2011-09-11

去りゆく季節への哀感/「夏の終わり」SION




東京ノクターンSION 20周年記念ライヴ~since1985.10.15~ [DVD]


歌詞

 好きなものについて書くのは中々難しい。ともすると「ただ好きなんだ」となってしまいがちだ。批評には一定の距離感が求められる。その意味で私が書く書評やレビューは感情に走り過ぎるきらいがある。

 SIONは以前から知っていたが、胸に突き刺さるようになったのは「同じ列車に乗ることはない」(『住人 Jyunin』収録)という曲を聴いてからのことだ。

 同じ頃からTha Blue Herbも聴くようになった。両者に共通するのは岩をも砕くような振動の力だ。私は耳をひねり上げられているような心情になるのが常だ。

 八王子では昨日からツクツクボウシが鳴き始めた。去りゆく夏を「つくづく惜しい」と告げるかのように。

 この曲に耳を傾けながら、「ああ、俺の人生の夏も終わったのか」と不意打ちを食らった。48歳にもなれば正真正銘の中年である。あと10年もすれば初老の領域だ。気づかぬうちに肉体は衰え、かつてできたことが段々とできなくなってゆくのだろう。

 風の色が変わる瞬間がある。そこで初めて我々は季節の変化を知る。人生の春秋にもそんな時が訪れる。

 五行思想では青春の後に朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)と続く。

 冬は死の季節だ。そして老境を錦秋の如く迎える人はあまりにも少ない。美しく老いることは至難の業(わざ)だ。そもそも「老い」という言葉自体が醜さを示している。我々は花に目を奪われて木の全体を見ることがない。

 中年期になると自分の周りで死者が増える。親は順序からいって当たり前だが、先輩や友人が亡くなることも珍しくない。烈風に耐え抜くだけの体力がなければ無気力の穴に陥る。

 時は移ろい、去りゆく季節と訪れる季節の間に現在がある。我が生命に去来するリズムが反響して人生の彩りを決める。

 アフマド・シャー・マスードは48歳で死んだ。周囲が思うほど彼に悔恨はなかったことだろう。完全燃焼しながら生きている人物は何ものにも執着することがないからだ。

SION

アタックNo.1のパロディ


 苦しくったって 悲しくったって 京都の中では 平家なの
「だけど……涙が出ちゃう。壇ノ浦だもん」
 坊主がうなると 公家が弾むわ

アルファルファモザイク

 神がかりのレベルだ。死ぬほど笑った。

今やり直せよ。未来を。

大地を埋め尽くすポピー


 雲間から差す柔らかな光がポピーを引き立てている。

Wiltshire Poppies

齋藤健、フィリップ・ジャカン


 2冊挫折。

転落の歴史に何を見るか 奉天会戦からノモンハン事件へ』齋藤健〈さいとう・たけし〉(ちくま新書、2002年)/著者は自民党の代議士で多摩大学大学院客員教授も務める人物。ま、頭のいい人だ。語り口もソフトで理路整然としている。歴史は大所高所から俯瞰すべきだというのが私の持論で、本書は微細な視点で書かれているため口に合わなかった。

アメリカ・インディアン 奪われた大地(「知の再発見」双書)』フィリップ・ジャカン:富田虎男監修、森夏樹訳(創元社、1992年)/構成が滅茶苦茶。せっかくのイラストが大きすぎて読み物として成立していない。創元社の見識を大いに疑う。

自炊代行バッシングと反ブックオフキャンペーンの類似 漫画家・佐藤秀峰の指摘


togetter

 これは勉強になった。著作権を通して資本主義のカラクリを鮮明に浮かび上がらせている。ユダヤ資本の手口と一緒だ。

 出版業界が著作権を盾にしてブックオフのネガティブキャンペーンを張ったが、その後大手出版社がブックオフの株主になっているとのこと。

信用創造のカラクリ