2016-06-18

『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 しかし、人間の進化は単純な直線をたどってきたのではない。人類の歴史をひともくと、紀元前3000年頃にひときわ目を引く不思議な慣習が登場する。話し言葉を変容させて、石や粘土板、パピルス(もしくは紙)に小さな印を使って記すようになったのだ、このおかげで、耳で聞くことしかできなかった話し言葉は、目に見えるものともなった。それも、そのとき聞こえる範囲にいた者だけでなく、万人のものとなった。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)以下同】

イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優

 人類の脳は約240万年前に巨大化した。言葉が生まれた時期については不明だが、7万5000年前には使用されていた証拠があるという(『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠)。近代における情報革命は活版印刷(1455年)~カメラ-写真(1827年)~電信(1830年代)・電話(1876年)~映画(1895年:リュミエール兄弟ラ・シオタ駅への列車の到着』)と花開く。


 その後はラジオ(1906年)、テレビ(1926年)~インターネット(1969年)と続く。尚、カメラ以降の背景にはアレッサンドラ・ボルタによるボルタ電池の発明(1800年)を始めとする電気革命があった。彼の名に因(ちな)んで電圧を「ボルト」と呼ぶ。

アゴ弱り脳膨らむ、遺伝子レベルで裏付け…米チーム

 人類の脳が大きくなった原因につながる遺伝子を、米ペンシルベニア大などの研究チームが突き止め、25日付の英科学誌「ネイチャー」に発表する。この遺伝子は本来、類人猿の強じんなアゴの筋肉を作る働きがあったが、人類では偶然、約240万年前に機能を喪失。このため、アゴの筋肉で縛りつけられていた頭の骨が自由になり、脳が大型化するのを可能にしたらしい。
 人類は、約250万-200万年前に猿人から原人へ進化し、脳は大きさが猿人の2倍程度になったとされる。今回の遺伝子が機能を失ったのは約240万年前と推定され、原人への進化時期と一致する。
 これまでの化石研究などから、頭の骨が膨らんだのは、頭頂部に近い所から続いていた猿人のアゴの筋肉が弱くなり、解放されたためではないかと考えられていたが、この進化過程を遺伝子レベルで裏付ける証拠が見つかったのは初めて。
 チンパンジーやゴリラは今も、この遺伝子が働いていて、アゴの筋肉が頭部を広く覆っている。人類は原人に進化した段階で、硬い木の実に加え、軟らかい肉なども食べるようになり、アゴの筋肉の退化も不利にならなかったようだ。
 斎藤成也・国立遺伝学研究所教授の話「化石で見られる頭骨の形の変化を、遺伝子レベルで突き止めた成果で興味深い。遺伝子から人類進化を明かす研究はますます活発化するはずだ」

◆人類の脳の進化=約700万-600万年前に誕生した猿人の脳容量は350-500cc程度だったが、現生人類では約1400cにまで大きくなった。脳の大きさを制限していたアゴの筋肉の減少に加え、二足歩行で自由になった両手を使うことで、脳の発達が促されたとする説もある。

【YOMIURI ONLINE 2004年3月25日】

 487万年前±23万年に猿人が直立二足歩行を開始する。約260万年前には石器が使用される(『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム)。脳の大型化は直後の約240万年前である(地球史年表:1000万年前-100万年前)。火の使用を始めた時期については判明していない(初期のヒト属による火の利用)。240万年前から使用したと考えてもよさそうなものだ。火がなければ肉食獣の攻撃を防ぐことはできなかったはずだ。調理同様、言葉もまた炉辺(ろへん)から生まれたと考えられている。

昆虫食が人類の脳の大型化に貢献した、ワシントン大セントルイス


 文字の歴史についてもまだまだ判明していないことが多い。現在、最古とされているのはメソポタミアの楔形(くさびがた)文字とエジプトのヒエログリフである(紀元前3200年頃)。

 言葉は空間を超えて複数の人々とのコミュニケーションを可能にし、文字は時間を超えたコミュニケーションを実現した。文字の発明は人間が歴史的存在になったことを意味する。

 私の仮説に関連して検討するにあたり、確実な翻訳が行なえる言葉で書かれた人類史上最初の著作は『イーリアス』だ。現代の研究では、血と汗と涙に彩られたこの復讐譚は、吟じ手(アオイドス)と呼ばれる吟遊詩人の伝統によって創り上げられたものと考えられ、その時期は、近年発見されたヒッタイト語の銘板から、作品の中に記された出来事が起こったと推定できる紀元前1230年頃から、作品が文字で記された紀元前900年頃ないし850年頃までの間ではないかとされている。本章では、この叙事詩をきわめて重要な心理学上の記録として取り上げることにする。そして、ここで投げかけるべき問いは『イーリアス』における心とは何か、だ。

 答えは、とても平静ではいられないほど興味をかき立てられるものだ。おしなべて、『イーリアス』には意識というものがない。


 とすると『イーリアス』は壁画であったのだろう。そこにはまだ「物語」がなかった。心は事実を解釈するに至っていなかった。つまり意識は存在しなかったのだ。



不確実性に耐える/『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環解説、まんが水谷緑

2016-06-15

イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優


『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹

 ・イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格

『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
宗教とは何か?

 キリスト教の教祖であるイエス・キリストは、紀元30年ごろに復活した。復活というのは、実はそんなに異常な現象ではありません。なぜならば、近代より前の人たちの世界像というのは、日本でもヨーロッパでも中東でも同じで、哲学でいうところの素朴実在論の立場にたっているからです。すなわち、夢で見たこと、坐禅をしているときに体験したことと、現実に起こっていることとの間に差異がない。権利的に同格なんです。
 もちろん、仏教の場合は、存在論が縁起観によって構成されていますから、関係性によって実体が見えてくる。しかし、その実体というものは、そもそも虚妄であるという考え方ですから、そこにはなんら違和感がないと思うんです。
 キリスト教の場合は、夢で見たことと復活ということの間に差異はありません。基本的に同じです。あるいは白昼の幻を見る。当時サウロといってキリスト教徒を弾圧していた後の使徒パウロがダマスカスに行く途中で、光にうたれて幻を見る。これは実際に出会ったのと同じことなんです。
『源氏物語』でも、なぜ六条御息所(みやすどころ)の怨霊をみんなあんなに恐れるのか。それは、実際に六条御息所が出てくるのと同じことだからです。夢の中で見ることと現実とは同格なのです。
 この二つが分かれたのは近代に入ってからです。近代に入って分離したのですが、19世紀の終わりから20世紀になると、フロイト派、ユング派の心理学が生まれて、再び夢の権利を回復しようとしているわけです。

【『サバイバル宗教論』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2014年)】

 臨済宗相国寺派の僧侶を対象に行った講義を再編集したもの。2012年に4回行われた。クリスチャンを講師に招くという度量もさることながら、佐藤に対する質問のレベルもかなり高い。

 カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなすが、キリスト教神学を確立したのはパウロであり、実質上のキリスト教開祖といってよい。

 キリスト者を迫害していたサウロ(後のパウロ)はある時、光に打たれ、イエスの声を聴く。いわゆる啓示である。サウロは失明する。その後イエスの声に従って町へゆく。キリスト者が手を置き祝福を告げると、サウロの目から鱗(うろこ)のようなものが落ち、再び目が見えるようになった。これが「目から鱗が落ちる」の語源である(ペテロ、パウロ、そしてアウグスティヌス)。

 そしてキリスト教を世界宗教にしたのはコンスタンティヌス1世(272-337年)である。彼は夢のお告げによってキリスト教に改宗した(『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ)。人々は夢に支配されていた。

 これを心理学の夢分析(深層心理学)に結びつけるところに佐藤の卓見がある。夢を鵜呑みにすることは決して笑えない。現代においてもテレビや映画は非現実であり、形を変えた夢といってよい。そして我々も彼らと同じように知性と感情を刺激され、大なり小なり影響を受ける。小説や漫画も同じメカニズムである。

 他にも例えばサードマン現象というのがある(『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー)。一種の啓示と考えてよかろう。

 現実と非現実を意識と無意識に置き換えることも可能であろう。私も一度だけだが月明かりの下で亡き友人の声をはっきりと聴いたことがある。それは早まろうとする私を諌(いさ)める声だった。聴こえたのはたった一言だったがそれで私は思いとどまった。

 キリスト教が行ってきた殺戮の歴史を思えば、到底神がいるとは思えない。神よ、あんたが創造した世界は混乱と悲惨に覆われている。近代の扉が開き、科学技術が発達し、世俗化が進んだとはいえ、まだアメリカはキリスト教原理主義国家である。そして現在、ソ連に代わって社会主義国家の中国が台頭する。これまた一党独裁の原理主義国家だ。きっと人間の脳は支配されたがっているのだろう。

 体力の衰えが気力の衰えにつながると考え、少し前から腕立て・腹筋・背筋・スクワットを行っている。まだまだ回数は少ないものの、心地良い疲労感の中でぐっすり眠れる。夢は全く見ない。神様と巡り合うことも当分ないだろう。

『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

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佐藤 優
文藝春秋
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2016-06-13

ブッダは論争を禁じた/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳


『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
・『法句経』友松圓諦
・『法句経講義』友松圓諦
・『阿含経典』増谷文雄編訳
・『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』片山一良
・『パーリ語仏典『ダンマパダ』 こころの清流を求めて』ウ・ウィッジャーナンダ大長老監修、北嶋泰観訳注→ダンマパダ(法句経)を学ぶ会
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳

 ・犀の角のようにただ独り歩め
 ・蛇の毒
 ・所有と自我
 ・ブッダは論争を禁じた

『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
ブッダの教えを学ぶ

七八〇 実に悪意をもって(他人を)誹(そし)る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹ることばが起っても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとについても心の荒(すさ)むことがない。

【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)以下同】

「筏(いかだ)の喩え」(『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ)でブッダは「正しい教えにも執着してはならない」と教えた。それを更に検証しよう。

 初期仏教の最古層といわれるスッタニパータの第4章(七六六~九七五)では繰り返し同じことが述べられる。ブッダは論争を禁じた。鎌倉時代に生まれた日蓮が知れば、ぶったまげたことだろう。日蓮は法論を好み、幕府に対して繰り返し公場対決を申し入れた。

 悪意から誹る言葉が生まれる。誹る言葉が風となって悪意の火は盛んになる。怒りの車輪は回転を始める。恨みは必ず同調者を求め、敵と味方を形成してゆく。

七九九 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人よりも「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。
八〇〇 かれは、すでに得た(見解)〔先入見〕を捨て去って執着することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異なった見解に)分れているが、かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。

「偏見」とは偏った見方に執着することだ。ここで驚くべきことにブッダは「比較から離れる」ことを教える。

 比較と順応がないとき、葛藤は姿を消します。

【『キッチン日記 J・クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン:高橋重敏訳(コスモス・ライブラリー、1999年/新装・新訳版、2016年)】

比較が分断を生む/『学校への手紙』J・クリシュナムルティ
比較があるところには必ず恐怖がある/『恐怖なしに生きる』J・クリシュナムルティ

 2500年前に想いを馳せてみよう。権利という意識はまだ芽生えていなかったことだろうし、自由や平等といった概念も稀薄だったことだろう。庶民に至っては自我も確立されておらず、まだ右脳の声が聞こえていたに違いない(統合失調症)。そして夢と現(うつつ)の境も曖昧であったことだろう。「個人」という言葉は近代以降の概念である。

 知識は脳を束縛する。それ以上にコミュニティ(党派)が人々を支配する。出自やカーストから自由になることは想像を絶する。枢軸時代以前の民俗宗教は神の声を代弁するシャーマンチャネラーの言葉に集団が従うシステムであった。人々の脳には検討できるだけの材料(情報)がなかった。たぶん渡り鳥や魚の群れと大差がなかったことだろう。文字がないゆえに知識は神話の形で語り継がれる。神話はただ「受け取る」ものである。それは掟でありルール(法)であり定めであった。

 人々がカーストに執着し、カーストを疑うことすらできなかった時代に、ブッダは執着からの自由を説いた。

八二五 かれらは議論を欲し、集会に突入し、相互に他人を〈愚者である〉と烙印(らくいん)し、他人(師など)をかさに着て、論争を交(かわ)す。――みずから真理に達した者であると称しながら、自分が称讃されるようにと望んで。
八二六 集会の中で論争に参加した者は、称讃されようと欲して、おずおずしている。そうして敗北してはうちしおれ、(論的の)あらさがしをしているのに、(他人から)論難されると、怒る。
八二七 諸々の審判者がかれの所論に対し「汝の議論は敗北した。論破された」というと、論争に敗北した者は嘆き悲しみ、「かれはわたしを打ち負かした」といって悲泣する。
八二八 これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれを見て論争をやめるべきである。称讃を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。

 まるで創価学会の折伏(しゃくぶく)や共産党のオルグを予言するかの如き言葉である(笑)。分断された自我は競争の道をひた走り、社会全体が闘争に覆われる。ブッダの指摘は資本主義経済や大衆消費社会にまで当てはまる。「朝まで生テレビ」なんかそのまんまである(笑)。議論の目的は自己主張・自己宣伝・自己宣揚に傾き、自己顕示欲の修羅場と化す。政治もまた同様である。党利党略を優先し、国民は単なる票として換算される。経済政策のミスを犯しても誰一人責任を取ることなく、平然と増税するような恥知らずばかりとなってしまった。

八三九 師は応えた。「マーガンディヤよ、『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』とも説かない。それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安でもある。)」

 これが中道の奥深さである。「それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく」との鮮烈な言葉が「筏の喩え」を彷彿(ほうふつ)とさせる。教義に固執することなく、教義の否定にも固執することなく、教義を筏として扱うことが求められるのだろう。

八六三「争闘と争論と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢と悪口とは愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは慳みに伴い、争論が生じたときに、悪口が起る。」

 三悪道・四悪趣は渇愛と欲望から起こる。戦争の原因もここにある。

八八四 真理は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異った真理をほめたたえている。それ故に諸々の〈道の人〉は同一の事を語らないのである。

 アルボムッレ・スマナサーラによれば六師外道という言葉は「『仏教以外の教えを説いている6人の先生』という程度の意味」(『沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる』)で、ブッダが徹底的に批判したのはマッカリ・ゴーサーラただ一人であった。彼の厳格な決定論・宿命論は社会を無気力にしてしまう。ただしブッダの批判は怒りに基づいたものではない。ただ事実を指摘するだけである。

「その(真理)を知った人は、争うことがない」――つまり争う人は真理を知らないのだ。

八九六(たとい称讃を得たとしても)それは僅かなものであって、平安を得ることはできない。論争の結果は(称讃と非難との)二つだけである、とわたくしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない。

 毀誉褒貶(きよほうへん)は世間の常である。誰だって褒められれば嬉しいし、貶(けな)されれば落ち込む。しかし社会の評価と人生の幸不幸は別物である。まして悟りとは何の関係もない。論争の勝敗は知的レベルの満足と不満足であり、無明を滅するには至らない。

九〇七(真の)バラモンは、他人に導かれるということがない。また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。それ故に、諸々の論争を超越している。他の教えを最も勝れたものだと見なすこともないからである。

 伝えられるものは知識である。悟り(涅槃)は伝えることも教えることもできない。これが「他人に導かれるということがない」の意味であろう。簡単な道理である。「人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない」(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。手放し運転はもっと説明できない。野球で打者がヒットを打つことも説明できない。何でも説明できると思ったら大間違いだ。我々はお互いが「できる」という事実に基いてコミュニケーションを図っているだけなのだ。目が見えない人に視覚を伝えることは不可能だ。無明に覆われた者が涅槃(悟り)を知ることはできない。

 ブッダの教えは一切の依存を拒絶する。執着から離れ、論争を超越する。究極的には悟りに至っても悟りに執着しない生き方を示している。

 そして論争から離れる道はただ一つ、傾聴である。

コミュニケーションの本質は「理解」にある/『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ

ブッダのことば―スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)キッチン日記―J.クリシュナムルティとの1001回のランチ

2016-06-12

筏(いかだ)の喩え/『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ


『仏陀の真意』企志尚峰
『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール:今枝由郎訳
『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元
『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
・『法句経』友松圓諦
・『法句経講義』友松圓諦
・『阿含経典』増谷文雄編訳
・『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』片山一良
・『パーリ語仏典『ダンマパダ』 こころの清流を求めて』ウ・ウィッジャーナンダ大長老監修、北嶋泰観訳注→ダンマパダ(法句経)を学ぶ会
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン

 ・ものごとが見えれば信仰はなくなる
 ・筏(いかだ)の喩え
 ・ドゥッカ(苦)とは

『無(最高の状態)』鈴木祐
・『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
クリシュナムルティ、瞑想を語る

ブッダの教えを学ぶ

 かつてブッダは弟子たちに因果の教えを説明し、弟子たちはそれをはっきりとわかり、理解したと答えた。そこでブッダが言った。
「弟子たちよ、この見解は純粋で明晰である。しかしあなたたちがそれに固執し、思い入れ、尊び、拘(こだわ)るならば、教えは流れを渡るために乗る筏(いかだ)に似たものであり、保有するものではない、ということを理解していない」
 教えは流れを渡るために必要な筏のようなものであり、保持して背中に負い運ぶものではない、というこの有名な譬えを、ブッダはいたるところで説明している。
「弟子たちよ、ある人が旅の途中で大きな川に出くわしたとしよう。こちらの岸は危険であり、対岸は安全で危険がない。安全で危険がない対岸に渡る舟もなく、橋もない。そこで彼はこう思った。「この流れは大きく、こちらの岸は危険だ。対岸は安全で危険がない。渡るのに舟はなく、橋も架かっていない。草、木、葉を集めて筏を作り、それに乗って手と足で漕ぎ、安全な対岸に渡ろう」と。
 弟子たちよ、こうして彼は、草、木、枝、葉を集めて筏を作り、それに乗って手と足を使って無事対岸に渡った。そして、こう思った。「この筏は大変役だった。そのおかげで、私は手と足を使って安全にこちらの岸に着いた。だから、これからは頭に載せるか、背負うかしてこの筏を持ち歩くことにしよう」
 弟子たちよ、彼の筏に対する思いは正しいかどうか」
 弟子たちは「正しくありません」と答えた。
「では弟子たちよ、どういう態度がふさわしいであろうか。もし彼が「この筏は大いに役立った。そのおかげで、私は手と足を使って安全にこちらの岸に辿り着けた。筏は浜に揚げるか、つなぎ止めて浮かしておき、私は先に進もう」と言ったらどうだろう。これこそが、正しい行ない、正しい態度である。
 弟子たちよ、私の教えは筏と同じである。それは、流れを渡るためのもので、持ち歩くためのものではない。あなたがたは、私の教えは筏に似たものであると理解したならば、よき教えすら棄てなければならない。ましてや悪しき教えを棄てるのは、言うまでもないことである」
 この譬えから明らかなように、ブッダの教えは人を安全、平安、幸せ、静逸、ニルヴァーナへと導くためのものである。ブッダが説いたすべての教えは、すべてこの目的のためである。

【『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ:今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(岩波文庫、2016年/原書1959年)】

筏の喩え
クリシュナムルティ流「筏の喩え」/『クリシュナムルティ・目覚めの時代』、『クリシュナムルティ・開いた扉』

 有名な経典だが物語の背景をきちんと押さえておく必要がある。パーリ中部(マッジマ・ニカーヤ)では第22経『蛇喩経』(じゃゆきょう)、中阿含経では第200経『阿梨吒経』(ありたきょう)となっている(Wikipedia)。そして「筏の喩え」の部分だけを『筏喩経』(ばつゆきょう)と称する。

 元鷹匠のアリッタという修行僧がブッダの教えを誤解した。「欲は修行の障(さわ)りとならない」と。周囲の修行僧が注意をしてもアリッタは耳を貸さない。弟子たちから相談を受けたブッダは直ちにアリッタを呼び、戒める。

 始めにブッダは「蛇の喩え」を説く。蛇を捕える場合、腹や尻尾をつかめばたちまち噛まれてしまう。傷つき、毒が回り、命を失うこともある。そのように苦しむのは正しく蛇をつかまえなかったためである。人が蛇を捕えようとする時は鉄の杖で首を押さえ、次に手で頭を持つ。このようにすれば蛇に噛まれることはない。我が教えもまた同様である。意義を正しく理解しなければ、逆さまに考えて苦しむ者が出る。続いて「筏の喩え」が説かれる。詳細については以下のページを参照せよ。

筏の譬え
筏の如く
中部経典 第二十二経『 蛇喩経(正しい教えの把握の仕方)』その1.
中部経典 第二十二経『 蛇喩経(正しい教えの把握の仕方)』その2.
中部経典 第二十二経『 蛇喩経(正しい教えの把握の仕方)』その3.
中部経典 第二十二経『 蛇喩経(正しい教えの把握の仕方)』その4.
Kesamuttisutta (Kālāma sutta) ―カーラーマへの教え
筏喩経(阿梨咤経)

 尚、実際の経文を知りたい人は『パーリ仏典第一期1 中部(マッジマニカーヤ) 根本五十経篇I』片山一良〈かたやま・いちろう〉訳(大蔵出版、1997年)を参照せよ。

 文脈を考慮すれば「悪しき教え」とは誤解であり犯された誤謬(ごびゅう)である。だが元はといえばアリッタとの個人的なやり取りが「蛇の喩え」と「筏の喩え」を通して真理の高みに達する。その深さは居合わせた弟子たちはもとより、2500年後の私にまで響く。

 これがキリスト教であれば「神を捨てよ」と言ったも同然だ。世間では「嘘も方便」というが、ブッダは「真理も方便」「教えも方便」と言い切った。教えの目的は彼(か)の岸(涅槃)に渡ることである。であれば教えは「地図」と考えてよかろう。にもかかわらず仏教の歴史は「地図」の色彩や精密さを競い合う方向へ動いた。あるいは筏を豪華客船に造り変えたようなものだ。仏教は日本に至ると信仰のレベルに堕し、もはや目的地がどこなのかわからぬ地図となってしまった。仏塔信仰がストゥーパに始まり、法華経では宝塔と巨大化していったのも一種の虚仮威(こけおど)しであろう。

 ブッダは執着から離れる道を教えた。その究極として「正しい教えに執着してもならない」と説いた。ありとあらゆる宗教が神への、教義(ドグマ)への、グル(導師)への執着を説いている。ブッダこそは目覚めた人であった。他の宗教は信者の目を閉ざし、眠らせていることが理解できよう。

 ブッダの教えに従えば、我々は「筏の喩え」にも執着してはならないことになる。これぞ完全無執着の道だ。なぜなら教えもまた「空」(くう)であり、自我もまた「空」であるからだ。テキストではなく、ブッダその人でもなく、ただ真っ直ぐに涅槃(悟り)を求めるのが真の仏弟子だ。

ブッダは論争を禁じた/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳

2016-06-11

マイケル・クローネン著『キッチン日記 J・クリシュナムルティとの1001回のランチ』新装・新訳版

キッチン日記―J.クリシュナムルティとの1001回のランチ

 キッチンで料理を提供し、デイヴィッド・ボームなどの会食者たちと歓談するかたわらで綴られた、精緻にして長大なクリシュナムルティ随聞記。

 インドでは、古来食べ物はブラフマン(意識)だと言われてきた。『キッチン日記』は、当代の最も偉大な賢者の一人の意識の中で揺れ動いている気分ならびに精神の微妙な陰影への洞察をあなたに与えてくれる。一連のランチメニューに順次目を通しながら本文を読み進めていくうちに、あなたは、多くの人々に影響を与えてきたこの偉大な存在のパーソナリティの中にある複雑さ、単純さ、そしてユーモアを体験するであろう。
 ──ディーパック・チョプラ(『富と成功をもたらす7つの法則』の著者)

 マイケル・クローネンの『キッチン日記』は、クリシュナムルティと彼の客たちにシェフとして菜食料理を提供した著者による、一九七五年から一九八六年までの出来事の優れた記録である。この伝記的ポートレートは、クリシュナムルティを聖人扱いしようとする様々な企てへのタイムリーな矯味薬である。ランチ中の打ち解けた会話からの記述と引用は、読んで楽しいだけでなく、真剣に考察するに値する。クリシュナムルティの教えのエッセンスの多くが、本書全体にちりばめられている。メニューが添えられている菜食料理を想像しながら、会食者たちと共に間接的に味わう人は誰であれ、それに満喫させられるだけでなく、スピリチュアルな滋養も与えられることだろう。
 ──アラン・W・アンダーソン(サンディエゴ大学宗教学部名誉教授)

 クリシュナムルティの最も深い理解者の一人による、手作りの菜食料理とジョークによって趣を添えられた、機智に富んだ回顧録。

一読者からクリシュナムルティの料理人となった青年/『キッチン日記 J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン