2014-08-19

化け物とは理性を欠いた動物/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世


『魔女狩り』森島恒雄

 ・コロンブスによる「人間」の発見
 ・キリスト紀元の誕生は525年
 ・「レメクはふたりの妻をめとった」
 ・化け物とは理性を欠いた動物

『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ
『世界史とヨーロッパ』岡崎勝世
『科学vs.キリスト教 世界史の転換』岡崎勝世
『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

キリスト教を知るための書籍
世界史の教科書
必読書リスト その四

 コロンブス以後、16世紀半ばまで、ヨーロッパ人の間で一番問題となったのはインディアンがキリスト教を理解する能力を持っているのか否か、ヨーロッパ人と同じ理性を持った存在であるのか否かという問題であった。
 ここで、先にも紹介した、アウグスティヌスの怪物的存在についての議論を想い起こそう。そこでは、彼は人間を「理性的で死すべき動物」と定義し、怪物の姿をしていようと何であろうと、この定義にあてはまれば、それはアダムとエヴァの子孫であると断言していた。このことは、逆に言えば、人間の姿をしていても、それが「理性的」でないとしたら、それはアダムとエヴァの子孫ではないということになる。

【『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世〈おかざき・かつよ〉(講談社現代新書、1996年)以下同】

 すなわち彼らが認識する理性とは、「神を理解できる能力」を意味する。東アジアの道理とは異なるので注意が必要だ。アウグスティヌス(354-430年)については、ま、アリストテレスに次ぐ思想的巨人と考えてよかろう。で、奴の議論は植民地主義の理念そのものである。大航海時代の1000年も前からこういう人物がいたのだから堪(たま)ったものではない。

 普遍史的な世界では、ヨーロッパ以外の地は、妖怪的な人間、つまりは劣った人間たちの住む世界であり、ヨーロッパ人と同一の人間が住む場所ではなかった。こうした伝統的世界観への執着が、この議論の、もう一つの心理的背景となっていると考えるのである。

 聖書に基づく史観を普遍史というのだが、これに対するキリスト教の反省はなされたのだろうか? ひょっとすると我々ジャップはいまだにイエローモンキーと見られている可能性がある。

 ダグラス・マッカーサーが「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の少年である」(日本人は「12歳」発言)と述べたことは広く知られるが、彼にとって民主主義の成熟度は日本をキリスト教化することに他ならなかった。あいつは偉大なる宣教師のつもりだったのかもしれない。

 学問的にキリスト教を検証し、普遍史の誤謬を衝くメッセージをアジアから放つべきだろう。

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