2012-02-11

ロジャー・スミス


 1冊読了。

 9冊目『血のケープタウン』ロジャー・スミス:長野きよみ訳(ハヤカワ文庫、2010年)/南アフリカ出身の作家によるノワール。中々面白かった。ギャンブルで身を持ち崩したアメリカ人が犯罪に手を貸すことを強いられ、挙げ句の果てに南アフリカへ逃亡する。悪徳警官のルディ・バーナードと夜警のベニー・マングレルが三つ巴となってメロディを奏でる。三人が三人とも追い詰められており、これが疾走感を生んでいる。逆説的ではあるがノワール(暗黒小説)は断固たる掟を描くことで、建て前としての法治国家を嘲笑する作品であることが望ましい。ストーリー上では判断ミスを巧みに設定できるかどうかが肝心で、これを登場人物のキャラクターに委ねてしまうと駄作になる。南アフリカではネックレスという処刑方法があるが、内側からの視点で書かれていて参考になる。

作家の禁じ手/『耽溺者(ジャンキー)』グレッグ・ルッカ


 ハードボイルドの文体は一人称が好まれる。三人称だと神の視点となってしまうからだ。もちろん創造者である作家は神として君臨するわけだが、リアリズムという大地を離れて作品は成立しない。その意味で本書は作家の禁じ手を犯したといってよい。

 アティカス・コディアック・シリーズの番外編で、ブリジット・ローガンが主役となっている。解説で北上次郎(目黒考二)が絶賛している。「ようやくブリジットに会えた! それが何よりもうれしい」と。金のために書かれたような文章だ。まったく信用ならない。鼻ピアスで身長が185cmのブリジットはシリーズ第1作に登場した時からやさぐれたキャラクターとして描かれている。そしてタイトルの「ジャンキー」とはブリジットのことだ。

 作家が登場人物を堕落させたり蹂躙(じゅうりん)することは最もたやすいことだ。そもそも私立探偵であるブリジットが囮(おとり)となって潜入捜査をする必然性があまり感じられない。過去の経緯(いきさつ)もさほど強いものではない。単純に考えればアティカスに頼んでやっつけてもらった方が手っ取り早いだろう。つまりリスクの選択自体に問題があるのだ。

 私に言わせれば、著者がブリジットを汚(けが)してしまっただけの話だ。このためアティカスの配慮が優柔不断にしか見えない。前巻でアティカスと関係を持ってしまったライザの身勝手さも実に底が浅い。大体、警護を生業(なりわい)とする者は果断に富んでいるのが当たり前で、善良な優柔不断さとは無縁であるはずだ。

 シリーズの寿命を延ばすためにブリジットを一度落としておく必要があったのだろうか? もしも今後の布石のためにブリジットに薬をやらせたとすれば、グレッグ・ルッカの大成は望めない。

 人間の行動には常にふたつの理由がある。
 もっともらしい理由と、真の理由が。
  ――J・P・モーガン

【『耽溺者(ジャンキー)』グレッグ・ルッカ:古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、2005年)以下同】

 このエピグラフは著者にこそ突きつけられるべきだ。

 などとケチをつけたところで、文章がいいので読めてしまうんだよね(笑)。

 ヤクの夢はそんなに親切じゃない――それは感覚の狂喜であり、

 持たざることの利点のひとつは、散らかってもたかが知れていることだろう。

「創意工夫のかけらもないね」

「人生の黄昏どきに慈しむ思い出が欲しいのよ」

 どちらも声音の芯に同質の威厳がこもっていた。

「家族ってのは常に過大評価されるんだ」

 干上がったヤク中は右や左に、重力を打ち負かすほどの角度をつけて傾いている。

 もうそれ以上、ついてやれる嘘はなかった。

「じつに気高い行為だな、シスター」

「義憤のかたまりだ」

 次の作品がダメなら、グレッグ・ルッカには見切りをつける予定だ。

妊娠中絶に反対するアメリカのキリスト教原理主義者/『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ
皮肉な会話と皮肉な人生/『奪回者』グレッグ・ルッカ
グレッグ・ルッカにハズレなし/『暗殺者(キラー)』グレッグ・ルッカ

耽溺者 (講談社文庫)