2017-05-14

新しい表現/『二十一世紀の諸法無我 断片と統合 新しき超人たちへの福音』那智タケシ


『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ

 ・新しい表現

『すでに目覚めている』ネイサン・ギル
『今、永遠であること』フランシス・ルシール
『プレゼンス 第1巻 安らぎと幸福の技術』ルパート・スパイラ
『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン

悟りとは

 人間が様々な与えられた観念、断片によって支配され、条件付けられていることを知るためには、まず最初に、自我を支配し、まとわりついた様々な観念の断片に気づき、落とすことが必要になります。つまり、自分自身という存在が断片の集合体にすぎないという自覚――これが逆説的に、あなたを様々な断片の支配から解放する手段なのです。
「私」も含めた一切の事物は、独立した存在ではなく、世界の断片の一つにすぎない――この認識を仏教では、悟りと呼び、そのありようを諸法無我と名づけました。しかし、仏教の既成の言葉では、もはや私たちの混沌とした世界、私たちの入り組んだ精神を解きほぐし、新しい道筋を示すことは困難になりつつあります。真実は、常に時代に即した、新しい表現を求めているのです。

【『二十一世紀の諸法無我 断片と統合 新しき超人たちへの福音』那智タケシ(ナチュラルスピリット、2014年)以下同】

 預流果(よるか)に至った那智タケシが徒然なるままに綴った短文を編んだもの。言わば箴言集(しんげんしゅう)の体裁だが書籍としての出来は悪い。悟りという強烈な体験に脳が激しく揺さぶられ、酔っ払っているような印象を受けた。ま、それも当然だろうと思う。新しい言葉を紡ぎ出そうとする試みから悟り体験の生々しさが伝わってくる。

 宗教者は古人の言葉をなぞるだけで新しい展開を欠く。時にテキストの奴隷と化して争い合う姿も珍しくない。法という真理は見失われ、律という自制心は形式化し、s時も素っ気もない「法律」という言葉だけが生き残っている。

 世界の中心に特別な「私」、特別な「神」という巨大な断片がある限り、断片はばらばらなままであり、新たな世界を生み出すことがない。

 先日、「真実の智慧とは『ありのままに見る』ことなのだ」(ブッダの遺言「自らをよりどころとし、法をよりどころとせよ」~自灯明・法灯明は誤訳/『ブッダ入門』中村元)と書いた。我々は五官からの情報で世界を認識している。ところが五官には意識(≒自我)というフィルターが掛かっているのだ。そして初めて世界と接触した瞬間のことを完全に忘れ去っている。

視覚の謎を解く一書/『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン

「見る」ことにはこれほどの衝撃と感動がある。とすれば我々は見ているようで見ていないのだろう。

 あなたは、笑う。あなたは、泣く。あなたは、怒る。葛藤多き日常生活の中で、人間の内に、実に様々な感情が隆起する。しかし、その感情もまた、一つの断片である。ゆえにその断片にいつまでも拘泥することは、あなたという存在を卑小なものに貶める。

 分断された世界で人間がアトム化したことは多くの人々が指摘しているところであるが、量子力学によって存在の意味は一変した。マクロの世界を知れば存在という概念はあやふやになってくる。「原子の99.99パーセントが空間」(『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング)というのだから文字通り「空」の存在といえよう。そのスカスカ状態に電気信号が流れ、化学反応が起こり、自我が形成される。これに勝る不思議はない。

 諸法無我が真理であるならば、様々な事象に実体を見出す我々の思考や感情は妄想であるといってよい。つまり自我とは妄想装置なのだ。世界で繰り広げられているのは妄想の正しさを証明する闘争である。

 自らが世界のゆがみの一つであり、断片にすぎないと認識した時、自我の底蓋が開き、一切の葛藤が自身に根付くことなく滑り落ちる。これを身心脱落という。

 蝉の幼虫が脱皮するように自我をふるい落とすことが悟りか。

 真実は、何かを信じることによってではなく、一つ一つの虚偽を落としていくことによってのみ現れる。

 最後に立ちはだかるのは「自分」という虚偽だ。「我悟る、ゆえに我なし」。

 悟りもまた、あなたの人生においては一つの断片である。

 中々言える言葉ではない。

 身心脱落を脱落する――これを脱落身心という。

 捨てて捨てて、落として落として、超えて超え続けるところに人生の真実があるのだろう。

「1+1=2は正しい。絶対に正しい」という発想からは何も生まれない。むしろ1+1=2を疑うことが今必要なのだ。その1が0.6と0.7であれば1+1=1だし、1.3と1.4ならば1+1=3となる。また二進法であれば1+1=10だ。十進法という前提に束縛されているのが信仰者の姿だろう。

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