2015-07-13

邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

 ・フルビネクという3歳児の碑銘
 ・邪悪な秘密結社
 ・解放の時

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 彼は青春時代と青年期を監獄と舞台で過ごし、その混乱した頭の中で、二つのものの区別がよくできていないようだった。そしてドイツで監獄に入ったことがとどめの一撃になった。
 彼の話では、真実と可能なことと想像とがごっちゃになって、ほどくことができない、多彩なもつれ合いを作っていた。彼は監獄や裁判所を劇場のように語った。そこでは誰もが自分自身ではなく、ゲームをし、才能を見せびらかし、他人の外貌をまとって、ある役割を演じていた。そして劇場は訳の分からない巨大な象徴であり、暗い破滅の道具であった。それはありとあらゆる場所に存在する、邪悪な、ある秘密結社が外に現れたもので、万人に害を及ぼすような支配をしていて、ある日家にやってきて、ある人物を捕まえると、仮面をかぶせ、本人以外のものに変え、意志に反したことをさせるのだった。この秘密結社とは「社会」だった。不倶戴天の敵で、彼トラモントはいつも戦ってきたのだが、常に打ち負かされた。しかしそのたびに、勇ましく復活してきたのだった。
 彼を探し出し、挑んできたのは「社会」のほうだった。

【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】

「混乱した頭」が真実を鋭く見抜く。論理を司る左脳の破綻が右脳の直観を優位に仕立てる。社会とは「邪悪な秘密結社」であった。卓抜した表現が二重に深い洞察を与える。強制収容所もまた社会の産物であり、そして収容所内では下位の社会が構成される。障害者・ジプシー・ユダヤ人であることは自分の一部に過ぎないが、ナチスは彼らのすべてと判断した。

 自由とは「恐怖や衝動がなく、安心したいという欲求のない心境」(『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ)である。

 世界は衝突しあう信念やカースト制度、階級差別、分離した国家、あらゆる形の愚行、残虐行為によって引き裂かれています。そして、これが君たちが合わせなさいと教育されている世界です。君たちはこの悲惨な社会の枠組みに合わせなさいと励まされているのです。親も君にそうしてほしいし、君も合わせたいと思うのです。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

 監獄の外もまた監獄であった。社会とは監獄の多層構造が織りなす世界なのだ。我々は「自分」であることよりも、何らかの「役割」を生きる羽目となる。社会を構成する我々はショッカーみたいな存在なのだろう。

 被害者からしか見えぬ真実がある。世界を正しく導くためには被害者の声に耳を傾けることだ。『すばらしい新世界』や『一九八四年』などのディストピア小説が示したのも、ファシズムや共産主義というよりは社会の同調圧力と見るべきだろう。

2015-07-12

NY証券取引所で一時取引停止…システム障害で


 ニューヨーク証券取引所(NYSE)は8日午前11時32分(日本時間9日午前0時32分)頃、システムの障害で全ての上場株式の取引を停止した。

 復旧作業の後、同日午後3時10分(同9日午前4時10分)頃に取引を再開した。この間、取引はナスダック店頭市場など他の取引所を通じて行われた。

 中国やギリシャの先行き不安に加えて取引停止が嫌気され、ダウ平均株価(30種)は大幅反落して前日終値比261・49ドル安の1万7515・42ドルと約5か月ぶりの安値で取引を終えた。ナスダック市場の総合指数は、87・70ポイント安の4909・76で取引を終えた。

 米国では2013年8月、ナスダック市場でシステム障害が起き、株式取引が3時間以上停止した例がある。

 8日は、ユナイテッド航空でもシステム障害が起きた。米国土安全保障省のジョンソン長官はワシントン市内で行った講演で、これらのトラブルについて「非道な行為の結果ではない」と外部からのサイバー攻撃の可能性を否定した。

YOMIURI ONLINE 2015-07-09

 実にきな臭いニュースだ。何かの予行演習だろうか。いずれにせよ、システムダウンを理由に何でもできることは確実だ。

2015-07-11

荒ぶる魂、ほとばしる生命力/『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督


『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督

 ・荒ぶる魂、ほとばしる生命力

『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督
『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三
『街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝

 twitterで教えてもらった台湾映画『セデック・バレ』(「真の人」という意味)を観た。凄まじい映画であった。「一部 太陽旗」「二部 虹の橋」で4時間36分の長尺。日本統治下で起こった霧社事件(1930年/昭和5年)を描く。

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

 監督の名前はウェイ・ダーシェンという表記もある。英語名が「Wei Te-Sheng」なので正確には「ウェイ・テシェン」という発音か。この作品に掛けた監督の本気は並々ならぬものがある。最初にウェイ・ダーションは600万円の私費を投じて以下のデモ映像をつくる。


 次に監督は資金集めの目的でまったく別の映画『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)を制作する。


 口コミで人気が高まり、『タイタニック』に次ぐ興行成績を収めた。それでも資金は足りなかったようで、ビビアン・スーは格安のギャラで出演した上、資金提供も行っている(資金援助も話題に 「セデック・バレ」で台湾先住民演じたビビアン・スー)。尚、彼女の母親はタイヤル族であり、セデック族は最近になって公認された部族でタイヤル族系である。

『セデック・バレ』の国際的な評価は惨憺(さんたん)たるものである。

抗日映画「セデックバレ」に各国メディア酷評!「残酷」「過度の民族主義」―ベネチア映画祭

 個人的には魔女狩りで同胞を殺戮し、黒人を奴隷にし、インディアンを虐殺し、世界中を植民地化した挙げ句に惨殺・強姦を行ってきた白人に文句を言われたくはない。とはいえ、第一部を見ながらどうしても行き詰まってしまうのはやはり「首狩り」(出草/しゅっそう)である。つまり、首狩りをどのように理解するかでこの映画の評価は分かれる。

 日本においても武士は合戦で敵の首級(しゅきゅう)を挙げるという伝統があった。戦が終わると首実検が行われ、論功行賞が確定する。ま、我々の先祖も首狩り族と見てよい。首級は「しるし」とも読む。すなわち首はメディアであった。高砂族(たかさごぞく/台湾原住民の総称)の殆どは文字を持たなかった。首狩りは証拠保全の一つと考えられよう。

 それでも「なぜ首狩りが始まったのか?」という疑問が払拭できない。本作品の致命的な失敗は首狩りの必要性・根拠をまったく示していないところにあり、これによってストーリーが破綻(はたん)を来(きた)している。第一部を観ながら「首狩りとは何ぞや?」と私の脳はフル回転をした。

 ストーリーを追うとどうしてもついてゆけなくなる。そこで私は論理を司る左脳のスイッチを落とした。途端にわかった。かつて人間は「もの言う存在」であったのだろう。白川静は漢字の口部を「■(サイ)」と見抜いた(『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽)。■(サイ)は祝詞(のりと)を入れる箱であるが、書かれた文字の重みは元々言葉が持っていた重みであったのだろう。文字が生まれる前は論理や思考よりも、直観や閃(ひらめ)きが優位であったことと想像する。これを古代社会の宗教性と言い換えてもよい。神は右脳に御座(おわ)し(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)、サードマン現象も右脳で発生する(『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー)。首は脳や顔よりも、口を奪うところに目的があったと私は考える。

 首狩りがセデック族の荒ぶる魂の象徴とすれば、山谷を駆ける姿がほとばしる生命力を表す。「走る映画」といえば真っ先に『ポストマン・ブルース』が思い出されるがその非ではない。彼らは岩場ですらものともしない。たぶん、ランボーより強いよ。


 彼らの足は手のように開いている。霧社事件から11年後、大東亜戦争で高砂義勇隊が結成される。高砂族は日本人となってフィリピン、ニューギニアで大活躍をするが、当初は却下されていたものの戦局が行き詰まると「靴を脱ぐ」ことを許された。彼らの足は手のように大地をつかむことができたことだろう。

 出演者の殆どが台湾原住民と日本人で実は中国語が使われていない。しかも主役のモーナ・ルダオを始めとする主要キャストの大半が映画初出演である(公式サイト:キャスト)。明らかに日本人キャストが見劣りする。学芸会レベルにしか見えなかった。

 そしてやはり注目すべきはセデック族の「歌」である。時に優しく時に勇壮な歌声が不思議なほど血液の温度を上げる。彼らの顔は琉球とそっくりで、入れ墨や口琴(こうきん)、衣服の意匠はアイヌを思わせ、踊る姿は縄文人さながらである。もちろんインディアンとも酷似している。尚、台湾原住民はオーストロネシア語族であるが、かつてはインドネシア・フィリピン方面から渡ってきたと考えられてきたが、現在は台湾から南下したと判断されている。




 更にモーナ・ルダオが大地を踏みしめる舞は相撲の四股(しこ)とよく似ている。

 首狩りは勇気の証(あかし)であった。我々は首狩りをやめた。そして資本主義文明のもとで「カネ狩り」を行っている。経済的に見れば「カネは命」である。だから借金を苦にして自殺する人や、カネを奪うために殺人に手を染める者が出てくるのだ。これが「長期的な時間をかけた首狩り」でなくて何であろう? そして文明は知恵に重きを置き、知恵は知識となって共有される。「我々が行う首狩り」に勇気は認められない。きっと文明の進歩は人類から勇気を奪ってしまったのだろう。

 狩猟民族にとって狩場の死守は民族の存亡に関わるものゆえ、首狩りを女たちが喜んだのは当然だ。子孫の生存率が高まるわけだから。

 映画における最大の脚色はセデック族が日本軍を殺害するシーンである。実際の死者は「日本軍兵士22人、警察官6人、のみであった」(Wikipedia)。尚、モーナ・ルダオの妻やそれ以外の女性たちの振る舞いは史実に基いている。

 冒頭シーンの声とラスト近くの子供の声が信じらないほど美しく優しく響く。涙が込み上げくるほどだ。この声を聴くだけでも視聴に値する。

 霧社事件を通して少年たちが戦士へと変貌する。セデック族が夢見た「虹の橋」を超える理想を我々は持たない。彼らの首狩りと比べれば、映画や漫画の暴力シーンはあまりにも安っぽい。失った勇気を取り戻すためにもこの映画は広く見られるべきだ。

 映画の基調としては反日色が濃い。「よい日本人も描いている」との評価は甘い。ステレオタイプの威張り散らす日本人が殆どで、描き方としては拙劣だ。霧社事件には長年にわたる複雑な背景があり、文明移行期に生じた真空と解釈すべきだろう。単純な抗日行為ではなく、モーナ・ルダオ自身の政治的思惑もあったはずだ。その意味で私は幕末期に起こった会津戦争と霧社事件は似た性質があったと考える。セデック族は白虎隊であった。
セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【豪華版 3枚組】[DVD]餘生~セデック・バレの真実 [DVD]セデックバレ(賽德克.巴萊) OST (台湾盤)

霧社事件
モーナ・ルダオの遺骨
恋愛茶番劇/『ラスト・オブ・モヒカン』マイケル・マン監督
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2015-07-07

中国雲南省の棚田











2015-07-03

フルビネクという3歳児の碑銘/『休戦』プリーモ・レーヴィ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

 ・フルビネクという3歳児の碑銘
 ・邪悪な秘密結社
 ・解放の時

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その二

 フルビネクは虚無であり、死の子供、アウシュヴィッツの子供だった。外見は3歳くらいだったが、誰も彼のことは知らず、彼はといえば、口がきけず、名前もなかった。フルビネクという奇妙な名前は私たちの間の呼び名で、おそらく女たちの一人が、時々発している意味不明のつぶやきをそのように聞き取ったのだろう。彼は腰から下が麻痺しており、足が萎縮していて、小枝のように細かった。しかしやせこけた、顎のとがった顔の中に埋め込まれた目は、恐ろしいほど鋭い光を放ち、その中には、希求や主張が生き生きと息づいていた。その目は口がきけないという牢獄を打ち破り、意志を解き放ちたいという欲求をほとばしらせていた。誰も教えてくれなかったので話すことができない言葉、その言葉への渇望が、爆発しそうな切実さで目の中にあふれていた。その視線は動物的であるのと同時に人間的で、むしろ成熟していて、思慮を感じさせた。私たちのだれ一人としてその視線を受け止められるものはいなかった。それほど力と苦痛に満ちていたのだ。

【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】

 ヘネクという15歳のハンガリー人少年がフルビネクの面倒をみていた。ある日のこと、フルビネクが一言しゃべった。だが言葉の意味がわかる者は一人もいなかった。

 プリーモ・レーヴィの「見る」という行為は実に静かで淡々としたものだ。それは彼が化学者であったことに起因するのであろうか? わからない。ただその視線が自分の人生をも突き放して見つめることを可能にしたのは確かだ。


 フルビネクは3歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれ、木を見たことがなかった。彼は息を引き取るまで、人間の世界への入場を果たそうと、大人のように戦った。彼は野蛮な力によってそこから放逐されていたのだ。フルビネクには名前がなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの入れ墨が刻印されていた。フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証言するのは私のこの文章だけである。

 フルビネクという3歳児の碑銘である。書く営みは時に刻印となって永く世に残る。プリーモ・レーヴィの観察眼はアウシュヴィッツの日常を歴史化する作業であった。透明で硬質な美しい文体に惑わされて文学と思い込んではなるまい。大文字の歴史の中に小文字の歴史は埋没する。だが自分にとって大きな意味合いのある出来事は、自分の手で大きな文字を記せばよい。たとえそれが誰の目にも留まらなかったとしても、「書いた」事実こそが歴史なのだ。

『アウシュヴィッツは終わらない』の続篇だが、前作とは打って変わって苛酷な中にもユーモアが横溢(おういつ)している。思わず吹き出してしまう場面がいくつもある。個性的でユニークな群像が次々と登場する。レーヴィは650人のイタリア系ユダヤ人と共にアウシュヴィッツへ送られたが、生き残ったのはわずか3人であった。アウシュヴィッツは1945年1月、ソヴィエト軍によって解放された。プリーモ・レーヴィがイタリアへ帰国したのは10月19日のことであった。