2016-05-21

怨みと怒り/『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳


『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール

 ・『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳

『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
ブッダの教えを学ぶ

 ブッダは、耳で聴いてわかる、平易な日常的な言葉で、あらゆる階層、境遇の民衆に親しく語りかけました。かれの言葉は、「目覚めた人」、「努める人」、「まことの人」、「心の汚(けが)れ」、「安らぎ」といった響きの、現代日本人にごく自然に受け止められる言葉であって、けっして「仏陀」(ぶっだ)、「沙門」(しゃもん)、「阿羅漢」(あらかん)、「煩悩」(ぼんのう)、「涅槃」(ねはん)といったとっつきにく難解な用語ではありませんでした。ブッダの言葉が、多くの民衆に広く受け入れられ、やがて仏教という偉大な宗教が誕生することになった要因の一つは、その平易さにあったと思われます。

【『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(トランスビュー、2013年)以下同】

 仏教呼称の問題については「テーラワーダ(長老派)を初期仏教、大衆部と上座部を中期仏教、自称大乗を後期仏教」(『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ)と書いた通りである。初期仏教を南伝仏教、後期仏教を北伝仏教ともいう。


 次に初期仏教の呼称も様々あるのだが私は「パーリ三蔵」と呼ぶ。

 パーリ三蔵は律蔵経蔵論蔵三蔵から成る。

 大蔵出版が刊行している『南伝大蔵経』(全65巻70冊)の構成は、『律蔵』(5巻5冊)、『経蔵』(39巻42冊)、『論蔵』(14巻15冊)、『蔵外』(7巻8冊)となっている。『蔵外』には『ミリンダ王の問い』などが含まれている(パーリ語経典入門)。因みに北伝の漢訳大蔵経は1076部5048巻となっている。

 律は戒律、経はブッダの教え、論は解説である。経蔵は長部(じょうぶ/長編経典集)、中部(ちゅうぶ/中編経典集)、相応部(そうおうぶ/テーマ別短編経典集)、増支部(ぞうしぶ/数字別短編経典集)、小部(しょうぶ/特異な経典)に分かれる。長部の読みが「ぢょうぶ」か「ちょうぶ」かは不明。

 ダンマパダやスッタニパータは小部経典である。

 今枝の指摘は正しいと思う。難解な言葉は思考に衝撃を与えることはあっても生き方を変えるまでに至らない。ブッダが説いたのは法であって論理ではなかった。法とは真理である。誰が聞いても心から「そうだ!」と感じるものが真理だ。西洋哲学は神を目指して形而上に向かい、人々の心から離れていった。そして仏教もまた各部派間の争いや、復興するヒンドゥー教に対抗して絢爛極まりない論理を構築していった。

 初期仏教が日本で本格的に研究されるようになったのはここ数十年のことである。それでも尚、多くの仏教学者は初期仏教のみを真実として後期仏教を排除するべきではないと考えている。こうなるとブッダの教えというよりは、仏教という思想史・文化史となってしまう。ただし初期仏教が「ブッダの言葉」そのものであるかどうかは誰にもわからない。ゆえに初期仏教からブッダの声を探るのが正しいあり方だと私は考える。

 ものごとは心に煽(あお)られ、心に左右され
 心によってつくり出される。
 もし人が、汚(けが)れた心で
 話し、行動するならば
 その人には、苦しみがつき従う。
 車輪が、荷車を牽(ひ)く牛の足跡につき従うように。

 ものごとは心に煽られ、心に左右され
 心によってつくり出される。
 もし人が、清らかな心で
 話し、行動するならば
 その人には、幸せがつき従う。
 影が、からだを離れることがないように。(一・ニ)

 冒頭の一偈である。我々は心に支配されている。心は決して自由になることがない。修行とは心を修めると書くがその目的は心を修めることにある。

 泥のような欲望がある限り幸福は訪れない。そして汚(けが)れた瞳を通せば世界は汚れたものにしか映らない。日常生活においては誰もが自制心を持ち合わせているが、ふとしたきっかけを通して劣情が吹き出す。感情に対して感情で応答するところに諍(いさか)いが生まれ、喧嘩に発展し、人を殺すことさえある。国家の戦争を支えているのはこうした我々の生き方なのだ。

 特に強い者が弱い者に対する暴力性はとどまることを知らない。いじめはもとより大人と子供、上司と部下、売り手と買い手、資本家と労働者に至るまで、ありとあらゆる無作法がまかり通る。暴力がハラスメント(嫌がらせ)という陰湿な形をとるようになったのはバブル景気の頃(1980年代後半)からである。抑圧は精神に長期的なダメージを与える。少子化によって家族が、リストラによって職場が、転勤によって地域がコミュニティの力を失いつつある。一度崩壊したモラルは元に戻れない。決壊したダムのようなものだ。

 果たして「悪人は必ず不幸になる」と言い切れるだろうか? ここが難しいところだ。インディアンを虐殺し、アフリカ人を奴隷にしたアメリカ人は不幸になっただろうか? パレスチナ人を殺戮し続けるイスラエル人、ツチ族を惨殺したフツ族が不幸になっただろうか? 広島と長崎に原爆を落としたルーズヴェルトやトルーマンが不幸になっただろうか? それはわからない。わかるわけがない。なぜなら人生とは「私の人生」しか存在しないのだから。ブッダの言葉を自分の外に置いて読むのは誤りだ。

「あの人はわたしを罵(ののし)った。あの人はわたしを傷つけた。
 あの人はわたしを負かした。あの人はわたしから奪(うば)った」
 そういう思いを抱(いだ)く人には
 怨(うら)みはついに消えることがない。

「あの人はわたしを罵った。あの人はわたしを傷つけた。
 あの人はわたしを負かした。あの人はわたしから奪った」
 そういう思いを抱かない人には
 怨みは完全に消える。(三・四)

 じつにこの世においては
 怨みが、怨みによって消えることは、ついにない。
 怨みは、怨みを捨てることによってこそ消える。
 これは普遍的真理である。(五)

 わたしたちは、死すべきものである。
 人々はこのことを理解していない。
 しかし、人がこのことを意識すれば
 争いはしずまる。(六)

 スッタニパータにおいてブッダは怒りを「蛇の毒」に譬(たと)える(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳)。またスマナサーラによれば怒りを示すパーリ語「ドーサ」には「穢れる」「濁る」「暗い」という意味があるという(『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ)。「怨み」とは「持続した怒り」であろう。

 宗教の歴史は分断の歴史である。仏教も例外ではない。何をどう言い繕おうとも「争い」の事実を隠すことはできない。宗教は民族をも規定した。そして宗教が戦争の原因となった。

 怨みはどこからでも生じる。「私を誤解した」「私を馬鹿にした」「私を傷つけた」「私を殴った」……。更に最悪の場合を考えれば「私の家族を殺した」まで行き着く。チェチェン人は先祖が殺されれば、相手の7代までに渡って必ず復讐する(『国家の崩壊』佐藤優、宮崎学)。やられたらやり返せというのが人類の歴史であった。そしてより戦闘的な民族が栄えた。今、世界を支配するのはアングロ・サクソン人である。

 ブッダは「許せ」とは言っていない。ただ「怨みを捨てよ」と教える。許すことは難しいが捨てることなら何となくできそうな気がする。怨みは自我に基き自我を強化する。「私を――」との思考メカニズムを解体しない限り、怨みを捨てることはできない。怨みや怒りを固く握っている自分自身を理解すれば、手の力は弱まる。あとは放すだけだ。

 怒りや怨みが蛇の毒のように自分を冒す。「自分が正しい」と思い込んでいるうちは怒りを正当化するのが我々の常だ。そこに落とし穴がある。正しい怒りなど存在しない。仏教では最低の境涯を地獄界と名づける。その要因は瞋恚(しんに)すなわち瞋(いか)りである。怒りは地獄の因と心得よ。サッと怒りの感情が湧いたなら、まずは言葉を飲み込み、鼻から大きく息を吸う。そしてゆっくりと口から吐く。これを三度繰り返すとよい。

日常語訳ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉

2016-05-18

トム・マクナブ著『遥かなるセントラルパーク』が復刊

遥かなるセントラルパーク 上 (文春文庫)遥かなるセントラルパーク 下 (文春文庫)

 ロサンジェルスからニューヨークまで5000キロ。アメリカ大陸横断ウルトラマラソンがはじまる。イギリス貴族、人生の逆転を狙う労働者、貧しい村のために走るメキシコ人、ガッツを秘めた美しき踊り子……2000人のランナーが、誇りをかけてセントラルパークめざして走りはじめる!圧倒的な感動と興奮の徹夜本、堂々の開幕。

 次々に脱落してゆくランナーたち。砂漠では猛暑と豪雨が、ロッキー山脈では寒さが襲い、オリンピック委員会の妨害でレースは中止の危機に。だが誇りをかけて走りつづける彼らは、力を合わせて敢然とトラブルに挑み、ともに遙かなるセントラルパークをめざす。そこで待つのは「感動」の二文字には収まりきれない圧倒的な感情だ。

ラッセル・ブラッドン著『ウィンブルドン』が復刊

ウィンブルドン (創元推理文庫)
ラッセル・ブラッドン
東京創元社
売り上げランキング: 412,411

 キングとツァラプキン。境遇の異なる若きテニス世界ランカーは、試合を通じて意気投合し親友となった。彼らは互いに高めあい、やがてともにウィンブルドン選手権への出場を果たす。だが、その世界一の大舞台では、ある大胆な犯罪計画が実行されつつあった――。青年たちの友情を軸に、白熱する試合と犯罪の行方を描いて手に汗握らす、極上のスポーツ小説にして大傑作ミステリ!

増谷文雄、梅原猛、アーナルデュル・インドリダソン、中野剛志、中野信子、適菜収、他


 5冊挫折、3冊読了。

津波てんでんこ 近代日本の津波史』山下文男(新日本出版社、2008年)/震災史としての津波はよく描けているのだが、随所に東京裁判史観を盛り込む政治的意図があざとい。山下は「津波てんでんこ」という言葉を広めた人物として有名だが、元日本共産党中央委員会文化部長でもある。イデオロギーに毒された人物は全体が見えない。自分たちに都合のよい部分情報を引用しがちである。つくづく残念な一書である。

ORのはなし 意思決定のテクニック』大村平〈おおむら・ひとし〉(日科技連出版社、1989年/改訂版、2015年)/難解である。入門書に当ってから再挑戦。

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー:鬼澤忍〈おにざわ・しのぶ〉訳(講談社、2010年)/文章というよりは説明能力の問題か。読んでいて閃くものがない。

密教とマンダラ』頼富本宏〈よりとみ・もとひろ〉(NHKライブラリー、2003年/講談社学術文庫、2014年)/上に同じ。

和訳 理趣経』金岡秀友〈かなおか・しゅうゆう〉(東京美術、1991年)/七五調の韻文とした努力は買うが、安っぽい印象を拭えず。俗っぽさが際立つ。文語調にした方がよかったと思う。取り敢えず理趣経の内容はわかったのでもう必要ない。

 67冊目『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』中野剛志〈なかの・たけし〉、中野信子、適菜収〈てきな・おさむ〉 (文春新書、2016年)/この3人が呑み友達だったとはね。いやあびっくりした。中野剛志が1971年生まれで、他の二人は75年生まれ。頭のよい連中の話は面白い。一日で読み終えた。適菜収の肩書きは評論家となっているが安倍晋三や橋下徹を呼び捨てにする品性のなさが説得力を弱めている。はっきり言えば頭のいいオタクにしか見えない。amazonで低い評価をつけているのは左寄りの連中だろう。

 68冊目『』アーナルデュル・インドリダソン:柳沢由実子訳(東京創元社、2015年)/既に何度か書いているが柳沢由実子は引退するべきだ。時折、文章が危うくなっている。アーナルデュル・インドリダソンの和訳3冊目だが出来はよくない。などとケチをつけても二日間で読める。

 69冊目『知恵と慈悲「ブッダ」 仏教の思想 1』増谷文雄〈ますたに・ふみお〉、梅原猛(角川書店、1968年/角川文庫ソフィア、1996年)/勉強になった。初期仏教の探求が昭和40年代から行われていた事実に驚かされた。尚、梅原の「第三部 仏教の現代的意義」は飛ばした。全12巻のシリーズである。

アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ


 ・Stromae - Papaoutai (PV) 歌詞・和訳付
 ・アフリカの才能 ケイナーン、テテ、ストロマエ

 ま、個人的な所感に過ぎない。若い頃ほど音楽を聴くことに情熱を傾けていないため、見逃しているアーティストもたくさんいると思う。それでもこの3人は私のアンテナに引っ掛かった。ポピュラーミュージックの淵源はアフリカのリズムとアジアの謡(うたい)にあると中村とうようは指摘する。そのアフリカから生まれたメロディは優しく耳をくすぐる。広告会社が牛耳るメディアにおいては全てがマネーに換算される。音楽はポップという計算に基きベスト10化に向かう。この大衆性は衆愚であり、経済的には収奪を意味する。私がこよなく愛する沖縄音楽も伝統的な大衆性に支えられている。ケイナーン(K'Naan)はソマリア、テテ (Tété)はセネガルの出身。ストロマエ(Stromae)はベルギー生まれで父親がルワンダ人。





トルバドゥール~チャンピオン・アルバム









L'air De Rienア・ラ・ファヴール・ドゥ・ロートン裸のままで



Racine Carree