2015-09-25

ジェレミー・コービンがイギリスの労働党党首選挙に圧勝


 これは気になるニュースである。いくつか記事を紹介しよう。

 コービン氏は党首選で59.5%を得票し、ほかの3候補に大差で勝利した後、「現在の経済格差と貧困は我慢できない。平等で自由な世界実現のために力を合わせて戦っていこう」と支持者らに呼びかけた。

英労働党党首にコービン氏 「経済格差と貧困我慢ならない」 反緊縮や反核訴える ノーネクタイのスタイル:産経ニュース

 この選挙キャンペーン期間中は、イギリスの女王を始め、トニーブレアや保守党、マードックの所有するメディア、各界の有名人が「ジェレミー・コービンを労働党党首にするなキャンペーン」に参加し、あの手この手を使って彼に対するネガティブ・キャンペーンが行われていました。

 戦争することで利益を得る集団は、こぞって彼に猛反対していました。(彼は戦争にも核にも、明確に反対しています)

イギリスの革命児が労働党党首選挙に圧勝 ジェレミー・コービン:世界の裏側ニュース

 イギリスの労働党を本来の姿に戻そうとしている人物がいる。ジェレミー・コルビンがその人で、党内で支持を集め始めた。それを懸念した労働党の幹部は党首選でコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪い始めたという。

 トニー・ブレアの時代に労働党は組合との関係を断ち、強者総取りの新自由主義を導入したマーガレット・サッチャーの後を追った。そうしたことを可能にしたのはブレアに強力なスポンサー、イスラエルが存在していたからだ。

巨大資本とイスラエルに奉仕していたブレアの路線を止めようとするコルビンを嫌う英労働党の幹部:櫻井ジャーナル

 9月12日に行われたイギリス労働党の党首選でジェレミー・コルビンが勝ったという。この人物は労働党を本来の姿に戻そうと考えている人物で、党の幹部はコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪うなどの妨害活動を続けていたが、それを上まわる力が働いたということだろう。

 党内でコルビンと対立関係にある勢力とはトニー・ブレアと結びついていた勢力。イスラエルを資金源にしていたブレアはメディアの支援も受けていた。内政では新自由主義、外交では親イスラエルという立場、つまり社会的な弱者を痛めつけてイスラエルの破壊と殺戮を支持するという人びとだ。今後、コルビンはこうした勢力からの攻撃に立ち向かわなければならない。

英国労働党の党首選でブレアが推進した親イスラエル、新自由主義の政策に反対するコルビンが勝利:櫻井ジャーナル

 コービン候補はマルクス主義的な伝統的左派の政策への回帰を目指し、緊縮財政への反対、鉄道などの再国有化、企業・富裕層への増税、家賃の上限設定などを掲げている。ブレア元首相が推進してきた第三の道を真っ向から否定、当選後はブレア氏が削除した党綱領第四条の「生産及び交易手段の国有化」を復活させる意向も示している。とても、中道寄りのスタンスの党員に受け入れられる内容ではない。

第8回 「政権奪還よりも大切なコービン候補」

 僕はコービンの飾らない人柄に、ある種の清涼感を覚えます。
 彼の暮らしは質素で、趣味は自家菜園で取れた果物でジャムを作る事です。マイカーは持っておらず、どこでも自転車で出かけるそうです。
 そのような彼のメッセージが、多くの英国の有権者の心に響いている背景には、酷くなる一方の格差問題があると思います。
 マーガレット・サッチャーのヒーローがF・A・ハイエクならば、ジェレミー・コービンのヒーローはカール・マルクスです。

情けない国に成り下がる英国 ジェレミー・コービンという病:Market Hack

・反緊縮財政、反公共支出削減。公共投資の大幅な拡大
・働く人と政府が富の創造のプロセスを公平に共有するバランスの取れた経済の実現
・英国は、国が主導する経済成長と経済再建が必要。それが、緊縮財政、規制緩和、民営化、法人税の削減という現政府によるモデルの代替案の核となるべき
・公共支出削減ではなく、より速い経済成長、給与水準の引き上げ、税収増加、福祉への需要を下げることによって財政赤字を解消する
・「人々のための量的金融緩和政策(People’s Quantitative Easing)」によって資金量を増やし、住宅、エネルギー、交通、デジタル関係などのインフラ投資に充てる。具体的には、「国立投資銀行」を設置し、同銀行が発行する国債をイングランド銀行が購入することによって資金量を増やす
・企業への税の軽減措置を一部取り止め、企業への補助金削減
・富裕層と企業への増税
・脱税、税回避の取り締まり。企業による納税を確保するための措置

ジェレミー・コービンの党首選マニフェストには何が書いてあったんだっけ(その1):英国政治ニュース

 世界各国が行っている量的緩和政策が深刻な格差を生み、格差是正を求める大衆の声によって資本主義が滅びるかもしれない。いずれにせよ緩和マネーによるバブルが崩壊するのは時間の問題だ。コービンの党首選勝利と安倍政権による安保法改正がひょっとすると世界経済の潮目を表している可能性がある。新自由主義の暴走に終焉を告げる出来事のような気がする。

虐待による睡眠障害/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 彼女は身体的な虐待は受けていなかった。虐待の種類については次章で述べるが、彼女が受けていたのは「心理的虐待」である。心理的虐待は周りに気づかれないだけでなく、子ども自身も気づくことはない。
 心理的虐待は子どもの心の中に奇妙な、矛盾した母親像を作り出す。
 彼女は、いつも怖い母親だったと振り返る一方で、「食事もお弁当も作ってくれた」、「叱られたことはなかった」、だから母親は優しい人だった、と言う。
 心理的虐待を続ける母親が、子どもに優しいはずはない。叱られなかったのは、子どもに無関心だっただけだろう。しかし、放っておかれたことを「優しかった」と被虐待児は翻訳して理解する。食事を作ってくれたのは、家族の食事と一緒だったという理由だけだろう。しかし、彼女はそこに子への愛情を読み込む。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 私は幼い頃からものを感じる力が人より強かった。3歳の時、スーパーで見知らぬオバサンに「どうして僕の頭にカゴをぶつけて謝らないの?」と大騒ぎをしたことがあるらしい。もちろん憶えていない。20代になって伯母から聞いた。そのことを父が語ったのは更に20年後のことである。私の父はお世辞にもいい親とは言えない。ただ怖いだけの存在だった。しかし正義感の塊(かたまり)みたいな人で判断を誤ることも殆どなかった。きっと父の影響が幼い私に及んでいたのだろう。

 正義感というのは厄介なものだ。望むと望まざるとにかかわらず周囲に波風を立ててしまうからだ。しかも敏感に不正を感じ取るために誰も気づかないような温度で怒りに火がつく。そして純粋な怒りは速やかに殺意へと向かう。真剣といえば聞こえはいいが、その中身は殺意である。斬るか斬られるかとの判断から「相手を斬る」方向に素早く行動する。もちろん直ぐ斬るわけではない。物事には段階がある。ただ最終的に「斬る」という覚悟は最初から決めている。

 虐待体験だけの寄せ集めであれば私は読み終えることができなかったことだろう。高橋は構成をよく考えている。不眠症の相談に訪れたのは41歳の女性である。彼女は日にちと曜日の感覚が欠落していた。日々の眠りが浅く一日が途切れていないためだった。それが虐待に由来する症状だとは素人には思いも寄らない世界である。

 彼女はいつも緊張し、自分を抑え、母親の顔色をうかがい、先回りして生きてきた。そうしていないと、もっとけなされて見捨てられてしまうからだ。母親は、子どもにいつも無関心なだけなのだが、子どもはそこに必死になって自分の期待を投影しようとする。しかし、母親は反応しない。これでもだめなんだ、ここまでがんばってもだめなんだと、その空回りがまた底なしの恐怖を育て、彼女の心は緊張でいつも震えている。身体的な虐待を受けたのとは違う、真綿で首を絞められるような、恐怖と孤独が心を覆う。恐怖に潰されないために、ぎりぎりで自分を支えるために必要だったのが、「優しい母親」という翻訳である。
 こうして彼女は、幼稚園の頃から不眠症になった。

 脳は因果を求めて物語を形成する。

物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答

 幼子にとって母親の存在は「環境そのもの」である。母親は子供の「生きる場」であり別の選択肢はない。生きることは「母親を頼る」ことを意味する。十分な理性も知識もない幼児が母親の是非を問うことは不可能だ。ダメな親であったとしても受け入れるしかない。逃げることも死ぬこともできないのだから当然だ。そこに「歪んだ解釈」が生まれる。人類初期の宗教と似たメカニズムであろう。

 カウンセリングを通して彼女は虐待の鎖から解き放たれる。生まれて初めて自由を味わった言葉が悟性の輝きを発する。

「先生、私、生まれて初めて『一日が終わる』という体験をしました。一日って終わるんですね」

「眠れるようになったんです。体が楽になりました。生活が変わりました」

「最近、眠るコツが分かりました。ああ、目を閉じると眠れるんだ、と思いました。体の疲れで眠れるという感じがします。体が『重たい』のではなくて、『眠たい』というのがわかりました。眠たいというのは気持ちがいいものなのですね。
 それから、朝起きても肩が重くない。体がこわばっていないんです。『ああ、また朝が来てしまった』という重い気分がないです。眠ると体が軽くなるんですね。
 毎朝、新しい気持ちになって、毎朝、幸せって思います」

 よく生きることはよく死ぬことに通じ、よき一日の生活はよき睡眠につながるのだろう。死んだように眠れる人こそ幸せである。

 一日が、夜に終わって、朝に始まる。その間、完全に意識が消え、時間が途切れる。時計は動き続けていても、人の心の中の時間は夜11時で止まり、朝、6時に新しく始まる。それで、翌朝は前の日とは違う気分になる。だから、一日が終わり、新しい日にちが始まる。
 前の日の心は、前の晩に途切れいている。朝、新しい心が動き出すからこそ、毎日、毎日、という区切りができて日付が変わる。一昨日、昨日、今日ができて日にちが数えられるようになり、1週間の曜日ができあがる。

「虐待を受けている子どもは、『普通の』眠りを知らない」という。彼らの不安や恐怖を思えば当然だろう。今度から児童と話す機会には必ず睡眠状態を確認してみようと思う。

 最後にもう一つ彼女の言葉を紹介しよう。

「辛いことや嫌なことがあっても、1週間経つとそれがあまり気にならなくなって、初めて『過ぎ去る』ということがわかりました」


「死にたい」と「消えたい」の違い/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 当初、私は元「被虐待児」の「消えたい」という訴えを聞いた時に、うつ病と同じように「希死念慮あり」とカルテに記載していた。つまり、抑うつ感の中で「自殺したい」と思っていると解釈していたのだ。
 しかし、その後、「死にたい」と「消えたい」とは、その前提がまったく異なっているのが分かってきた。
「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。
「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う。
(中略)
 被虐待児がもらす「消えたい」には、前提となる「生きたい、生きてみたい、生きてきた」がない。生きる目的とか、意味とかを持ったことがなく、楽しみとか、幸せを一度も味わったことのない人から発せられる言葉だ。今までただ生きていたけど、何もいいことがなかった、何の意味もなかった、そうして生きていることに疲れた。だから、「消えたい」。
「死にたい」の中には、自分の望む人生を実現できなかった無念さや、力不足だた自分への怒り、それを許してくれなかった他人への恨みがある。一方、「消えたい」の中には怒りはないか、あっても微かだ。そして、淡い悲しみだけが広がっている。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)】

 人は「思ったように」しか生きられない。いつでも選択肢は自由なようでありながら実は不自由の中を生きている。面白くないことがあると思い悩み、不安や怒りにとらわれ、思考と感情は同じ位置をぐるぐる回る。我々は想念すら自由に扱うことができない。感覚もまた同様であろう。見るもの、聞くものの刺激に次々と反応しているだけだ。

 PTSDなどに代表される「傷ついた心理」の問題もここにある。いじめは行為そのものも悲惨だが、「いじめられた記憶」に苛まれる事後の影響が深刻なのだ。

 虐待され続けた子供たちは「死にたい」と思うことすらできなかった。彼らは人間として扱われてこなかったために自我形成をも阻害されたのだろう。虐待という環境下で自由な発想は生まれない。ただ親から振るわれる暴力に怯え、反応するだけだ。彼らは死のうとする意思まで奪われた。

 自由な感情すら持てなかった彼らの「消えたい」という言葉は「淡い存在」を示し、自己の輪郭すらはっきりと描けなかった事実を物語っている。

 そんな彼らが高橋と出会って変わる。彼らは初めて一個の人間として接してもらった。カウンセリングはコミュニケーションでもあった。人とつながった時、彼らは自分の存在を実感できたことだろう。「私はいてもいいんだ」とすら思ったかもしれない。

 人と人とがつながる。ただそれだけで救われることがある。果たして我々は周囲の人々と確かにつながっているだろうか?

2015-09-23

被虐少女の自殺未遂/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 それから何回かの診察を経て、彼はまた突然話しだした。
「先生、僕は右足の爪がないんです」と言った。
「小学校4年の時、言うことを聞かないから、ペンチで剥がされたんです」
 彼は耳を塞ぎたくなる話を、淡々と、他人事のように語った。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 ページをめくるのに勇気を必要とする本だ。「これはルワンダだな」と思わざるを得なかった。家庭という密室で振るわれる幼児への暴力は、逃げ場のないことを考えると地獄そのものであろう。私の中を殺意が駆け巡った。直接聞いていたら、その場で親を殺しに行くかもしれない。

 高橋によれば被虐児童は苛酷な体験をやり過ごすために離れた位置から自分を見る傾向があるという。離人症解離性障害)になることも珍しくない。それどころか虐待された自覚を持たないケースまである。

 その日、彼女(当時10歳の亜矢さん)の学年は校外学習で工場見学に出かける予定だった。工場は電車に乗って三つ目の駅である。
 亜矢ちゃんは、朝いつもより少し早く起きて、集合場所の駅に向かって歩いていた。
 住宅地の上に大きな青空が広がり、白い雲が二つ、三つ浮かんでいる。気持ちのいい春の日だった。
 ふと空を見上げると、白い雲の間にキラキラと光るものが見えた。彼女は立ち止まった。目をこらして見ていると、それはゆっくり風に乗って亜矢ちゃんのほうに落ちてきた。小さな星が光り、それがいくつも連なって首飾りのように見える。太陽の光を反射して金色や銀色になったり、時々、赤や青の光が混じった。
「なんだろう。きれい……」
 そう思って彼女が近づくと、光もまた彼女のほうに近づいてきた。温かく、すがすがしい不思議なな空気に包まれて、彼女はじっと眺めていた。それはますます大きくなった。そして、とうとう飛びつけば手がとどきそうなところまで降りて来た。
「つかまえられる!」と、そう思って亜矢ちゃんは光に向かって走り出し、最後にポンと飛び上がった。そして、手が首飾りに触れたかと思ったその瞬間、後ろから鋭い怒鳴り声がした。

「危ない! 馬鹿!」
「何やってるんだ!」
 同時に、彼女の体は太い腕に捕まれて、後ろに引き戻された。

 自殺未遂であった。高橋は「幻覚的なファンタジーの中で自殺に至る人は珍しくない」という主旨のことを書いている。それは何に由来するのか。多分、「この世は生きるに値しない」と無意識下で脳が判断した時にドーパミンが噴出するのだろう。亜矢ちゃんは死ななかったが、これ自体が臨死体験といってもいいのではないか。

死の瞬間に脳は永遠を体験する/『スピリチュアリズム』苫米地英人
光り輝く世界/『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清

 亜矢ちゃんは三つ下の妹と2人姉妹、それと両親との4人家族である。
 小学校2年から一切の家事をさせられていた。夕食の支度と部屋の掃除、それからお風呂の掃除、夕方は、保育園に通っている妹をお迎えに行った。保育園の先生に、「いいお姉さんね」とほめられた。4歳の妹の手を引いて帰宅して、お風呂に入れた。忙しかった。
 家事が終わっていないと、帰ってきた母親に叩かれた。罰として夕食をもらえないこともよくあった。自分が準備した夕食を目の前にして食べさせてもらえない。亜矢ちゃんは痩せた子だった。1日のうちで彼女が確実に食べられる食事は、学校の給食だけだった。だから、学校に行くのは楽しかった。
 それと、本を読むことが彼女の楽しみだった。小学生の頃からずっと、彼女の居場所は玄関の横の板の間だった。そこに座って本を読んでいた。なぜ玄関にいるのかというと、リビングにいる母親から呼ばれたらすぐに動けるように、だ。少しでも返事が遅れると、叩かれた。
「聞こえないのか、何やっていたんだ!」と、ビンタされた。
 だから、「亜矢!」と呼ばれたら飛んでいけるように玄関にいたのだ。
 母親の機嫌を損ねると、髪の毛をつかまれて、振り回された。ごっそりと毛が抜けたことがある。その時は、飛び散った髪を1本1本指で集めてゴミ箱に入れた。床が汚れているとまた叩かれる。雑巾で血のあとを拭き取った。翌朝、鏡を見ながらハゲになったところをヘアピンで隠して、彼女は学校に行った。
「おばあちゃん、もう疲れた。消えたい」
 亜矢ちゃんは、両親が去った後にそう言った。

 祖母は児童相談所へゆく。虐待と判断され、亜矢ちゃんは施設に預けられる。約1年後、母子の再統合が実施され、実母のもとへ戻った。それから以前とまったく同じ暴力と家事労働の日々が再開する。

将来、児童相談所に勤めたいのですが、児童相談所の職員は地方公務員なのですか?:教えて!goo

「No.4」の回答から児童相談所の激務が窺える。当然ではあるが彼らのミスが報道されることはあっても、功績がニュースになることはないと考えてよかろう。しかし、である。こういう仕事は向き不向きがあり、不向きな人々にとっては単なる作業と化すことだろう。教員についても同様で、虐待の可能性を何気ない振る舞いから見抜くこともできないような連中は教職に就くべきではない。そもそも誰も「気づかない」こと自体がおかしい。歩く姿や目の色に必ずサインが出ているはずだ。

 亜矢さんは24歳の時に高橋のクリニックを訪れ、セカンドオピニオンを求めた。前の病院ではうつ病と診断されたが思うように病状が好転しなかった。彼女は著者の前で過去を吐き出した。

「先生、私は4年生の時に、自分がある年齢の『ある日』までは生きている、と決めたんです」。高橋は「その日」がそう遠くはないだろうとの予感を抱く。そして「慢性疲労とうつ病の混在で社会恐怖が見られる」と診断。薬物治療よりもカウンセリングを勧めた。

 その後睡眠薬を中心とする処方に切り替え、睡眠の取り方と生活リズムの作り方が功を奏す。「先生、ぐっすり眠ることができました。ぐっすり、という言葉は知っていたけど、こういうことを言うのですね。6時間も続けて眠れたのは生まれて初めてです」と嬉しそうに伝えた。

 小さい頃から、家では食事にありつければそれだけで幸運だったし、唯一、確実に食べられた学校の給食は、出されたものが全部美味しかった。だから、彼女の中には食べ物の「好き、嫌い」「美味しい、まずい」、何かを「食べたい」という概念はもともとなかった。

 それから少しずつ食事が「楽しみ」と思えるように変わっていった。

「先生、私、あと半年くらいは生きていけます。たぶん、そのくらいはお金が続きます。
 今は、私は幸せです。安心です。こんな気持ちになったのは生まれて初めてです。
 小学校4年の時に、死ぬ日を決めてここまで来ました。今、私は美味しいご飯も食べられるし、暖かい布団もあるし、安心して眠ることも知りました。好きな本も読めます。それから2週に1回だけど、ここで自分のことを話せます。先生に気持ちが分かってもらえます。安心できて、生活ができて、気持ちが通じるってことを知りました。『よくがんばってきたね』と何度も言ってもらえました。これって、幸せです」

「消える」と決めた日まで生きている人生は終わった。

 美味しく食べて、ぐっすり眠れて、誰かと気持ちが通じる――これが幸せであった。彼女は文字通り生命の危機から生き延びたサバイバーであった。幼子であることを踏まえれば大病や災害から生還した人々(『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー、2009年)よりも稀有(けう)な存在だ。幸せとは当たり前のことなのだろう。もともとは「仕合わせ」と書いた。

 我々は幸せに対する感度が鈍くなっているのだろう。そして我々が望む幸せは本当の幸せではないのだ。心が欲望や消費に翻弄されて常に満たされない渇きを抱えている。

 目が見えることも幸せだ。耳が聞こえることも幸せだ。歩けることも幸せだ。呼吸することも幸せである。つまり生きることそれ自体が幸せなのだ。

 蘇生した彼女の言葉は爽やかに人生の真実を教えてくれる。



子供を虐待するエホバの証人/『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅

2015-09-22

高橋和巳、中原圭介、デイミアン・トンプソン、他


 7冊挫折、3冊読了。

勝海舟と幕末外交 イギリス・ロシアの脅威に抗して』上垣外憲一〈かみがいと・けんいち〉(中公新書、2014年)/発想に躍動感が見られない。文章は当然のように停滞する。こういう本はどうしても読むスピードが落ちる。それを自覚した時点で閉じた。

完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』フランク・ブレイディー:佐藤耕士〈さとう・こうじ〉訳、羽生善治解説(文藝春秋、2013年/文春文庫、2015年)/あの羽生善治が「本物の天才」と絶賛したのがボビー・フィッシャーである。羽生はチェスにおいても日本の第一人者で、チェスのために英語まで身につけた。著者は長らくボビー・フィッシャと親交があった人物。フィッシャーは晩年を日本で過ごした。フィリピンへ出国する際、入国管理法違反の疑いで収容された。多くの人々が支援したが羽生もその一人である。チェスのルールがわからないため眼の動きが鈍る。

サイコパス 冷淡な脳』ジェームズ・ブレア、デレク・ミッチェル、カリナ・ブレア:福井裕輝〈ふくい・ひろき〉訳(星和書店、2009年)/横書き。英語表記が多すぎる。危うい匂いを感じたのでやめる。DSMは現在第5版となっているが、アレン・フランセスなどの批判を弁えるべきだ。

時間と宇宙のすべて』アダム・フランク:水谷淳訳(早川書房、2012年)/文章が頭に入らず。

無の本 ゼロ、真空、宇宙の起源』ジョン・D・バロウ:小野木明恵訳(青土社、2013年)/こちらも。

怖い絵』中野京子(朝日出版社、2007年/角川文庫、2013年)/不思議なもので挫折したにもかかわらずオススメできる本がある。本書もそうだ。挫けたのは私の余生が短いためであって本に責任はない。文章もグッド。ドガの「踊り子」がよもや怖い絵だったとはね。amazonでは見つけにくいのだが朝日出版社版の方が大きくてよい。

やめられない心 毒になる「依存」』クレイグ・ナッケン:玉置悟〈たまき・さとる〉訳(講談社+α文庫、2014年/講談社、2012年『「やめられない心」依存症の正体』改題)/『依存症ビジネス』の後では読めず。「アディクション」という単語がよくない。翻訳しようがなかったのか。

 112冊目『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン:中里京子訳(ダイヤモンド社、2014年)/「カップケーキ、iPhone、鎮痛剤――21世紀をむしばむ『3種の欲望』」との小見出しが興(きょう)をそそる。本人が経験したアルコール依存症の記述がやや冗長だが、『すばらしい新世界』的世界の現実化を描いて秀逸。

 113冊目『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来』中原圭介(ダイヤモンド社、2014年)/アメリカのシェール革命によってエネルギーコストが下がり、「よいデフレ」が世界を覆うとの予測。その時日米が世界経済のトップに君臨するという。説得力があり一日で読了。ただし日本を取り巻く安全保障の視点が抜けており、基軸通貨としてのドルがどのようになるかは論じていない。それでも現状分析から未来を読み解く手並みは鮮やかなものだ。

 114冊目『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2014年)/本年度の暫定1位は『逝きし世の面影』から本書に。これは形を変えたルワンダである。閉ざされた家庭内での暴力を生き延びた彼らがカウンセリングを通して人生の受容に至る。その時「新たな言葉」が生まれる。彼らの生きざまは自燈明(じとうみょう)そのものといってよい。早めに書評をアップする。批判も含めて。