2016-03-26

「人類の法廷」は可能か?/『国民の歴史』西尾幹二


 ・白人による人種差別
 ・小林秀雄の戦争肯定
 ・「人類の法廷」は可能か?

『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

 しかし、ニュルンベルク裁判を可能にする正義の視点とはいったいなんであろう。諸国家を超えた正義の視点は、はたして成り立つのか。 Humanity に当たるドイツ語 Menschlichkeit は人道であると同時に「人類」の意味である。 humanity も humankind の意味であり、まさに「人類に対する罪」と訳されるべきだろう。本稿の冒頭に掲げた「人類の法廷は可能か」以下の一連の問いがまさにここで初めて大規模な形式で地上に提起されたのであった。
 しかしここで立ち停まってよく考えていただきたい。その正義の視点も、しょせんは戦勝国の力の結果であった事実は争えない。ドイツは力によって沈黙させられたのである。それが民主主義の勝利、理性と善の勝利であったなどというのは作り話であって、力が一定の効果を収めたあとの結果にすぎない。もし、ドイツが勝利していたなら、戦後の国際社会の正義のかたちと内容は、相当に大きく変わるほかなかったであろう。実際ソ連は、長いあいだ巧みに勝利者の顔をしつづけることができたため、スターリンの悪事はいまだに何%か正義の名前で隠されているのである。正義のフィクションをつくるだけでも、暴力なしでは成り立たないのだ。諸国家を超えた普遍的で絶対的な正義というのものは、はたしてあるのかという疑問がここから生じる。
 すなわち、私が本稿の冒頭で掲げた「人類の法廷」は可能か、人は人類の裁き手になりうるのかというあの問いは、しょせんなんらかの力を前提とした相対的な判定によって得られるものであって、そうなれば、それらの力を行使しえた特定の国々の基準が、人類の名において正義として通るという矛盾を100%排除することはできない。ニュルンベルク裁判は、そのような矛盾を抱えた裁判だった。それを和(やわ)らげたのは、歴史上類を見ないナチスドイツによるむごたらしい大量殺戮の数々のデータと歴史によるのである。

【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】

 敗者を裁く時、勝者は「人類」を名乗った。ニュルンベルク裁判で連合国はナチス・ドイツによるホロコーストを看過することはできなかった。そこで編み出したのが「人道に対する罪」と「平和に対する罪」であった。いずれも事後法である。

 この論理が東京裁判にも持ち込まれる。日本は有色人種であるため「文明」の名において罰せられた。ただし日本の場合、ヒトラーのような独裁者は存在しなかったし、大量虐殺もなかった。アメリカは広島・長崎の原爆ホロコーストを糊塗するために、日本軍の南京大虐殺をでっち上げ、死者数もほぼ同数の30万人とした経緯がある。

 第一次世界大戦で日本は勝った連合国側にいた。その後発足した国際連盟でも日本は最初から常任理事国であった。満州国建国を否定された日本が国連を正式に脱退するのは1935年のことである(※松岡洋右日本全権の国連演説「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」は1933年)。




 国連でケツをまくった松岡を「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す」と朝日新聞は報じ、国民は松岡の帰国を大歓声で迎えた。

「人類の法廷」を可能にしたのは白人の傲(おご)りであった。なかんずく第二次世界大戦後のアングロサクソンの増長ぶりは目に余る。敗れた日本は義務教育で英語を学ばされる羽目となった。

 日本の近代化そのものは奇蹟的な営みであったが、帝国主義の潮流に乗るのが遅すぎた。国家としての戦略も欠いていた。日清戦争における三国干渉(1895年)以降、国民の間には不満が溜まりに溜まっていた。

 歴史は実に厄介なものである。日本の場合、進歩的文化人や日教組を中心とするマルクス史観が学校教育で教えられ、大東亜戦争以前の歴史は暗黒史として長らく扱われてきた。もちろん連中はGHQが日本を骨抜きにするための戦略に乗っかっただけのことである。ようやく自虐史観から目覚める人々が現れたのが1990年代だった。北朝鮮による拉致被害や、中国・韓国の反日運動をきっかけに日本の近代史を見直す機運が一気に高まった。ところが中には単純な「日本万歳本」も少なくない。

 大東亜戦争は避けようがなかったとは思う。また日本が立ち上がったことによってアジア、中東、アフリカ諸国までもが独立に至ったことも間違いない。だからといって「大東亜戦争が正しかった」という結論にはならない。確かなことはGHQが日本から国家としての意志を剥奪(はくだつ)したという点である。日本は国体を死守するために他のすべてを犠牲にした。

決定版 国民の歴史〈上〉 (文春文庫)
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アルボムッレ・スマナサーラ、他


 4冊挫折、1冊読了。

パリは燃えているか?(上)』ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール:志摩隆〈しま・たかし〉訳(早川書房、1966年/ハヤカワ文庫、1977年/ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース、2005年/ハヤカワ文庫新版、2016年)/二度目の挫折。体力不足で読み切れず。

無縁社会』NHKスペシャル取材班(文春文庫、2012年/文藝春秋、2010年、NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会 “無縁死”三万二千人の衝撃』改題)/行間から嫌な匂いがプンプンしている。NHKという安全な立場から社会正義の鎧(よろい)を身にまとい、「不幸な人々」を商品化するビジネスモデルといってよい。しかもテレビ番組の二次商品化である。文章は悪くない。悪くないからこそ、より一層悪臭が際立つのだ。平成26年度のNHK職員平均年収は1160万2859円となっている。「取材班」の給与は当然もっと上だろう。「こんなに大変な人がたくさんいるんですよ」といった内容を超えていない。

老人漂流社会 他人事ではない“老後の現実”』NHKスペシャル取材班(主婦と生活社、2013年)/これまた同様。社会問題を指摘するだけの似非ジャーナリズム。

 36冊目『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ(佼成出版社、2003年)/再読。易(やさ)しいのだが決して浅くない。真理というものは我々が想像するよりもずっとシンプルなのだろう。ただし悟性の輝きは見られない。この人は飽くまでも解説者である。別の本で中村元訳に対する嫌味を書いていたが、もしそれが本当ならきちんとした『ダンマパダ』の訳書を出すべきだろう。それをしないところにこの人物の性根が透けて見える。

ダン・アリエリー著『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』が文庫化

予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

「現金は盗まないが鉛筆なら平気で失敬する」「頼まれごとならがんばるが安い報酬ではやる気が失せる」「同じプラセボ薬でも高額なほうが効く」――。人間は、どこまでも滑稽で「不合理」。でも、そんな人間の行動を「予想」することができれば、長続きしなかったダイエットに成功するかもしれないし、次なる大ヒット商品を生み出せるかもしれない!行動経済学ブームに火をつけたベストセラーの文庫版。

比較トラップ/『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

2016-03-24

大塚貢、田中森一、佐藤優、北野幸伯、他


 2冊挫折、5冊読了。

報復』ジリアン・ホフマン:吉田利子訳(ヴィレッジブックス、2004年)/訳が悪い。

日本の長者番付 戦後億万長者の盛衰』菊地浩之(平凡社新書、2015年)/読み物たり得ず。単なる資料だ。

 31冊目『隷属国家 日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(ダイヤモンド社、2008年)/北野の著作はインテリジェンス入門としてうってつけだ。佐藤優のような嘘も感じられない。日本にとって真の脅威は中国であり、単純な反米感情の危険性を説く。食料安保、移民問題など。

 32冊目『日本自立のためのプーチン最強講義 もし、あの絶対リーダーが日本の首相になったら』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2013年)/ロシアを追われたプーチンが日本を訪れ柔道三昧の日々を送る。そこへ日本の首相がやってきて諸々の政治問題を相談する。プーチンという強いリーダー像を通して日本の政治家に欠けている資質が明らかになる。わかりやすく巧みな設定だ。

 33冊目『日本人の知らない「クレムリン・メソッド」 世界を動かす11の原理』北野幸伯〈きたの・よしのり〉(集英社インターナショナル、2014年)/北野本4冊目。重複した内容が目立つ。ただし最新情報が盛り込まれている。最終章の「『イデオロギー』は国家が大衆を支配する『道具』にすぎない」という見出しは覚えておくべきだ。

 34冊目『正義の正体』田中森一〈たなか・もりかず〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(集英社インターナショナル、2008年)/面白かった。19時間の対談で1冊の本が出来上がるのだから、やはりこの二人は只者ではない。佐藤が凄いと思った人物は小渕恵三とエリツィンであるという。どちらのエピソードも実に興味深く、知られざる素顔が見える。

 35冊目『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平(コスモ21、2012年)/DVD付きで1500円。北野本で知った。一読の価値あり。DVDを先に見た方がよい。この講演会から生まれた書籍である。大塚が校長を務めた中学では、学校の廊下をバイクが走り回り、煙草の吸い殻を拾うと1時間でバケツが一杯になったという。大塚は三段階改革で学校を変えた。まず最初に非行の原因は「面白くない授業にある」として、授業を魅力的なものに変えた。続いて給食をパンから米中心に変え、無農薬・低農薬の地元野菜にした。地産地消である。そのために学校への補助金が打ち切られた。最後に学校を花で飾った。各クラスが花壇を担当して種から花を育てた。生徒たちは激変した。安部司の引用など危うい記述も目立つが、取り組み自体は素晴らしいと思う。本を先に読んでしまうと、まるで鈴木が主催するエジソン・アインシュタインスクール協会の宣伝本に見えるが、講演DVDを先に見れば腑に落ちる。西村は新日本の現役プロレスラーで東京文京区議会議員と二足のわらじを履く人物。