2014-03-16

戦後民主主義は民主主義に非ず/『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹

 ・戦後民主主義は民主主義に非ず

『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

 戦後民主主義は、占領軍による強制というおよそ民主主義にふさわしくない方法で導入された。この尖鋭な矛盾が、「民主主義」の実質をその正反対のものに転化させた。これを「虚妄(きょもう)の民主主義」と称した人がいたが、「虚妄」などの生易(なまやさ)しいものではない。似而非(えせ)民主主義でもない。少しも似ていないからである。
 もっと悪いことに、日本人は少しも、この民主主義が、その正反対のものになりはてたことに気付いていないのである。また、「民主政治」最悪の衆愚政治に堕落したことを痛感していないのである。
 そのために、「平等」「自由」「人権」「議会」などの意味がとんでもなく誤解され、この誤解が教育の無間地獄をつうじて、おそろしい惨禍(さんか/わざわい)をまきちらしているのである。
 たとえば、「平等」の誤解は、「どの生徒にも同じことをさせる」という結果を生み、受験戦争を最終戦争にした。知的エリートを根絶させ、優者の責任(ノーブレス・オブリージュ)を埋没させて無責任体制を完成させた。「自由」の誤解は、権威と規範を失わせ若者を本能のままに放置する放埒(ほうらつ)となった。「人権」の誤解が殺人少年をのさばらせている。「議会」の誤解が、政治家を役人の傀儡(かいらい)にしている。
 民主主義教育の惨禍(さんか)は、新左翼の無目的殺人、カルト教団の無差別殺人と、とめどもなくエスカレートしていったが、ついに日本の舵(かじ)取りたる官僚制の究極的腐朽(ふきゅう)にいたった。この惨禍を激化しているのが凶悪犯罪の低年齢化である。
 今の日本にとっての急務(イマージェンシー)は、民主主義の真の理解である。

【『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹(青春出版社、1997年)以下同】

「架空デモクラシーは日本を廃人国家へと導く!」との帯が目を惹く。小室直樹の原論シリーズにはハズレがない。合理的かつ科学的である。

 私は民主制を信じていない上、悪しき制度であると考えている。そもそも「民主主義」という言葉自体が誤訳であろう。デモクラシーに「イズム」は付いていないのだから。住民自治程度の単位であれば民主制で構わないと思う。

 一応、選挙の投票と義務教育の学級会やホームルームで行われているのが民主制である。その他ではお目にかかったことがない。ただし民主制とはいえ、自由意志で投票判断することは考えにくい。業界団体や職場、あるいは教団の指示に従って投票しているだけのことだ。学校ではやはり友人の視線を気に掛けながら賛否を決めることだろう。コミュニティとは利益を共有する共同体であるため損得が優先される。政(まつりごと)はもともと祭り事であった。村から追い出されてしまえば祭りに参加することは不可能だ。村八分。

 民主とは名ばかりで、かつて私が主(あるじ)になったのは小学校4~6年生で学級代表を務めた時だけだ(笑)。そう。主には権力が必要なのだ。憲法すら形骸化するこの国で民が主となれるわけがない。

「民主主義」(デモクラシー)は、プラトン、アリストテレスの昔からずっとマイナス・イメージであった。それが、ウイルソン米大統領による第一次世界大戦における対独宣戦布告文にある「この世界をしてデモクラシーが住みよい所にするために」という宣言から、俄然(がぜん)プラス・イメージに転じたのであった。

 デモクラシーを鼓吹した連中も殆どが貴族制を支持していた(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。

 民主主義が華々しい服装で登場したのは20世紀になってからとは知らなかった。以下のページが参考になる。

『民主主義』(8) デモクラシーと進歩主義|Generalstab

 ただしアメリカの説く民主制はアメリカ独自のものでアメリカン・デモクラシーといってよい。学問的にも分けて考えられている。それも当然だ。インディアンを大量虐殺し、黒人奴隷を保有していた連中が説く「民主」なんて誰も信じないに決まっている。

 民主制が群衆の叡智(集合知は群衆の叡智に非ず/『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン)を意味するなら、議会制を廃止してその都度インターネット国民投票で決めればよいことだ。運営コストも格段に安くなることだろう。

 私は政党政治にも嫌悪感を抱いている。党議拘束で所属議員を縛りつける政党が国民を縛るのは当然であろう。

 議論が成立する人数はどの程度であろうか? 私は20~30人くらいだと思う。だから政治家の数もその程度でよいのではないか? で、参議院は少し人数を増やして50人にすればよい。政党は廃止。賢人会議のようにする。議会はカメラが入り放題。議員は人口構成の世代別に準じて選別する。更に政治家は官僚の人事権を完全に掌握する。このくらいやらないと日本はまともな独立国になれない。官僚ファシズムは権力者の顔が見えない。そこが恐ろしい。

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