2012-04-16

災害に直面すると人々の動きは緩慢になる/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー


『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ

 ・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
 ・避難を拒む人々
 ・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
 ・英雄的人物の共通点

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

 いわゆる「サバイバーもの」である。9.11テロ以降に確立されたジャンルと考えていいだろう。「生死を分かった」情況や判断についての考究だ。優れた内容であるにもかかわらず、結論部分で九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くような真似をしている。これについては後日触れる。

 1983年から2000年の間に起こった重大な事故に巻き込まれた乗客のうち、56パーセントが生き残った(「重大な」というのは、国家運輸安全委員会の定義によると、火災、重症、【そして】かなりの航空機の損傷を含む事故である)。

【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】

 この文を読んで乗り物としての飛行機に不安を抱く人は、危機に際して冷静な判断をすることが難しい。航空機に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.0009%である(アメリカの国家運輸安全委員会の調査による)。

いろんな確率

 ヒューリスティクス認知バイアスを避けることができない。

ひらめき=適応性無意識/『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル

「技術者が自分の設計しているもののことを知りたければ、それに強いストレスを与えてみればいい」と、米軍で20年あまり人間行動を研究してきたピーター・ハンコックは述べている。「それは人間についても同じである。普通の状況下で物事がどのように機能するのかを知りたいと思えば、わたしたちがストレス下でどう機能するのかをつまびらかにしてみると、興味深い結果が得られるだろう」。

 災害時における人々の研究は結構なスピードで進んでいる。現実問題と密接に関わっているのだから人々の関心も高い。では、災害に直面した人々の心理や行動にはどのような共通性があるのか?

 いったん否認段階の最初のショックを通り抜けたら、生存への第2段階である「思考」に移ってゆく。何か異常事態が発生しているとわかっているのだが、それをどうしたらいいのかわからない。どのように決断を下すべきだろう? 最初に理解しておくべきことは、何一つとして正常ではないということだ。わたしたちは平時とは異なった考え方や受け取り方をする。

 我々は信じ難い場面に遭遇すると「現実から逃避」するのだ。見て見ぬ振りをし「何かの間違いであって欲しい」と願う。ただ、これ自体は健全な心理メカニズムであって本質的な問題ではない。

(※世界貿易センター爆破事件、1993年)人々は異常なほどのろのろと動いた。爆発から10時間たっても、まだオフィスから避難していない人たちを消防士は発見していた。

「動きが緩慢になる」という事実は重要な指摘で、しっかりと頭に叩き込んでおくべきだ。茫然自失の態(てい)で客観的な判断ができなくなる。「何が起こったのか」が把握できないから、「どうすればよいか」もわからない。

 そして過去の経験も役に立たない。同じような災害を経験した人物が、同じ行動を繰り返した様子が描かれている。

 カナダの国立研究協議会のギレーヌ・プルーは、1993年と2001年の両年に、世界貿易センターでの行動を広範囲にわたって分析した数少ない研究者の一人だ。彼女が目撃したものは、ゼデーニョの記憶と合致する。「火災時における実際の人間の行動は、“パニック”になるという筋書きとは、いくぶん異なっている。一様に見られるのは、のろい反応である」と、雑誌「火災予防工学」に掲載された2002年の論文に彼女は書いた。「人々は火事の間、よく無関心な態度をとり、知らないふりをしたり、なかなか反応しなかったりした」

 たぶん思考回路がセーフモードとなるのだろう。「触(さわ)らぬ神に祟(たた)りなし」的な心理が働くのだ。脳の情動機能には「わからないものは危険なもの」という古代からの刷り込みがあるはずだ。

 笑い――あるいは沈黙――は、立ち遅れと同様に、典型的な否認の徴候である。

 否認兆候としての笑いは意外と多く見受けられる。フジテレビで菊間アナウンサーの転落事故があったが、これをスタジオから見ていた同僚の女子アナは笑っていた。

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 なぜわたしたちは避難を先延ばしするのだろうか? 否認の段階では、現実を認めようとせず不信の念を抱いている。我が身の不運を受け入れるのにしばらく時間がかかる。ローリーはそれをこう表現している。「火事に遭うのは他人だけ」と。わたしたちはすべてが平穏無事だと信じがちなのだ。なぜなら、これまでほとんどいつもそうだったからである。心理学者はこの傾向を「正常性バイアス」と読んでいる。

「正常性バイアス」とは認知バイスのことである。「火事に遭うのは他人だけ」というのは名言だ。「振り込め詐欺に引っ掛かるのも他人だけ」と思っている人々がどれほど多いことか。いまだに被害者が後を絶たない。

 想像力を欠いてしまえば具体的な訓練に取りかかることは不可能だ。

(※9.11テロの)攻撃後の1444人の生存者に調査したところ、40パーセントが脱出する前に私物をまとめたと答えている。

 死が迫りゆく中で普段通りの行動をするのだ。何と恐ろしいことだろう。知覚の恒常性ならぬ、「世界の恒常性」が作用しているのだろう。

 実際に災害に直面すると群集は概してとても物静かで従順になる。

 それゆえ大声で明確な指示を与える人物が必要となる。羊の群れをけしかける犬のような人物が。

 次の文は、災難は自分のすぐそばでしか起きていないという強い思い込みについて、ゼデーニョが述べているものである。このような思い込みを、心理学者は「求心性の錯覚」と呼んでいる。

 それがこの文章だ。

 以下は人間の心がとてつもない危機をいかに処理するかについて述べたものである。

 わたしの足は動きが鈍くなっていた。というのも、自分が目にしているのは瓦礫だけではないことに気づきはじめたからだ。わたしの頭はこう言っている。「おかしな色だ」。それが最初に思ったことだった。それから口に出して言いはじめる。「おかしな形だ」。何度も何度も頭のなかで言う。「おかしな形だ」。まるでその情報を閉め出そうとしているかのようだった。わたしの目は理解することを拒んだ。そんな余裕はなかった。だからわたしは、「いや、そんなはずはない」と思うような状態だった。やがて、おかしな色やおかしな形を目にしたことの意味するところがついにわかったとき、そのとき、わたしが目にしているのは死体だと気づいたのだ。凍りついたのは、そのときだった。

 思考が減速し、知覚が歪んでいる状態がわかる。つまり「走馬灯状態」と正反対の動きだ。

 そのとき、ゼデーニョはまったく何も見えなくなった。「煙のせいだったの?」とわたしはゼデーニョに尋ねる。「いえ、いえ、そうじゃないわ。あそこには煙はなかった。でも、まったく何も見えなかったの」

 極度の緊張感が視覚をも狂わせる。初めて大勢の人の前で話す時、聴衆の顔を認識することは難しい。「何も見えない」という人が大半であろう。

 緩慢な動作、機能不全を起こした判断力、そして歪んだ知覚。それでも人々は「誤った希望」にしがみつく。死を経験した人物は存在しない。それゆえ「自分の死」は常に想定外だ。「諸君は永久に生きられるかのように生きている」というセネカの言葉が頭の中で反響する。


『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳

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