目が出るかは神様にもわからない。

俵万智~子を連れて西へ逃げる母を歌う



子を連れて西へ西へと逃げて行く…俵万智さんの歌と母の愛に感動

2012-08-12

「哲学:切り開くために」茂木健一郎(第1回応用哲学会、京都大学)


 質疑応答で茂木が激昂する場面がある。茂木は質問に込められたプロ市民的な意図を撃った。また、それ以前の質問がとにかく冗長で、一様に「自分」を語っている。茂木の怒りは「コミュニケーションの欠落」に向けられたものだと思う。司会者に「会を司る」緊張感がなく、登壇者に甘えた姿勢が会全体を台無しにしている。