ラベル インディアン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル インディアン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020-01-17

インディアンは「真の人間」か?/『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』岡崎勝世


『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 ・インディアンは「真の人間」か?

・『4日間集中講座 世界史を動かした思想家たちの格闘 ソクラテスからニーチェまで』茂木誠
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書

 他方、「発見」された「人間」について、さっそくヨーロッパで論議が巻き起こりました。それは、新大陸で「発見」されたアメリカのインディオたちが「真の人間」であるか否かといった議論です。これに一つの決着を与えたのが、ローマ教皇パウロ3世でした。かれは1537年の教書で次のように宣言したのです。
〈アメリカ・インディアンも私たちと同様、真の人間である。彼らはカトリックの教えを理解できるだけでなく、またそれを受け容れようと熱望している〉(筆者訳)
 ローマ教皇が断言したようにインディオが「真の人間」、アダムの子孫であるとしても、なお残された問題をめぐって、16世紀ヨーロッパで、普遍史の根幹に関わる二つの論戦が引き起こされています。
 一つは、インディオが「アダム」の子孫だとしても、【直接の祖先】はだれか、【「新大陸」への経路】はなにかという問題に関する論戦でした。(中略)
 もう一つの論戦は、笑ってはすまされない問題を含んでいます。それは、1550年、スペインで行われた【「バリャドリードの論戦」】です。この論戦では、インディオが真の人間であるとしても、いかなる意味で真の人間なのかが公開論争で争われたのです。ヨーロッパ人と全く同様な真の人間と主張したのは、インディオ保護法制定のために闘った、有名なラス・カサスでした。これに反対したのが、セプルベダというアリストテレス学者で、かれはアリストテレスの先天的奴隷論に依拠しながら、かれらを先天的に劣った人間であると主張したのです。

【『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、2003年)】

 先ほど読み終えたのだが画像ファイルを調べたところ再読であることを知った。完全に記憶から欠落している。3年前に読んでいた。岡田英弘と岡崎勝世に外れはない。どれを読んでも新しい発見がある。

“インディアンは「真の人間」か?”との問いそのものにヨーロッパの傲慢がある。つまり有色人種が人間かどうかを判断するのはヨーロッパ人なのだ。根はユダヤ教の選民思想にあるのだろう。その思い上がりに唯一抵抗したのが極東の日本であった。

 日本は世界最大の軍事力を背景に鎖国をした(『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新)。開国後もわずか数十年で産業革命の技術を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとした。速やかに文明国になるべく国軍を創設し、義務教育を施行し、憲法を制定した。日清戦争に打って出るとヨーロッパで黄禍論(おうかろん)が唱えられた。「黄色い猿は人間の真似をするな」というわけだ。

 東亜百年戦争で武士は亡んだ。軍事力も奪われた。日本は今も尚国家として独立することを許されていない。“日本は「真の国家」か?”と問われれば、「否」と答える他ない。

2017-07-25

魂の到着を待つスー族/『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン


『罪』カーリン・アルヴテーゲン
『喪失』カーリン・アルヴテーゲン

 ・魂の到着を待つスー族

『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』本川達雄

ミステリ&SF

 彼女はアメリカ先住民のスー族のことを思った。1950年代、彼らは大統領との会見のためにノース・ダコタにある先住民居住地から飛行機に乗せられた。ジェット機は彼らを数千キロ離れているワシントンDCまで運んだ。首都の空港到着ロビーに足を踏み入れた彼らは床に座り込んだ。待機しているリムジンへどんなに勧めても無駄だった。彼らはそのまま1ヵ月その場に座り続けた。飛行機に乗せられて運ばれたからだと同じ速さで移動することができない魂を待っていたのだった。30日後、彼らはやっと大統領に会う用意ができた。
 もしかすると、わたしたちに必要なのはそれではないだろうか? 生活をなんとか全部機能させようと必死に努力をする、ストレスいっぱいのわたしたち。わたしたちは腰を下ろして、ゆっくりするべきではないのだろうか。だが、わたしたちはすでに腰を下ろしているのだ。魂の到着を待つためにではなく、居間でそれぞれが自分のコーナーに座る。なんのために? テレビでお気に入りのドラマを心ゆくまで見るために。ほかの人間たちの欠点や短所を笑い、人間関係の失敗を楽しむのだ。いったいどこまで愚かなのだろう? そして自分自身の行動を反省するのを避けるために、面白くなくなったらすぐにチャンネルを変える。離れたところではほかの人間たちを批評するほうがずっと楽なのだ。

【『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン:柳沢由実子〈やなぎさわ・ゆみこ〉訳(小学館文庫、2006年)】

 夫婦の擦れ違いを描いたサスペンスである。一度挫けているのだが、このテキストを探すために再読したところ一気に読み終えた。やはり読書は知的体調に左右されるのだろう。カーリン・アルヴテーゲンの第3作目でここまではハズレなし。

 私がインディアンや台湾原住民に憧れるのは彼らに自然な進化の度合いを感じるためだ。ヒトは文明を手に入れ、そして逞しい生命力を失った。国家は人間を社員(≒納税者)に変えてしまった。もちろんインディアンを理想視するつもりはない。一部に暴力的な衝突があったことも確かである。それでも彼らが有する「人間の貌(かお)」に私は惹(ひ)かれる。

 平仮名が多すぎて読みにくい文章だ。せめて「からだ」は漢字表記にすべきだ。ボーっとしていると助詞のように読めてしまう。

 時間論として捉えると面白味が一段と増す。スー族は文明の不自然さを嫌ったのだろう。私も若い頃から乗り物のスピードが人生に及ぼす影響について考え続けてきた。走るスピードを超えた時、何かが変わるはずだ。速度は空間を圧縮する。とすれば小規模な双子のパラドックスが起こると考えてよかろう。スー族は人間の分際を弁えていた。

 私の疑問については本川達雄が見事に答えてくれている。次回紹介する予定。

裏切り (小学館文庫)
裏切り (小学館文庫)
posted with amazlet at 17.07.24
K・アルヴテーゲン
小学館
売り上げランキング: 387,572

テクノロジーは人間性を加速する/『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー

2016-01-10

白人による人種差別/『国民の歴史』西尾幹二


 ・白人による人種差別
 ・小林秀雄の戦争肯定
 ・「人類の法廷」は可能か?

『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

 西海岸のカリフォルニアにまで流れついてきた者たちは、まさに貧しい白人、プアホワイト、荒くれ者、アメリカのその後の大衆社会を形成する人々から成り立っていた。彼らはいずれもヨーロッパの大航海時代以来の、地球の他の地域に住む人々への恐れ、異教徒に対する人種偏見、はるか東方の遠いものへの奇怪な幻想に深くとらわれた人々であった。オランウータンが発見されたとき、それは黒人の呼び名となり、17世紀のヨーロッパの町では、黒人とインディオが猿や狒々(ひひ)と並んで陳列され、裸の野蛮人として舞台の上を歩き回らされた。
 スペイン人によるインディオ征服は、けっして不用意に企てられたものではない。アメリカの初代大統領ワシントンは、インディアンを猛獣と称し、狼と同じだが形が違うといった。第3代大統領トマス・ジェファーソンは、インディアンに向かって、子どもたちとか、わが子どもたちと話しかけた。白人との結婚を奨励することによって、人種改良が可能かもしれないという考えを思い浮かべた者もいる。これは第二次世界大戦に際して、第32第大統領フランクリン・ローズヴェルトが、日本人を戦後どうすべきかを考えた際に思いついたアイデアと同じものであった。彼は日本人が狂暴なのは頭蓋骨の形態にあると本気で信じていた。
 第26代大統領セオドオ・ローズヴェルト、これはフランクリンのおじにあたり、日露戦争終結の仲介役になった人物だが、彼はアメリカインディアンの事実上の絶滅を指示すると広言した人物でもあった。こうした露骨な人種差別は、ジョン・ダワーに言わせると、ゴビノーをはじめとする19世紀の科学的人種主義の思想的裏付けによって登場したのである。解剖学、骨相学、進化論、民俗史学、神学、言語学といった、あらゆる学問を利用して、ヨーロッパ人は何世紀か前にすでに非白人の特性とするものを原始性、未熟、知的道徳的情緒結果として指摘し、有色人種の生来の特徴であるとみなしていた。

【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】

日本の近代史を学ぶ」の順番を入れ替えて本書を筆頭に掲げた。縄文時代から敗戦後に渡る日本史が網羅されている。まず全体を俯瞰することで日本の近代史が一層くっきりと浮かび上がるはずだ。

 2016年は激動の年となることだろう。米中の覇権争いは基軸通貨ドルvs.人民元の攻防を熾烈化し、今年の後半には緩和マネーバブルが崩壊すると囁かれている。

 4月には消費税10%の施行が予定され、7月には参院選が控えている。安倍首相は既に「憲法改正を問う」と明言した。とすると消費税増税先送りというサプライズで一気に衆参同時選挙に持ってゆく可能性が高い。

 そこでこれより断続的に日本の近代史と安全保障に関するテキストを紹介してゆく。

 日本人に欠落しているのはキリスト教を中心とするヨーロッパ文化の理解である。いつの時代にも差別はつきまとう。だが欧州白人による人種差別は全く文脈が異なるのだ。劣った人種は人間と見なされず、家畜同然の奴隷扱いを受ける。生殺与奪も白人の自由だ。

 日本は第一次世界大戦後、列強の仲間入りを果たし、パリ講和会議の国際連盟委員会で人種的差別撤廃提案を行う。採決の結果は賛成11ヶ国・反対5ヶ国(※本書では17対11とされている)であった。ところが議長を務めたアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領が突如として全会一致を言い出し、採決は無効とされた。これが大東亜戦争の遠因となる(『昭和天皇独白録』1990年、『文藝春秋』誌に連載)。

 上記テキストはアメリカの排日移民法に続く。

 白人支配の歴史に一撃を与えたのは日露戦争(1904/明治37-1905/明治38年)における日本の勝利であった。インドのガンディーが狂喜し、アメリカの黒人が熱狂した。極東の島国が世界の有色人種の希望となった。

 一方白人からすればこれほど迷惑な話はない。ヨーロッパで黄禍論(黄色人種脅威論)が台頭する。アメリカの排日移民法もこうした流れの中で生まれた。

 アメリカ陸軍は1920年代に各国を仮想敵国としたカラーコード戦争計画を立案する。大日本帝国に対してはオレンジ計画が練られる。そして日本によるシナ地域(当時は中華民国)支配を阻止すべく、資源輸入を枯渇させる戦略が実行される。これがABCD包囲網(1939-41年)であった。

 当時、日本の石油は8割をアメリカに依存していた。妥協に妥協を重ねてアメリカ側と交渉した結果、つきつけられたのがハル・ノートであった。ハル・ノートは日本に対してシナ大陸の権益を放棄するよう命じた。日本にとっては日清戦争以前の状態になることを意味した。この時、日露戦争における三国干渉以来、溜まりに溜まってきた日本の不満に火が点いたと私は考える。

 日本は遂に行動を起こした。アメリカの真珠湾に向かって。



日英同盟を軽んじて日本は孤立/『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯

2015-02-28

密教の原風景/『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド


 ・密教の原風景

『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド
『植物のスピリット・メディスン 植物のもつヒーリングの叡智への旅』エリオット・コーワン
『人類の知的遺産 53 ラーマクリシュナ』奈良康明
・『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ
『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ

悟りとは

「さて、友人たちよ」
 ローリング・サンダーが口を開いた。
「私はこれからあなたがたにできるだけ明快にお話ししようと思う。私にとって、白人たちとスピリチュアルな問題についての交わりを持つのはこれが最初の機会であり、また私がここに来ることをためらった大きな理由もそこにある。われわれインディアン同士でなら、スピリチュアルなことについて一晩中でも腰をおろして語り合うことはままあることだ。しかしあらかじめここではっきりさせておきたいのだが、私はここでどんな儀礼や聖なる儀式についても、いささかたりとも明らかにするつもりはない。そうしたものは、もともと明らかにされるようなものではないからだ。当然この場でもそれを明らかにするようなことはできない。アメリカ・インディアンには、秘密とされていて一般に明らかにしてはならないようなものがたくさんあるのだ」

【『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド:北山耕平、谷山大樹訳(平河出版社、1991年)】

 ローリング・サンダーの講演から幕が開く。聴衆は精神分析医、心理学者、医師である。ローリング・サンダーは鮮烈なメッセージを放ち、最後に奇蹟を一つ起こしてみせた。

「儀式」と「秘密」とくれば密教である。ローリング・サンダーはメディスンマン(呪術医)であった。

ほんもののメディスンマン: Native Heart

 物事には段階がある。どのような世界でも秘儀や奥義を初心者に教えることはない。誤解や悪用を避けるためだ。


 ローリング・サンダーの言葉から密教の原風景が浮かぶ。拈華微笑(ねんげみしょう)や以心伝心はさほど不思議なことではない。理解は一瞬にして訪れる。

 秘密を権威づけたところに仏教系密教の凋落(ちょうらく)要因がある。密教僧にはメディスンマンほどの自己抑制がなかったのだろう。尚、私は以前から密教には否定的であるが、インディアンのスピリチュアリズム(密教)には惹かれるという奇妙な二面性を持っている。

ローリング・サンダー―メディスン・パワーの探究 (mind books)

2014-10-10

虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編


 ・虐殺者コロンブス

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編

 自分の過(あやま)ちを正すには、わたしたち一人ひとりが、その過ちをありのままに見つめなければならない。

【『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード・ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)以下同】

 歴史は繰り返す(古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉)。なぜなら人類は歴史から学ぶことがないからだ。唯物史観は進歩を謳ったが歴史も人類も進歩することはないだろう。ただ「自分を正すかどうか」が問われる。「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う」(『論語』衛霊公第十五)と。過ちを知りながら悔い改めないところに過ちの本質がある。

将来は過去の繰り返しにすぎない/『先物市場のテクニカル分析』ジョン・J・マーフィー

 ルビが多いので多分中高生向けと思われるが、アメリカ合衆国の歴史を知るには打ってつけの一書である。アメリカが反省していないところを見ると本書もさほど読まれていないことだろう。テレビに向かう人は多いが良書に向かう人は少ない。

 私の考える愛国心とは、政府のすることをなんでも無批判に受け入れることではない。民主主義の特質は、政府の言いなりになることではないのだ。国民が政府のやり方に異議を唱えられないなら、その国は全体主義の国、つまり独裁国家である――わたしたちは幼いころ、そう学校で教えられたはずだ。そこが民主国家であるかぎり、国民は自分の政府の施策を批判する権利をもっている。

 メディア・ファシズムが投票民主主義を葬った。そして政府は大企業と金融に支配された。資本主義経済-大衆消費社会の構図がそれを可能にしたのだ。我々は国の行く末よりも今月の給料で何を買うかに関心がある。響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉は次のように指摘する。

「有権者」と称しつつ、国あるいは自治体の財政収支、つまり【社会資本配分の内訳】を理解して投票する者など1%にも満たないわけです。【99%の国民にとって政治とは感情的に参画する抽象概念であり、統治の本質とは認知捜査に過ぎず、社会システムは迷妄(めいもう)の上に成立しています】。

【『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)】

 そして国家のバランスシートは全てを公開しているわけではない。私も含めて国民の99%はB層なのだ。

 アラワク族の男たち女たちが、村々から浜辺へ走り出してきて、目をまるくしている。そして、その奇妙な大きな船をもっとよく見ようと、海へ飛びこんだ。クリストファー・コロンブスと部下の兵たちが、剣(つるぎ)を帯びて上陸してくるや、彼らは駆けよって一行を歓迎した。コロンブスはのちに自分の航海日誌に、その島の先住民アラワク族についてこう書いている。
〈彼らはわれわれに、オウムや綿の玉や槍(やり)をはじめとするさまざまな物をもってきて、ガラスのビーズや呼び鈴と交換した。なんでも気前よく、交換に応じるのだ。彼らは上背があり、体つきはたくましく、顔立ちもりりしい。武器をもっていないだけでなく、武器というものを知らないようだ。というのは、わたしが剣をさし出すと、知らないで刃を握り、自分の手を切ってしまったからだ。彼らには鉄器はないらしく、槍は、植物の茎でできている。彼らはりっぱな召使になるだろう。手勢が50人もあれば、一人残らず服従させて、思いのままにできるにちがいない〉
 アラワク族が住んでいたのは、バハマ諸島だった。アメリカ大陸の先住民と同じように、客をもてなし、物を分かち合う心を大切にしていた。しかし西ヨーロッパという文明社会から、はじめてアメリカへやってきたコロンブスがもっていたのは、強烈な金銭欲だった。その島に到着するや、彼はアラワク族数人をむりやりとらえて、聞き出そうとした。金(きん)はどこだ? それがコロンブスの知りたいことだった。

 黄金と香辛料を持ち帰れば利益の10%がコロンブスのインセンティブとなる契約だった。当初、黄金は見つからなかった。船を空(から)にしたままスペインへ帰るわけにはゆかない。そこでコロンブスは1495年に大掛かりな奴隷狩りを行う。捕虜の中から500人を選別しスペインへ送った。

 航海の途中で、200人が死んだ。残る300人はなんとかスペインに到着し、地元の教会役員により競(せ)りにかけられた。
 コロンブスはのちに、信心深い調子でこう書いている。〈父と子と聖霊の御名(みな)において、売れんかぎりの奴隷をさらに送りつづけられんことを。〉

 ヨーロッパ人の恐ろしさはここにある。何かトラブルがあって殺害に至ったわけではなく、最初から略奪・虐殺を目的としていたのだ。その後、アフリカ大陸の黒人も奴隷としてアメリカに輸送される運命となる。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 サミュエル・エリオット・モリソンは、コロンブス研究でもっとも有名な歴史学者の一人だ。モリソンはみずからコロンブスの航海をたどり、大西洋を横断した。1954年には『大航海者コロンブス』という、一般向けの本も出版した。そのなかで彼は、コロンブスやあとに続くヨーロッパ人による残虐な行為のせいで、インディアンの〈完全な大量殺戮(ジェノサイド)〉が引き起こされた、と述べている。ジェノサイドとは、とても強い言葉だ。ある民俗的、または文化的集団の全員を計画的に殺害する、という恐ろしい犯罪の呼び名である。

 宗教的正義が大量殺戮を可能にする。アメリカ人の祖は人殺しと泥棒であった。自由の国とはヨーロッパ人が暴力を振るう自由であった。一神教(アブラハムの宗教)こそが世界を混迷させる一大要因であると私は考える。ハワード・ジンの良心はキリスト教を攻撃するまでには至っていない。それは東洋の仕事だ。一神教を撃つ学問を立ち上げる必要があろう。

「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 

2014-09-01

ヨーロッパの拡張主義・膨張運動/『続 ものぐさ精神分析』岸田秀


『ものぐさ精神分析』岸田秀

 ・現代心理学が垂れ流す害毒
 ・文明とは病気である
 ・貧困な性行為
 ・ヨーロッパの拡張主義・膨張運動

『唯脳論』養老孟司

 実際、この伝染病(※=ヨーロッパ文明)の基本要素である、他人(他の生命)を単なる手段・物質と見るあくなきエゴイズムと利益の追求、不安(劣等感、罪悪感)に駆り立てられた絶対的安全と権力の追求、最小限の労力で最大限の成果をあげようとする能率主義は、いったんその方向に踏み出せば、そのあとは坂道をころげ落ちる雪ダルマのような悪循環がかぎりなくつづくのみである(原水爆は、ヨーロッパ近代的自我の確立、エゴイズムと能率主義の必然的帰結である)。どこにも歯止めがない。そして無菌者は必ず保菌者に負け、同じ保菌者になるか(日本)、滅び去るか(インディアン)、あるいは閉じこもって難を避けるか(未開民族)しかない。歯止めのないこのヨーロッパ文明に歯止めをかける文明が現われ得るであろうか。それとも人類は悪循環の果てに奈落の底に落ち込むのであろうか。

【『続 ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(中公文庫、1982年/『二番煎じ ものぐさ精神分析』青土社、1978年と『出がらし ものぐさ精神分析』青土社、1980年で構成)】

 ヨーロッパの拡張主義・膨張運動はアレクサンドロス大王(紀元前356-紀元前323年)に始まり、十字軍(1096-1272年)、大航海時代(15世紀半ば-17世紀半ば)を経て、産業革命(18世紀半ば-19世紀)・資本主義経済に至り、帝国主義植民地主義を生んだ。

 その歴史的な結晶がアメリカであると考えてよい。新自由主義は世界各国に壊滅的なダメージを与え(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン)、サブプライム・ショック~リーマン・ショックとなって破裂した。こうしてシカゴ学派は敗れ去った。大銀行は国家の資本注入によって辛うじて生きながらえた。先進国という先進国が社会主義色の強い保護主義に舵を切った。

 それにしても「無菌者は必ず保菌者に負け、同じ保菌者になるか(日本)、滅び去るか(インディアン)」との指摘が手厳しい。平和的な民族は必ず攻撃的な民族によって滅ぼされる。

 本来であればアメリカやEUに対抗し得るアジア・ブロックを形成すべきだとは思うが、中国と韓国の反日感情がそれを許さない。中国の共産党支配を引っくり返すか、日中戦争になるかはこの10年ではっきりするだろう。

ものぐさ精神分析 (中公文庫)続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

2014-08-19

化け物とは理性を欠いた動物/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世


『魔女狩り』森島恒雄

 ・コロンブスによる「人間」の発見
 ・キリスト紀元の誕生は525年
 ・「レメクはふたりの妻をめとった」
 ・化け物とは理性を欠いた動物

『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書
必読書リスト その四

 コロンブス以後、16世紀半ばまで、ヨーロッパ人の間で一番問題となったのはインディアンがキリスト教を理解する能力を持っているのか否か、ヨーロッパ人と同じ理性を持った存在であるのか否かという問題であった。
 ここで、先にも紹介した、アウグスティヌスの怪物的存在についての議論を想い起こそう。そこでは、彼は人間を「理性的で死すべき動物」と定義し、怪物の姿をしていようと何であろうと、この定義にあてはまれば、それはアダムとエヴァの子孫であると断言していた。このことは、逆に言えば、人間の姿をしていても、それが「理性的」でないとしたら、それはアダムとエヴァの子孫ではないということになる。

【『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、1996年)以下同】

 すなわち彼らが認識する理性とは、「神を理解できる能力」を意味する。東アジアの道理とは異なるので注意が必要だ。アウグスティヌス(354-430年)については、ま、アリストテレスに次ぐ思想的巨人と考えてよかろう。で、奴の議論は植民地主義の理念そのものである。大航海時代の1000年も前からこういう人物がいたのだから堪(たま)ったものではない。

 普遍史的な世界では、ヨーロッパ以外の地は、妖怪的な人間、つまりは劣った人間たちの住む世界であり、ヨーロッパ人と同一の人間が住む場所ではなかった。こうした伝統的世界観への執着が、この議論の、もう一つの心理的背景となっていると考えるのである。

 聖書に基づく史観を普遍史というのだが、これに対するキリスト教の反省はなされたのだろうか? ひょっとすると我々ジャップはいまだにイエローモンキーと見られている可能性がある。

 ダグラス・マッカーサーが「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の少年である」(日本人は「12歳」発言)と述べたことは広く知られるが、彼にとって民主主義の成熟度は日本をキリスト教化することに他ならなかった。あいつは偉大なる宣教師のつもりだったのかもしれない。

 学問的にキリスト教を検証し、普遍史の誤謬を衝くメッセージをアジアから放つべきだろう。

2014-07-05

近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しない/『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃


・『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃

 ・近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しない

 この社会は「文明の衝突」に直面しているのかもしれない。国家の様態は清朝末期の中国に等しく、外国人投資家によって過半数株式を制圧された経済市場とは租界のようなものだろう。つまり外国人の口利きである「買弁」が最も金になるのであり、政策は市場取引されているのであり、すでに政治と背徳は同義に他ならない。
 TPPの正当性が喧伝されているが、近代において自由貿易で繁栄した国家など存在しないのであり、70年代からフリードマン(市場原理主義者)理論の実験場となった南米やアジア各国はいずれも経済破綻に陥り、壮絶な格差と貧困が蔓延し、いまだに後遺症として財政危機を繰り返している。
 今回の執筆にあたっては、グローバル資本による世界支配をテーマに現象の考察を試みたのだが、彼らのスキームは極めてシンプルだ。
 傀儡政権を樹立し、民営化、労働者の非正規化、関税撤廃、資本の自由化の推進によって多国籍企業の支配を絶対化させる。あるいは財政破綻に陥ったところでIMFや世界銀行が乗り込み、融資条件として公共資源の供出を迫るという手法だ。それは他国の出来事ではなく、この社会もまた同じ抑圧の体系に与(くみ)している。
 我々の錯誤とは内在本質への無理解なのだけれども、おおよそ西洋文明において略奪とは国営ビジネスであり、エリート層の特権であるわけだ。除法平価の軍隊がカリブ海でスペインの金塊輸送船を襲撃し、中国の民衆にアヘンを売りつけ、インドの綿製品市場を絶対化するため機織職人の手首を切り落とし、リヴァプールが奴隷貿易で栄えたことは公然だろう。
 グローバリズムという言葉は極めて抽象的なのだが、つまるところ16世紀から連綿と続く対外膨張エリートの有色人種支配に他ならない。この論理において我々非白人は人間とはみなされていないのであり、アステカやインカのインディオと同じく侵略地の労働資源に過ぎないわけだ。
 外国人投資家の利益を最大化するため労働法が改正され、労働者の約40%近くが使い捨ての非正規労働者となり、年間30兆円規模の賃金が不当に搾取されているのだから、この国の労働市場もコロンブス統治下のエスパニョーラ島と大差ないだろう。

【『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(三五館、2013年)】

 前著と比べるとパワー不足だが、言葉の切れ味とアジテーションは衰えていない。テレビや新聞の報道では窺い知るのことのできない支配構造を読み解く。ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』の後塵を拝する格好となったが説明能力は決して劣っていない。

 興味深い210の言葉を紹介しているが、人名やタイトルだけで出典が曖昧なのは三五館の怠慢だ。ともすると悲観論に傾きすぎているように感じるが、警世の書と受け止めて自分の頭で考え抜くことが求められる。元々ブログから生まれた書籍ゆえ、この価格で著者に責任を押しつけるのはそれこそ読者の無責任というべきだ。

 一気に読むのではなくして、トイレにおいて少しずつ辞書を開くように楽しむのがよい。前著は既に絶版となっている。3.11後の日本を考えるヒントが豊富で、単なる陰謀モノではない。

略奪者のロジック
略奪者のロジック
posted with amazlet at 18.06.17
響堂 雪乃
三五館
売り上げランキング: 236,811

アメリカに「対外貿易」は存在しない/『ボーダレス・ワールド』大前研一

2014-04-05

母なる大地、アメリカ先住民族の想い


「わたしはこれまでただの一度も自らを『ネイティブ・アメリカン』だと名乗る『インディアン』と会ったことがない」(北山耕平)。尚、インディアンのグランドファザー、グランドマザーとは長老を意味する言葉である。

日本そして世界へ ホピ族からのメッセージ


 ホピとは「平和の人」を意味する。インディアの中でも最も神秘的な部族。

2014-03-29

すべてが私を支えている/『探すのをやめたとき愛は見つかる 人生を美しく変える四つの質問』バイロン・ケイティ


 あなたの存在を今支えているのが何か知っていますか?
 その表面をちょっと撫でてみるために、例えば、あなたが朝食を終えて、お気に入りの椅子に座り、この本を取り上げたと想像してみましょう。あなたの首と肩が、頭を支えています。胸の骨と筋肉が呼吸を支えています。椅子があなたの身体を支えています。床が椅子を支えています。地球が、あなたの住んでいる建物を支えています。いろいろな恒星や惑星が、地球の軌道を支えています。窓の外では、男性が犬を連れて道を歩いています。この男性があなたを何らかのかたちで支えていないと断言できますか? 彼は、あなたの家に電気を供給している会社で、書類整理の仕事をしているかもしれませんよ。
 道にいる人たちの中で、そして、その背後で働いている、見えない無数の人たちの中で、あなたの存在を支えていない人がいると断言できますか? 同じ質問が、過去に生きていた先祖たちにも、また、朝食と何かの関係があったさまざまな動物や植物にも当てはまります。どれほど多くの起こりそうもない偶然が、今のあなたを作りだしたのでしょうか!

【『探すのをやめたとき愛は見つかる 人生を美しく変える四つの質問』バイロン・ケイティ:水島広子訳(創元社、2007年)以下同】

 バイロン・ケイティの『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』(旧訳は安藤由紀子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ、2003年)に続く2冊目の著作。

バイロン・ケイティは現代のアルハットである/『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

 装丁と訳文が明らかに女性向けとなっている。原書に由来するのかどうかは不明。「訳者あとがき」によれば、バイロン・ケイティは元々重度のうつ病だった。摂食障害の社会復帰センターへ入所したのは彼女の保険がそこしか適用できなかったためだという。「自分はベッドに寝る価値もない」と彼女は床で寝ていた。ある朝、目を覚ますと世界は一変していた。自分を苦しめているものは「現実」ではなく、「自分が信じている考え」であることに気づいたのだ。うつ病というプロセスを経てバイロン・ケイティは悟った。

 私を支えているものに気づくことは現実を知ることでもある。この相依相関の関係性をブッダは縁起と説いた。バイロン・ケイティの目はありのままの縁起世界を見つめている。「支えられた自分」を自覚する時、人は自(おの)ずから「支えよう」とする方向を目指す。「私」という存在は「支えられている重み」を実感する中にあるのだろう。

 グローバリゼーションの時代にあってはテレビに映る外国人すら自分と関係があるかもしれない。その人たちが輸入品の製造や収穫をしている可能性がある。今目の前にあるパソコンも、部品や部材をたどってゆけば数百人、数千人の人々につながっていることだろう。


 すべてのものがあなたを支えているのです。あなたがそれに気づいていようといまいと、考えようと考えまいと、理解しようと理解しまいと、それを好きであれ嫌いであれ、あなたが幸せであろうと悲しかろうと、眠っていようと起きていようと、やる気があろうとなかろうと、支えているのです。お返しに何かを要求することなく、ただひたすら支えているのです。

 これを生きる中で自覚しているのはインディアンだけだろう。彼らは大地に感謝を捧げ、恵みを享受する。インディアンに富という概念はない。彼らは必要最小限を自然から分け与えてもらい、必ず正しい行為に使うことを約束する。ブッダとクリシュナムルティの思想を生きるのはインディアンである。彼らの生は完全に自然と調和している。それゆえ私は密教(日本仏教)のスピリチュアリズムは否定するが、インディアンのスピリチュアリズムは肯定する。ひょっとすると同じ文化がアイヌや沖縄、エスキモーにもあったのかもしれない。

「私」という言葉を、「私の考えは」に置き換えることが、気づきをもたらすこともあります。「私は敗北者だ」は、「私の考えは敗北的だ。特に自分自身についての考えは」となります。(中略)痛みをもたらすのは考えであり、あなたの人生ではありません。

 我々は思考に囚われている。身動きもままならないほどに。ブッダやクリシュナムルティの教えですら我々は思考で受け止める。バイロン・ケイティは思考から離れた。まさに独覚(どっかく=アルハット=阿羅漢)である。世界を変えるためにはブッダの教えを広めるよりも、人類全体がインディアンを目指すべきなのかもしれない。

探すのをやめたとき愛は見つかる―人生を美しく変える四つの質問

2014-02-05

黒人奴隷の生と死/『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 ・黒人奴隷の生と死

『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

キリスト教を知るための書籍

黒い怒り』(※W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳、未來社、1973年)をもう一度引用してみよう。
「アメリカは、黒人は劣等であり、雑草刈りと水汲みのために生まれているとの仮説を身につけた生活様式、アメリカは民族精神、あるいは国民生活様式を築き上げたのである。この国土への新移民(もし白人ならば)はただちに歓迎され、豊富に与えられるもののなかには、彼らが優越感をもって対処することのできる黒人がある、というわけである。彼らは黒人を嫌い、けなし、また虐待し、搾取するように求められたのである。ヨーロッパ人にとって、この国が何と気前よく見えたであろうかは容易に想像し得るのである。即ち、罪を身代りに負う者がすでに備えつけられている国であったのである」
 この点まで理解できれば、われわれはもう一歩先へ進まなければならない。奴隷制度がそのように白人にも黒人にも、その後長い傷を与え続けている以上、奴隷制度そのものを、もっと実態に即して理解しなければならないだろう。それも、奴隷制度の存続をめぐる政治的対立とか、奴隷制度の経済的効用とかいったものではもちろんない。一個の人間が奴隷制度のなかで生まれ、奴隷として働かされ、まだ奴隷制度が全盛だった頃に死んでいったことの意味を、もっと理解しなければいけなのである。

【『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要〈さるや・かなめ〉(河出書房新社、1975年『生活の世界歴史 9 新大陸に生きる』/河出文庫、1992年)以下同】

 岸田秀が紹介していた一冊。『ものぐさ精神分析』か『続 ものぐさ精神分析』か『歴史を精神分析する』のどれかだったと思う。岸田の唯幻論は不思議なもので若くて純粋な時に読むと反発をしたくなるが、複雑な中年期だとストンと腑に落ちる。

 近代史の鍵を握るのは金融とアメリカ建国である。これが私の持論だ。

何が魔女狩りを終わらせたのか?

 特に第二次世界大戦以降の世界を理解するためにはアメリカの成り立ちを知る必要がある。稀釈されてはいるがキリスト教→プロテスタンティズム→プラグマティズムが先進国ルールといってよい。そしてアメリカはサブプライムショック(2007年)とリーマンショック(2008年)で深刻なダメージを受け、9.11テロ以降、以前にも増して暴力的な本性を世界中で露呈している。

 アメリカはインディアンから奪い、そして殺し、黒人の労働力で成り立った国だ。彼らが正義を声高に叫ぶのは歴史の後ろめたさを払拭するためである。彼らの論理によればアメリカの残虐非道はすべて正義の名のもとに正当化し得る。もちろん広島・長崎への原爆投下についても。それが証拠にアメリカは日本の被爆者に対して一度たりとも謝罪をしていない。

 奴隷制度は何も合衆国だけの占有物ではない、という反論もあるだろう。たしかに中南米のたいていの国にそれはあったし、ヨーロッパ諸国の多くも無関係ではなかった。しかし国内の奴隷所有勢力が奴隷を開放しようとする勢力と国論を二分して対立し、足かけ5年、両方あわせて60万人の人命を犠牲にするような大戦争に突入した国は、世界のなかでただアメリカ合衆国あるのみである。

南北戦争
南北戦争の原因
アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史

 リンカーン自身が奴隷解放者であったわけではない。リンカーンはイギリスの南部支援を防ぐ目的で奴隷制度廃止を訴えたのだ。単なる政治カードであったことは、その後も黒人差別が続いた事実から明らかであろう。有名無実だ。また具体的には黒人を北部の兵隊とする目論見もあった。

 インディアンを虐殺し、黒人をリンチして木に吊るし、そして自国民同士が殺戮(さつりく)を行うことでアメリカはアメリカとなった。アメリカの暴虐はナチスの比ではない。

アメリカ合衆国の戦争犯罪

 次はどの国の人々が殺されるのだろうか? それが有色人種であることだけは確かだろう。


2014-02-02

ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺/『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂


ソンミ村虐殺事件
・ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺

 長いテキストであるがどうか慎重に読んでいただきたい。区切ろうと思ったが、やはりそのまま紹介した方がいいと判断した。

 ボディ・カウントという言葉がある。殺したベトナム人の数である。米軍の戦果を示す統計的数字である。ある者は、ヘリコプターの胴体に、ベトナム人の帽子をあらわす三角の長い列を、ていねいに書込んで行く。ある者は、ジープのラジオ・アンテナに、切取った耳を、多数串ざしにする。ある人間集団を、虫けらのように殺戮し得るためには、まずその人間達が、虫けらでしかないことを自らに説得する必要があろう。米兵達は、嫌悪と侮蔑をこめて「よいグーク(ベトナム人)は死んだ奴だけ」(Only good gook is a dead one)という。アメリカのインディアン達は、この言葉が Only good Indian is a dead one という、シェリダン将軍の言葉に、遠く呼応することを、苦渋の中で確認する。彼等もかつて「虫けら」であった。そして、現在、彼等が、もはや虫けらとは見なされていないという確証はない。
 1864年11月、ブラック・ケトルと、ホワイト・アンテロープに率いられた約700人のシャイエン・インディアンの集団は講和の意図をもって、コロラドのフォート・リオンにおもむいたが、フォートの白人達は、シャイエンの接近を嫌い、その北40マイルのサンド・クリークの河床で沙汰を待つことを示唆した。ブラック・ケトルは、そのキャンプが、白人に対して、敵意を持たぬことを示すために、自分のテントのまえに大きなアメリカ国旗をかかげ、人々には、白人側からの攻撃のおそれのないことを説いた。これが、二人の指導者の状況判断であった。
 そのインディアンのキャンプに対して、11月29日払暁、シビングトン大佐の指揮する約750の米兵が突如としておそいかかり、老若男女を問わず、殺りくした。攻撃を前に、シビングトンは、「大きな奴も小さいのも全部殺して、スカルプせよ。シラミの卵はシラミになるからな(Nits make lices)」と将兵に告げた。ここで、スカルプとは、動詞としては、頭髪のついた頭皮の一部をはぎ取ることを意味し、名詞としてはボディ・カウント用の軽便確実な証拠としてのその頭皮、あるいはスラング的には、戦勝記念品一般を意味する。インディアン討伐に初参加の若い兵士達も多く、彼等にとって、後日の武勇談のトロフィーが必要でもあったろう。兵士達は、その指揮官の期待をはるかに上まわる、異常な熱狂をもってインディアンにおそいかかったのであった。
 しかし、インディアンの抵抗もまた熾烈をきわめた。全く絶望的な状況のもとで、彼等は鬼神のごとく反撃した。ホワイト・アンテロープは、直ちに自己の状況判断が甘すぎたことを覚ったが、武器をとることを否み、撤退のすすめに応ぜず、傲然と腕を組んで、松の木のように立ちつくし、朗々と「死の歌」を歌いつづけた。「悠久の大地山岳にあらざれば、ものなべてやがて死す」一発の銃弾が、老酋長の魂を大空の極みへ送った。抵抗は、払暁から夕刻にまでおよんだ。その終焉をたしかめてから、兵士達は、トロフィーを求めて、累々たるインディアンの死体に殺到した。ホワイト・アンテロープのなきがらを、彼等はあらそって切りきざんだ。スカルプはもちろん、耳、鼻、指も切りとられた。睾丸部を切りとった兵士は、煙草入れにするのだと叫んだ。それらの行為は女、子供にもおよんだ。女陰を切りとって帽子につける者もいた。乳房をボールのように投げ合う兵士もいた。大人達の死体の山からはい出た3歳くらいの童子は、たちまち射撃の腕前をきそう、好個の標的とは(ママ)なった。シビングトンは、その赫々たる戦果を誇らかに報告した。「今早朝、わが部隊は、戦闘員900ないし1000を含むシャイエン族の一群を攻撃し、その400ないし500をせんめつした」実際の死者総数は遂に確立されることがなかった。もっとも確かと思われる推定によれば、キャンプにあったインディアンの総数は約700、そのうち200人が戦闘員たり得る男子であり、他は老人、婦女子、幼児であった。その6~7割が惨殺されたのである。デンバー市民は、兵士達を英雄として歓呼のうちにむかえ、兵士達はそれぞれに持ちかえったトロフィーを誇示した。
 サンド・クリークの惨劇の再現を、我我(ママ)は、1969年製作の映画『ソルジャー・ブルー』に見ることが出来る。もし、記述の信ぴょう性をたしかめたければ、700ページにのぼる、米国議会の同事件調査報告書をひもとくこともできる。

【『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂(朝日選書、1974年)】

 鍵括弧の後に句点がないのもそのままとした。ボディ・カウントとのキーワードで鮮やかにベトナム戦争とインディアン虐殺をつなげている。どうやらこの文章の構成そのものが『ソルジャー・ブルー』に準じているようだ。

映画『ソルジャー・ブルー』を歴史する : 『私の歴史夜話』


『ソルジャー・ブルー』(Soldier Blue)は、『野のユリ』で知られるラルフ・ネルソン監督の1970年公開の映画。同年12月に公開された『小さな巨人』とともに、西部劇の転換点に位置する作品である。米国史の暗部を提示することで、1960年代のベトナム戦争でのソンミ村事件へのアンチテーゼを掲げた映画だとも云われている。また、これ以降ネイティブ・アメリカンを単純な悪役として表現することがなくなった。

Wikipedia

 以下のページも参照せよ。

ソルジャー・ブルー①サンドクリークの大虐殺の史実 - 西部劇が好き!!ジョン・ウェイン 私のヒーローインディアン書庫
モルモン教/教義への疑問点/その3/迫害の一部

 ベトナム戦争で定着した「ボディカウント」(死者数)という言葉も、こうした数値への盲信を如実に反映するものである。

文化は変えられるのか? - Civic Experience

 私は本書を再び手に取った。どうしても読まざるを得なくなった。藤永茂は量子化学を専攻する物理化学者だ。彼はなぜインディアンについて書いたのか。書かずにいられなかった理由を私は知りたい。


(ブラック・ケトル)

「2014年はサンドクリーク虐殺の150周年」(ノースウェスタン大学、創設者のサンドクリーク虐殺への関わりを調査/アイヌ遺骨調査 - AINU POLICY WATCH)であった。私は死後の存在を否定する立場であるが、シャイアン族の怨念が吹き荒れることを切に願うものである。


(サンドクリーク/画像クリックで拡大)

 メイフラワー号でアメリカへと渡ったピルグリム・ファーザーズたちが示したのは、信教の自由を求める情熱がいとも簡単に暴力へと相転移する事実であった。元々宗教という宗教は常識や社会通念を破壊する力を秘めている。

 アメリカインディアンの社会は、完全合議制民主主義であり、「首長」や「族長」のような権力者は存在しない。白人が「指導者」だと思っている「酋長」(チーフ)は、実際には「調停者」であって、「部族を率いる」ような権限は持っていない。インディアンは「大いなる神秘」のもと、すべてを「聖なるパイプ」とともに合議で決定するのであって、個人の意思で部族が方針を決定するというような社会システムではない。

 しかし白人たちは、インディアンとの条約交渉の際に、「酋長」を「代表」、「指導者」だと勘違いして、彼らと盟約することによって全部族員を従わせようとした。

Wikipedia

『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム

 インディアンは平和でかつ民主的であった。だから殺されたのだ。ここに救い難い人間の矛盾が存在する。自然の摂理は適者生存である。獰猛(どうもう)で狡猾な種ほど生存率が高まる。アメリカを封じ込めるほどの知恵者が現れない限り、我々の世界が救われることはないだろう。

アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21)
藤永 茂
朝日新聞出版
売り上げランキング: 320,200

2014-02-01

ソンミ村虐殺事件/『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂


・ソンミ村虐殺事件
ベトナム戦争とサンドクリークの虐殺

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 美しい朝であった。1968年3月16日午前8時、南ベトナム、ソンミの小村落に近い稲田に着陸した、一群のヘリコプターからおり立った約80人の米軍兵士は、何らの抵抗も受けることなく村落に入り、その総人口700人ほどのうち、450人を虐殺した。すべては老人、婦女子、幼児であり、若い男はほとんど見当(ママ)なかった。捕獲した火器は小銃3挺であった。
 カリー中尉ひきいる最初の2小隊が村落の南部の小さい広場に入って行ったとき、村落の間にまだパニックの気配はなかった。朝餉の時であり、家の前に火をしつらえてその用意をしている家庭がいくらも見えた。数十人の村民たちは、何の抵抗も示さず、米兵の強いるままに広場に集ったが、やがて米兵が無造作にM16ライフル銃弾を打ちこみはじめると、女たちはむなしくも、子供たちを身でかばいつつ「ノー・ベトコン、ノー・ベトコン」と叫びながら、くずおれて死んで行った。他の一群は、灌漑用の溝の中に追い集められ、銃撃を浴びた。あるいは、村はずれのたんぼ道で折り重なって死んで行った。米兵のある者は、家の中の人々に、外からたっぷり銃撃を浴びせ、そのあと家屋に火を放った。牛を殺し、つみ上った死体の下にうずもれて、たまたま死をまぬがれる者もいた。一人の女が、死体の山の中から、まだ生きている赤ん坊を掘り出しているのを見つけた米兵の一人は、まず女を銃殺し、次に赤ん坊を殺した。至近距離からの銃弾は、その女の背が空中に飛び散るほどに強力であった。また、他の米兵は、弟と思われる子供をかばいつつ逃げようとする少年を、あぜ道にとらえ、腕前もたしかに射殺した。少年をたおれつつも、なお弟をかばう風にして死んだ。これらの事実を、我我は参加者の直接の証言によって知る。従軍カメラマンによる多数のカラー写真の中に少年の高貴な死を見ることもできる。

【『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂(朝日選書、1974年)以下同】

 入力しながら胸が悪くなった。ソンミ村虐殺事件である。「少年の高貴な死」は英語版のWikipediaに掲載されている(3枚目)。

Google画像検索

 インディアンを虐殺したアメリカ人のDNAは確かに受け継がれているのだろう。狩猟というよりは金魚すくいも同然だ。ひょっとすると面白半分にやったのかもしれない。彼らはこれを「南ベトナム解放民族戦線のゲリラ部隊との戦い」と偽って報告した。死人に口なしというわけだ。しかしアメリカにはまだジャーナリズムが生き残っていた。

 こんなことは米兵からすれば朝飯前だ。彼らの残虐さには限度がない。

米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン

 かような国が世界の保安官として君臨しているのだから平和になるわけがない。もしも私が米兵であったなら、迷うことなく祖国に対して自爆テロを行う。アメリカはいつの日か必ず滅びゆくことだろう。インディアンを虐殺した時点で国家の命運は決している。

 しかし、ソンミは、アメリカの歴史における、孤立した特異点では決してない。動かし難い伝統の延長線上にそれはある。



ソ連によるアフガニスタン侵攻の現実/『国家の崩壊』佐藤優、宮崎学
残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル

2014-01-30

ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤


 インディアスに滞在した経験のない学級の徒ビトリアは、征服者フランシスコ・ピサロがアンデス山中の高原都市カハマルカで策を弄してインカ王アタワルパを捕らえ、大勢のインディオを殺戮したことや、約束どおり身代金として莫大な量の金・銀財宝を差し出したアタワルパを絞首刑に処したことを知って、ペルー征服の正当性に疑義を表明し、1539年1月にサラマンカ大学で『インディオについて』と題する特別講義を行った。ビトリアはその講義で、征服戦争の実態に関する情報を頼りに、トマス・アキナス(ママ)の理論に依拠して、ローマ教皇アレキサンデ6世の「贈与大教書」をスペイン国王によるインディアス支配を正当化する権原とみなす公式見解に異議を唱えたばかりか、当時主張されていたそれ以外の正当な権原(皇帝による譲与、先占権、自然法に背馳するインディオの罪など)をことごとく否定した。しかし、彼はそれにとどまらず、独自の「万民法理論」をもとに、新しくスペイン人による征服戦争を正当化する七つないし八つの権原を導いた。さらに、ビトリアは征服戦争の行き過ぎを防ぐために、同年6月、場所も同じサラマンカ大学で『戦争の法について』という特別講義を行った。

【『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉(渓水社、1995年)以下同】

 本書によればフランシスコ・デ・ビトリアは後に「国際法の父」と謳われる人物だ。戦争とは人間の残虐さを解放する舞台装置である。殺し合いが目的なのだから、非道な残虐行為が必ず行われる。何をしようが相手を殺せばわからない。味方の国であっても信用ならない。

「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」

 ノルマンディー上陸作戦は1944年のこと。インディアン虐殺はその400年前である。人類史の大半は残酷というペンキで塗られている。

 ラス・カサスは「1502年に植民者としてエスパニョーラ島に渡航(中略)1514年にエンコメンデロの地位を放棄してインディオ養護の運動に身を捧げてから修道請願をたててドミニコ会士になるまで(1522年)、二度にわたってスペインへ帰国し、当局にインディアスの実情を訴え、その改善策を献じた。

 そのラス・カサスが1540年に帰国した(8度目の航海)。この時の報告内容が1522年に発表された『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の母胎となった。

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 不思議な時の符合である。閉ざされたキリスト世界から開かれた人間が登場したのだ。二人の存在はどのような環境に置かれようとも人間は自由になれることを教えてくれる。そして彼らが殺されなかった事実が歴史の潮目が変わったことを伝える。

 モトリニーアはスペイン人植民者の虐待からインディオを保護することに尽くしたが、征服戦争の犠牲となったインディオの死を「邪教を信じたことに対する神罰」と解釈し、むしろインディオが日々改宗していく様子に感激して、常に改宗者の数を誇らしげに記し、新しいキリスト教世界の建設に大きな期待を表明した。しかし、常にキリスト教化の名のもとにインディオが死に追いやられた事実の意味を問いつづけるラス・カサスはそのような歴史認識を抱くことができなかった。

 これが「普通の宗教的態度」であろう。信仰とは教団ヒエラルキーに額(ぬか)づいてひたすら万歳を叫ぶ行為だ。教団はサブカルチャー装置である。社会通念とは別の価値観を提供し、下位構造の中で競争原理を打ち立てる。更に教団内部でサブカルチャーを形成することで、信者に存在価値・役割・使命・生き甲斐を与えるのだ。資本無用のギブ・アンド・テイク。しかも黙っていてもお布施が入ってくるシステムだ。ああ、教祖になっておけばよかった。

目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 罰(ばつ)や罰(ばち)を持ちだして人間の罪悪感に訴える宗教には要注意。「自分こそ正しい」と思い込んでいる彼らにこそ天罰が下されるべきだ。

 ラス・カサスとビトリアの言葉が世界を変えたかどうかはわからない。ただ私を変えたことは確かだ。

2013-12-02

天然痘と大虐殺/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔

 ・ラス・カサスの立ち位置
 ・スペイン人開拓者によるインディアン惨殺
 ・天然痘と大虐殺

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト その四

 神はその地方一帯に住む無数の人びとをことごとく素朴で、悪意のない、また、陰ひなたのない人間として創られた。彼らは土地の領主(セニョール)たちに対し、また、現在彼らが仕えているキリスト教徒たちに対しても実に恭順で忠実である。彼らは世界でもっとも謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の少ない人たちで、諍(いさか)いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない。この人たちは体格的には細くて華奢でひ弱く、そのため、ほかの人びとと比べると、余り仕事に耐えられず、軽い病気にでも罹(かか)ると、たちまち死んでしまうほどである。彼らは恵まれた環境の中で育てられたわれわれの君主や領主の子息よりはるかにひ弱く、農耕を生業とするインディオとて例外ではない。
 インディオたちは粗衣粗食に甘んじ、ほかの人びとのように財産を所有しておらず、また、所有しようとも思っていない。したがって、彼らが贅沢になったり、野心や欲望を抱いたりすることは決してない。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年/改訂版、2013年)】

 インディアンについては、あの殺戮者クリストファー・コロンブスでさえ称賛している。

侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン

 彼らはあまりにも善良で人を疑うことを知らなかった。白人が欲しい物は何でも与えた。そして殺された。

 インディアンと初めて遭遇した時、白人たちはたじろいだ。彼らの存在が聖書に書かれていなかったためだ。中世の西洋的思考ではキリスト教の神を信じない者は人間として認められなかった。

 ラス・カサスの言葉は逆説的だ。神がインディアンを創造したという前提で書かれているが、実はインディアンの善性が神の地位を押し上げているのだ。

 インディアン虐殺はピルグリム・ファーザーズから始まっていた。そしてインディアンの多くは白人たちがアメリカ大陸に持ち込んだ天然痘などの疫病(えきびょう)で死んだ。これが反ラス・カサス派の根拠となっている。具体的なデータを私は知らないので判断が難しいところだ。

 コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである。

Wikipedia:インディアン戦争

 いわゆるジェノサイド“民族大虐殺”というヒットラーの殺した600万人のユダヤ人、イスラム教徒対ギリシャ政教のボスニア大虐殺等と変らない民族大虐殺が起きたのだ。

先住民族迫害史:アメリカ国立公園特集

 インディアン戦争は苛烈で、捕虜の殺害や、一般市民を攻撃目標にしたり、また他にも民間人への残虐行為が双方で見られた。今日でも知られている出来事としては、ピット砦のイギリス軍士官が天然痘の菌に汚染された毛布を贈り物にし、周辺のインディアンにこれを感染させようとしたことである。

Wikipedia:ポンティアック戦争

 パレスチナを侵略したイスラエルと同じ手口だ。その後白人たちは珍しい品物を与えることでインディアンの分断工作を図る。

 結局インディアンはヨーロッパ人の文明と歴史の前に敗れたといってよい。戦争はトリッキーなやり方で相手を騙した方が勝つ。これが孫子の兵法の極意だ。

兵とは詭道なり/『新訂 孫子』金谷治訳注

 もう一つの歴史の重要な機能とは、「歴史は武器である」という、その性質のことである。文明と文明の衝突の戦場では、歴史は、自分の立場を正当化する武器として威力を発揮する。

【『歴史とはなにか』岡田英弘(文春新書、2001年)】

歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘

 その上ヨーロッパ人には合理的な宗教まであった。神を背景とした正義にインディアンたちが適(かな)うはずもない。文字を持たなかったアフリカ人も同じ運命を辿っている。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)
ラス・カサス
岩波書店
売り上げランキング: 49,059

2013-11-27

スペイン人開拓者によるインディアン惨殺/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス


『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔

 ・ラス・カサスの立ち位置
 ・スペイン人開拓者によるインディアン惨殺
 ・天然痘と大虐殺

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト その四

 ラス・カサスの報告書はスペインに反感を抱く連中に政治利用される。それは「黒い伝説」となって欧州を席巻した。

黒い伝説
アメリカの古典文明~スペインの黒い伝説
ラス・カサス著「インディアスの破壊についての簡潔な報告」:千田孝之
「インディアスにおける福音宣教 多様な問題に関する宣教師たちの見解の相違」谷川義美(PDF)

 この他「自虐史観は国を衰亡させる」(藤岡信勝公式サイト)も参照したが印象のみで具体的な事実を欠いている。

 本書を翻訳した染田秀藤の見解については千田氏が紹介している。尚、谷川氏のテキストは長文のため私はまだ部分的にしか目を通していない。「ユカイ文書」も検索してみたが情報らしい情報が見当たらなかった。

 個人的には16世紀のキリスト世界で宣教師がデタラメを報告できるとは考えにくい。折しも魔女狩りの嵐が吹き荒れた時代である。スペインはカトリック国であったためドイツやフランスほどの惨状ではなかったが、中世ヨーロッパの公共がキリスト教会であった事実を思えば藤岡の指摘は的外れであろう。

 またラス・カサス以前にインディアンに対するスペイン人の非道を指摘した人物が存在した。そしてラス・カサスが良心の呵責を覚え、改心に至るまで2年ほどの歳月を要したことにも心をとどめる必要がある。それはまさしくラス・カサス本人がインディアンを人間として見つめることができるようになった期間を示すものだろう。

 征服(コンキスタ)は死罪に値いする大罪であり、恐しい永遠の責め苦を負うのにふさわしい企てであります。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年/改訂版、2013年)以下同】

 この一言が同胞を敵に回すことは重々覚悟の上で彼はペンを執(と)ったに違いない。どちらが神意にかなっているか勝負を決そうではないか、との気魄が伝わってくる。

 ラス・カサスがアメリカで目の当たりにした光景は凄惨を極めた。

 インディオたちの戦いは本国〔カスティーリャとレオン本国〕における竹槍合戦か、さらには、子供同士の喧嘩とあまり変りがなかった。キリスト教徒たちは馬に跨り、剣や槍を構え、前代未聞の殺戮や残虐な所業をはじめた。彼らは村々へ押し入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない女もことごとく捕え、腹を引き裂き、ずたずたにした。その光景はまるで囲いに追い込んだ子羊の群を襲うのと変りがなかった。
 彼らは、誰が一太刀で体を真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内蔵を破裂させることができるかとか言って賭をした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。また、ある者たちは冷酷な笑みを浮べて、幼子を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて、「さあ、泳いでみな」と叫んだ。彼らはまたそのほかの幼子を母親もろとも突き殺したりした。こうして、彼らはその場に居合わせた人たち全員にそのような酷い仕打ちを加えた。  さらに、彼らは漸く足が地につくぐらいの大きな絞首台を作り、こともあろうに、われらが救世主と12人の使徒を称え崇めるためだと言って、13人ずつその絞首台に吊し、その下に薪をおいて火をつけた。こうして、彼らはインディオたちを生きたまま火あぶりにした。また、インディオの体中に乾いた藁を縛り、それに火をつけて彼らを焼き殺したキリスト教徒たちもいた。

 何たる無残。事実は小説よりも奇なり。そして小説よりも恐ろしいのだ。人間は面白半分で人殺しができる動物なのだ。

(※火あぶりにされた)彼らは非常に大きな悲鳴をあげ、司令官(カピタン)を悩ませた。そのためか、安眠を妨害されたためか、いずれにせよ、司令官(カピタン)は彼らを絞首刑にするよう命じた。ところが、彼らを火あぶりにしていた死刑執行人(私は彼の名前を知っているし、かつてセビーリャで彼の家族の人と知り合ったことがある)よりはるかに邪悪な警吏(アルグワシル)は絞首刑をよしとせず、大声をたてさせないよう、彼らの口の中へ棒をねじ込み、火をつけた。結局、インディオたちは警吏(アルグシワル)の望みどおり、じわじわと焼き殺されてしまった。
 私はこれまでに述べたことをことごとく、また、そのほか数えきれないほど多くの出来事をつぶさに目撃した。キリスト教徒たちはまるで猛り狂った獣と変らず、人類を破滅へ追いやる人びとであり、人類最大の敵であった。

Bartolomedelascasas

 キリスト教徒たちは彼らを狩り出すために猟犬を獰猛(どうもう)な犬に仕込んだ。犬はインディオをひとりでも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。また、犬は豚を餌食にする時よりもはるかに嬉々として、インディオに襲いかかり、食い殺した。こうして、その獰猛な犬は甚だしい害を加え、大勢のインディオを食い殺した。
 インディオたちが数人のキリスト教徒を殺害するのは実に稀有なことであったが、それは正当な理由と正義にもとづく行為であった。しかし、キリスト教徒たちは、それを口実にして、インディオひとりがひとりのキリスト教徒を殺せば、その仕返しに100人のインディオを殺すべしという掟を定めた。

 暴力は人類の業病(ごうびょう)なのか。魔女狩り、黒人奴隷、そしてインディアン虐殺……。ヨーロッパの暴力はキリスト教に由来しているとしか考えようがない。そのヨーロッパ文明が先進国基準である以上、世界はいつまでも戦争の連鎖にのた打ち回ることだろう。

 平和的な民族は淘汰される運命にある。これ以上の歴史の皮肉があるだろうか。私が人権という概念を信じないのは、それが殺戮者であるヨーロッパ人によってつくられたものであるからだ。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)
ラス・カサス
岩波書店
売り上げランキング: 49,059

2013-11-23

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス


『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『奴隷船の世界史』布留川正博
『奴隷とは』ジュリアス・レスター
『砂糖の世界史』川北稔

 ・ラス・カサスの立ち位置
 ・スペイン人開拓者によるインディアン惨殺
 ・天然痘と大虐殺

『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温

キリスト教を知るための書籍
必読書リスト その四

 カスティーリャの国王が神とその教会からあの大きな数々の王国、すなわち、インディアスという広大無辺な新世界を委ねられましたのは、その地に済む人びとを導き、治め、改宗させ、現世においても来世においても彼らに幸福な生活を送らせるためにほかなりません。しかるに、それらの王国に済む人びとは同じ人間が手を下したとは想像もつかないような悪事、圧迫、搾取、虐待を蒙ってまいりました。いと強き主君、私は50年以上にわたりその地でそれらを目撃してまいりました。それゆえ、とりわけそのうちのいくつかの行為を申し上げれば殿下は必ず陛下に対し、無法者たちが策略を弄してたえず行いつづけているいわゆる征服(コンキスタ)という企てを今後いっさい許可されないよう懇請していただけるものと確信しております。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年/改訂版、2013年)】

 キーが重い。気安く書くわけにはいかないためだ。私がもたもたしているうちに改訳版が刊行されていた。タイトルが広く知られていると、「ま、いつでも読めるよな」とか「今更俺が読んでも……」などと思いがちだ。挙げ句の果てには「読んでしまった」ような錯覚に至ることもある。ソクラテス、トルストイ、ドストエフスキー、夏目漱石……そして岩波文庫だ。

 インディアンの言葉を編んだものを数冊読み、その散漫極まりない編集に業を煮やし、「そろそろ本気を出すか」と意気込んで本書を開いた。寝しなに読むのは避けるべきだ。悪夢にうなされたくなければ。

 ルワンダを軽々と凌駕する大虐殺の歴史だ。アメリカに巣食う暴力の根は「アメリカ大陸発見」の時から地中に深く分け入ったのだ。ヨーロッパ人は元々「魔女狩り」と称して同胞を焼き殺すような連中である。世界の果て(※ヨーロッパから見た世界観)に存在した異邦人は化け物と変わりがなかった。

コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 しかもキリスト教の狭い世界観にインディアン(中国を始めとするアジア人も)は含まれていなかった。

 話はいささかそれるかもしれませんが、ここで日本人がいつから奴隷になったのか、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
 近代の奴隷制は、東インド会社の設立にその起源を求めることができます。ことは非常に単純で、奴隷制はもともと、人間とは何かという定義から始まりました。その経緯はおおよそ次のようなものです。
 現在ではカトリックといえば博愛主義の代名詞で、バチカンは世界の戦争や差別をなくす中心的な役割を果たす機関となっています。ところが中世の頃のバチカンはそうではなかったのです。
 1600年、インドに渡ったヨーロッパの貿易商は肌の黒いインド人を見て、同行した神父にこう訊ねました。「この肌の黒い人は人間ですか?」。その神父はその場で答えを出さず、バチカンにその回答を求める質問状を送るのですが、ずいぶんして戻ってきた返書には「人間ではない」としたためてありました。その理由は“キリスト教徒ではないから”というものです。
 アフリカに渡ったときも、同じ手続きが踏まれました。商人から同じことを訊かれた神父が、やはりバチカンに、人間かどうかの判断を仰ぐ質問状を送っているのです。すると、こちらも「人間ではない」という回答がきちんと送ってきました。そういう記録が残っているというのです。
 こうした当時のバチカンの判断によって、奴隷制が始まったと言われています。魔女狩りや異端審問がピークの時代です。東インド会社が行った最大の交易は、人身売買ですが、その背景にはキリスト教徒でない者は人間ではなく奴隷であるという判断があったわけです。
 このことは、日本の場合にも当てはまると思います。
 戦国時代、日本は海外から鉄砲の調達を始めました。織田信長がその近代兵器を駆使して勝利を収めたことは有名ですが、そのためには高性能の火薬、つまりガンパウダーが必要になります。当時のガンパウダーの値段はどのようにつけられていたかというと、一樽につき、娘50人です。織田信長の時代から戊辰戦争の時代まで、鉄砲隊のガンパウダーは、日本人の若い女性を海外に売ることで調達したのです。
 この事実は、裏を返せば、日本人の人身売買を行うにあたり、日本人は「人間ではない」というお墨付きがあったということになります。もし、人間を売買したとなると、キリスト教の教義に違反し、たいへんなことになります。しかし人間ではないから、鉄砲を求める戦国武将との間で、売買が成立したわけです。そのため、当時、大量の日本人の娘がヨーロッパに売り渡されたという記録が残されています。
 つまり日本における奴隷制は、鉄砲隊がその引き金を引くと同時に始まったと考えることができるわけです。

【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(ビジネス社、2008年)】

 これが近代の現実である。ヨーロッパにとって世界とは聖書に書かれたことがすべてだった。そして聖書の解釈権はヴァチカンが握っていた。神に従うことはヴァチカンに従うことであった。インディアンと中国人(なかんずく中国文化)の存在がヨーロッパを揺るがした。全知全能の神もふらついたことだろう。

「インディアス」とはインドのことだ。クリストファー・コロンブスの第二次航海に参加したラス・カサスは、当然コロンブス同様アメリカ大陸をインドだと思い込んでいた。「新大陸」であることに気づいたのはアメリゴ・ヴェスプッチであった。で、彼の名前から「アメリカ」と命名されたわけだ。

 バルトロメ・デ・ラス・カサスはカトリックの司祭であった。しかもインディアンの奴隷を所有していた。彼は宣教目的でアメリカに渡ったわけだから、インディアンを布教対象としてしか考えてなかったことだろう。そうでありながらも彼はインディアン虐殺をじっと見ているわけにはいかなかった。ここに彼の自由な魂がある。

 時代の流れを自覚することは難しい。地球の自転や公転を意識できないのと一緒だ。時代の常識に逆らうことは勇気を必要とする。激しい毀誉褒貶(きよほうへん)を覚悟しなくてはならない。元々コミュニティには進化的な優位性がある。「皆と同じ」にすることで生存率が高まるのだ。ゆえに勇気をもって異を唱えることは時に死を意味した。諫言。

 一読後、私は思った。「ラス・カサスの名を冠した人道賞を設けるべきだ」と。彼こそは善きサマリア人であった。そして虐殺者の一員であることを断固として拒んだのだ。

 ラス・カサスは68歳で大著『インディアス史』を書き始める。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)インディアス史〈1〉 (岩波文庫)インディアス史〈2〉 (岩波文庫)インディアス史〈3〉 (岩波文庫)

インディアス史〈4〉 (岩波文庫)インディアス史〈5〉 (岩波文庫)インディアス史〈6〉 (岩波文庫)インディアス史〈7〉 (岩波文庫)

ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤
侵略者コロンブスの悪意/『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン
虐殺者コロンブス/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編
米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル

2013-04-28

牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏


「こらえにこらえてやっている」。88年4月19日、農相の佐藤隆は国会で交渉の難しさを明かした。同じ日、農協は「米国の高圧的な態度は憤激に堪えない」として都内で集会を開いた。だが米国の攻勢は表に出ているよりずっと苛烈だった。
 交渉が大詰めを迎えるなか、米通商代表部(USTR)次席代表のスミスが九段の分庁舎に入った。野球帽を横向きにかぶり、ノーネクタイ姿で農水次官の後藤康夫らの正面に座ると、円卓に足を乗せて言い放った。「議論の余地はない。自由化だ」。

【日曜に考える 牛肉・オレンジ自由化決着(1988年) 日米構造協議の前哨戦/日本経済新聞 2013年4月7日付】

日米通商交渉の歴史(概要):外務省【PDF】

 白人の傲(おご)りはアフリカ人を奴隷にした時代やインディアンを虐殺した頃から変わっていないように感ずる。キリスト教に由来する人種差別は、神を信じぬ者を人間としては認めない。だから連中は面白半分で虐殺することができたのだ。

 彼ら(※キリスト教徒)は、誰が一太刀で体を真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内蔵を破裂させることができるかとか言って賭をした。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年)】

 日経新聞の腰砕けぶりは「スミス」をフルネームで表記していないところに現れている。ウェブで調べたところ「マイク・スミス」のようだが情報らしい情報が殆ど見当たらず。

 日本が礼節を重んじる国であることがわかっていればこそ、スミスは芝居がかったパフォーマンスをしてみせたのだろう。やはり軍事力を持たねば一人前の国家として扱われないのだ。

 一方でこういう声もある。

アメリカが恐れる日本の通商交渉力:山下一仁

 交渉に携わった人々が国民に対して情報発信していない以上、我々は想像する他ない。

 その後の日米構造協議年次改革要望書という流れを見れば、太平洋戦争はおろか日米修好通商条約から何も変わっていないように思える。

 日本の保守がなぜ反米に向かわないのかが不思議でならない。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之