2015-01-02

鏡餅は正月の花/『季語百話 花をひろう』高橋睦郎


 ・鏡餅は正月の花
 ・奇妙な中国礼賛

 花に飾りの意味があるとすれば、正月の花の代表は鏡餅ではあるまいか。玄関の間、または屋内の最も大切な場所に、裏白(うらじろ)、楪(ゆずりは)を敷き、葉付蜜柑(はつきみかん)を戴(いただ)いて鎮座まします。一説に鏡餅のモチは望月のモチともいう。そして色は雪白(ゆきしろ)。ということは、一つに月・雪・花を兼ねていることになる。これを花の中の花といわず、何といおう。

【『季語百話 花をひろう』高橋睦郎〈たかはし・むつお〉(中公新書、2011年)以下同】

 上古は餅鏡(もちいかがみ)と呼んだらしい。鏡は銅製神鏡を擬したものと高橋は推測する。


 世界は瞳に映っている。そこに欠けた己(おのれ)の姿を浮かべるのが鏡である。ひょっとすると神仏に供(そな)える水にも鏡の役割があったのかもしれない。

 鏡は太陽を映すことから神体とされた。いにしえの人々がそこに神の視線を感じたことは決しておかしなことではない。視覚世界を構成するのは可視光線の反射であるからだ。光があるから世界は「見えるもの」として現前する。

 鏡餅に神を映し、自分を映し、改まった気持ちで元旦を迎える。改(あらた)が新(あらた)に通じる。





計篇/『新訂 孫子』金谷治訳注

 そんな鏡餅を「花」と見立てたところに興趣が香る。穏やかな気候に恵まれた日本は自然を生活に取り込み、共生してきた。その日本人が惜しげもなく自然を破壊していることに著者は警鐘を鳴らす。

 季語は私たちが日本人であること、いや人間であること、生物の一員であることの、最後の砦(とりで)であるかもしれない。

 都会だと四季の変化も乏しい。花は売り物だし、落ち葉はゴミとして扱われる。スーパーへ行けば季節外れの野菜や果物も売られている。そして風が匂わない。自然から学んできた智慧が失われれば、不自然な生き方しかできなくなる。

 高橋に倣(なら)えば季節の風習の最後の砦は正月とお盆だろう。クリマスなんぞは一過性のイベントにすぎない。一月睦月(むつき)の由来は親族一同が集って宴をする「睦(むつ)び月」とされる。仲睦(むつ)まじく楽しみ合う場所から社会は成り立つのだろう。

 そういう意味から申せばインターネットは修羅場に近い。仲のよい人々同士が集う場に棲み分けするのが望ましい。というわけで、本年も宜しくお願い申し上げます。

2014-12-31

反日教育のきっかけとなった天安門事件/『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄

 ・反日教育のきっかけとなった天安門事件
 ・60年安保闘争~樺美智子と右翼とヤクザ

『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘 2014年
『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘 2015年

 かつて(1989年)天安門事件というのがありました。そのときに、天安門を占拠した若い学生のなかから「中国共産党打倒」のスローガンが出たのですね。これに、その当時の、鄧小平〈トウ・ショウヘイ〉を中心とする古い指導者たちは物凄くショックを受けたわけですね。そこで、鄧小平たちが考えたのは、「これでは駄目だ。若者に愛国教育ややらんといかん」ということでした。愛国教育とは、「中華人民共和国をつくるについて、中国共産党が日本軍国主義の侵略を排除するためにどれだけ苦労したか」ということを教えるということです。
 つまり彼らの言う愛国教育というのはイコール反日教育です。これを江沢民体制の10年ずっとやってきた。そして、今も続けています。その成果が今日の激しい反日運動の背景にあるわけです。中国共産党がなぜ今も独裁的に中国を支配しているのか、それを正当化する理由が二つあるわけです。一つは要するに、日本軍国主義の中国侵略からこの国を解放して中華人民共和国をつくったのは共産党だということです。もう一つは、中国共産党が存在しなければ、今日の経済発展はあり得ないということです。経済発展をするためには中国共産党独裁が必要である。こういうことでこれまでやって来たわけで、それらの信念が揺らいでくると反日というマグマが噴出する。小泉純一郎首相のときには靖国が大きな問題だったけれども、靖国の問題が収まれば、今度は尖閣の問題ということになってくる。これは尖閣でも靖国でもどちらでもよいのであって、たまたま今は尖閣を問題にしただけなのです。
 したがって、その中国共産党の権威が揺らげば揺らぐほど、国内が荒れれば荒れるほど、必ずまた出てきます。今だって、年間20万件とか30万件の暴動が起きているのです。あるいは環境汚染、汚職、こんなものが絶えることなく続いている。あの国は常に何かがあるわけです。もちろん浮き沈みはあります。今は、中国の形勢が国際的に不利になってきたこともあって、ちょっと収まってきているのです。しかし、中国共産党の政権が存在する限り、こういうことはこれからも何度でもあります。
 もっとも、これが日中戦争にまで発展することは、今のところ考えられません。現状では中国がもし戦争に踏み切れば、共産党政権は崩壊するでしょう。

【『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘(ベストセラーズ、2013年)】

 本年最後の書評も菅沼光弘で締め括る。

 中国における反日教育は「物語の上書き更新」を意味する。つまり鄧小平の読みは当たったわけだ。恐ろしい事実ではあるが、大衆の再教育(≒洗脳)が可能であることを示している。

 一方、我が日本はどうか。戦後になって東京裁判史観を引き摺ったまま何ひとつ変わっていない。アメリカが施したマインドコントロールが半世紀以上にわたって続いている。

 人間は幻想に生きる動物だ。宗教・歴史・文化・芸術など全てが幻想である。その幻想を支えるアルゴリズムが価値観であるわけだが、我々は価値観を選択することができない。まず言語の縛りがある。次に親や教員に教えられることを子供は疑うことが難しい。そもそも比較する材料がない。感情的な反発は覚えても、深い懐疑に至ることはないだろう。

 日本国の再生を思えば、やはり歴史から始めるしかないというのが私の考えだ。欧米キリスト教に対抗し得るのは、天皇陛下を中心とした一千数百年にわたる独自の文明である。中国(シナ)は日本よりも古い歴史を持つが、王朝国家の興亡が連続しているため一つの国家と見なすことはできない。

 イギリス王室はウィリアム1世から始まる。1066年のことである。ヨーロッパで日本に対抗できる歴史を有するのはローマ、ギリシャくらいだろう。

 200数十年の歴史しか持たないアメリカを筆頭に、白人は天皇陛下が目障りでしようがない。聖書に記述がないというのも重要な要素である。菅沼は皇室を貶(おとし)める記事は彼らが書かせていると指摘する。もし本物の右翼がいるなら週刊誌の発行元で街宣活動を行うべきだろう。

 アメリカは歴史の浅い国であるゆえに歴史学が弱い。だからこそ日本から発信することに意味があるのだ。西洋キリスト教に対して宗教的に対抗すれば感情的な反発を避けることが難しい上、戦争になりかねない。歴史も宗教も物語であるのは一緒だが、歴史は史実に基づいているため宗教よりは科学的だ。

「現状では中国がもし戦争に踏み切れば、共産党政権は崩壊する」――実はここにこそ日中戦争の目的があるのではないか? 青写真を描くのはもちろんアメリカだ。日本と中国はキャストにすぎない。

 アメリカのシナリオを想像してみよう。中国が尖閣諸島を武力支配-日本の軍事化および核武装化-在日米軍撤収-国際紛争に日本軍が参加、とこんな感じだろう。アメリカの国防予算削減分を日本にカバーさせようという魂胆だ。

 来年が潮目となる。円安が天井を打った時点から上記シナリオは現実味を帯びることだろう。

 それでは皆さん、よいお年を。一年間ありがとうございました。

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 今年は菅沼光弘との出会いが衝撃であった。菅沼は正真正銘の国士であると思う。小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉と同じ精神の輝きを放っている。こういう人物を知ると何となく佐藤優の正体が透けて見える。本物が偽物を炙(あぶ)り出すのだ。菅沼本はあと2冊を残すのみ。ただ、語り下ろしが多いため著作の完成度はやや低く、既に紹介中ということもありランキングからは除外した。

 再読のため『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリーも除いた。二度目の方が面白いという傑作だ。

 印象に残ったものをアトランダムに紹介しよう。

 まずは山岳ものから。

』沢木耕太郎
垂直の記憶』山野井泰史

 私が山男に憧れるのは彼らを「現代の僧侶」と考えているためである。酸素が薄い酷寒の高所を登攀(とうはん)するストイシズムは大衆消費社会と全くの別世界である。沢木本は山野井夫妻を描いたノンフィクション。著名な作家が一隅を照らす人物に光を当ててくれた。よくぞ! と感嘆せずにはいられない。山野井の童顔は雰囲気がジョージ・マロリーとよく似ている。

 次にマネー本から。

国債は買ってはいけない!』武田邦彦
2015年の食料危機 ヘッジファンドマネージャーが説く次なる大難』齋藤利男

 武田本は粗雑ではあるものの、税と国債の矛盾を指摘したところが卓越している。齋藤本は食料安全保障への警鐘を鳴らした内容で、素人にもわかりやすい。

 続いて漢字本を。

三国志読本』宮城谷昌光
回思九十年』白川静

 白川と宮城谷の対談が重複している。このあたりと以下の小林本は若い人に読んで欲しい。

小林秀雄対話集 直観を磨くもの』小林秀雄
学生との対話』小林秀雄

 私は小林秀雄を感情スピリチュアリズムと考えており嫌いなのだが、この2冊は凄い。特に後者は私も待望していた作品だ。

苦海浄土  池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集 III-04』石牟礼道子

 迷いに迷った挙げ句、「必読書」に入れなかった本である。入れても構わないのだが、ノンフィクションと謳いながら、後年になって創作があったことを石牟礼は述べている。その政治性に嫌悪感を抱いてしまう。最初から「被害者の呪い」を描いた文学作品とすればよかったのだ。当時の公害に違法性がなかった事実を忘れてはなるまい。

「食べない」健康法 』石原結實

 実践中。実用書は読者の行動を変えるかどうかが勝負の分け目。わたしゃ、直ぐ実践したよ。ただし合理性には疑問が残る。

 続いて小室直樹による近代史の講義。

封印の昭和史 [戦後50年]自虐の終焉』小室直樹、渡部昇一
日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹

 小室は合理主義者であり、学問における原理主義者であるといってよい。政治性やイデオロギーとは無縁の人物だ。その小室を通して渡部昇一が「日本近代史を正しく伝える」先駆者であることを知った。1990年代、渡部や谷沢永一は右翼の片棒を担いでいると思われていた。私もその一人だ。今になってわかるが、彼ら以外は時流に阿(おもね)る学者でしかなかった。東京裁判史観を粉砕することなくして日本の独立はない。

 以上は甲乙つけがたいがゆえにランキングから外したがどれも面白い。続いてベスト15を。今年も我が選球眼が衰えることはなかった。ヨガナンダとローリング・サンダーは密教研究の重要なテキストであると考える。

 15位『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
 14位『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
 13位『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』ジョージ・ジョナス
 12位『ブッダの教え 一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
 11位『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
 10位『サバイバル宗教論』佐藤優
 9位『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾
 8位『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
 7位『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
 6位『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄&『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
 5位『あるヨギの自叙伝』パラマハンサ・ヨガナンダ
 4位『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド
 3位『生きる技法』安冨歩
 2位『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
 1位『生物にとって時間とは何か』池田清彦

2014-12-30

渡部昇一、谷沢永一、小室直樹、菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄


 2冊読了。

 99冊目『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉、小室直樹(祥伝社、2001年)/BS放送(BOOK TV)の鼎談を編んだもの。やや散漫なのは致し方あるまい。博覧強記で知られる3人であるゆえ、近代史の細部を語ってあますところがない。私が谷沢の『紙つぶて(全)』を読んだのは30年以上前になる。1990年代から谷沢は右傾化する。当時はそんな風に思っていた。私の世代だと圧倒的に本多勝一を読む者の方が多かった。再び谷沢の著書を手に取るまでに20年を経過している。これ自体が東京裁判史観に毒されていた証拠といえよう。渡部や谷沢は先駆者であった。ここにミスター合理主義の小室が加わっているのだから、単純なイデオロギーに基づく議論でないことは明らかだ。晩年の谷沢はうつ病に苦しんだが、私の知る編集者によく電話をかけていた。ふとそんなことが記憶から蘇る。

 100冊目『なぜ不死鳥のごとく蘇るのか 神国日本VS.ワンワールド支配者 バビロニア式独裁か日本式共生か 攻防正念場!』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄〈あすか・あきお〉(ヒカルランド、2013年)/今まで読んできた菅沼本で最低の内容。しかも前著とかなり内容が被っている。ヒカルランドという出版社の底の浅さが露呈。個人的にはベンジャミン・フルフォードや中丸薫の言説は全く信用していない。彼らが何のために言論活動を行っているのかも理解できない。一種のエンターテイメントなのだろう。よほどの菅沼ファンでない限り、読む必要なし。

ダイマクション・カーとウィリアム・フォーブス=センピル卿