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2021-08-03

天理VS大分舞鶴 伝説の決勝戦ハイライト


 この年の決勝戦は、以下のような複数のエピソードが重なった結果、後に「高校ラグビー史に残る名勝負」「伝説の一戦」と語り継がれる試合となった。(中略)

 この試合を何気なく自宅のテレビで観戦していた松任谷由実は、「どんなに悔やんでも、高校生が部活を辞めたら、次のシーズンは、自分と同じゼッケンをつけて駆けてゆく誰かを見ていることになる。その情景が思い浮かんで、ぐっと来てしまいました」といい、試合後の情景を綴った「ノーサイド」を作詞・作曲した(アルバム『NO SIDE』に収録)。この曲は後に2014年の国立競技場最後の早明戦後のセレモニーで歌われる など、ラグビーを題材とした代表的楽曲となるとともに、松任谷の代表曲の一つとなっている。

第63回全国高等学校ラグビーフットボール大会 - Wikipedia




 尚、動画コメント欄に「最後ゴール外した人今おれの高校の先生」とある。

2021-07-20

Huun-Huur-Tu - Live Berkely


フンフルトゥ」と読む。モンゴルと思いきや、ロシア・トゥバ共和国の音楽ユニットである。トゥバの喉歌はフーメイと呼ぶらしい(モンゴルはホーミー)。石笛のような高音が言い知れぬ郷愁を掻き立てる。


2019-03-07

歴史の上書き更新/『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島裕介


『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 ・歴史の上書き更新
 ・大衆消費社会の実像

必読書リスト その三

 このように美空ひばりは現在、公的なメディアや知識人によって「昭和を代表する偉大な芸術家」として権威づけられ、彼女が歌う「演歌」は、はるかな過去から脈々と受け継がれる「日本の心」と結びつけられ、称揚されています。しかしこの評価は、敗戦直後のデビューから1970年代前半まで、当時の知識人が彼女に与えてきた否定的な評価とは正反対のものです。
 ひばりはデビュー時には大人の歌を歌う「ゲテモノ」少女と断じられ、スターとなってからはその傲慢さが批判され、1974年から数年間は「裏社会」との癒着が取り上げられ、「国民的行事」である『紅白歌合戦』をはじめとするNHKの番組から排除され、全国の公共ホールからも閉め出されていました。

【『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島裕介〈わじま・ゆうすけ〉(光文社新書、2010年)】

 まず文章がよい。たまげた。リライトされた文章のように読みやすく、テクニカルライターのように正確だ。読んだ時には惹かれた文章でもタイプしてみるとガッカリすることは意外と多いものだ。書き写せば更にガッカリ度は増すことだろう。このように身体(しんたい/=口や手)を通すと文章のリズムや構成を皮膚で感じ取ることができる。一方、名文・美文には一種の快感がある。輪島の文章が抜きん出ているのはその「簡明さ」にある。嘘だと思うなら試しに書き写してごらんよ。輪島は学者である。文士ではないゆえ、香りを放つ文章よりも簡明が望ましい。「簡にして明」であればこそ大衆の理解を得られる。

 私の意図は、そこから本書の二つの主題を導き出すことにあります。
 一つは、戦後のある時期まで、少なくとも「知的」な領域では、ひばりを代表とする流行歌は「悪(あ)しき」ものとみなされていたのが、いつしか「真正な日本の文化」へとその評価を転回させたこと。
 もうひとつは、日本の流行歌の歩みは元来きわめて雑種的、異種混淆的であり、現在「演歌」と呼ばれているものはその一部をなしていきたにすぎない、ということです。

『「知的」な領域』は大衆と反対方向を目指すのだろう。そして「領域」全体がまとまると、今度はそこから反対方向のベクトルが働く。つまり領域内大衆への反動である。輪島裕介の狙いが鋭いのは、演歌にまつわる偽史(ぎし)を解明する過程が、実は宗教における教団分裂の歴史と酷似しており、汎用可能なモデルとなっているところにある。

「演歌」という語が1960年代(むしろ昭和40年代というほうが正確でしょう)に音楽産業の中で一つのジャンルとみなされてゆく過程と、それが「真正な日本文化」として高い評価を得てゆく過程は相関しています。というよりむしろ、ある種の知的な操作を通じて「演歌」というものが「日本の心」を歌う真正な音楽ジャンルとして新たに創り出されたのです。

 私は膝を打った。大乗仏教という名の後期仏教も「知的な操作」を通した歴史の書き換えにその目的があったのだろう。

 再び小林信彦を引けば、彼は「演歌」が明治の「演説の歌」であることを、1999年の大滝詠一のラジオ番組ではじめて知ったと述べています。
 名著『日本の喜劇人』や『テレビの黄金時代』を著し、クレージーキャッツやトニー谷、小林旭の再評価にきわめて重要な功績を残した彼が、「演歌」の語源を知らなかったことは、彼の仕事に多大な影響を受けた私自身、少なからぬ驚きだったのですが、逆に言えば、昭和10年代以降の大衆文化にきわめて精通している小林のような人物であっても、同時代的な音楽・芸能との関わりにおいて、「演歌」という言葉とその語源を意識する必要がなかったことを示しています。
 そのことは、現在用いられている「演歌」という言葉が明治・大正期のそれとは断絶しており、いつの間にか「発生」したものであることを裏付けているといえます。

 私は同様のことが仏教東漸の歴史でもあったに違いないと思う。なかんづく日本仏教の変質には漢字の呪能やアニミズム信仰が深く関わっていると考えられる。「断絶が意識されない」というのが重要な指摘だ。

 たまたま先ほど読んだ本にこうあった。

(※日本の真珠湾攻撃から)50年のときは(※ハワイへ)取材に行かなかったが、報道で見た範囲では人々の記憶も薄らぎ、語るべき人そのものが死んだり行方知れずになっているようだった。私は「40年が限度だ」と思った。

【『「民主主義」を疑え!』徳岡孝夫〈とくおか・たかお〉(新潮社、2008年)】

「歴史は40年で途絶える」のが事実であるとすれば、それ以降は何らかの「知的操作」が必要となる。文字を持たぬ民族の口承文化がその原点だ。古くから伝わる神話や伝説は道徳の基準であり、生き方のモデルを示したものだ。

 世代の変化が20~30年(親子の年齢差)だとすれば、わずか2世代のうちにしか生きた歴史は存在しないことになる。

 美空ひばりのレコードデビューは1949年(昭和24年)で、東京ドームのこけら落しとなるコンサートが1988年(昭和63年)のこと。1989年(平成元年)に死去し、同年女性初となる国民栄誉賞が授与されている。

 おおよそ40年のうちに「演歌が日本の伝統」となり、「美空ひばりは国民的スター」となったわけである。つまりこうだ。出来事としての歴史は40年で途絶える。その一方で創作された歴史が40年のうちに蔓延(はびこ)るのである。たった40年で歴史の上書き更新がなされる事実に驚嘆せざるを得ない。

 日本の伝統に対する健全な敬意が文章の端々から感じられるのがもう一つの特長である。それを保守と呼ばせない程度の抑制も効いている。

 まったく関係がないように見えるかもしれないが、私は本書をジョージ・オーウェル著『一九八四年』の取扱説明書として読むことが可能であると断言しておこう。輪島裕介は演歌という切り口で見事に歴史の断面図を提示したのだ。

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
輪島 裕介
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「民主主義」を疑え!
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徳岡 孝夫
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2017-08-05

Better Days~Consolidation Song


 Def Techにとっては事実上のデビュー曲といっても過言ではない曲だ(2004年)。ファーストアルバムを出す前年のこと。



Better Days feat. Def Tech
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Def Tech
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ユーミンのフランス語カバー/『ルージュの伝言+ANNIVERSARY』キャロル・セラ


「瞳を閉じて」

 ・ユーミンのフランス語カバー

 1991年に発売された『ルージュの伝言』と、その後に出した『ANNIVERSARY』というアルバムの組み合わせ(全20曲)で2000円を切るとは恐れ入谷の鬼子母神である。

 ヒキガエルみたいなユーミンの声も魅力的だが、このフレンチポップスの軽やかさには全く別物の魅力がある。アレンジも隙(すき)がない。軽さが薄さにつながっていないところがミソ。初めてFM放送で聴いた時は妙な懐かしさを覚えたが、直ぐにユーミンの曲だとは気づかなかった。尚、廃盤となったが竹内まりやのカバーアルバムもある。






GOLDEN☆BEST/キャロル・セラ ルージュの伝言+ANNIVERSARY
キャロル・セラ
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Saison d'amour
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キャロル・セラ
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2017-07-27

ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄


Difang(ディファン/郭英男)の衝撃
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝

 ・ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄




 ある動画のBGMに使用されていたのを聴き、「これは!」と背筋を電流のようなものが走った。少し調べても曲名がわからなかったため動画の主にコメントで直接尋ねた。ディープ・フォレストというフランスのユニットで、ソロモン諸島の子守唄をサンプリングしていることが判った。さすがフランスである。りんけんバンドやKOKIAを高く評価しているだけのことはある。



 ソロモン諸島の人種構成はメラネシア人(人種的にはモンゴロイドと混血したオーストラロイド系の民族)が93%となっている。ネグロイドとは異なるようなので「黒い黄色人種」と考えてよいのかもしれない。

 それにしてもどうだ。完全にブヌン族(台湾原住民)の調べと一致している。この優しい子守唄の旋律こそがアジアの謡(うたい)の原像とすら思える。この手の音楽を私はアジアン・フォルクローレと呼びたい。

2017-05-27

高砂族にはフィクションという概念がなかった/『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝


『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

 ・高砂族にはフィクションという概念がなかった

ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 一行は途中アブダン駐在所に休憩し、約14キロの山道を、時には鉄線橋とよばれる長い吊橋を渡って、目的地カビヤン社に着いたのは5時5分。
 この途中驚くべき事件に逢った。私を乗せた椅子駕籠が先頭にたっていたが、先棒の青年が急に立ち止まった。そして相棒の青年と緊張した面もちで語り合っている。「何が起こったのか」の私の問いに、彼らは、「昨日、ここを親子づれの鹿が通って右の谷へ下りた」というのだ。そして明日鹿狩りをしようとの相談らしかった。砂利道に鹿の足跡などわかるものではない。「どうしてわかるのか、これか」といって鼻を指さしたが、彼らは笑っているだけである。
 聞くところによると、雨が降らなければ、3日ぐらい前に通ったものの識別ができるという。これはまったく名犬の嗅覚ではないか。
 動物の種類はもちろん、人間でも自社のものか他社のものか、男か女か、2人づれか3人づれか。この特技を使って、当時花運港付近の捕虜収容所から脱走して行方不明になっていたアメリカ兵2名を、3日後に山の岩陰から嗅ぎ出したというエピソードもあった。とにかく高砂族という原始民族は、耳も鼻も、眼も、兎やキリンのように、犬のように、猫や豹のように、人間が神によって創生されたままの感覚を、いまだにもっていたのである。

【『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝〈くろさわ・たかとも〉(雄山閣、1973年)以下同】

 1973年(昭和48年)に刊行されているが、内容は第二次世界大戦以前のフィールドワークに基づいている。上記テキスト最後の部分は差別意識というよりは率直な驚きを表明したものだろう。500ページを超す極めて本格的な学術書で各部族の音楽は当然のこと、楽器の詳細にまで研究が及ぶ。台湾は日清戦争で1895年に割譲され、1945年まで日本の一部であった。幸か不幸か台湾原住民は日本語という共通語を持つことで初めて部族間の意思の疎通が可能となった。もしも日本の統治がなければ各部族の文化は歴史の谷間に埋没していたことだろう。高砂族の人間離れした能力は戦時においても遺憾なく発揮され、高砂義勇隊の結成に至る。

 さて今夜の結婚式は疑似結婚式であるが、高砂族中の文化人でありながら、偽りの結婚式は神をあざむくものだというので、人選には、なかなか苦労したようである。
 青年たちも顔を見合わせて応じてくれない。中には今晩ひと晩だけ結婚を許してくれるならやってもいいというモダンボーイもいて、大変なごやかになる。この時部長殿が頭目に酒を呑ませて相談を重ねると、頭目は「では神様に詫びを入れるから、酒をもう1本供えてほしい」ということになり、駐在所員の飲み料の1升びんが持ち出された。頭目はにこりともせず栓をぬき、なに事か呪文らしきつぶやきがあって、さていうには「今晩のまね事は、神様が見ぬふりをすることに話がついた」と宣言した。こうして、結局指定によって青年団の幹部である模範青年たちが、晴れの席についたのである。
 高砂族はこのように、フィクションというものが考えられない民族で、今まで仮面を含めて、演劇という形式が育たなかった。これも民俗学の問題になるテーマであろうかと思う。

 ライ社(カビヤン社の同族)でのエピソードである。私の頭の中で電球が灯(とも)った。Difang~『セデック・バレ』を経て台湾にハマったわけだが、その道筋はこの文章に出会うためだったとさえ思えた。

 ユヴァル・ノア・ハラリはフィクションを信じる力が人類を発展させた(『サピエンス全史』)と説くが、未開部族にはフィクションという概念が存在しなかった。つまり主観だけで生きていることになる。先祖から代々受け継がれてきた物語や、あるいは右脳の声(ジュリアン・ジェインズ)はそのまま事実として認識されたのだろう。

 小説における劇中劇をメタフィクションという。小説の中で小説を読んだり、小説を批評する手法である。知能が発達した動物は自己鏡像認知が可能であるが、メタフィクションは合わせ鏡認知といってよい。高砂族はメタ認知能力を欠いていた。部族がより大きなコミュニティ(国家)に発展できなかった原因もここにある。

 この凄さが理解できるだろうか? 高砂族に対する私の憧れはいや増して太陽のように輝く。フィクションという概念がないのだから高砂族は嘘をつくことができない。すなわち「騙(だま)す」という行為と無縁である。

 フィクションは多くの人々を結びつけ機能を有した嘘である。我々は自ら喜んで騙される。宗教や国家に。アイデンティティとは信じられる虚構の異名に過ぎない。

 もちろん集団が大きくなればなるほど文明は発達し、社会も高度化される。事実として高砂族は日本や中華民国あるいは中国共産党に勝つことができなかった。だが一対一ならば我々は負ける。彼らの優れた身体能力と首刈りの勇気に太刀打ちすることは難しい。

 果たしてどちらが幸せなのだろうか? 私には判断がつかない。ただじっと高砂族の音楽に耳を傾けるだけだ。

 昨年の12月のことだが母の誕生日にCDを贈った。プレゼントをするのは小学2年生以来のこと。45年前、私は大事にしていた赤いプラスチックの指輪を母に手渡した。今思えば取るに足らないお菓子のオマケだが私にとっては宝物だった。そして45年後に再び宝物といえる音楽と巡り合った。虚構(フィクション)なき歌声に耳を傾けよ(『Mudanin Kata/ムダニン・カタ』デヴィッド・ダーリング、ブヌン族)。




2016-09-10

「瞳を閉じて」


 ・「瞳を閉じて」

『ルージュの伝言+ANNIVERSARY』キャロル・セラ

 1974年(昭和49年)に長崎県立五島高等学校奈留分校(現・長崎県立奈留高等学校)の女子生徒が奈留分校に合った校歌を作ってほしいとラジオの深夜番組『オールナイトニッポン』の「あなただけのイメージソングを作ります」のコーナーに投書し、当初加藤和彦が曲を作り番組でもオンエアされた。しかし依頼者の許に届けられる筈だった録音テープが行方不明になり、改めて荒井由実作詞・作曲による「瞳を閉じて」が贈られた。

 1976年、同校は長崎県立五島高等学校奈留分校より長崎県立奈留高等学校として独立したが、その際にこの曲を校歌とするか検討された結果、校歌ではないが愛唱歌として制定された。このエピソードはNHKのドキュメンタリー番組「新日本紀行〜歌が生まれて そして〜」で取り上げられた。

 1988年には同校卒業生の寄付で松任谷由実直筆による歌詞を刻んだ歌碑が建立され、除幕式には松任谷本人も訪れた。その後、この曲は卒業式は勿論、島民が島を離れる船の出港の際にも流される等、島全体の愛唱歌となった。

Wikipedia

 実に荒井由実が二十歳(はたち)の時の作品である。ユーミンは14歳でスタジオ・ミュージシャン、15歳から作詞家、17歳から作曲家として現在に至る。スタジオ録音を聴けば直ぐにわかるがコーラスは山下達郎である。










MISSLIM
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荒井由実
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2016-08-19

エル・システマとグスターボ・ドゥダメル


 近接格闘術のシステマを検索していたところ、「エル・システマ」を知った。

 ベネズエラで行われている公的融資による音楽教育プログラムの有志組織であり、1975年に経済学者で音楽家のホセ・アントニオ・アブレウ博士によって「音楽の社会運動」の名の下で設立された。

Wikipedia

 あのグスターボ・ドゥダメルもエル・システマ出身だという。ドゥダメルの名を一躍有名にした「マンボ」はシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(25歳以上の青年)の演奏である。クラシック音楽と縁のない人でも十分楽しめる。

 貧困は青少年から自信を奪い、ふとしたきっかけで転落することも珍しくない。まして南米の犯罪は銃や麻薬が絡んでくる。ブラジルの映画『シティ・オブ・ゴッド』はストリート・チルドレンの抗争を描いた作品だが実話に基づいている。登場するストリート・チルドレンは全部本物で構成もアドリブ中心だ。


 打ち込める何かがあれば青少年は道を踏み外すことはない。好きなものがあれば自暴自棄になることを避けられる。音楽を通した教育活動は長い目で見れば必ずやベネズエラを精神大国としてゆくことだろう。









魂の教育 エル・システマ ~音楽は世界を変える~ [DVD]

世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ: エル・システマの奇跡エル・システマ―音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策貧困社会から生まれた“奇跡の指揮者

2016-05-18

アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ


 ・Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
 ・アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ

 ま、個人的な所感に過ぎない。若い頃ほど音楽を聴くことに情熱を傾けていないため、見逃しているアーティストもたくさんいると思う。それでもこの3人は私のアンテナに引っ掛かった。ポピュラーミュージックの淵源はアフリカのリズムとアジアの謡(うたい)にあると中村とうようは指摘する。そのアフリカから生まれたメロディは優しく耳をくすぐる。広告会社が牛耳るメディアにおいては全てがマネーに換算される。音楽はポップという計算に基きベスト10化に向かう。この大衆性は衆愚であり、経済的には収奪を意味する。私がこよなく愛する沖縄音楽も伝統的な大衆性に支えられている。ケイナーン(K'Naan)はソマリア、テテ (Tété)はセネガルの出身。ストロマエ(Stromae)はベルギー生まれで父親がルワンダ人。





トルバドゥール~チャンピオン・アルバム









L'air De Rienア・ラ・ファヴール・ドゥ・ロートン裸のままで



Racine Carree

2016-05-15

Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付


 ・Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
 ・アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ

 中野信子の好きな曲。ストロマエはベルギー生まれのヒップホップミュージシャンだ。父がルワンダ人で母がベルギー人という家庭に生まれ、幼い頃に父がルワンダへ去ってしまう。そして父はルワンダ大虐殺の犠牲となった。こうした実体験を踏まえると、歌詞が示すものはあまりにも複雑で重い。

 ニコ動が表示できないので、リンクを貼り付けておく。

【ニコニコ動画】【HD】 Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付




(1:29:00から。観客の大合唱。バックメンバーに Yoshi Masusda という日本人がいる。1:37:30)

Racine Carree

stromaeのpapaoutaiが衝撃的!!

2016-04-22

プリンス、逝く








Purple Rain (1984 Film)

2016-01-15

山根麻以


 山根麻衣改め山根麻以。いやあ、ぶったまげた。凄い歌い手がいたものだ。