2014-05-08

君子は豹変し、小人は面を革む/『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋


 ・君子は豹変し、小人は面を革む

『中国古典名言事典』諸橋轍次

桃や李(すもも)は何も言わないけれども、美しい花やおいしい実をつけるので、その下に人が集まってきて、自然に道ができる。それと同じように、徳のある人物のもとには、その徳を慕っておのずと人が集まってくる

桃李言(ものい)わずして
下(した)自(おのず)から蹊(みち)を成(な)す

     『史記』李将軍列伝

【『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋〈もりや・ひろし〉(角川SSC新書、2010年)以下同】

 久し振りに守屋の著作を開いた。構成の悪いスカスカ本であった。粗製乱造の極みか。中高生向けの代物。何を血迷ったのか翻訳文が最初に大きく書かれている。順序が逆であろう。原文への敬意を欠いているようにすら見えて仕方がなかった。

 いくつか原文を調べたくて読んだのだが目ぼしいものを紹介しよう。最初に紹介したものは知っている人も多いだろう。成蹊大学の由来でもある。「蹊」は「けい」と読む文献もある。小道の意である。私は李広将軍にまつわる文章であることを知らなかった。「一念岩をも通す」で知られる人物だ。母を殺した人喰い虎を見つけた李広はすかさず弓を引いた。深々と刺さった獲物を見たところ虎の姿に見えたのは岩であった。矢羽まで突き刺さったと伝えられる。「虎と見て石に立つ矢のためしあり」とも。

君子は、つねに自己革新をはかって成長を遂げていく。小人は、表面だけは改めるが、本質にはなんの変化もない

君子(くんし)は豹変(ひょうへん)し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む

     『易経』革卦(かくか)

 これこれ。これを探していたのだ。私のモットーだ。気づけば変わる。見えれば変わると言い換えてもよい。君子豹変という言葉だけで朝令暮改と似た意味だと勘違いしている人が多い。田原総一朗もその一人だ。君子は果断に富むゆえ、さっと身を翻(ひるがえ)すことがあるのだ。愚かで無責任な連中はそれを「信念がない」とか「転向」などと受け止める。かような風評を君子は恐れることがない。

毎日、「今日もやるぞ」と、覚悟を新たにしてチャレンジする

苟(まこと)に日(ひ)に新(あら)たに、
日日(ひび)に新(あら)たに、
又(ま)た日(ひ)に新(あら)たなり

     『大学』伝二章

 筍(たけのこ)と似た字だが日ではなく口。訓読みだと「苟(いやしく)も」。名文の香りを台無しにする翻訳だ。本物の価値創造とは日々新しい自分と出会うことだ。生に感激を失った途端、人は老いる。

人生における最大の病(やまい)は、「傲」(ごう)の一字である

人生(じんせい)の大病(たいびょう)は
ただこれ一(いち)の傲(ごう)の字(じ)なり

     『伝習録』下巻

 傲(おご)りが瞳を曇らせる。自戒を込めて。この言葉は知らなかった。

自分が正しいと確信が持てるなら、阻む者がどれほど多かろうと、信じた道を私は進む

自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、
千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん

     『孟子』公孫丑(こうそんちゅう)篇

「縮」には正しい、真っ直ぐとの意があるようだ(ニコニコ大百科)。これも君子豹変に通ずる。要は深く自らに問うことが正しい答えにつながるのである。周りは関係ない。行列の後に続くような生き方は感動と無縁であろう。

 中国の偉大な歴史は文化大革命を経て漂白されてしまったのだろうか? 中国人民の間にこれらの言葉はまだ生きているのだろうか? 気になるところである。


先ず隗より始めよ/『楽毅』宮城谷昌光
大望をもつ者/『楽毅』宮城谷昌光

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