2015-06-14

西尾幹二


 1冊読了。

 67、68冊目『決定版 国民の歴史(上)』『決定版 国民の歴史(下)』西尾幹二(文春文庫、2009年/旧版は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)/少し前に挫けたのだが意を決して再び開いた。一気に読んだ。ハードカバーだと800ページ弱の大冊である。読み物としては『逝きし世の面影』に軍配が上がるが、衝撃の度合いからすればやはり本書を今年の1位に繰り上げるべきだろう。菅沼光弘を通して私は日本の近代史に眼を開いたわけだが、それ以降読み続けてきた近代史本の頂点といっても過言ではない。私は昭和38年(1963年)生まれで後に新人類と呼ばれた世代だ。もちろん東京裁判史観に基づく戦後教育の洗礼を受けてきた。しかも道産子である。日教組が強い教育環境で、更には土地や先祖への思いが内地に比べると薄い風土で育った。祭りといえば出店を意味し、天皇陛下とも無縁であった。10代で本多勝一を読み、つい数年前までリベラルを気取っていた。西尾幹二や中西輝政など嫌悪の対象以外の何ものでもなかった。保守論客は皆傲岸に見えた。そして保守派に与(くみ)する人々にはあまり知性が感じられなかった。これは現在でもそうだ。チャンネル桜を見れば、相手を決めつけ、冷笑する態度がそこかしこに見受けられる。愛国心が黒く見えてしまうのは右翼的暴力性が滲みでているためだろう。生前の三島由紀夫が西尾に注目し高く評価していたという。私は中西輝政にはイデオロギーを感じるが西尾には感じない。西尾は人間として誠実だ。ふと思い立って西尾の動画を探した。西尾は決して議論が巧みとはいえない。相手と目も合わさないところに軽度の自閉傾向が窺える。前にも書いた通り、私が西尾を見直したのは反原発に転じた時であった。君子は豹変し、小人は面を革(あらた)む。同じく推進派から反対派に回った武田邦彦も私は尊敬する。彼らは学問に忠実なのだ。イデオロギーや特定集団の意向とは無縁だ。『国民の歴史』は日本国民が知らねばならない「白人の歴史」でもある。マッカーサーはキリスト教の布教には失敗したが、日本から愛国心を奪うことには成功した。戦後、GHQに加担したのは官僚を始め、マスコミ、学者、そして左翼であった。亡国の徒輩は今ものうのうと国益を棄損し続けている。現在の日本に必要なのは志士を育てる私塾であろう。形は違えども吉田松陰や緒方洪庵と同じものを西尾は見つめているのだろう。

1 件のコメント:

  1. 戦後GHQに加担したのは、戦後も生き残った官僚組織が主体であった。それは岸信介を中心とする旧勢力の復活でもあった。冷戦の始まりと朝鮮戦争によって、日本支配のためにアメリカが彼ら旧勢力を必要としたからである。それは、現在の政権にも引き継がれている。日本人自らの手で、先の戦争を敗戦へと導いた責任者を裁かなかったこと、それだけでなくその復活を許すというとんでもないことが起きたのである。のうのうと今も甘い汁を吸っているのは、その子孫である。戦争を引き起こし、敗戦の責任を取らずに、再び権力を握るなど、普通ではありえない。「なんでお前らがまた出てきて、支配するんだよ」これが普通の感情であるが、福島原発事故後でも、同じことが起きている。誰一人責任を取っていない。またアメリカに出てきてもらって、裁いてもらいますか?

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