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2021-11-22

中国の核実験を礼賛した大江健三郎/『脱原発は中共の罠 現代版「トロイの木馬」』高田純


『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一

 ・中国の核実験を礼賛した大江健三郎

「トロイの木馬」はギリシャ神話のひとつであるが、現代では、敵国の工作員たちに籠絡(ろうらく)された著名人や政府内部政治家や役人、そして報道機関、芸能人たちが、巧妙に自国を破壊する罠(わな)を指して、「トロイの木馬」と呼ぶ。
 特に共産党独裁国家が放った工作員や、その国家や工作員と親密になった人物が創り出すトロイの木馬の破壊力は絶大である。狙われた国家の中で権力中枢や企業経営者、報道中枢、テレビ番組や映画制作中枢が、トロイの木馬になりうるから被害は甚大である。国家を内側から破壊させる威力がある。

【『脱原発は中共の罠 現代版「トロイの木馬」』高田純〈たかだ・じゅん〉(ハート出版、2021年)以下同】

 高田のことはツイッターで知った。フォローしていたのだが、しばらくして解除した。今となっては理由を覚えていない。が、理由があったから解除したのは確かである。

 とにかく「トロイの木馬」というキーワードがこれでもかというほど出てくる。やや合理性を欠いており、レッテル貼りに近い印象を受けた。文章もよくない。上記テキストだと、「罠を指して」とあるが、内通者を指す場合もある。また最後の文章は「破壊する」か「崩壊させる」が適当だろう。

 東日本大震災が発生した2011年以来、「反原発」や「脱原発」感情を煽(あお)る集団がいる。その先導者の一人はノーベル文学賞の大江健三郎氏で、象徴的な「木馬」だ。
 震災のあった平成23年6月に始まった「さようなら原発1000万人アクション」は9人の呼びかけ人=内橋克人氏、大江健三郎氏、落合恵子氏、鎌田慧氏、坂本龍一氏、澤地久枝氏、瀬戸内寂聴氏、辻井喬氏、鶴見俊輔氏を担いだ、脱原発運動である。(中略)
 彼(※大江)は昭和時代、1964年10月に始まった中共の核実験・核武装に対して、
「核実験成功のキノコ雲を見守る中国の若い研究者や労働者の喜びの表情が、いかにも美しく感動的であった」(『世界』67年9月号)
 と言った。その地は、中共に侵略された新疆(しんきょう)ウイグル地区である。
 中共の核武装はYESで、日本の核エネルギーの平和利用はNOとする大江氏の矛盾。(中略)
 彼らの目標は、「日本文明の発展と国防強化を阻止することにある」。すなわち、反国益、反日行動である。こうした「市民」運動を大々的、好意的に取り上げるマスコミは、異常だ。「市民の声」は「国民の声」なのか。

 大江健三郎にノーベル賞を授与したこと自体が一種の国内分断工作なのだろう。分割統治の進化形と考えてよい。

 左翼を教師にしたのはGHQの占領政策であったが、既に75年以上が経っている。今更米国の責任にはできないだろう。憲法改正もそうだが、いつまでもGHQの罪を主張したところで現実は何ひとつ変わらない。あるいは日本がアメリカの属国だとしても、それを許さない国民意識があれば国家の独立はあり得ると思う。

 規制緩和についても同じことが言える。規制に阻(はば)まれている人々が、その理不尽を世間に知らしめ、関係省庁および役人の氏名を挙げ、国民の不利益を広く説いてゆけば、一定の世論は形成される。ただし何らかのプラットフォームが必要ではあるが。

「脱原発は中共の罠」かも知れないが、原発事業に多くの嘘があったのもまた確かである。その責任を誰も取っていない。きちんと責任を明らかにした上で切腹させるのが当然だろう。私は東京裁判は裁判に名を借りたリンチであったと認識しているが、戦後に敗戦責任を問うことのなかった日本国民のあり方こそ大きな問題だと考える。

2021-09-01

皇室制度を潰す「女系天皇」/『愛国左派宣言』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 ・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
 ・陰謀説と陰謀論の違い
 ・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
 ・関東軍「陰謀論」こそウソ
 ・新型コロナウイルス陰謀説
 ・皇室制度を潰す「女系天皇」

『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省
『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

(2)女系天皇を認めようとする政治家は皇室制度を潰す「陰謀」を企んでいる

 ご存知のように日本の皇室制度は世界に冠たる制度です。18世紀にヨーロッパで王室を守ろうとした人々が「右」、潰そうとした人々を「左」と言い出したのが、政治的「右」「左」の最初だと第1章で説明しましたが、これを21世紀の皇室制度にスライドさせると、建前では共産党以外、全て「右」ですが、「女系天皇」なるものを造ろうとしている政治家の本当の思想は全員「左」です。何故なら、皇室制度は、ヨーロッパ王室制度と異なり延々と続く男系であり、それが途絶えた時は皇室制度の終わる時だからです。
「女系天皇」なるものを造ろうとする人達は「陰謀」を企んでいると考える根拠は、次のとおりです。

・世界一長い伝統のある日本の皇室制度を妬(ねた)む外国人は多い。とりわけウソの歴史教育によって国民に反日感情をもたせ、それを権力の正当化に利用している中国共産党や北朝鮮の金一族、韓国にとって、日本の皇室制度はいち早く潰したい制度である。
・しかし、間接デモクラシーを採用する日本において、親中派や、親北朝鮮派、親韓国派が「皇室制度を潰す」と主張して国会議員に当選するのは共産党を除きほとんど不可能である。社会主義が妄想だとバレる以前には、立憲民主党の辻元清美議員は憲法を改正して皇室制度を潰せと大声で主張していたが、今ではその姿勢を隠している。
・皇室を潰す「陰謀」は、憲法改正よりも「女系天皇」なるものを創る手法の方が、成功しやすい。
・「女系天皇」に良いイメージを抱かせるために、まだお若くて今のところ彼氏がいない愛子内親王の人格を利用し「女系天皇」の現実に目を向けないように国民を騙している。
・「女系天皇」なるものができた時、最もそれに近いのは婚姻問題が生じている真子内親王と小室圭氏の子が天皇になることだ。お二人に子供ができて、天皇が「今上天皇陛下」⇒「秋篠宮」⇒「(女性天皇としての)真子内親王」⇒「(女系天皇なる)小室圭氏の子」と続く可能性が一番高い。
・小室圭氏の子供が天皇になりかねないのが「女系天皇」制度だと、多くの国民が気付けば、それだけで目が覚めて「陰謀」を見抜くが、これを推進する人達は「ヨーロッパの王室が見本だ」と言って国民を騙している。
・ヨーロッパを見本とする「女系天皇」なるものが実現すると、「小室圭氏の子」の比ではない「国民が嫌がりそうな人物」が「天皇」になれる。具体的には、内親王を口説くことに成功した中国人や韓国人、北朝鮮人、在日コリアンなど、外国人の子供である。ヨーロッパの王室では、父の国籍は問題にならず、英語を話せない人が英国王になった歴史まである。それゆえ「女系天皇」に成功すれば、皇室廃止は容易に実現できるだろう。
・男系が続いているので日本の皇室制度は、外国人から見ると「同じ王朝が続いている」と見えるが、「女系天皇」なるものが誕生すると、外国人、特に欧米人からは「王朝が変わった」と映る(戦争もしないのにヨーロッパで王朝が代わるのは女系に移る時です)。
・それゆえ、「女系天皇」に成功したら、皇室制度を廃止できなくても「世界一長い伝統のある王朝の国=日本」という外国人からの羨ましさは消える。
・日本に「女系天皇」なるモノが誕生したら、メンタル面で「巨万の富」を獲得できる国や人は世界中に存在する。

 いかがでしょう。「女系天皇」なるモノは、中国共産党、北朝鮮、韓国はもちろん、世界一長い伝統のある王朝という地位を狙っているヨーロッパ諸国の「陰謀」であり、それを推進する者達のバックにそれらの国がいる可能性も高いと思いませんか。
 新型コロナの「陰謀」が成功した2020年に、それまで愛国者ぶっていた河野太郎氏が急に「女系天皇」の話をしだしたのも、有力な状況証拠だと考えます。

【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】

 万世一系を苦々しく思っている連中は予想以上に多い。女性週刊誌の皇室スキャンダルネタはCIAが流しているという噂があるほどだ。

 先程、真子内親王の年内結婚が報じられた。皇統は日本の魂であり、アイデンティティの根幹を成すものだ。歴史的経緯からいえば天皇が先にあり、日本国の成立は後のことである。民族は血と文化から成る。例外は宗教で結びつくユダヤ人だけだ。もちろん意図的に差異を強調する必要はない。もともと我々の先祖は猿なのだから、それを思えば遺伝子の違いなどあってないようなものだ。

 問題は反日を標榜しない反日勢力が多いことで、中・韓・朝の浸透工作は政官報に及び、学術・法曹・教育は完全に牛耳られた感がある。

 現在の日本において左翼と目されるのは親中・親韓・新北朝鮮派である。その意味において与党である公明党は完全な左翼といってよい。また自民党に巣食う仮面保守を一掃する必要がある。小沢一郎を始めとする旧田中派は小泉政権で自民党を追われたが、中韓の利権を貪る自民党代議士は健在だ。

 天皇陛下の存在が世界の重石(おもし)となっている事実を日本人は知らねばならない。ローマ教皇とイギリス王室が頭を下げるのは天皇陛下だけだろう。皇統が正しく維持される限り、日本は不滅だ。

2021-08-31

新型コロナウイルス陰謀説/『愛国左派宣言』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 ・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
 ・陰謀説と陰謀論の違い
 ・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
 ・関東軍「陰謀論」こそウソ
 ・新型コロナウイルス陰謀説
 ・皇室制度を潰す「女系天皇」

『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

正しい可能性の高い「陰謀説」

 戦前の日本軍だけが「陰謀」をした、と信じる人はその見識に問題がある方達です。では、何故、満州事変は関東軍の陰謀だったという「ウソ」がまかり通っているのでしょう。それは、第二次世界大戦の戦勝国にも、戦後に誕生した独裁国家を牛耳る中国共産党にも、日本の左翼にも都合が良いからです。そして昭和時代の日本人はそんなウソを信じるほど「お人よし」だったからです。
 その「お人よし」達が、今度は「陰謀論」という名で、世の名の「陰謀」を全て隠そうとする人達の発言を信じようとしている。私は、これは「あってはならない」事態だと考えます。世の中で大きな事件が起き、大多数の人々が悲惨な目にあった時には、必ず、それによって「巨大な富」を獲得した者はいないか?を考えて欲しいのです。
 事実不明の「陰謀」を真実として学校教育に取り入れて良いのであれば、児童・生徒に教えて欲しいことは山のようにあります。そのいくつかの「陰謀」を挙げてみましょう。

(1)新型コロナの流行は中国共産党による「陰謀」だった

 まずは2020年から流行りだした新型コロナです。これは陰謀です。その証拠は沢山あります。

・風邪やインフルエンザなどの病気は症状が出て初めて検査しますが、新型コロナは症状のない人にもPCR検査を実施している。
・PCR法を開発した功績で1993年にノーベル化学賞を受賞したアメリカの生化学者キャリー・マリス氏は、新型コロナ騒動が起きる直前の2019年8月7日に死亡した。
・PCR検査は新型コロナのRNAを何倍にも増やしてウイルスの有無を見る検査だ。2の何乗というかたちでRNAが増えていくので増やし過ぎると感染していない人も陽性になる。
・それゆえ増幅回数は、当初、37回未満と決まっていたが、それを守っているのは台湾の36回だけで、各国は37回以上増幅させている。ちなみに50回増幅させると36回増幅の1万6384倍もRNAが増えるので、大勢の「陰性」の人が「陽性」扱いされ、その上で「患者」扱いまでされているのが今の日本だ。
・一度感染すると、当分の間、ウイルスの死骸(感染力をなくしたウイルス)のカスが感染した人の体に残るため、日本で行っている増幅回数過剰のPCR検査だと長い間「陽性」になるため、多くの場合1カ月以上「病人」のままとなった(この点は、今は改善され、早く退院できるようになった)。
・緊急事態宣言を推進した尾身茂氏は「症状のない人も人に感染させる」と主張していたが、彼の主張には元々科学的根拠がなかったうえに、最近、それに反する科学データが出てきている。
・PCR検査の原価は3500円くらいだが、日本では1万5000円の検査費用を取れると決まったので当初は公的機関が検査していたが、今では民間企業が参入して大儲けしている。
・ここまでの事実を丁寧に説明したアメリカ「ウィスコンシン医科大」名誉教授の高橋徳氏の映像が最初、You Tubeで流れていたが削除された。
・2020年のGDPは新型コロナによってほとんどの国でマイナス成長だったが、世界にコロナをバラまいた中華人民共和国だけはプラス成長だった。
・日本で真っ先に、自治体レベルの「非常事態宣言」を発したのは、夕張市長時代に中国企業に公共施設を安売りした親中派の鈴木北海道知事だった。
・それを見て首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)知事をまとめて、安倍政権に「国として非常事態宣言を出す」よに要望したのは、これまた親中派の小池都知事だった。
・小池知事は神奈川県黒岩知事から依頼があったというウソをついてまで、首都圏の非常事態宣言を延長させ日本経済の足を引っ張った。
・新型コロナで陽性になった人が亡くなった場合は全員が「新型コロナによる死亡」とカウントされるが、インフルエンザの場合はインフルエンザだけが原因でなくなった場合のみ「インフルエンザによる死亡」とされ、持病が悪化して死んだ場合は死因にカウントしない。
・インフルエンザを新型コロナと同じカウント方法にすると年間1万人の死因が「インフルエンザ」になると推定される。
・新型コロナは味が分からなくなるといった後遺症が大げさに宣伝されているが、インフルエンザの後遺症には脳炎があり、それにより認知症になった子供が毎年発生している。
・インフルエンザで死亡する人はあらゆる年齢層にいるが、新型コロナで死ぬ人はほとんどが高齢者で死亡者の平均年齢は日本人の寿命と数歳しか変わらない。
・中華人民共和国を支配する中国共産党、PCR検査実施企業、ワクチンを開発した欧米企業など、新型コロナが必要以上に騒がれたことで「巨大な富」を獲得した人達が存在する。

 いかがでしょう。これでも「新型コロナの流行」や「新型コロナで大騒ぎ」は「陰謀」というのを全否定するのでしょうか。少なくとも、満州事変が関東軍の陰謀だった可能性よりは、こちらの可能性の方が高いとするのが妥当ではないでしょうか。

【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】

 You Tubeで削除されまくっている高橋徳医師の動画を見つけた。


 マスメディアが公正な情報を流さず、GAFAMが一方的な規制(ワクチンに対する警鐘は削除対象となる)を強いるところを見ると、明らかに民主政を阻む動きと考えてよい。「お前たちはものを考える必要はない」と言われたも同然だ。新型コロナウイルスの危険を煽り、ワクチン接種へ誘導する情報操作が行われている。その有り様は「必死だな」の一言に尽きる。海外では職種によっては接種を義務づけるようにまでなってしまった。

 日本医師会は当初「マスクは有効ではない」としていたが、いつの間にかマスクを奨励するようになった。外出規制は人々の自由を損なう最たるもので、これに唯々諾々と従うのは世界広しといえども日本くらいだろう。私は「21世紀の空襲警報」だと思う。緩やかな防空壕生活を強いられているわけだから。

 国家は国民に命令を下す時、最も生き生きと振る舞う。そして国家は強権を発揮する中で必ず判断を誤る。

 9.11テロはパックス・アメリカーナの終焉を告げた。新型コロナウイルスは中国の台頭を許す可能性がある。親中派の政治家がこれほどのさばっているのがその証拠である。「衆院選は10月17日投開票で調整」と報じられたが、自民党内の混迷ぶりを見ていると、またしても小池百合子が旋風を巻き起こすのではないか。

関東軍「陰謀論」こそウソ/『愛国左派宣言』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 ・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
 ・陰謀説と陰謀論の違い
 ・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
 ・関東軍「陰謀論」こそウソ
 ・新型コロナウイルス陰謀説
 ・皇室制度を潰す「女系天皇」

『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 では、「柳条湖事件」が関東軍の陰謀だったという「陰謀論」の方は、なぜ、学校教育に定着したのでしょう。当時の国際連盟がそのように判断した訳ではありません。むしろ国際連盟から派遣されたリットン調査団は、当時の満州の発展は中華民国ではなく日本の努力によるものだと認め、柳条湖事件が起きた夜の日本側の軍事行動は正当防衛とまでは認め得なかったけれども、将校達が自衛のために考え行動した(つまり誤想防衛をした)のは仕方がないとしたのです。その上で、日本の主張を一部認め、日本軍に今後の満州における匪賊(ひぞく)の討伐権を認めました。
 日本は第二次世界大戦に負けたのですから「関東軍が全面的に正しかった」と教えることは難しいでしょう。でも、せめて国際連盟から派遣されたリットン調査団の調査内容が正しい、つまり「柳条湖事件の真相は不明だが、当時の関東軍は正当防衛と考えて軍事行動を起こした」と教えるのが、正しい歴史教育のはずです。
 ところが、学校で「関東軍の陰謀により満州事変は起こった」と教え、大学でもマスコミでもあらゆるところで、それを前提にして議論しているのです。その根拠は、たった一人、花谷正(はなやただし)が戦後に語った、いかがわしい発言だけです。
 花谷が言うには、昭和6(1931)年に関東軍高級参謀(大佐)板垣征四郎と関東軍作戦参謀(中佐)石原莞爾(いしは〈ママ〉らかんじ)と、少佐だった花谷が中心となって、この陰謀を実行したそうです。全く信用できません。何故なら、板垣征四郎と石原莞爾は極めて有能で、現役時代から「陸軍の巨星」とまで呼ばれた二人でした。これに対して花谷正は、多くの作戦に失敗し部下の命を失わせたことで、また人格面においても問題の多い人物でした。彼が死んだ時には、盛大な葬儀が営まれましたが、部下は誰一人会葬(かいそう)しませんでした。
 そんな男が、両雄である板垣征四郎(昭和23(1948)年12月23日、死刑執行)も石原莞爾(昭和24(1949)年8月15日に病死)も亡くなった後の昭和30(1955)年に『満州事変はこうして計画された』(「別冊知性」昭和30年12月号 河出書房)において秦郁彦氏の取材に答える形で、「あの2人と自分が中心になって、柳条湖事件を起こしました」と発言しただけなのです。彼は、さらに関東軍司令官本庄繁中将(昭和20(1945)年11月19日GHQから戦犯に指名され翌日自決)、朝鮮軍司令官林銑十郎中将(昭和18(1943)年2月4日病死)、参謀本部第1部長建川美次(たてかわよしつぐ)少将(昭和20(1945)年9月9日死去)が、この謀略に賛同していたと言いふらしているようですが、この方々も全員が1955年までには亡くなっていました。
 花谷が「謀略に賛同した」幹部の1人と指名した中で1955年段階で唯一生き残っていたのは橋本欣五郎(当時、参謀本部ロシア班長で中佐)でした。彼は、昭和31(1956)年の第4回参議院議員通常選挙全国区に無所属で立候補し落選しているのですから、彼が「花谷の言うとおり」と発言していない限り、花谷の発言は、自分を大物に見せたいだけの「ウソ」と判断すべきでしょう。もちろん、橋本から「花谷の発言は正しい」といった発言はありません。
 常識で考えれば、花谷の証言こそが「ウソ」なのですが、昭和時代は戦前の日本を悪者にして自分だけが「いい人」ぶる行為が流行っていました。保守言論では「従軍慰安婦」なるものを創った吉田清治が有名ですが、花谷の発言こそ最大のウソではないでしょうか。

【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】

 驚愕の事実である。腰を抜かす人がいてもおかしくないほどだ。あまりにも驚いてしまったので少し調べた。どうやら工藤美代子著『絢爛たる醜聞 岸信介伝』(『絢爛たる悪運 岸信介伝』改題文庫化)に書かれている内容のようだ。同書には「(※板垣、石原の)両者ともその事実を否定したまま故人となった」との記述がある。

 著者が言いたいことは、教科書で教える歴史は事実に基づくべきであり、日本の戦争だけを詳細に取り上げて、わざわざ舞台裏まで記述し、意図的に自国を貶めることに何の意味があるのか? ということだ。「昨今の陰謀論を嘲笑う風潮」に対する批判という文脈の中で書かれているテキストであることを失念してはなるまい。

 つくづく人の脳が物語に支配されやすい事実を思い知らされた。明らかな因果関係を示されると脳は「疑う」ことを忘れる。おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこどんぶらこと桃が流れてくることになっている。いじめられている亀は助けなければならないし、わらしべは取り敢えず大事にしておく。神話、昔話、宗教はその物語性によって社会を維持する装置である。

 自虐史観という言葉は既に手垢まみれとなっているが、日本を貶める左翼の行状(ぎょうじょう)を詳(つまび)らかにして、その罪状を一々論(あげつら)うことなくして、正常な歴史を知ることはないだろう。

2021-08-30

満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育/『愛国左派宣言』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 ・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
 ・陰謀説と陰謀論の違い
 ・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
 ・関東軍「陰謀論」こそウソ
 ・新型コロナウイルス陰謀説
 ・皇室制度を潰す「女系天皇」

『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 多くの日本人は、歴史教育において「満州事変は、昭和6(1931)年9月18日に関東軍(日本陸軍の一つ)が、満州の奉天(現在の中国東北部瀋陽市)近郊の柳条湖付近で、南満州鉄道の線路を爆破して、それを中国軍による犯行と発表して軍事展開の口実にした」と習い、これを信じています。
 それが事実ならば、「柳条湖事件」と呼ばれるこの事件はどう考えても関東軍の「陰謀」です。そう、私達は戦前の日本軍が「陰謀」によって日中の軍事衝突を起こしたと学校で習っているのです。
 この怪しげな歴史教育を受け入れている癖(くせ)に、「真実が解明されていない事項を、関東軍の『陰謀』だったと教えるな」と反対しない癖に、世界中から陰謀がないと主張する人間、「これは○○の陰謀ではないか」と言う人に「それは陰謀論だ」と全否定する人。それが最近増えだした大バカ者達なのです。
 鶴見俊輔という左翼言論人は、「柳条湖事件は関東軍の陰謀だった」という怪しい主張に加えて、ここをスタートとして第二次世界大戦に「15年戦争」という名前まで付けました。これを信じると第二次世界大戦そのものが関東軍の陰謀により始まったことになります。共産党系歴史学者達は、喜んでこれに賛同し、一時期、共産党系教員が中心となり学校教育に取り入れようという動きがありました。
 実際には「柳条湖事件」がきっかけで始まった満州事変の紛争は、長く続いた訳ではありませんし、「柳条湖事件」が起きた原因やその後どうするかについて国際連盟は、リットン調査団を送っています。つまり、次の日中戦争開始までの一時的な平和があったのです。「柳条湖事件」以降、日本と中華民国は延々と戦争をしていた訳ではありません。さすがに「15年戦争」という妄想は、共産党系の大学教授達にしか受け入れられませんでした。国民を騙そうとするにしてはウソのレベルが低すぎたのでしょう。

【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】

日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状  「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一

 陰謀論を批判するために、やや牽強付会な言い草となっている。

 昭和3年(1928年)には張作霖爆殺事件が起こっている。田中義一首相のあやふやな態度が昭和天皇の怒りを買い、翌年7月に内閣総辞職となった。驚くべきことに2000年代に入り、「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」がロシアから登場した。

 張作霖爆殺事件では関東軍が犯人は蔣介石軍の便衣隊とした。柳条湖事件の犯人は中国軍と発表した。関東軍による完全な陰謀である。ただし当時の評価はまた違ったのである。

元社青同という噂がある池上彰


『ジャーナリズムの現場から』大鹿靖明

 ・元社青同という噂がある池上彰





陰謀説と陰謀論の違い/『愛国左派宣言』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 ・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
 ・陰謀説と陰謀論の違い
 ・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
 ・関東軍「陰謀論」こそウソ
 ・新型コロナウイルス陰謀説
 ・皇室制度を潰す「女系天皇」

『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 世の中は、昔も今も陰謀だらけです。もちろん強者の陰謀は、真実が不明なまま時間が経ち、いつの間にか「歴史」は強者の都合の良いように書き換えられます。否、間違えました。強者の陰謀が成功するのではなく、陰謀を成功させた者経ちこそが強者なのです。
 残念あがら大多数の人には、陰謀を暴く力はありません。私もその1人です。だからこそ、せめて「世の中は陰謀で溢れている」ということくらいは意識し、メディアが伝えるウソに騙されない人間でい続ける必要があるのです。でなければ、間接デモクラシーの社会は腐るばかりです。「陰謀」には必ず巨大な富みを獲得する人が存在します。だからこそ、彼らは、真実の姿を知られたくないのです。
 ところが、最近、様々な勢力の陰謀を誰かが主張するだけで「それは陰謀論だよ」と全否定する大バカ者が、地上波テレビを筆頭に様々なメディアに登場しました。
 断言しますが、陰謀を全否定する人は、知性か良心かあるいはその両方がない人です。
 私達日本人は歴史教育において、証明もされいない事件を日本人による「陰謀」だったと習っています。一般に「陰謀」の可能性を認める人は、証明できていないがある事件の発生は陰謀によるものとする主張を「陰謀説」と呼びます。これに対して頭から「陰謀」を否定する人は「陰謀論」という言葉を使うことが多いようです。
「陰謀論」という言葉を使って陰謀を全否定する人に知性も良心もない証拠は、彼らが現在学校で行われている歴史教育を全否定しないからです。自分達の行為の矛盾にさえ気づいていない=知性がないか、気づいても言わない=良心がないのです。

【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】

 長文のテキストを何度かに分けて紹介する。私も前々から「陰謀論」なる言葉に違和感を覚えていた。ま、ロバート・ラドラムデイヴィッド・マレルなど国際謀略モノを読んできた者としては尚更だ。

 キリスト教世界にはバイブルという脚本がある。西洋世界で映画やミュージカルなどが花開いたのも聖書文化によるものだろう。神の命令は代理者によって告げられる。例えば魔女狩りにおいて。あるいは黒人を奴隷にし、インディアンを虐殺したのもヴァチカンがそれを認めたためだ。ヨーロッパからアメリカに渡った人々が西を目指した(ゴー・ウエスト)のもマニフェスト・デスティニー(明白な使命)があったからだ。ったく、いい迷惑だ。

 帝国主義による植民地政策こそは陰謀の最たるものだろう。トルデシリャス条約で世界を二分したスペインとポルトガルは、その後イギリスとフランスに取って代わられる。アフリカ諸国の多くが英語やフランス語を採用しているのも、中東が定規で線を引いたように分割されたもの全部あいつらのせいだ。

 大体、陰謀が存在しないのであればスパイなど不要になっているはずだろう。情報化社会における陰謀は巨大すぎて全貌が見渡せない。昨今はGAFAMに注意する必要がある。

2021-08-24

社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人/『愛国左派宣言』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 ・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人
 ・陰謀説と陰謀論の違い
 ・満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育
 ・関東軍「陰謀論」こそウソ
 ・新型コロナウイルス陰謀説
 ・皇室制度を潰す「女系天皇」

『知ってはいけない 金持ち悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 米ソが対立すると「社会主義」は各国民の「妄想」を超えて、ソ連を親分とする集団の「陰謀」へと進化します。ソ連及びその手下となった東ヨーロッパ諸国、中華人民共和国、北朝鮮などが、先進国を陥れる「陰謀」の一貫として「社会主義体制の下で人々は幸せに暮らしている」というウソを流し始めたのです。でも、社会主義国が言うだけではウソは先進国の国民に届きません。そこで、先進国に住む政治家、マスコミ関係者、大学教授達が、社会主義国の宣伝員として、そのウソをバラまく役目を担当したのでした。
 ちなみに、日本の大学の少なくない文系学部は、令和時代の今でも、学生時代に民青(日本民主青年同盟)という事実上の共産党の下部組織に入っていたお陰で、学術的能力が劣るのに大学教授になれた人が大勢います。そのせいか少なくない大学の文系学部生の教員は、社会主義諸国の宣伝を信じていました。
 では、何故、昭和時代に日本人は、社会主義宣伝員のウソを信じたのでしょう。今と違って政治家、マスコミ関係者、大学教授などには多少の権威があったのが一要因でした。また、令和時代と違って戦争直後は、敗戦国日本の暮らしが厳しかったからという側面もありました。

【『愛国左派宣言』森口朗〈もりぐち・あきら〉(青林堂、2021年)】

 読書中。記憶力が読書量に追いつかないため、どんどん書いてゆく。「国立大学の反自衛隊イデオロギー/『正論』2021年6月号」関連テキストである。谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉の国賊三部作を読めば理解が深まる。グローバリズムに関しては馬渕睦夫著『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』を参照せよ。

 最も有名で悪影響が大きかったのは本多勝一〈ほんだ・かついち〉で中国当局の情報を鵜呑みにして書いた『中国の旅』(朝日新聞社出版局、1972年)は日本社会に深刻なダメージを与えた。私の世代でも洗礼を受けた人は多い。1980~1990年代はまだまだ左翼全盛と言ってよい時代であった。日本近代史を見直す端緒を開いたのは新しい歴史教科書をつくる会であり、ネトウヨと蔑まされた人々であった。私は実際のネトウヨを目撃したことはないのだが、今となっては罪(ざい)よりも功(こう)が大きいと信ずる。

 現在にあっても「ネトウヨ」と書くのは左翼であると断定してよい。そこには歴史修正主義、反国際条約といった意味合いが含まれている。彼らはすなわち東京裁判史観絶対主義で「日本=悪」と断ずることで、日本の文化や歴史を黒く塗り潰して、赤く塗り替えようとする手合いだ。

 1970年代に学生運動が行き詰まると左翼は各界に浸透工作を図った。これを侮ってはいけない。官公庁から大企業および学校から宗教団体に至るまで浸透は進んだものと考えるべきだろう。使命や任務に生き甲斐を感じる人は多い。まして共産主義という崇高な理想があれば、孤独な任務にも耐えられる。そして忍耐が大きいほど手に入る果実もまた大きくなると錯覚するのが大脳の癖なのだ。

 高い知能の特徴は何か? それは「他人を騙(だま)すこと」である。残念ながら「思いやりが本能である」事実はフランス・ドゥ・ヴァールが指摘している(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』)。騙すためには相手の信念を理解する必要がある。他人の頭の中(価値観)を理解した上で巧みな嘘を上書きするのが「騙す」という行為である。

 宗教や健康食品を見れば一目瞭然だ。マスメディアも同様で、むしろ大衆は騙されたがっているようにすら見える。我々が手品や大どんでん返しのストーリーに魅了されるのは「騙されるのが好きだから」としか言いようがない。

 左翼に騙されるのか、左翼の嘘を見抜くのかが問われる時代となった。ただし愛国心を重んじる保守派が「左翼を騙す」戦略をとることはないだろう。自国を愛する心は他国を尊重せざるを得ないからだ。グローバリズムを掲げるGAFAMが21世紀の左翼支配層である。ヨーロッパで殺され続けてきたユダヤ人の反撃と考えてもよかろう。

2021-07-27

マルクス思想の圧倒的魅力/『左翼老人』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗

 ・左翼とは何か
 ・「リベラル」と「左翼」の見分け方
 ・マルクス思想の圧倒的魅力

・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 日本は欧米に並ぶ先進国のはずです。それなのに何故、アメリカのリベラルやヨーロッパの社会民主主義のような健全な左派が存在しなのでしょうか。それは、戦前からインテリの間に共産主義ブームがあり、1933年から1945年の間だけ弾圧されましたが、戦後すぐに息を吹き返したために、ほとんどの人が共産主義者の枠組みで思考するという悪弊から抜け出せていないからだと考えます。
 そして、恐ろしいことに、その思考スタイルは中等教育(中学・高校)や高等教育(大学以降)を通じて、今でもほとんどの人の意識下に浸透しています。その代表例が「資本主義VS共産主義」という思考スタイルです。
 高校の政治経済だけでなく、大学の教育でさえも資本主義と共産主義が対立的なものと教えます。しかし、資本主義と共産主義は決して対立的なものではありません。なぜなら、資本主義は人類の歴史の中で徐々に形成された現在の経済の仕組みであるのに対して、共産主義はマルクスの思想とそれを信じた人々が創った人工国家の理念の中にしか存在しない、つまりこの世に一度も存在したことのない妄想だからです。
 アダム・スミスは近代経済学の祖と言われますが、資本主義はアダム・スミスが考えたものでも提唱したものでもありません。これに対しマルクス経済学はマルクスが提唱した考え方やその発展を学ぶ学問です。近代経済学は先に「経済という現実」があるのに対し、マルクス経済学は先に「理念」があり、この二つはまったく異なる学問です。事実、この二つを対立的に考えるのは、先進国の中では日本だけです。他の先進国においてマルクス経済学など、ほとんど相手にされない「経済学を自称する一派」にすぎません。
 これは、残念ながら欧米先進国と異なり近代日本にとって、資本主義も自然発生的なものではなく、外来の人工的な香りのするものだったかもしれません。渋沢栄一をはじめとする天才的な実業家が、ほとんど一代で欧米資本主義国家に近い仕組みを創り上げることができたのだから、共産主義者が政権を取れば数十年で「労働者の楽園」を創れると夢想しても無理はありません。
 もう一度書きますが、資本主義と共産主義が対立するという思考スタイルは、資本主義社会の次に共産主義社会が到来すると信じる共産主義者だけです。確かに冷戦時代は資本主義国家群と社会主義国家群は対立しましたが、これは軍事外交上の対立にすぎません。
 日本以外の先進国の住人にとって資本主義は所与であり、それゆえに改良し続けるべきものです。それは右派自由主義者も左派平等主義者も同じです。ところが、日本はインテリ層のほとんどが(資本主義の側に立つ人まで)共産主義的思考スタイルの中でモノを考えるので、今の社会を所与として改良を重ねるというこ健全な思考が苦手です。

【『左翼老人』森口朗〈もりぐち・あきら〉(扶桑社新書、2019年)以下同】

 なるほど。進歩史観だと資本主義が共産主義の前提となるわけだ。Wikipediaにも「ただし、現実には合ってなく、社会主義・共産主義国で経済学とは社会を分析する道具でなく、理念を擁護するプロパガンダのため、マルクス経済学を学んでも経済をまともに理解するのは難しい」とある。高橋洋一は「学生時代にマルクスの『資本論』を読んで、こいつは馬鹿だなと思った」と語った。需給関係を無視した労働価値説を嘲笑ったものだ。

 ところが、高校の政治経済では「資本主義国家は市場の失敗から社会主義に近づき、社会主義国家も市場原理を導入して資本主義に近づいた」と教えているのです。「市場の失敗」という概念は存在しますし、20世紀の資本主義国家が福祉国家の理念の下に社会保障を充実させたのは事実ですが、それは資本主義国家が社会主義国家に近づいたのではありません。資本主義国家がより成熟したのです。これを「社会主義国家に近づいた」と称するためには、社会主義国家が資本主義国家以上に社会保障が充実していなければならないはずです。
 しかし、日本よりも医療保険制度が充実している社会主義国家など、どこにも存在しません。だからこそ、中国人がこの制度を悪用して日本の優れた医療を受けに来るのです。日本の年金制度は世界のトップレベルではありませんが、それでも老人が発展途上国で悠々自適の暮らしをするくらいはできます。旧ソ連や東ヨーロッパで悠々自適な老後を過ごせる人など共産党幹部くらいしかいなかったはずです。
 資本主義国家は社会主義、少なくとも共産主義者のいうところの社会主義(共産主義の前段階)などに近づいてはいません。ところが、リベラルや社会民主主義という穏健な左派が根付かず、「資本主義VS共産主義」という思考スタイルの者には、その現実が見えないのです。

 文科省の汚染は酷い。安倍晋三の肝煎りで萩生田光一〈はぎうだ・こういち〉が大臣に起用されたが、徹底的な文科省改革を断行してほしい。

 戦後、教科書を墨で塗ったことが想像以上に教育を軽んじる結果になったような気がする。昭和一桁生まれの少国民世代が反日に傾いたのもむべなるかな。そして戦後生まれが学生運動に没頭するのである。敗戦の影響は若い世代の心の傷となって長く国家を蝕む。

 なぜ、マルクスは戦前戦後を通じてインテリを魅了したのでしょう。私は、彼らが「神に挑戦したからだ」という仮説を持っています。マルクス思想が宗教だからと言い換えてもよいでしょう。言い古された表現ではありますが、それゆえ一面の真実を表しています。(中略)
 ちなみに、アメリカ国内の政治的左派を「リベラル」と呼ぶようになるきっかけについて、キリスト教的価値からの自由を指したことが始まりであるとする説が有力です。確かにアメリカの共和党と民主党が激しく対立する価値観の一つに「堕胎(だたい)の自由」(民主党が認め、共和党が認めない)があることを考えれば、この説には説得力を感じます。本当に日本にリベラリストが育つためには、その人たちこそがマルクス教からの自由を主張しなければ無理でしょう。

 これは卓見だ。ニーチェが「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ」(『喜ばしき知恵』『悦ばしき知識』)と書いたのが1882年だが、マルクスはニーチェに先んじていた。「哲学が批判すべきは宗教ではなく、人々が宗教という阿片に頼らざるを得ない人間疎外の状況を作っている国家、市民社会、そしてそれを是認するヘーゲル哲学である」(『ヘーゲル法哲学批判序説』1844年)。

「1782年にスイスで行われた裁判と処刑が、ヨーロッパにおける最後の魔女裁判であるとされる」(Wikipedia)。マルクスが生まれたのは1818年である。ちょうど明治維新の半世紀前だ。魔女狩りの血腥(なまぐさ)い臭いはまだヨーロッパに立ち込めていたことだろう。宗教を阿片と切り捨てるには、まだまだ勇気を必要とした時代だ。その思い切った姿勢はマルティン・ルター以来のロックスターとして持ち上げる価値は十分にあったことだろう。

 森口は日本のリベラルを信用してはならないと警鐘を鳴らす。

「左翼」思想を「リベラル」と詐称するくらいの嘘つきですから、左翼集団の話の内容は基本的に嘘ばかりです。2018年に彼らが積極的に話題にしたLGBTなどはその代表でしょう。

 社会主義国では同性愛者がこれでもかと抑圧されてきた。結局、キリスト教の呪縛から脱却し得ていないことがわかる。

 まともな右派政党や左派政党が登場しないのは、それを求める民意がなかった証拠であろう。だが今、中国の軍事的脅威が高まるにつれて日本の輿論(よろん)も少しずつ変化している。親中派に対する批判は民意の成熟ぶりを示している。

 風頼みの国政選挙ではなく、地域に根を張った地方議会からコツコツと実績を上げ、卓越した政治理念を示すことが望ましいように感じる。

「リベラル」と「左翼」の見分け方/『左翼老人』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗

 ・左翼とは何か
 ・「リベラル」と「左翼」の見分け方
 ・マルクス思想の圧倒的魅力

・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 日本の左翼は80年代初頭まで、これらの国(旧ソ連、東ヨーロッパ諸国、中国、北朝鮮)の後に続くことを模索してきましたが、とても不可能だと悟り、さらに「左翼」思想をむき出しにしていては自分たちの生活が成り立たないと考え、「リベラル」や「社会民主主義」に擬態したのです。そこで、先の井上氏のリベラリズムの基本的な考え方(※井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは、嫌いにならないでください』)やアメリカにおける政治的リベラルの歴史を踏まえて、本当の「リベラル」とそれに擬態した「左翼」の見分け方を示しておきます。

・リベラルは常に言論の自由を重んじるが、左翼は自分たちが優勢な場合には言論弾圧を躊躇しない。
 社会主義独裁国家に権力分立が存在しないのは「正義」は一つしかなく、共産党は常に正義だからです。それゆえ、彼らに多様な言論を重んじる精神はありません。ただし、リベラルに擬態した左翼は自分たちが少数派の時には、「多様な言論」や「言論の自由」の重要性を訴えます。これに対して本物のリベラルは反転可能性(自分が相手の立場になることを許容できるか)という基本原則から、自分が言論弾圧される状況を想定するので、常に言論の自由を重んじます。
・リベラルには「嘘をつかない」というモラルがあるが、左翼には「嘘をつかない」というモラルがない。
 左翼は社会主義国家を樹立するためには暴力革命(つまり人殺し)さえ肯定しますし、事実、新左翼と呼ばれる人たちは数々のテロ行為を行ってきました。自分たちの「正義」のためには手段を選ばないのが左翼の特徴ですから「嘘」をつくことに良心の呵責は一切ありません。これに対してリベラルでは「反転可能性」が基本原則なので、政治的敵の殺害はもちろん、嘘で自説を補強することを拒否します。
・リベラルは妥協を当然と考えるが、左翼は妥協を敗北と捉える。
 リベラルは正義を求めますが左翼のような絶対的な正義ではなく、相手にも一理あることが前提になっています。それゆえ、徴兵制か志願兵制かといったオール・オア・ナッシングの命題を除けば政治的妥協は当然だと考えます。これに対し左翼では政治は常に闘争ですから、政府との妥協は常に敗北を意味します。
・リベラルは愛国心を敵視しないが、左翼は愛国心を敵視する。
 アメリカにおいてリベラルは、国家による経済への関与を肯定する思想として発展しました。そこには貧困で苦しむ同胞を見捨てることを不正義と考えるナショナリズムが横たわっています。ですからリベラルは決して愛国心を敵視しません。その強制をしないだけです。
 これに対して資本主義国家の打倒を目的とする左翼は愛国心そのものを敵視します。日教組は全教に牛耳られていた学校現場を知らない井上氏は、君が代斉唱の起立や伴奏を拒否する教師をリベラリズムの立場から擁護しますが、左翼組合が事実上支配していた学校でただ1人国歌を歌った私は、国旗国歌を否定する教師は「国旗国歌を敵視し、同僚にも不起立と不歌唱を事実上強要する左翼」であると断言します。日本人がクレバーになって左翼が少数派になって以降、リベラルに擬態して「戦争で使われた日の丸(国旗)は血に染まり、天皇崇拝の君が代(国歌)は民主主義の敵だ」から「国旗国歌の強制はよくない」と主張を変えただけなのです。
・リベラルは社会的弱者を救うが、左翼は社会的弱者を利用する。
 政治的リベラルは、大恐慌で苦しむ人々を見て自由を再定義したことに端を発するので、リベラリストにとって社会的弱者を救おうという課題は存在意義そのものです。これに対して左翼はプロレタリアートの憎悪こそが革命の言動力であり福祉は資本主義の延命策と捉えています。彼らにとって経済的弱者は大衆の政府憎悪を掻(か)き立てる道具にすぎません。

【『左翼老人』森口朗〈もりぐち・あきら〉(扶桑社新書、2019年)】

 一々納得できる解説である。森口が示した基準に当てはめると日本人の大半は「尊皇リベラル」と言ってよさそうだ。日本には奴隷が存在しなかったし、諸外国のような厳格な身分制もなかった(江戸時代の士農工商は兵農分離→職業世襲制)。

 前々から不思議に思っていたことがある。16万年前にミトコンドリア・イブから誕生したヒトは4万年前に極東の日本に辿り着いた(その後、アリューシャン列島を渡り北米~南米へ)。にもかかわらず世界最古の国で、更に世界最古の磨製石器、釣り針、土器、漆器、木造建築、木造塔、印刷物、企業、宿泊施設、商品取引所(先物取引)などがあることだ。少し前にはたと思い至った。アフリカから最も遠い地域へやって来た我々の祖先は進取の気性に富み、探検精神が旺盛であったことだろう。あるいは土地を追われてきた可能性もあるが、逃げるだけでは日本まで辿り着けまい。協力、協同、協働といった和の精神も自然と形成されていったのだろう。それぞれの土地で環境に適応する中でモノづくりのDNAが受け継がれていったに違いない。

 日本人がクリスマスやハロウィンなどの異文化をあっさりと受け入れるのも、長い旅路を通して排除よりも寛容に重きを置いたためだろう。世界でも稀な温暖湿潤気候が穏やかさを培い、世界一多い自然災害が淡白さを育てたのだろう。

「弱きを助け強きを挫く」「情けは人の為ならず巡り巡って己(おの)が為」「一寸の虫にも五分の魂」という諺(ことわざ)こそ日本の民族精神を表すものだ。「惻隠の心は仁の端なり」(孟子)。もののあはれを知らなくとも、児童の世界で「可哀想だろ!」という言葉は生きているはずだ。社会民主主義というよりは共同体民主主義が日本の伝統か。

 世界で初めて人種差別の撤廃を提唱したのも日本であった(1919年、『人種差別から読み解く大東亜戦争』岩田温)。これこそ真のリベラルであろう。

2021-07-26

左翼とは何か/『左翼老人』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗

 ・左翼とは何か
 ・「リベラル」と「左翼」の見分け方
 ・マルクス思想の圧倒的魅力

・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎

必読書リスト その四

 本書は、1人でも多くの高齢者が「左翼」であることを悔い改め、死にゆく前に祖国日本の発展に貢献していただくために書いた本です。
 ですから、その大前提として「左翼」とは何かを明らかにしておかなければなりません。ただし、定説と呼べるほどの学説はないので、これから述べることは、あくまで本書における「左翼」であることをお断りしておきます。
 人々の政治スタンスは、基本的に「左翼」「左派」「中道」「右派」「右翼」に大別できると考えられています。新聞や地上波テレビなどのオールドメディアでは、これらがあたかも連続的であるかのごとく伝えられていますが、「左翼」「右翼」と「左派」「中道」「右派」の間には大きな断絶があると考えるべきです。
 現在の日本は、「主権国家を基本とする国際秩序」の中で、「資本主義という経済システム」と「間接民主制と権力分立を基礎とする政治システム」を採用していますが、これらのいずれかを、抜本的に破壊・変更しようとする勢力が「左翼」「右翼」であり、これらの枠組みの中で自分が大切と考える価値を実現しようと考えるのが「左派」と「右派」(「左派」は平等、「右派」は自由)、常に双方のバランスを取ろうとするのが「中道」です。
 左翼思想の中で最も強力なものは言うまでもなくマルクス思想ですが、これは理念的には「主権国家を基本とする国際秩序」「資本主義という経済システム」「間接民主制と権力分立を基礎とする政治システム」のすべての破壊を目指す思想です。

【『左翼老人』森口朗〈もりぐち・あきら〉(扶桑社新書、2019年)以下同】

 実にわかりやすい図式である。森口の価値観を踏襲すると政治イデオロギーとは「異なる意見に対する態度」にあるのだろう。左翼と右翼は原理主義で、中道両派は共に生きるという点において町内会的関係(歩み寄り≒妥協)が窺える。

 もっと驚いたのは自分が左派であることに気づかされた(笑)。っていうか私は元々リベラルのつもりだったんだよね。10年ほど前までは。なぜ右派でないのかというと、官僚支配が横行する日本の資本主義制度で自由競争の実現はあり得ないと考えているためだ。

 マルクス思想は元来過激な思想ですから、それを信じる人々の行動が先鋭的になりがちです。マルクス思想を基礎にしてソビエト連邦(以下「ソ連」)という悪夢のような帝国を創り上げたレーニンは、過激な行動をする人やマルクスからさらに思想を先鋭的にする人々を「左翼小児病」と評しました。現在の老人たちが若かりし頃、日本ではマルクス・レーニン思想が大流行したのですが、レーニンの左翼小児病への警鐘は届かなかったのか、多くの人がこの病も併発していました。そして、数十年経った今でも、若かりし時の症状が出てしまうのです。
 左翼小児病は、大学に進学して学生運動をしていた人たちだけが罹(かか)った訳ではありません。学校教育やオールドメディアの宣伝(プロパガンダ)を通じて、あの時代を生きた大多数の人が感染していた病と言っても過言ではないのです。そして、この左翼小児病の後遺症から私たち日本人、とりわけ老人たちはいまだに自由になっていません。左翼小児病の困ったところは、自分が幸せになれないだけでなく、周りの人までも不幸にする点ですが、それは本書で詳述します。
 左翼小児病の主な症例としては次のようなものがあります。
「主権国家を基本とする国際秩序」を否定するのがマルクス思想ですから、彼らは主権国家に住む住人の基本道徳である愛国心を忌み嫌います。また、暴力で主権国家を乗っ取る(彼らが言うところのプロレタリア革命)のが当面の目標ですから、それを妨げる自衛隊や警察にも敵意をむき出しにします。
 彼らは「資本主義という経済システム」こそが貧富の格差をつくっていると確信しているので、大企業や金持ちを目の敵(かたき)にし、それを公言して恥じません。ただし、大企業に勤務していた方は大企業全体が悪いのではなく自分がなれなかった地位の人(ヒラ社員で終わった人なら管理職以上、部課長で終わった人は経営層の人たち)だけを悪者と捉(とら)え、1000万円以上の給与を得ていた方は倒すべき金持ちは年収3000万とか5000万といった超富裕層だけとします。また、労働運動を労働条件改善のためではなく、社会主義政権樹立のための道具だと考えているので、本来の活動に使うべき組合費を、政治活動に費やすことにためらいがありません。
 さらに「間接民主制と権力分立を基礎とする政治システム」は偽りの民主主義だと考えているので選挙結果で左翼政党が支持されなかった時は「民意」は別にあると考えます。

 左翼小児病に該当するのは、創価学会を始めとする日蓮系新興教団、エホバの証人統一教会ヤマギシ会なども同様だ。彼らは既成の社会秩序を否定することで自分たちの正義を鼓吹する。家族や友人たちとの関係をズタズタにするところにささやかな殉教精神を見出す。むしろ過去の人間関係を断絶するのがイニシエーション(通過儀礼)となっている。

 端(はな)から政権を取る気のない立憲民主党や共産党も左翼小児病と考えてよい。彼らは責任がないから理想を語れるのだ。ま、小学生が将来の夢を発表するようなものだ。ただし厄介なのは理想を語りながら伝統的な価値観の破壊を目論むところだ。女系天皇や夫婦別姓、あるいは在日外国人や女性の権利など、ポリティカルコレクトネスの概念に基づいて弱者を擁護するポーズを示す。

 民主党政権の失敗以降、左翼が民意を勝ち取ることができない政治状況に業を煮やして、佐藤優池上彰あたりが本音を漏らし始めた。佐藤優はラジオ番組などで一貫して民主党政権を援護射撃してきた人物である。その後創価学会に急接近する。

 それにしても暴力革命を成し遂げ、粛清と大虐殺を断行したレーニンが心配する「先鋭」とは、常人が考えるそれとは別次元のものだろう。

「20歳の時にリベラルでなければ情熱が足りない。40歳の時に保守主義者でなければ思慮が足りない」とはチャーチルのよく知られた言葉であるが、リベラルを左翼と誤訳する向きも多い。地位もカネもない若者が「世の中を変えたい」と望むのは尊いことだが、その感情を利用して破壊へと誘(いざな)うのが左翼である。若さには破壊への衝動もある。例えば団塊ジュニア(1970年代生まれ)の琴線に触れる政策を示すことができれば、彼らを左翼に取り込むことは容易であったはずだ。いつの世代も社会に対する負の感情を抱いているものだが、彼らが受けた仕打ちは目に余るものがあった。就職面接会場でテロが頻発してもおかしくはなかった。彼らは政治の犠牲者であった。

 日本は世界最古の国である。この国に革命は馴染まない。もしも政権が代わり得るとすれば天皇陛下を中心に据えた社会民主主義政党であると推測する。

2021-07-23

新左翼の「加入戦術」/『日教組』森口朗


『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗

 ・新左翼の「加入戦術」

『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗
『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎

 このようにエリート用の本音と大衆用の建前が分離している状態のとき、社会学や政治学では宗教になぞられて前者を「密教」あるいは「秘儀」、後者を「顕教」あるいは「公儀」と表現することがあります。
 例えば、明治国家のエリート内では天皇機関説は常識でした。しかし一方で、大衆には天皇は現人神(あらひとがみ)だと教えていました。この場合、天皇機関説が「密教」「秘儀」で、天皇は神様だという考えが「顕教」「公儀」になります。
 日教組も同様で、幹部用の思想=「共産主義」と、一般組合員用の思想=「戦後民主主義」を分離したといえます。ただ、日教組が明治国家と異なる点は、組合活動を通じて顕教信者が徐々に密教信者へと変っていくことでした。

【『日教組』森口朗〈もりぐち・あきら〉(新潮新書、2010年)以下同】

 森口朗は説明能力が高い上にバランス感覚が優れている。むしろ保守系であれば異を唱える人が出かねないほどのバランス感覚である。その批判は左翼のやりたい放題を不問に付してきた自民党や官僚にまで向けられる。55年体制の馴れ合いこそが戦後レジームの本質であり、自主憲法制定を阻んできたのだろう。GHQが作った枠組みの中で、ぬくぬくと防衛費を惜しみながら国防を米軍に委ね、経済的繁栄を謳歌してきたのが日本の戦後であった。

 顕教は「けんぎょう」と読む。一般的には経典に説かれた教えが顕教で、秘密の教えが密教とされている。最澄が台密で、空海が東密である。禅宗以外の鎌倉仏教はおしなべて密教と考えてよい。

 密教とは後期仏教(大乗)が大衆に迎合してヒンドゥー教的色彩を施したものである。すなわちブッダの教えを信仰のレベルに貶めたのが密教化であり、瞑想を祈りに摩り替えた。これが私の考えだ。そもそもブッダはこう説いている。「わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない」(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳)。それを「実は握拳があった」とするのが密教の立場であろう。師の冒涜これに過ぎたるはなし。

 60年代後半に大学生だった世代が70年代前半になると教員社会に流出しはじめます。この世代は学生運動が盛り上がった世代として知られていますが、彼らの中では、従来の左翼=日本共産党や社会主義協会派とは異なる、いわゆる新左翼と呼ばれる集団が大きな支持を得ていました。
 新左翼は、平和革命を志向する社会主義協会派や、一向に暴力革命を起こしそうにない日本共産党を「既得権にしがみついて闘わない左翼である」と批判し、自らを彼らと一線を引く戦闘的左翼だと位置づけました。そして暴力革命を真正面から肯定し、実際に火炎瓶を交番に投げつけるなどの暴行を行いました。当然ながら警察は治安を維持するために新左翼団体に所属しているだけでブラックリストに載せてマークします。今でも彼らが、ヘルメットをかぶり、サングラスをかけ、タオルでマスクのように顔を覆っているのは警察のリストに載るのをさけるためです。
 新左翼の学生たちは、就職を機に学生運動から足を洗って企業戦士になった者もいましたが、足を洗わずに社会に潜入する連中も少なからずいました。その潜入先として多くを占めたがの、教育を含めた地方公務員や郵便局・国鉄・電電公社・専売公社など現業系の国家公務員です。
 同じく就職するのに、なぜ足を洗った人は民間企業に就職し、足を洗なわなかった人は公務員になったのか。そのなぞを解くためには、新左翼独特の「加入戦術」という考え方を理解しなければなりません。
 彼らが夢想する暴力革命を実現させるためには、仲間を増やさなければなりません。しかし、まともに暴力革命を説いても相手にされるはずはないですから、なるべく思想的に近い組織に潜り込み、組織内で仲間を増やして乗っ取る戦術が考案されました。これを加入戦術と言います。加入戦術は旧社会党やその支持母体である官公労に対して行われました。こうして、70年代に大量の新左翼が教育を含めた公務員になったのです。

 新左翼は一種の先祖返りである。キリスト教でいえばプロテスタントに近い。運動が澱(よど)むと必ず原理主義的回帰に向かう。教祖であるマルクスに忠実であろうとすれば自ずと暴力革命を志向する。否、暴力革命を避ければ最早マルキシズムとは言えない。

 加入戦術から細胞を形成し、既成組織を白蟻のように喰い付くし、赤い色で染め上げるのが左翼の手法である。日本では革命という言葉が世直しと同義で受け止められたこともあって、多くの若者が取り込まれていった。知的な若者は左翼に、貧困で苦しむ者は創価学会に参加したのが当時の世相といってよい。

 大衆には才覚がない。財力もなければ人脈もない。国民の7割が凡人だとすれば、社会主義思想に魅力を感じるのは当然ともいえる。またそこに資本主義の脆弱さもあるのだろう。要は競争と分配の比率に尽きるわけだが、一君万民の伝統を有する我が国は元々社会主義との親和性が高い。企業や組織の内部では社会主義が堂々と罷(まか)り通っている。

 本音を隠すという一点において、左翼を信ずるのは誤っていると断言できる。

2021-03-25

1972年、「政治の季節は終わった」


 反体制、反商業主義こそが、フォークソングの本質という生硬なフォークファンからは大きな批判を浴びたが、拓郎はマーケットに迎合したわけではなく、日々の生活の中で抱くまったく個人的な心情を、より日常的な言葉で歌ったに過ぎない。むしろそうすることで、旧態依然としたフォークソングの閉鎖性から訣別しようとしたのである。

 フォークシンガーが内省的となる傾向のある中で、平凡でストレートに思いを表現する潔さがあったとされる。罵声が飛んでも歌い続ける姿勢が支持者を増やした。全ての若者がプロテスト系のフォークを支持しているわけではなく、同世代の普通の若者からは絶大な支持を受けた。

 北中正和は「1972年に連合赤軍 あさま山荘事件が起こり、彼らのリンチ殺人事件が発覚すると、学生運動に何らかの共感を抱いていた人たちの気分も引いてしまった。1960年代の余燼はどんどん消えていった。吉田拓郎の人気浮上は、そんな世相の変化を感じさせた」と論じている。

 寺島実郎は「吉田拓郎の『結婚しようよ』と井上陽水の『傘がない』を聴いたとき、『政治の季節』が終わったことを確認した」と論じている。

 最初はメッセージ・フォークを歌っていて、1971年のフォークジャンボリーでは、同イベントの形骸化批判の口火を切ったにも関わらず、その半年後には「結婚しようよ」をリリースするという"変節"に関して、伊藤強は「1972年には日本はすでに政治の季節を終えていた。終わってしまった季節に対して何を言っても意味はない。吉田拓郎は時代の好みを鋭敏に嗅ぎとったのに違いない」などと述べている。

 菊池清麿は「吉田拓郎の登場は、自作自演のスタイルはもちろんのこと、世代感をアピールする強烈なリアリティーを持つ新しい若者文化だった。これによってフォークの形態が大きく変わった」と論じている。

 スポーツニッポンの音楽担当記者だった小西良太郎は、「吉田拓郎が1970年『イメージの詩』でシングル・デビューして、歌謡曲の歌い手がよくやるプロモーション行脚で僕を訪ねて来たのには不審の念を飲み込んだ。それまで会ったフォーク勢は、マスコミにも白い眼を向け、レコードが売れることを拒否、自作の宣伝など以ての外の筈だった。その後吉田が、反抗するメッセージ臭のかけらもない曲を連発すると、案の定戦闘的なファンから猛反発を受けたがしかし、それらの曲が大ヒットすると吉田は時代を歌う旗手の一人になった。吉田はみんなの連帯ソングから"我が道をゆく"個人の精神を取り戻し、狙い撃ちでヒット曲を書き続けた。終始衰えを見せなかったのは、胸中の熱い血と歌声に色濃い覇気、作品にある鮮度、独自の姿勢を貫く意思の強さがあった」などと評している。

 60年代のカレッジフォークや社会派フォークとは全く異なる地平で自身の「うた」をクリエイトしていた拓郎の音楽が瞬く間に大衆に受け入れられたのは、旧来の〈フォークソング〉が〈フォーク〉へと変貌していく時代の要請であると同時に、ある種の必然でもあった。

 筒美京平は「吉田拓郎の『結婚しようよ』がヒットしたとき、初めて脅威を感じた」と述べている。

 馬飼野元宏は「フォーク史のいくつかの転換期の中でも、吉田拓郎の登場と、その後数年間の活動は日本のフォークシーン最大の山場といえる。拓郎がデビューから5年間に切り開いた功績と音楽シーンへの影響は計り知れないが、何よりプロテストソング全盛だったフォークシーンから時代の舵を奪い取ったことが大きいのではないか」と述べている。

 恩蔵茂は『ニッポンPOPの黄金時代』という2001年の著書で戦後の日本のポピュラー・ミュージック(ポップス)の歴史を、序章「ザ・ヒット・パレードの興亡」から11章に分け論じているが、第10章である最終章、1970年代から今日(2001年)までのタイトルを「拓郎からJ-POPへ」としている。富澤一誠は「吉田拓郎が出なければ、今のJ-POPはないといっても過言ではない」と述べている。

Wikipedia > 吉田拓郎


 読みやすくするために適宜改行を加えた。実に興味深い記述である。「政治の季節は終わった」との表現にはある種の感傷が潜んでいるが、実態は「大学生の革命ごっこが終了した」という程度の事実に過ぎない。最大の問題は学生をきちんとたしなめる大人がいなかったことだ。三島由紀夫がただ一人気を吐いて見せたが学生運動の暴力性を鎮静させるまでには至っていない。

 そしてもう一つ重要な事実がある。1972年は日中国交回復がなされた年でもある。その意味から申せば「政治の季節は移り変わった」といえよう。同年の主要な出来事を紹介しよう。

・1月24日 - グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一発見。
・2月3日 - 札幌オリンピック開催。2月13日まで。
・2月19日 - 連合赤軍によるあさま山荘事件。2月28日に全員逮捕。
・4月1日 - 札幌市、川崎市、福岡市が政令指定都市に指定。
・4月16日 - 川端康成が逗子市でガス自殺。
・5月13日 -大阪府 大阪市南区(現・中央区)千日前の千日デパートで火災。死者118人、負傷者81人。日本のビル火災史上、最悪の惨事
・5月15日 - アメリカから日本へ沖縄返還、沖縄県発足。
・6月11日 - 田中角栄通産相が「日本列島改造論」発表。
・6月17日 - 佐藤栄作首相退陣表明。新聞記者を全員退去させ“テレビ主導”となった前代未聞の退陣会見に。
・7月7日 - 第1次田中角栄内閣発足。
・7月21日 - 日本テレビ系で刑事ドラマ『太陽にほえろ!』放送開始。1986年まで14年続く長寿番組となった
・8月3日 - カシオ計算機が世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を発売。
・9月29日 - 田中首相訪中し、日中国交正常化の共同声明。
・10月 - ツクダから「オセロ」発売。
・10月28日 - 日中国交正常化を記念して上野動物園にジャイアントパンダのランラン、カンカンが来園。
・11月6日 - 羽田空港発福岡空港行きの日航機がハイジャックされる(日本航空351便ハイジャック事件)。

1972年の日本 - Wikipedia

 私は小学3年生だった。これらの出来事は大方憶えている。高度経済成長をひた走る国民にとって学生運動は所詮他人事であった。ところが連合赤軍によるあさま山荘事件が生中継で延々と報じられ、無関心から否定的な方向に国民感情が動いたのだ。

 学生運動世代(=団塊の世代)がまだまだ社会の上層部に巣食っている。日本のエスタブリッシュメントはほぼ左翼と考えていいだろう。自民党を始めとする保守層は鷹揚(おうよう)に構えすぎた。憲法改正は疎(おろ)かスパイ防止法すら制定できない有り様である。元々国際的な視点で見れば自民党の政策は中道左派に位置する。親中派が多いことを考慮すると保守政党と呼ぶことにも疑問がある。

2021-03-16

致命的な誤字/『革命のインテリジェンス ソ連の対外政治工作としての「影響力」工作』佐々木太郎


『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史』江崎道朗監修:山内智恵子

 ・致命的な誤字

・『目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画』クライブ・ハミルトン
・『見えない手 中国共産党は世界をどう作り変えるか』クライブ・ハミルトン、マレイケ・オールバーグ
・『「目に見えぬ侵略」 見えない手」副読本』奥山真司監修:『月刊Hanada』編集部

 国家による非軍事的で政治的な対外活動はさまざまな形態が存在する。その中には、たとえば、公然の手法を持(ママ)ってして自らの国益に沿った行動を他国にとらせようとするものがある。具体的に言えば、外交や通商において他国と折衝をおこなうことであったり、公式の声明を発表したり、あるいは政府高官がメディアのインタビューに答えるなどの行為がこれに該当する。
 一方で、自らの国益に沿った行動を他国にとらせるために用いられる非公然の手法としては、偽文書など情報の発信元を隠蔽したプロパガンダや、あるいは表向きは関係がないように装った組織を使って示威運動をおこなったりすることなどがある。これらは、いわゆる「欺瞞」(deception)と呼ばれる工作形態に属するものである。
 本書は、こうした非公然の手法のうち、自らの影響力を持(ママ)ってして他国の国民や政策決定者の知覚を誘導する個人を利用した工作――本書では「影響力」工作と呼ぶ――を、ソ連が当該時期に世界各地で展開していたことを示す。

【『革命のインテリジェンス ソ連の対外政治工作としての「影響力」工作』佐々木太郎(勁草書房、2016年)】

 一応、著者の経歴を調べてみたが、大学院を出ていながら「持ってして」と一度ならず何度も出てくるとあっては読むに堪(た)えない。更に「――を以てしても」と使うのが普通で、「以てして」は間違いではないが「以て」とするべきだろう。上記テキストでも気取ったつもりなのか、「他国の国民や政策決定者の知覚を誘導する個人を利用した工作」という意味不明な文章が出てきて辟易(へきえき)させられる。

 他方、日本においても、摘発されたソ連の「影響力行使者」はひとりもいない。だが、日本を舞台にしたソ連の「影響力」工作の実態は、ある事件によって世界的な注目を集めることになった。その事件とは、1975年から1979年まで東京のKGB駐在部に勤務して対日工作に当たり、その後アメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコが、1982年7月14日に開催されたアメリカ連邦議会下院情報特別委員会聴聞会において、宣誓のうえ、日本における自身の活動内容について証言したことである。このときのレフチェンコの証言には、次のような一節がある。

KGBは1970年代において、日本社会党の政治方針を効果的にコントロールできていました。同党の幹部のうち10人以上を影響力行使者(エージェント・オブ・インフルエンス)としてリクルートしていたのです。

 さらにレフチェンコは議会での証言後、アメリカや日本のメディアからの取材の中で、自ら管理した協力者らのカバーネーム(コードネームとも言う)や実名を一部公表し、日本社会党関係者以外にも「影響力行使者」がおり、また日本政府の機密情報をソ連側に漏洩する者たちなどもいたことを明らかにした。

 もったいぶった文章が鼻につく。しかも今となっては広く知られた事実である。私は菅沼本で知った。やはり先程指摘したのは「致命的な誤字」であった。確かにパソコン辞書だと「持ってして」と出てくるが、これだけ多用する言葉を誤っているのだから、かような人物が発信する情報を信用できるわけがない。更に勁草書房編集者・校正の責任を見過ごすわけにはいかない。私が社長なら首にしているところだ。勁草書房の未来は暗い。

2020-07-31

シベリア抑留を援護射撃した社会党


シベリア抑留 > 日本側の対応

 1945年(昭和20年)11月になって日本政府は関東軍の軍人がシベリアに連行され強制労働をさせられているという情報を得る。1946年(昭和21年)5月、日本政府はアメリカを通じてソ連との交渉を開始し、同年12月19日、ようやく「ソ連地区引揚に関する米ソ暫定協定」が成立した。

 1952年(昭和27年)に緑風会の高良とみが収容所を訪問した。このとき健康な者は営外作業に出され、重症患者は別の病院に移されるなどの収容所側による工作が行われ、高良の「他の収容者はどうしたのか」との問いに対し、所長は「日曜日なのでみな魚釣りか町へ映画を見に行った」と平然と応えている。

 1955年(昭和30年)に当時ソ連と親しい関係にあった社会党左派の国会議員らによる収容所の視察が行われた。視察はすべてソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであったが、調理場の鍋にあったカーシャを味見した戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな臭い粥を、毎日食べておられるのですか」と漏らしたという。過酷な状況で強制労働をさせられていた収容者らは決死の覚悟で収容所の現状を伝えたが、その訴えも虚しく視察団は託された手紙を握りつぶし、記者会見や国会での報告で「"戦犯"たちの待遇は決して悪くはないという印象を受けた。一日八時間労働で日曜は休日となっている。食料は一日米三百グラムとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気が配られているようだった」などと虚偽の説明を行った。元収容者らが帰国後に新聞へ投書したことから虚偽が発覚し、視察団団長の野溝勝らは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で追及を受けている。

Wikipedia

 もはやソ連の手先といってよい。かような政党を1990年の土井ブームまでのさばることを許した自民党と国民の責任は大きい。しかも弱小政党になったとはいえ、まだ消滅していないのだ。

 野溝勝のページには次の記述がある。

シベリア抑留問題への対応

 シベリア抑留問題では未だ1000人余の未帰還者がいる状況であった1955年に超党派の訪ソ議員団が結成され、このうち社会党左派の議員のみハバロフスクの戦犯収容所への訪問がソ連側から許された。野溝はこの視察団の団長となるが、この視察はすべてソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであった。

 一方、抑留者らは議員の来訪を察知し、営倉入りを覚悟の上でサボタージュを行い、議員との面会にこぎつけた。なお、以前に行われた高良とみの収容所訪問では健康な者は営外作業に出され、重症患者は別の病院に移されるなどの収容所側による工作が行われ、高良の他の収容者はどうしたのかとの問いに対し、所長は「日曜日なのでみな魚釣りか町へ映画を見に行った」と応えている。

 議員らに対し収容者を代表して挨拶を行った尾崎清正元中尉は、決死の覚悟で収容所の実態を伝えるとともに自分たちを犠牲にしてもかまわないのでソ連の脅しに屈することなく国策の大綱を誤まらないで欲しいと訴え、数人がこれに続いた。これに対し、浅原正基が発言をしようとして他の収容者から野次や怒号を浴びた。騒然とした様相に視察団は呆然としていたが野溝は「思想は思想で戦うようにし、同胞はお互いに仲良くしてください」とお茶を濁した。野溝は収容所の売店に立ち寄り、所長の中佐から「日本人は賃金をたくさんもらうので、日常こんな品物を自由に買って、生活を楽しんでいる」という説明を受けたが、その場で所長の言葉を通訳した朝鮮人収容者から「みんな出鱈目ですよ。あなた方に見せるため昨日運び込んだもので、あなたがたが帰られたらすぐに持って行ってしまうものです」と言われて苦笑したという。

 日本人抑留者らは視察団に家族への手紙を託したが、仲間の釈放のための外交努力を求めるとともに将来の日本の国策のためならば祖国のためにこの地に骨を朽ちさせても悔いはないとする収容者らの決意を認めた国民や議員に宛ての7通の手紙も一緒にこのとき手渡されている。しかし、野溝らはこれら7通の手紙を握りつぶし、議員団団長である北村徳太郎への報告もしなかった。抑留者らが帰国後に新聞へ投書したことから虚偽が発覚し、野溝らは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で追求を受けている。これに対し野溝は「発表の技術等の不手ぎわの点についてのおしかりならば、私は大いに考えなければならぬし、その点について不徳の点があるならば、私は大いに反省をいたします。」としながらも他意はなかったと弁解している。稲垣武は、野溝がこのような破廉恥な行為を敢えてしたのは、公表すれば自分たちに都合が悪いと思ったからであろうとしている。

 帰国の途上、野溝は戸叶里子と共に香港で記者会見を行い、知っていたはずの真実を隠匿し収容所側の説明に沿うかたちで以下のような発言をしたことが新聞に記載されている。

・「"戦犯"たちの待遇は決して悪くはないという印象を受けた。一日八時間労働で日曜は休日となっている。食料は一日米三百グラムとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気が配られているようだった」
・「戦犯の生活として、カロリーは科学的に計算されているという事で、皆んな元気そうな顔付であるのにホットした。顔付は、普通人並でラーゲルとしては普通といってよいだろう。」
・「ソ連人一般の悩みでもあるが、冬に生野菜が欠乏するのをかこっていた。食堂、調理とも清潔で、ここには罐詰等も配給があり集合所にも使われていた。」

Wikipedia

 野溝は縛り首にすべき人物であると私は考えるが、なんと勲章(正三位勲一等瑞宝章)を授与されている。大東亜戦争終盤における指導階級の混乱はそのまま戦後も維持されたと認めざるを得ない。

 旧社会党勢力は民主党に紛れ込み、現在は立憲民主党と改称している。在日外国人の通名みたいなものだ。同胞を売った売国奴どもを私が許すことはない。

2020-07-12

進歩的文化人の亡霊を甦(よみがえ)らせる/『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』馬場公彦


『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一

 ・頭隠して尻隠さず
 ・進歩的文化人の亡霊を甦(よみがえ)らせる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『ビルマの竪琴』竹山道雄

 竹内は、『竪琴』の主人公である水島安彦が累々たる同胞の骨を見捨てて立ち去ることに恥を覚えたことについて、回心の動機には、「同胞愛と人類愛」があるとし、その動機は、「私を打つのである。たしかにわれわれは、この種の人道的反省に足りぬものがある」とする。
 そのうえで竹内は、「いったいこの世には、何故このような悲惨があるのだろうか」という設問を水島が発し、次のように水島によって自答されているくだりを引用している。

 この「何故に」ということは、所詮人間にはいかに考えても分らないことだ。われらはただ、この苦しみの多い世界にすこしでも救いをもたらす者として行動せよ。その勇気をもて。そうして、いかなる苦悩・背理・不合理に面しても、なおそれにめげずに、より高い平安を身をもって証しする者たりの力を示せ、と。

 この叙述に対し、竹内はこう論評した。

 これは解決ではなくて、解決の回避である。心の平安がすべてであるという、水島の口を借りて述べられている作者の中心思想が、本来は美しい物語に結晶すべきこの作品に、いくつかの致命的破綻を与えているように思う。

 この「解決の回避」という一語に、竹内好が『竪琴』に抱いた疑念が集約されている。水島が同胞の骨を打ちすてては帰れないと反省するさいの回心の動機は、「同胞愛と人類愛」であった。そこで日本兵であることを放棄し、ビルマ僧となって人類愛の地平に経った。そして鎮魂と和解が敵味方の傷ついた兵士同士で達成された。だが、このプロセスは一足飛びのプロセスである。その間の鎮魂と和解をつなぐ結節環が省かれてしまっている。
 この竹内の違和感を筆者もまた共有する。普遍的な人類愛の立場に立って敵味方双方に和解が成立したようにみえて、実は一方的自己愛にすぎないのではないか。敵味方が双方なじんだ歌を唱って、感情の共鳴板が和音を奏でても、それは戦争が投げかけた問題を解消することにはつながらないのではないか。少なくとも、そこで心を動かしてはいけないのではないか。

【『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』馬場公彦〈ばば・きみひこ〉(法政大学出版局、2004年)】

 谷沢永一が「北京政府の忠実な代理人」と評した竹内好〈たけうち・よしみ〉である。同胞愛と人類愛は宗教的感情である。「心の平安」という言葉からもそれが窺える。竹内や馬場が思い描く「解決」とは“人民による革命”なのだろう。古い体制を転覆せずして訪れる平和を彼らは認めないのだ。

 テキストに目を凝らそう。「自己愛にすぎないのではないか」「戦争が投げかけた問題を解消することにはつながらないのではないか」と来て、「心を動かしてはいけないのではないか」と踏み込む。冷静な筆致で「感動するな」と他人に強要しているのだ。「心を動かすな」という言葉は普通の人間では思い浮かばない。唯物論者でもない限り、人の心をこれほど簡単に扱うことはできまい。

 本書の目的は進歩的文化人の亡霊を甦(よみがえ)らせることにあるのだろう。こんな本を出版する法政大学出版局も賊の一味と考えてよかろう。

2020-07-08

頭隠して尻隠さず/『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』馬場公彦


『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一

 ・頭隠して尻隠さず
 ・進歩的文化人の亡霊を甦(よみがえ)らせる

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『ビルマの竪琴』竹山道雄

 だが、長く続いた冷戦は終わった。竹山が身を挺して告発した東ベルリン住民への人権抑圧や、台湾に住む大陸中国の亡命者からの共産中国批判の聞き書きには、たとえそれがのちに事実であったと判明しても、情報としての価値はもはや皆無に近い。となると、『竪琴』の作家ということ以外、消去法でかろうじて残るのは、失われていく日本の伝統文化を愛惜し擁護しようとした、日本主義的ディレッタントということにとどまるかもしれない。
『竪琴』の命運も安泰とは言えないようだ。(中略)最近の『竪琴』を取り上げた戦後世代による評論群からうかがえることは、『竪琴』はアジアを舞台として近代小説としても、日本の戦争に題材をとった戦争文学としても、取り扱い注意品目に指定されつつあるということだ。
 
【『『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史』馬場公彦〈ばば・きみひこ〉(法政大学出版局、2004年)以下同】

 馬場は編集者のようだ。こなれた文章で論理的なのだが直ぐに私の鼻は異臭を嗅ぎ取った。読むほどに嫌な臭いを放っている。池上彰佐藤優と同じ体臭がする。肝心な情報は伏せておいて、都合のいい事実だけを組み合わせて我が田に水を引くという寸法だ。左翼の常套手段は不作為という作為だ。

 馬場の意図は竹山を美術評論家に留(とど)め置くことなのだろう。刊行された2004年という時を思えば竹山道雄は既に「忘れられた作家」であった。そこそこ本を読んできた私も竹山の著書は一冊も読んでいなかった。『ビルマの竪琴』の名場面は知っていたが食指は動かなかった。それでもかような本を出す目的はネトウヨブームに釘を刺し、竹山の著書を禁書扱いしたかったのだろう。そうでもなければ気取った悪口をこれほど延々と綴ることは難しいだろう。

 馬場は上記テキストで竹山の共産主義批判を正面からは取り上げずに時事評論の印象づけを行っている。思わず舌を巻く狡猾(こうかつ)さである。更に返す刀で『ビルマの竪琴』のストーリーは完全に無視した上で誤った時代考証を指摘する。馬場は本書の中で繰り返し竹山を持ち上げてから落とすことを繰り返す。竹山道雄のようなきらめく英知は一つもないし、時流に抵抗する精神も見受けられない。それこそ「皆無」である。

 最近の『竪琴』を取り上げた戦後世代による評論群からうかがえることは、『竪琴』はアジアを舞台として近代小説としても、日本の戦争に題材をとった戦争文学としても、取り扱い注意品目に指定されつつあるということだ。

 本書を読むきっかけとなったのは“志村五郎「竹山を今日論ずる人がないことを私は惜しむ」/『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘”で紹介した“馬場公彦著「『ビルマの竪琴』をめぐる戦後史」2004年法政大学出版局刊・3の2 | 知的漫遊紀行 - 楽天ブログ”による。米原子力空母エンタープライズの寄港に関する詳細を知りたかった。ところが馬場が行っているのは朝日新聞と全く同じことなのだ。悪い冗談としか思えない。編集者は創作者ではない。他人をあげつらったり、自分の知識をひけらかしたりするだけの気楽な商売なのだろう。

 本書が平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉の心に火を点(とも)し、『竹山道雄と昭和の時代』(2013年)や新たな全集『竹山道雄セレクション』(全4冊、藤原書店、2016-17年)の推進力となったことは間違いあるまい。馬場の歯ぎしりが聞こえてきそうだ。

 東ドイツや中国といった共産圏を擁護した馬場だが、現在の香港弾圧やウイグル人虐殺をどう見ているのだろうか? 竹山道雄が終生にわたってノーを突きつけたのは全体主義であった。オールドリベラリズムの所以(ゆえん)である。「全ての日本人が今こそ竹山道雄を読むべきだ」と私は声を大にして言いたい。