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2021-11-28

不確実性に耐える/『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環解説、まんが水谷緑


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫
統合失調症の内なる世界
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環

 ・不確実性に耐える

『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
・『群衆の智慧』ジェームズ・スロウィッキー
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン

虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

「自分自身を知る」とは「自分はこういう人間だった、わかった!」という理解ではありません。自分自身もまた「汲み尽くすことのできない他者」として理解することです。対話実践とはその意味で、自分自身との対話でもあるのです。

【『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環〈さいとう・たまき〉解説、まんが水谷緑〈みずたに・みどり〉(医学書院、2021年)以下同】

 オープンダイアローグを通して斎藤自身が変わった。結局、統合失調症患者を媒介にして参加者全員が変わるところに「オープン」の意味があるのだろう。「変わる」と言っても決して大袈裟なことではない。今まで言えなかった何かや、見えなかった自分に気づけばそれでいいのだ。

 オープンダイアローグでは途中でリフレクティングを行う。これは一旦対話を中断して、専門家同士が目の前で対話の内容を検討するというもの。この時、見えないカーテンで仕切られているとの自覚で、当事者とは目も合わせてはいけない。また、当たり前だが否定的な意見は言わない。

 結果的に私たちがしてきたことは、「そんなことあるわけがない」と反論するわけでもなく、「そうですよねぇ」と同調するわけでもなく、ただ、「私はそういう経験をしたことがないからよくわかりません」という基本姿勢で、「どういう経験か知りたいので、もっと教えてくれませんか」と尋ね続けたことだと思います。
 そのように聞いていくと本人は、みんながわかるような言葉を自分で絞り出して説明するわけです。おそらく、他人にわかってもらうように説明するという過程のなかに、ちょっとこれは自分でもおかしいかなとか、自発的に気づくきっかけがあったのかもしれません。人から言われて気づかされるのではなくて、自分から矛盾や不整合に気づいて修正していくと、結果的に正常化が起こってくるということかもしれないなとは思いました。

 漫画で描かれているのは完全な妄想性障害である。旦那が浮気をしていると思い込んで、やや狂乱気味の女性だ。何度もオープンダイアローグを重ねて、「もう駄目かも」と斎藤があきらめかけた時、彼女は一変した。

 この人の訴えを「妄想」と呼ぶ医師もいるかもしれません。妄想というと、きっちり構築された理屈みたいに聞こえますが、実は妄想の背景にあるのは、怒りや悲しみなどの強い「感情」なんですね。だから感情の部分に隙間ができると、妄想の内容もだんだん変わってくる。それをこのケースでは痛感しました。

 いやいや妄想ですよ。それも完全な。ここで常識人は意味の罠に囚(とら)われる。「妄想の原因は何か?」「妄想の意味は何か?」と。あるいは単なる脳のバグかもしれない。

「オープンダイアローグの7原則」の6番目に「不確実性に耐える」とある。この一言は重い。だがよく考えてみよう。生きるとは「不確実性に耐える」ことだ。紀貫之〈きのつらゆき〉は「明日知らぬ 我が身と思へど 暮れぬ間の 今日は人こそ かなしかりけれ」と詠んだ。従兄弟の紀友則〈きのとものり〉が亡くなったことを嘆いた歌だ。一寸先は闇である。その不確実性に分け入り、切り拓いてゆくのが人の一生なのだろう。

【変えようとしないからこそ変化が起こる】――この逆説こそが、オープンダイアローグの第1の柱です。オープンダイアローグでは、治療や解決を目指しません。対話の目的は、対話それ自体。対話を継続することが目的です。(中略)
 ただひたすら対話のための対話を続けていく。できれば対話を深めたり広げたりして、とにかく続いていくことを大事にする。そうすると、一種の副産物、【“オマケ”として、勝手に変化(≒改善、治癒)が起こってしまう。】これは一見回り道のように見えるかもしれませんが、私の経験をもとにして考えると、結局はいちばんの最短コースになっていることが多いんですね。
 裏返して癒えば「対話というものは続いてさえいればなんとかなるものだ」――これがオープンダイアローグの肝だと私は思っています。これはこの言葉どおり捉えていただいてかまいません。対話を続けてさえいればなんとかなる。続かなくなったらヤバいかも、ということです。

 ここまで指摘されてオープンダイアローグが集合知であることに気づく。ヒトという群れが言葉を介してつながる姿が鮮やかに見える。「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説が正しいなら、胎内で魚からヒトにまで進化した赤ん坊が、言葉を操るようになるまで3年ほど要することを見逃せない。つまり大脳ができても言葉のなかった人類の時代があったに違いない。

 まだ成り立てのほやほやだった人類は、限りなく動物に近い存在だった。言葉のない時代の方がコミュニケーションは円滑であったと想像する。社会性動物の真価は群れにあるのだ。それゆえ群れの中で上手く動けない者は淘汰されたことだろう。そして人類の多くは統合失調症であった(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)。右脳と左脳を統合したのは言葉と論理だ。理窟で抑えきれない情動は狂気となって滴り、迸(ほとばし)る。

 たぶん言葉が脳を豊かにし、そして脳にブレーキをかけている。更に文字が言葉を強力に支える。歴史も文明も言葉から生まれた。だが果たして現在の我々の生き方が本当に人間らしいのだろうか? やや疑問である。

2021-11-22

拷問され、麻酔なしで切り刻まれるウイグル人/『命がけの証言』清水ともみ、楊海英


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ

 ・拷問され、麻酔なしで切り刻まれるウイグル人

『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ

必読書リスト その一

【『命がけの証言』清水ともみ、楊海英〈よう・かいえい〉(ワック、2021年)以下同】










2021-11-20

隣国で行われている現在進行系の大虐殺/『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾訳
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 ・隣国で行われている現在進行系の大虐殺

『命がけの証言』清水ともみ
『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ

必読書リスト その一

【『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ(季節社、2020年)】

 清水ともみが『その國の名を誰も言わない』に続いて2019年8月にツイッターで発表・公開した作品である。作家の百田尚樹が虎ノ門ニュースで全編を紹介し、広く知られるようになった。ネット上で公開されているが、本書と『命がけの証言』は是非とも購入していただきたい。2640円の喜捨と考えて欲しい。既に新聞やテレビでは世界を知ることはできない。犠牲者の声は圧力によって封殺される。経済的な見返りのためなら臓器狩りや虐殺も見て見ぬ振りをするのが親中派政治家や経団連の流儀である。

 岡真理はパレスチナの若者を見てこう思った。「むしろ不思議なのは、このような救いのない情況のなかで、それでもなおジハードが、そしてほかにも無数にいるであろう彼のような青年たちが、自爆を思いとどまっていることのほうだった」(『アラブ、祈りとしての文学』岡真理)。国際社会は国益を巡るゲームである。ルワンダ大虐殺の時も国連は動かなかった。目立った報道すらなかった。それどころか同じ信仰を持つイスラム世界も沈黙を保っている。インドネシアではムスリムによる反中デモが行われたが、インドネシア政府はウイグル人服役囚を中国に強制送還している。

 米軍が撤退した途端、アフガニスタンをタリバンが完全に支配した。権力の真空が生まれることはなかった。中国共産党はアメリカが退いたところに進出するという単純な攻撃法で国際的な影響力を高めている。WHOなどが典型だ。

 アメリカはトランプ大統領が対中制裁に舵を切ったが、政策を引き継いだバイデン政権の動きは鈍いように感じる。言葉だけが虚しく響いているような気がする。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
 そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

マルティン・ニーメラー

 ニーメラーの悔恨は最初の迫害を他人事と捉えたところにあった。虐殺されているのはウイグル人ではない。我々なのだ。

 




清水ともみ|note
香港でも拡散!8.6万RTウイグル漫画『私の身に起きたこと』が描かれるまで(FRaU編集部) | FRaU
ウイグルの人権問題を描いた漫画に反響 作者「怖かったけど、天命」:朝日新聞GLOBE+

2020-01-06

巧妙な脅し文句/『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易


『「捨てる!」技術』 辰巳渚
『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵

 ・巧妙な脅し文句

『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
・『たった1分で人生が変わる片づけの習慣 実践編』小松易
『大丈夫!すべて思い通り。 一瞬で現実が変わる無意識のつかいかた』Honami
『人生を掃除する人しない人』桜井章一、鍵山秀三郎
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士

 片づけられないと生活だけでなく、心も体もうまくいかずに「詰まって」しまうのです。

 玄関が片づいていなければ、新しい出会いやチャンスに恵まれません。
 キッチンが片づいていなければ、余計な出費が多くなり食生活も安定しません。
 仕事場が片づいていなければ、残業が多いわりに良い仕事ができません。
 本棚が片づいていなければ、本当に欲しい情報がすぐに得られません……。

 片づけられないせいでうまくいっていない人生は、どんどん「負のスパイラル」に陥ります。その結果、さらに仕事や生活で失敗が続いたりします。

【『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』原作:小松易〈こまつ・やすし〉、脚本:青木健生、マンガ:小田ピンチ(KADOKAWA、2015年)】

 それは、ない。ただし人生が順調でない人はこの言葉を真に受けてしまうことだろう。巧妙な脅し文句である。

「コミック版」となっているが、マンガ+テキストなので活字が苦手な人はこちらを読むといいだろう。マンガの出来栄えは決してよくないが、内容はしっかりと踏襲している。

 ブッダの弟子で最も愚かなチューラパンタカ(周梨槃特)は拭き掃除で悟りを開いた。

 掃除という単純作業には、目の前のことだけに打ち込むという美点がある。最小限の努力で最大限の成果を得られる、進み続けるべき正道だ。

【『あなたに不利な証拠として』ローリー・リン・ドラモンド:駒月雅子訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2006年/ハヤカワ文庫、2008年】

 乱雑な部屋は風の通りが悪い。これが気に影響を与えることは理解できよう。神道のお祓(はら)いも埃(ほこり)のように積み重なった罪や穢(けが)れを払う営みだ。汚れは穢れに通じる。

 掃除をすれば気持ちがいい。これは真理である。気持ちがいいから掃除をするのだ。それでいい。

2017-08-19

本当のオレ/『賭博黙示録カイジ』福本伸行


『銀と金』福本伸行

 ・本当のオレ

『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編

『無境界の人』森巣博
『賭けるゆえに我あり』森巣博
『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六

 まったくこいつら……
 とことん腐っている……
 わしのように生きるか死ぬかの修羅場を 潜(くぐ)ってきた人間からすると 奴らの精神はまるで病人……
 並の治療では……救われぬほど心性(しんせい)が病んでいる
 その病気とはつまり……どんな事態に至ろうと……【とことん真剣になれぬ】……という病(やまい)だ……
(中略)
 いつだって……許さるとと思っている……
 借金を踏み倒そうと……あるいは……極論……人を殺した……としても……
 自分は悪くない 自分は許される なぜなら……今起こったこの事態はあくまで「仮」(かり)で……
 本当のオレのあずかり知らぬこと……そう考えるからだ
(中略)
 通常奴らは……生涯その「仮」から目覚めない……!
 愚鈍(ぐどん)に……寝たいだけ寝て……不機嫌に起き出し……半ば眠っているような日々を繰り返す
 退屈を忌み嫌いながら その根本原因にはほおかむり
 少し熱心になる瞬間といったら ケチな博奕(ばくち)や……どーでもいい女を追いかけるまわす時くらい……
 なぜそんなくそ面白くもない気分で……この人生の貴重な1日1日を塗(ぬ)り潰(つぶ)せるか……というと……
 いつもどんな時も 現実は奴らにとって「仮」だからだ つまり偽物(にせもの)……
 現実(こんなもの)が……自分の本当のはずがない……奴らはそう思いたいんだ……
 30になろうと40になろうと 奴らは言い続ける……
 自分の人生の本番はまだ先なんだと……!
「【本当のオレ】」を使ってないから今はこの程度なのだと……そう飽きず言い続け……結局は……老い…… 死ぬっ……!
 その間際いやでも気が付くだろう……今まで生きてきたすべてが 丸ごと「本物」だったことを……!

【『賭博黙示録カイジ』福本伸行(講談社、1996~1999年)】

 人は不遇を感じると「自分が活躍する舞台は別の場所にある」と思いがちだ。そう。西方極楽浄土だ(笑)。鎌倉時代の庶民にとって幸せは宇宙の彼方にあるものと信じられ、死んだ後に生まれ変わる場所として渇望された。ま、当然のように首を括りたくなるわな。

 こうした二面的なものの見方は鎌倉仏教の影響が大きいように思う。此岸と彼岸、浄土と穢土(えど)、権教と実教、本門と迹門などなど。ま、本地垂迹(ほんぢすいじゃく)思想と一括りにしてもよかろう。仏教には現象そのものを「仮」と捉える視点もある(仮諦〈けたい〉)。

 福本が指摘する「仮」はもっと卑近なものだが、欲望の燃焼がテーマとなっているだけにわかりやすい。

「本当のオレ」は「今のオレ」である。「眠っているオレ」や「将来のオレ」はフィクションに過ぎない。もちろん可能性は誰にでもある。よくなる可能性も悪くなる可能性も。

 福本作品については絵で好き嫌いが分かれることだろう。個人的には『銀と金』を除けば評価できる作品はない。冗長なルール解説がストーリーの腰を折る嫌いがある。それでも尚、福本作品は男の教養として読むべきだ。

『カイジ』シリーズはこの後、『賭博破戒録カイジ』、『賭博堕天録カイジ』、『賭博堕天録カイジ 和也編』、『賭博堕天録カイジ ワン・ポーカー編』と続く。

2017-06-06

ヤマギシ会というフィクション/『カルト村で生まれました。』高田かや


『カルトの島』目黒条

 ・ヤマギシ会というフィクション

『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
『杉田』杉田かおる
『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS
『マインド・コントロール』岡田尊司

 村では大人と子供の生活空間がはっきり分かれています

 そして基本、親子は別々の村に住んでいます

 別の村で暮らしている親のもとへ年に数回だけ泊まりに行くことができる

【『カルト村で生まれました。』高田かや(文藝春秋、2016年)】

 文藝春秋社『CREA WEB』の「コミックエッセイルーム」に投稿したのがデビューのきっかけとなった。

 著者はヤマギシ会(幸福会ヤマギシ会)のコミューン(村)で生まれ育ち、19歳で村を出た。結婚相手に自分の過去を語ったことで客観的な視点を得たように見える。

 毎朝5時半に起床し、ニワトリの飼育やトイレ掃除などの労働。食事は昼と夜のみ。あらゆるものが共有されている。髪型も決められている。親戚や友人からの手紙は検閲される。テレビやマンガは禁止だが『日本昔ばなし』だけは許される。食事抜きや体罰が常態化している。

 和製アーミッシュとするのは間違いだ。ヤマギシ会は新興宗教に倣(なら)っていえば新興共産主義といえよう。

 日常的に繰り返される体罰が淡々と描かれている。呼び出されると必ず平手打ち、人通りのある道路に立たされる、裸で立たされる、暗いところに閉じ込められる、髪の毛を掴んで引きずり回して壁に打ちつける、などなど。


「淡々と描かれている」のは絵のタッチもさることながら、幼児期から常態化した暴力が判断力を奪ったためだろう。家庭内の暴力は感情に任せて振るわれることが多いが、コミュニティ内の暴力はシステマティックな作業として行われる。そして暴力は必ず激化する。

 近藤(衛/フリーライター)によると、「怒り研鑽」における数時間にわたる反復の中で、怒りを覚えた動機を全面的に否定し、むしろ自分のほうが謝罪したいと涙ながらに語る参加者が現れた。さらに会場内には連鎖反応的に恍惚の表情を浮かべ、「もう腹は立ちません」と語り出す者が現れた。そのような反応に対し、進行役は頷く素振りをみせたという。近藤は「まるで集団催眠にかかったような光景だった」と述懐している。

Wikipedia:ヤマギシズム特別講習研鑽会

 巧い仕組みを考えたものだ。自発的なマインドコントロールに駆り立てる効果があるのだろう。

 精神科医の斎藤環〈さいとう・たまき〉が次のような指摘をしている。

 ところで、僕自身はカルトを次のように定義している。それは「カネのかかる信仰」であり、言い換えるなら、奉仕活動と集金システムによって幹部クラス以上に富や利権が集中するような信仰のこと。

 ヤマギシはカルト。なぜなら「参画」時に全財産没収が条件で、脱会時に返還されないから。「特講」はあきらかに洗脳。所有欲の否定は立派な教義でしょう。ニワトリの社会を理想とするから、あれは「ニワトリ憑き」集団だと断じたひとがいておかしかった。憑依も解離だからあながちデタラメではない。

 米本和広『カルトの子』によれば、エホバ、オウム、統一教会、ヤマギシ、みな児童虐待集団。カルトがやたらと学校を作りたがるのは子どもに汚れた外部の社会と接点を持たせたくないため。

 1998年、ヤマギシ学園の計画書が提出され、三重県は異例の実態調査に乗り出した。407人のヤマギシの小・中学生を対象に、アンケート形式の調査を行ったところ、世話係に暴行を受けたとする回答が80%以上、また逃げ出したいと思ったことがあるものが、やはり80%以上を占めていた。

 子供たちが記した暴行の内容。平手打ち、往復ビンタ、足蹴にする、鼻血が出るまで殴る、壁に頭を叩きつける、体を持ち上げて床に投げおろす、棒で叩く、食事を抜かれる、バットで尻を叩く、プロレス技をかける、コンクリート張りの部屋に監禁する、裸のまま屋外に放置される、などなど。

斎藤環氏 ヤマギシ会について語る

 私がヤマギシ村で育ったとしたら、二十歳を超えた時点で必ず復讐を遂げるだろう。金属バットが1本あれば十分だ。二度と暴力を振るうことができない体にしてやるところだ。相手が50人や100人であろうと何の問題もない。大人たちが目を覚ますか、あるいは二度と目を覚ますことがなくなるかのどちらかだ。

「正しい理想」が「誤った手段」を正当化する。組織やコミュニティのつながりが強いほど同調圧力も高まる。

 島田裕巳が懲(こ)りることなくヤマギシ会を称(たた)えている。

ヤマギシ会はまだやっていた

 例えば社会からドロップアウトした人々や生活困窮者を積極的に受け入れているならば一定の社会貢献は認められよう。ただし、それをもってしても児童虐待を正当化することはできない。

 ヤマギシ会というフィクションに老後の生活保障はあっても、真の自由や幸福はあり得ないだろう。

カルト村で生まれました。
高田 かや
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さよなら、カルト村。 思春期から村を出るまで
高田 かや
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「本当の孤独」と「前向きの不安」/『孤独と不安のレッスン』鴻上尚史

2015-11-17

左翼とサヨクあるいは反日を巡って/『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり


 ・左翼とサヨクあるいは反日を巡って

・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり

日本の近代史を学ぶ

【日本の】個人主義者は国家が嫌いである 権力も嫌いである

 そしてこの平和が自明のものであり 税金さえ払えば手に入るサービスだと思っている

 日本の個人はまるで消費者なのだ!!

【『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり(幻冬舎、1998年)以下同】

 漫画吹き出しのためテキストの改行は無視した。日本の古代が『古事記』というフィクションによって成り立ち(『官僚病の起源』岸田秀、1997年)、明治維新という擬装を通して近代化された(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)ことを思えば、この国はたぶん理念を欠いている。ただし四方を海に囲まれた地理的優位さが歴史と伝統の形成を可能にした。

 近代日本において左翼と右翼を定義することは難しい。江戸末期では攘夷派も開国派も尊王を標榜しており(『攘夷の幕末史』町田明広、2010年)、倒幕という運動性と残虐な急進性からすれば攘夷派は完全な左翼である。ところが右翼の原点は西郷隆盛の精神にあり、玄洋社(1881-1946年)が道を開いたのである。昨今では「過激な」右翼と「穏健な」左翼という顛倒(てんとう)した事態となっている。

 1922年(大正11年)に日本共産党が結成される。度重なる弾圧を経て、しばしば破壊活動を起こし、同党は敗戦の後に合法化される。これをもって「左翼とは『天皇制』打倒を目論み、日本文化を否定しかつ破壊へと導く思想・行動」と認められるか。

 スターリンが言い始めた「天皇制」(emperor system)とのキーワードは左翼用語であり、個人的には「いわゆる天皇制」(「いわゆる従軍慰安婦」に倣〈なら〉う)と表現したい。制度を導入したというよりは自然発生的であったと考えるためだ。文脈によっては「天皇制」と鍵括弧を付けることにする。

 わしは戦後180度転換したこの日本の「空気」をすべて疑う(中略)

 日本を覆うその「空気」とは…(中略)

 新聞のほとんどに彼らはいる

 テレビ 雑誌 マスコミ内に いる

 教育界にかなりいる

 司法関係者にいる

 国外にまで暗躍している

 この「残存左翼」に操られやすいのが「うす甘いサヨクの市民グループ」だ

 明確な左翼思想を持つわけでなく…人権・平等・自由・フェミニズム・反戦平和などの思想が彼らを突き動かす(中略)

「うす甘いサヨク市民グループ」の周りには 大多数の「うす甘い戦後民主主義の国民」がいるわけである

 つまり「人権」「自由」「個人」「反戦平和」などの価値を揚げれば「残存左翼から「うす甘いサヨク市民グループ」から「戦後民主主義者」まで大同団結できてしまう

 要するに戦後民主主義は「サヨク」なのだ!

 それが「空気」の正体である

 次に紹介するのはニコニコ大百科(仮)の「サヨク」という項目である。

 サヨクとは、本来の左翼思想と「人権・平等・環境」といった理念を振りかざす左翼シンパシー的な立場を区別する上で、用いられる用語である。

 現在はネット言論(2ch、ブログなど)において広く用いられている。レッテル・蔑称としても用いられる。

概要

 明確な定義について見解は分かれるが、一般的には左翼思想及び共産主義体制の近隣国家にシンパシーを示すが、正面からマルクス主義的な社会革命を標榜することはなく、「平和・国際協調・人権・民主主義・環境保護」といった口当たりのよいスローガンを掲げて活動する思想・立場のことを言う。

 カタカナ表記の「サヨク」は小説のタイトルとしてつかわれることもあったが、漫画家の小林よしのりによって、従来の左翼と区別される思想・政治的立場を示す語として積極的に用いられるようになった。小林は、「サヨク」という語を、イデオロギー的な議論を避け、表面的なスローガンに論点をすりかえる方法論を、カタカナ表記のフランクさによって揶揄する意味で用いたと考えられる。

「サヨク」の背景

 冷戦下の政治工作の一環として、共産主義陣営は資本主義国内部の批判勢力を組織・支援した。こうした工作はマスコミや「進歩的知識人」「市民団体」などを通して行われたが、このときに用いられたのが「平和・民主主義」といったスローガンであった。

 ソ連が崩壊し、マルクス・レーニン主義が失敗をみたことが知れ渡ると、イデオロギーとしての左翼は求心力を失ったが、これらの批判勢力は口当たりのよいスローガンに身を隠しつつ、活動を継続していった。

「サヨク」はこうしたイデオロギー的ルーツを表面に出すことなく(または自覚することなく)現在も根強く活動している。

ニコニコ大百科(仮)

 左翼はフランス革命の急進派(ジャコバン党)に始まり、共産主義・社会主義を経て、リベラル派への変態を辿る。日本においては東京裁判史観に基づく戦後教育が、昭和期に至るまでの伝統を消し去った。経済成長を遂げるにつれ武士道という節度も溶解した。愛国心は鼻で笑われ、国民は国体を見失った。

 日本の近代史は奥が深い。GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争贖罪意識洗脳プログラム)や薩長土肥によって綴られた明治維新以降は、飽くまでも「官軍の歴史」であると理解すべきだろう。

 佐藤優が小林を批判していた。気をつけなければならないことは佐藤の指摘は歴史認識としては正しいのだが、GHQによる占領政策から人々の目を逸(そ)らさせてしまう点にある。彼はそれを計算ずくで行っているのだろう。私としては小林の漫画は読むに堪(た)えないし、「わし」という言葉づかいが社会性を無視して鼻持ちならないが、小林の書籍や言動から少なからず影響を受けており、敬意を表するものである。

 民主制(※デモクラシーを民主主義とするのは誤訳)は情報公開(ディスクロージャー)によって作動する。私が民主制よりも貴族制を重んじるのは、あらゆる国家において100%の情報が公開されることはないと考えるためだ。

 左翼という政治性、サヨクという知的欺瞞、反日という民族嫌悪は平和という名の温室で栽培された。戦争は経済問題に起因する。そして経済は気温に左右される。すなわち地球の寒冷化が戦争を生むのだ。国内情勢を見るだけでも地球温暖化の嘘が知れよう。温暖で作物が豊富にとれれば人々は争わない。石油の確認埋蔵量も増えているからエネルギー確保が戦争要因となることも考えにくい。いずれにせよ2020年の東京オリンピックまでには明らかとなるに違いない。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論〈3〉

アンサイクロペディア:左翼
左翼有名人リスト
日本共産党が機関紙「赤旗」紙上で32年テーゼを発表

会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2014-04-03

被爆を抱えた日常/『夕凪の街 桜の国』こうの史代


 ・被爆を抱えた日常

『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
『チェ・ゲバラ伝』三好徹
『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎
小倉に投下予定だった原爆

 死体を平気でまたいで歩くようになっていた
 時々踏んづけて灼けた皮膚がむけて滑った

 地面が熱かった靴底が溶けてへばりついた

 わたしは
 腐ってないおばさんを冷静に選んで
 下駄を盗んで履く人間になっていた。

【『夕凪の街 桜の国』こうの史代〈ふみよ〉(双葉社、2004年)】

 昭和20年8月7日、広島。これは原爆が落とされた翌日の出来事である。その地獄絵図にどうしても私の想像が及ばない。私が知っている暴力は殴ったり蹴ったりするレベルのものだ。人間が人の形を維持したまま炭化したり、影しか残っていなかったりするのは一瞬の出来事である。そこに感情を喚起する余地はない。まったくない。化学反応のように始末あるいは処分されただけだ。それもボタンひとつで。

 マンガ作品としてはそれほど評価できない。物語が寸断されており、出来損ないのモザイク画みたいになってしまっている。ただし描こうとしたテーマは素晴らしいと思う。被爆を抱えた日常はそこはかとなく死とあきらめ、倦怠感に包まれている。

 広角で描かれた淡い景色が味わい深い。原爆ドームのカットを見るだけでも本書を読む価値がある。ラストにかけて絵は消え失せ、主人公の科白(せりふ)だけが続く。そこに強い憎悪は見られない。庶民の感覚からすれば「どうして?」という疑問は浮かんでも、この惨劇を遂行した人間の姿が浮かび上がってこないためだろう。人間の所業とは思い難い残酷を繰り返すのが人類の業(ごう)なのか。

 アメリカは原爆投下に関して一度も謝罪をしていない。そのアメリカに安全を保障してもらうというのだから日米安保ほど不思議なものもあるまい。原爆を落とされた唯一の国が戦後、アメリカの核の傘の下に入るというのも理解しにくい。傘から核が振ってくる可能性はないと言い切れるのか?

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
こうの 史代
双葉社
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2012-02-27

西原理恵子













 無頼というよりはハードボイルド。「しょうがない」という達観と断念の凄み。


毎日かあさん カニ母編 毎日かあさん2 お入学編 毎日かあさん3 背脂編 毎日かあさん4 出戻り編

毎日かあさん 5 黒潮家族編 毎日かあさん 6 うろうろドサ編 毎日かあさん7  ぐるぐるマニ車編 毎日かあさん8 いがいが反抗期編

週刊とりあたまニュース 最強コンビ結成!編


2011-07-20

ギャンブラーの哲学/『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編


『銀と金』福本伸行
『賭博黙示録カイジ』福本伸行
『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編

 ・ギャンブラーの哲学

『無境界の人』森巣博
『賭けるゆえに我あり』森巣博
『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六

 金を賭けるのがギャンブルなら、時間を賭けるのが人生といえるだろう。

諸君は永久に生きられるかのように生きている」とセネカが糾弾している。生と死の理(ことわり)を思索することもなく、肝心なことは全部先送りにしながら我々は年老いてゆく。

 今この瞬間も刻一刻と死が迫っているのに平然と構えているのはどうしたことか。なぜこれほど鈍感なのだろう。きっと大病になってから空(むな)しく過ごしてきた過去を悔い、迫り来る死に慄(おのの)きながら「ちょっと待って!」と心で叫んで死んでゆくのだろう。

 ギャンブルには死を感じさせる場面がある。素寒貧(すかんぴん)になればお陀仏だ。金が払えないとなれば袋叩きにされ、金額次第では海の藻屑か山の土にされてしまう。

 福本はギャンブルという舞台を通して人生の縮図を描く。

 ニュートンとかガリレオは
 たいくつなんてしないさ…
 あいつら引力なんていう
 目に見えないものまで見えて……
 この大地が高速でまわっていることにさえ
 気がついてしまう──(『天 天和通りの快男児』)

【『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2010年)以下同】

 知は退屈を退ける。生まれ立ての赤ん坊を見るがいい。彼らは退屈を知らない。清らかなタブラ・ラサには宇宙の神秘が映っているのだろう。

 金を掴(つか)んでないからだ……!
 金を掴んでないから毎日がリアルじゃねえんだよ
 頭にカスミがかかってんだ
 バスケットボールのゴールは適当な高さにあるから
 みんなシュートの練習をするんだぜ
 あれが100メートル先にあってみろ
 誰もボールを投げようともしねえ(『賭博黙示録カイジ』)

 生のリアリティは死に支えられている。つまり死を感じるところに生の味わいがあるのだ。飢えたる人の食べ物を欲するが如く、渇した人の水を求めるが如く、生を味わい尽くす人はいない。

 一か八(ばち)かの勝負はヒリヒリする。コーナーを高速で攻めるスピード狂のようなものだ。それが病みつきになると依存症に陥る。

 砂や石や水…
 通常気 俺たちが生命などないと思ってるものも
 永遠と言っていい 長い時間のサイクルの中で
 変化し続けていて
 それはイコール
 俺たちの計(はか)りを超(こ)えた…
 生命なんじゃないか…と……!
 死ぬことは……
 その命に戻ることだ…!(『天 天和通りの快男児』)

 生という現象があり、死という現象がある。花は咲き、そして散る。人は生まれ、そして死ぬ。きっと私の人生は波のような現象なのだろう。大いなる海から生まれ、寄せては返す変化を体現しているのだ。

 善悪や道徳は
 無能な人間の最後のよりどころ
 惑(まど)わされることはない(『銀と金』)

 善悪を言葉にすると安っぽくなる。嘘の臭いまで発する。善は論じるものではなく行うべきものだ。今時は偽善が多すぎる。

 闇こそ暴君(ぼうくん)…!
 人間は闇の狭間(はざま)で束(つか)の間(ま)…漂(ただよ)う…
 その笹舟(ささぶね)の乗員
 か弱い……!
 説明不能に生まれ……時が経てば死んでいく……!
 それだけ……!
 解答などないっ…!(『アカギ 闇に降り立った天才』)

 人は安心を求めて答えを探す。挙げ句の果てに他人の言葉にしがみつく。溺れる者が藁(わら)をもつかむようにして。浮き輪を探すよりも自分の力で泳げ。力尽きれば、それもまた人生だ。

 祈るようになったら人間も終わりって話だ……!(『賭博破戒録カイジ』)

 エゴイストの祈りは自分の都合に合わせて行われる。坐して祈るのは現実逃避の姿だ。ぎりぎりの努力を惜しまず、限界の向こう側を目指す者だけが奇蹟を起こせる。人類はいまだに平和の祈りすらかなえていない。

 この…意識が眠っているような感覚…
 体を薄い膜(まく)で何層(なんそう)となく覆(おお)われ…
 次第に無気力…
 何をやるにも大儀(たいぎ)で面倒(めんどう)…
 まるで…
 薄く死んでいくような
 この感覚
 こんな毎日よりましかもしれない……
 そう……
 まだ苦しみの方が……!(『天 天和通りの快男児』)

 これがギャンブラーの悟りだ。大衆消費社会を現実に動かしているのは広告会社である。政治・経済・メディアなどの情報は全て、広告効果というバイアス(歪み)が掛けられている。その刺激はサブリミナル領域(意識下)にまで働きかける。我々はベルの音を聞くとヨダレが出るようになっている。

 総じて1よりも出来は悪い。私くらいの年齢になると解説も余計に感じる。それでも福本が振るう鞭は心地よい。

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2011-06-26

男の背を鞭打つ詩情/『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編


『銀と金』福本伸行
『賭博黙示録カイジ』福本伸行

 ・男の背を鞭打つ詩情

『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
『無境界の人』森巣博
『賭けるゆえに我あり』森巣博
『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六

 福本伸行はギャンブル漫画の第一人者である。私が初めて買ったのは『無頼伝 涯』で、その後『銀と金』を読み、福本ワールドに絡め取られた。

 私はギャンブルとは縁がない。それでも心を揺さぶられるのは、ギャンブルという装置を通して福本が限界状況を描いているためだ。熾烈な攻防と過酷な勝負。ビジネスであれ、学問であれ、そうした局面に身を置くことは珍しくない。少なからず人生において「戦う」姿勢をもつ人であれば、福本が弾(はじ)く弦(いと)の響きに共振するはずだ。

 はっきりいって本の構成が悪い。せっかくの詩情が、解説のせいで台無しになってしまっている。それでも尚、福本の言葉は輝きを放って色褪せることがない。男の背が一直線になるまで鞭打つ。

 30になろうと40になろうと奴らは言い続ける…
 自分の人生の本番はまだ先なんだと…!
「本当のオレ」を使っていないから
 今はこの程度なのだと…
 そう飽きず 言い続け 結局は老い…死ぬっ…!
 その間際 いやでも気が付くだろう…
 今まで生きてきたすべてが
 丸ごと「本物」だったことを…!(『賭博黙示録 カイジ』)

【『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2009年)以下同】

 怠惰(たいだ)に甘んじ、怯懦(きょうだ)を恥じることなく、のうのうと人生を過ごしているうちに、弱さが実体となる。決断を先送りにすることが猶予(ゆうよ)であると錯覚し、「待った」をかける。優勝チームが決まった後の消化試合みたいな人生を送っている中年男性は山ほどいる。

 彼らは、いつか神様が降りてきて一発逆転を約束しているかのように漫然と構えている。僥倖(ぎょうこう)への淡い期待が、白馬に乗った王子様を待ち侘びる少女を思わせる。

 伸びきったバネは弾力を失う。力は発揮してこそ強まる。

 リスクを恐れ 動かないなんてのは
 年金と預金が頼りの老人のすることだぜ(『賭博黙示録 カイジ』)

 簡単にできそうで実際にはできないことがある。例えば転職や引っ越しなど。離婚も同様だ。こんなことが一大事件になること自体、瑣末な人生を歩んでいる証拠といえよう。

 保身は自らを腐らせる。

 あの男は死ぬまで
 純粋な怒りなんて持てない
 ゆえに本当の勝負も生涯できない
 奴は死ぬまで保留する…(『アカギ』)

 波をかぶる勇気を持たなければ泳ぐことは不可能だ。今時は溺れることよりも、濡れることを心配する若者が目立つ。決断を先延ばしにするな。間違ったら修正すればいいだけのことだ。歩き出せば、今までとは違った景色が見えるものだ。

 一生迷ってろ
 そして失い続けるんだ……
 貴重な機会(チャンス)を…!(『賭博黙示録 カイジ』)

 判断力を欠いた人は、判断を放棄することで、ますます判断に迷う性向が強まる。少子化のせいで、親が過干渉になっている側面もあるのだろう。依存心を棄(す)てなければ人生の主導権は握れない。チャンスは人との出会いに集約される。ボーっとした人間は大切な人を見失っている。

 教えたる
 正しさとは【つごう】や……
 ある者たちの都合にすぎへん…!
 正しさをふりかざす奴は…
 それは ただ
 おどれの都合を声高に主張しているだけや(『銀と金』)

 短刀のように肺腑(はいふ)を突く言葉だ。正義とは特定のポジションから放たれる「言いわけ」なのだろう。

 無念であることが
 そのまま“生の証”だ(『天 天和通りの快男児』)

 無念とは念を空(むな)しくすることである。欲望・願望から離れ、自我をも超越したところに悟りの境地が開ける。自由とは「自由に離れる」ことなのだ。生の証は死を自覚する中から生まれる。

 勝負へのこだわりを捨てれば、戦場は磁場と化す。それは宇宙の姿と一緒で格闘というよりは、むしろダンスというべきだろう。

 みんな… 幸福になりたいんだよね…
 だから… 危ないことはしたくないの
 自分にとって都合のいい条件を
 どんどん揃えていくの──
 そして限りなく安全地域(セーフエリア)に入っていって
 そこで今度は絶望的に煮詰まってゆくんだわ
 揃えた好条件に囲まれて…
 身動きもできない──
 なんて不自由なんだろう(『熱いぜ辺ちゃん』)

 政官業のサラリーマン化を見よ。エリートとは奴隷の中から選抜された奴隷監督者にすぎない。真のエリートは独立独歩の道を往く。国家や企業に寄生する輩をエリートと呼ぶべきではない。支配者は常に被支配者でもある。

 棺さ…!
 お前は「成功」という名の棺の中にいる…!
 動けない…
 もう満足に… お前は動けない
 死に体みたいな人生さ…!(『天 天和通りの快男児』)

 目に見えぬ重力や圧力が社会の至るところで働く。我々は知らず知らずのうちに「競争」というレールの上に乗せられている。情報という情報が消費を煽り、幸福像を示し、犬ように吠え立てながら迷える羊を誘導する。

 現代社会における自由とは「モノを買う自由」でしかない。社会的ステイタスは賃金の多寡で決まる。レールの上を走る電車は脱線することを許されない。それは身動きできない棺(ひつぎ)のようなものだろう。

 モノと金に隠れて現実が見えにくくなっている。福本作品は、人生の虚像を剥(は)ぎ取って読者に現実を突きつける。それは手垢(てあか)にまみれた教訓ではなく、剥(む)き出しにされた「痛み」なのだろう。