2017-02-16

佐藤優は現代の尾崎秀実/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫


『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子

 ・目次
 ・共産主義者は戦争に反対したか?
 ・佐藤優は現代の尾崎秀実
 ・二・二六事件と共産主義の親和性

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政
・『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
日本の近代史を学ぶ

 尾崎秀實は世上伝へられてゐる如き単純なスパイではない。彼は自ら告白してゐる通り、大正14年(1925年)東大在学当時既に共産主義を信奉し、昭和3年(1928年)から同7年まで上海在勤中に中国共産党上部組織及コミンテルン本部機関に加はり爾来引続いてコミンテルンの秘密活動に従事してきた【真実の、最も実践的な共産主義者】であつたが、彼はその共産主義者たる正体をあくまでも秘密にし、十数年間連れ添つた最愛の妻にすら知らしめず、「進歩的愛国者」「支那問題の権威者」「優れた政治評論家」として政界、言論界に重きをなし、第一次近衛内閣以来、近衛陣営の最高政治幕僚として軍部首脳部とも密接な関係を持ち、日華事変処理の方向、国内政治経済体制の動向に殆ど決定的な発言と指導的な役割を演じて来たのである。世界共産主義革命の達成を唯一絶対の信条とし、命をかけて活躍してきたこの尾崎の正体を知つたとき、近衛が青くなつて驚いたのは当然で、「全く不明の致すところにして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候」と陛下にお詫びせざるを得なかつたのだ。

【『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)以下同】


ゾルゲ事件
ゾルゲ諜報団
ゾルゲ事件
ゾルゲ事件の端緒をめぐる諸問題
ゾルゲ事件とは?(PDF)
ゾルゲと尾崎秀実を擁護する朝日新聞
東京新聞:伊藤律 告発の肉筆手記 ゾルゲ事件「スパイ説」冤罪

 ソ連にとってゾルゲ最大の功績はノモンハン事件(1939年)の不拡大方針と、その後日本が北進論から南進論に傾いた事実を逸(いち)早く察知したことであった。ソ連としては西側からドイツ軍が攻めてきているので、東から日本軍に攻撃されることだけは避けたかった。日本国内では三国干渉(1895年)や北清事変(1900年)を通してソ連に対する憎悪は高まっていた。陸軍参謀本部は北進論を主張したが、尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉は南進論へと世論を誘導する。

「【私の立場から言へば、日本なり、独逸なりが簡単に崩れ去つて英米の全勝に終るのは甚だ好ましくないのであります】(大体両陣営の抗戦は長期化するであらうとの見透しでありますが)万一かゝる場合になつた時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会的体制の転換を以て、ソ連、支那と結び別な角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。此の意味に於て、【日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつゝある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考へたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創設の絶対要点である】といふことをしきりに主張しておりましたのは【かゝる含みを籠めて】のことであります」(尾崎手記。強調点は筆者による)


 大東亜戦争は尾崎が描いた青写真通りに進む。日本は長期戦を余儀なくされ、共産主義者は敗戦革命の図式をも視野に入れていた。もちろんゾルゲや尾崎が戦局を決定したわけではない。彼らは自分の役割を忠実に果たしただけなのだが時の流れが加勢した。日本が受けるダメージが壊滅的であればあるほど共産主義革命の実現が近づくと彼らは信じた。

 筆者はコムミニストとしての尾崎秀實、革命家としての尾崎秀實の信念とその高き政治感覚には最高の敬意を表するものであるが、然し、問題は一人の思想家の独断で、8000万の同胞が8年間戦争の惨苦に泣き、数百万の人命を失ふことが許されるか否かの点にある。同じ優れた革命家であつてもレーニンは、昂然と敗戦革命を説き、暴力革命を宣言して闘つてゐる。尾崎はその思想と信念によし高く強靭なものをもつていたとしても、十幾年間その妻にすら語らず、これを深くその胸中に秘めて、何も知らぬ善良なる大衆を狩り立て、その善意にして自覚なき大衆の血と涙の中で、革命への謀略を推進してきたのだ。正義と人道の名に於て許し難き憤りと悲しみを感ぜざるを得ない。

 革命の理想が犠牲を強いる。その後の社会主義国家が辿ったのは大虐殺・大量死の歴史だ。スターリンは2000万人、毛沢東は6000万人(※多くは政策ミスによる餓死)を死へと導いた。

 三田村武夫は重要な指摘をする。「かれ(※尾崎)の優れた政治見識と、その進歩的理論に共鳴し、彼の真実の正体を知らずして同調した所謂、同伴者的存在も多数あつたであらう。更に亦、全くのロボットとして利用された者もあつたであらう」。人は理想から導き出された美しい言葉に弱い。正しい響きには逆らい難い。目的を隠蔽した尾崎の言葉に心酔する者がいてもおかしくはない。そして同伴者は「自らの意志」で同じ言葉を語り始めるのだ。ここに恐ろしい落とし穴がある。

 当時、天皇制否定の主張を訂正した者は転向者と判断された。つまりイデオロギーを堅持した多くの人々が官庁に巣食っていた。彼らの影響も決して小さなものではないだろう。

 本書で初めて知ったのだが実は昭和13年の3~6月にかけて日華事変全面講和の動きがあったという。その舞台裏の詳細が生々しく綴られている。ところがあと一歩というところで講和は雲散霧消する。同盟通信の上海市局長をしていた松本重治〈まつもと・しげはる〉が国民政府の高宗武板垣陸相を会わせ、中華民国は戦意を喪失しており無条件和平を望んでいるとの偽情報を掴ませたのだ。近衛文麿も松本・高情報を信用した。ここから汪兆銘を中心とする新政権工作が始まる。

 三田村武夫は松本重治が共産主義者であるとは書いていない。ただし松本が著書で南京大虐殺を認める記述をしていることなどを踏まえると、中国やアメリカの手先となって動いた可能性は高いと考えられる。

 もし現代の尾崎秀実が存在するならばそれは佐藤優〈さとう・まさる〉を措(お)いて他にいないだろう。佐藤は「中間層が重要だ」と語っているが、彼が歩み寄るのはポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を重んじる国際主義者が多い。批判の矛先を向けるのは保守派といってよいだろう。天皇陛下には敬意を払っているようだが一種のポーズであると思う。

 私は長らく民主党に好ましい感情を抱いていた。それは佐藤優のラジオ放送をよく聴いていたためだ。民主党が政権を担っていた頃、佐藤は具体的な議員名を挙げて民主党を擁護してきた。普天間基地移設問題に関する鳩山首相(当時)の「最低でも県外」(2009年)という発言には佐藤の関与があってもおかしくない。「沖縄で独立論を唱える者が現れた」という話を初めて知ったのも佐藤の番組であった。大城浩という創価学会員が琉球独立を公約に掲げて沖縄県知事選に出馬したのだ(2014年)。そして今、佐藤本人も沖縄独立に肩入れしている。挙句の果てには「ニュース女子」にまで噛み付く始末だ。


 次に以下の動画の冒頭部分で紹介されている佐藤優の講演に注目して欲しい。


 見事なアジ演説である。佐藤の本気が日本と沖縄を分断に導く。沖縄県民の感情に佐藤は理論的根拠を与える。これほど危険なことはない。私の目には尾崎秀実の姿と重なって見える。





『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優
佐々弘雄の遺言/『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃
瀬島龍三を唾棄した昭和天皇/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

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