2017-05-27

高砂族にはフィクションという概念がなかった/『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝


『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

 ・高砂族にはフィクションという概念がなかった

ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 一行は途中アブダン駐在所に休憩し、約14キロの山道を、時には鉄線橋とよばれる長い吊橋を渡って、目的地カビヤン社に着いたのは5時5分。
 この途中驚くべき事件に逢った。私を乗せた椅子駕籠が先頭にたっていたが、先棒の青年が急に立ち止まった。そして相棒の青年と緊張した面もちで語り合っている。「何が起こったのか」の私の問いに、彼らは、「昨日、ここを親子づれの鹿が通って右の谷へ下りた」というのだ。そして明日鹿狩りをしようとの相談らしかった。砂利道に鹿の足跡などわかるものではない。「どうしてわかるのか、これか」といって鼻を指さしたが、彼らは笑っているだけである。
 聞くところによると、雨が降らなければ、3日ぐらい前に通ったものの識別ができるという。これはまったく名犬の嗅覚ではないか。
 動物の種類はもちろん、人間でも自社のものか他社のものか、男か女か、2人づれか3人づれか。この特技を使って、当時花運港付近の捕虜収容所から脱走して行方不明になっていたアメリカ兵2名を、3日後に山の岩陰から嗅ぎ出したというエピソードもあった。とにかく高砂族という原始民族は、耳も鼻も、眼も、兎やキリンのように、犬のように、猫や豹のように、人間が神によって創生されたままの感覚を、いまだにもっていたのである。

【『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝〈くろさわ・たかとも〉(雄山閣、1973年)以下同】

 1973年(昭和48年)に刊行されているが、内容は第二次世界大戦以前のフィールドワークに基づいている。上記テキスト最後の部分は差別意識というよりは率直な驚きを表明したものだろう。500ページを超す極めて本格的な学術書で各部族の音楽は当然のこと、楽器の詳細にまで研究が及ぶ。台湾は日清戦争で1895年に割譲され、1945年まで日本の一部であった。幸か不幸か台湾原住民は日本語という共通語を持つことで初めて部族間の意思の疎通が可能となった。もしも日本の統治がなければ各部族の文化は歴史の谷間に埋没していたことだろう。高砂族の人間離れした能力は戦時においても遺憾なく発揮され、高砂義勇隊の結成に至る。

 さて今夜の結婚式は疑似結婚式であるが、高砂族中の文化人でありながら、偽りの結婚式は神をあざむくものだというので、人選には、なかなか苦労したようである。
 青年たちも顔を見合わせて応じてくれない。中には今晩ひと晩だけ結婚を許してくれるならやってもいいというモダンボーイもいて、大変なごやかになる。この時部長殿が頭目に酒を呑ませて相談を重ねると、頭目は「では神様に詫びを入れるから、酒をもう1本供えてほしい」ということになり、駐在所員の飲み料の1升びんが持ち出された。頭目はにこりともせず栓をぬき、なに事か呪文らしきつぶやきがあって、さていうには「今晩のまね事は、神様が見ぬふりをすることに話がついた」と宣言した。こうして、結局指定によって青年団の幹部である模範青年たちが、晴れの席についたのである。
 高砂族はこのように、フィクションというものが考えられない民族で、今まで仮面を含めて、演劇という形式が育たなかった。これも民俗学の問題になるテーマであろうかと思う。

 ライ社(カビヤン社の同族)でのエピソードである。私の頭の中で電球が灯(とも)った。Difang~『セデック・バレ』を経て台湾にハマったわけだが、その道筋はこの文章に出会うためだったとさえ思えた。

 ユヴァル・ノア・ハラリはフィクションを信じる力が人類を発展させた(『サピエンス全史』)と説くが、未開部族にはフィクションという概念が存在しなかった。つまり主観だけで生きていることになる。先祖から代々受け継がれてきた物語や、あるいは右脳の声(ジュリアン・ジェインズ)はそのまま事実として認識されたのだろう。

 小説における劇中劇をメタフィクションという。小説の中で小説を読んだり、小説を批評する手法である。知能が発達した動物は自己鏡像認知が可能であるが、メタフィクションは合わせ鏡認知といってよい。高砂族はメタ認知能力を欠いていた。部族がより大きなコミュニティ(国家)に発展できなかった原因もここにある。

 この凄さが理解できるだろうか? 高砂族に対する私の憧れはいや増して太陽のように輝く。フィクションという概念がないのだから高砂族は嘘をつくことができない。すなわち「騙(だま)す」という行為と無縁である。

 フィクションは多くの人々を結びつけ機能を有した嘘である。我々は自ら喜んで騙される。宗教や国家に。アイデンティティとは信じられる虚構の異名に過ぎない。

 もちろん集団が大きくなればなるほど文明は発達し、社会も高度化される。事実として高砂族は日本や中華民国あるいは中国共産党に勝つことができなかった。だが一対一ならば我々は負ける。彼らの優れた身体能力と首刈りの勇気に太刀打ちすることは難しい。

 果たしてどちらが幸せなのだろうか? 私には判断がつかない。ただじっと高砂族の音楽に耳を傾けるだけだ。

 昨年の12月のことだが母の誕生日にCDを贈った。プレゼントをするのは小学2年生以来のこと。45年前、私は大事にしていた赤いプラスチックの指輪を母に手渡した。今思えば取るに足らないお菓子のオマケだが私にとっては宝物だった。そして45年後に再び宝物といえる音楽と巡り合った。虚構(フィクション)なき歌声に耳を傾けよ(『Mudanin Kata/ムダニン・カタ』デヴィッド・ダーリング、ブヌン族)。




2017-05-24

「感謝の心、忘れずに」=手記で彩花さん母-神戸連続児童殺傷事件


『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件
神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」
元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って

 ・「感謝の心、忘れずに」=手記で彩花さん母-神戸連続児童殺傷事件

 山下彩花さんの命日を前に、母京子さんは時事通信社に手記を寄せた。全文は以下の通り。(表記は原文のまま)

 彩花が10歳でこの世を去って20年。彩花が生きた時間の倍の歳月が流れました。どれほどの時間が流れようとも姿は見えなくとも彩花の存在が薄れることはなく、私たちの中にしっかりと根を下ろしています。
 当時は、悲しみと絶望感に押しつぶされそうな毎日で、明日のことさえ考えられませんでした。そんな私たちに寄り添い、励まし支えてくださったたくさんの真心のおかげで今日まで日々を重ねることができました。毎年、3月23日は感謝の思いを確認する日でもあります。
 神戸の事件以降、少年法が改正され犯罪被害者等支援条例が制定される自治体も増えてきました。また教育現場や地域でも子どもを守り育てるという意識が大きく変わったように思います。しかしながら、残虐で短絡的な殺人やいじめによる自殺、虐待など子どもを取り巻く事件は後を絶ちません。悲劇が繰り返されるたびに心が痛くなるのは私だけではないでしょう。
 このような日本社会になってしまった理由には、自分さえよければいいという利己主義とお金やモノを多く所有することが幸せと感じる物質至上主義があるように思います。そういった刹那(せつな)的な幸福感はゆがんだ嫉妬心や孤独感を生み出します。事件の火種は全てこの思想にあると言っても過言ではありません。では何が必要なのでしょうか。それは、物質とは対極にある目に見えないものに価値があると認識することと利他の精神だと強く感じています。
 それを子どもたちに教えるには、大人が自ら人のために心を尽くし、人の役に立てる喜びを言葉だけではなく姿を通して伝えるしかありません。どんな状況にあっても誰も皆その人にしかできないお役目が必ずあるのです。そして、自分が生かされている現実や、周りの人に「ありがとう。おかげさまで」と感謝する心を忘れないことです。遠回りのようですが、こういった小さな積み重ねが命を大切にする思いにつながっていくのではないでしょうか。
 私たち家族が20年をかけて学んだのは、「試練の中でこそ魂が磨かれ、人の幸せを願う深みのある優しさと、倒れても立ち上がろうとする真の強さが育まれる」ということです。家族の絆もさらに強くなりました。それらは決してお金で買うことができない宝物であり、彩花が命をかけて教えてくれたことに他なりません。これからも、体験し学んだことを丁寧に社会にお返ししていくことが、私たちの役目だと確信しています。

【時事通信 2017年3月23日】

狙われた弱者/『淳』土師守


 ・狙われた弱者

『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件
神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」
元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って
『心にナイフをしのばせて』奥野修司
大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
「感謝の心、忘れずに」=手記で彩花さん母-神戸連続児童殺傷事件

 わが家にとっていつもと変わらぬ土曜日の午後でした。
「おじいちゃんのとこ、いってくるわ」
 ソファーのうしろの6畳間から淳の声が聞こえました。いつの間にか居間のうしろの部屋でジグソーパズルを始めていたようです。
「寒いから、ジャンパー着ていきなさい」
 この日は比較的肌寒い日で、妻はいつも淳が着ているウィンドブレーカーを着ていくよう、声をかけました。
 まもなくバタンとドアの閉まる音がして、淳は家を出ていきました。
 私たち家族は、この時、誰も淳の姿を見てはいませんでした。
 これが、私たち家族と淳との永遠の別れになってしまいました。

【『淳』土師守〈はせ・まもる〉(新潮社、1998年/新潮文庫、2002年)】

 著者は酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件/1997年)で殺害された土師淳〈はせ・じゅん〉君(享年11歳)の父親である。もう一人の犠牲者・山下彩花ちゃん(享年10歳)の母親京子さんが1997年12月に手記を発表している。子供を持つ全ての親御さんに読んでもらいたい。

 土師守さんは医師だ。その珍しい苗字で著書を刊行することにはプライバシーを犠牲にする覚悟が必要であった。努めて冷静に書かれた文章の行間に悲しみが立ち込めている。

「いったい、あのAさんという人は何んやのん? みんなが心配して淳を捜しにいっているというのに、その家の留守番をしながら、たまごっちをふたつも持ち込んでたんよ」
「それを一生懸命に面倒みて、その上、口を利けば自分のとこの子供の自慢話ばっかりして、何んていう人や。あんまり腹が立ったから、姉の私がきましたから、もう結構ですというて、すぐに帰ってもらったわ」
 と姉は怒っていました。

 淳君が行方不明となりPTAや近隣の人々が駆けつけ、皆で捜索する。土師宅の留守番も入れ替わりで行われた。その時のエピソードである。このAさんが実は酒鬼薔薇の母親であった。他にも何度か登場するが明らかに非常識で社会性を欠いた振る舞いが目立つ。加害者の親については山下さんもその不誠実ぶりに苦言を呈している。

 遺体が発見され土師夫妻は須磨警察署に向かった。

 間もなく五十がらみの刑事さんが入ってきて、静かに私たちの前に座りました。
「淳が見つかったんですか」
 私は、刑事さんが口を開く前に、尋ねました。
 その人は、黙ってうなずきました。私が、
「どんな状態だったんですか?」
 とさらに聞くと、刑事さんは、自分の首を指さしながら、
「首から上が見つかりました」
 と、ひとこといいました。
 首から上? 一瞬にして少なくとも、淳がまともな状態にないということが頭を駆けめぐりました。
「ひどい! 怖い!」
「こんなところイヤ!」
 私より妻が先に叫びました。号泣。
 それから、ただ、妻は号泣しました。
 私は、言葉を発することもできませんでした。

 しかも後に判明することだが淳君の生首は中学の正門に置かれ、口は耳まで切り裂かれていた。そして口の中には「酒鬼薔薇聖斗」なる名前で犯行声明文が挟まれていた。


 淳君には知的発達障碍があった。以前、少年Aからいじめを受けていた。Aは「殺したい欲望」を自分より弱い者に向けた。淳君の死因は絞殺であるがあっさりと死んだわけではなかった。

第三の事件

 少年法の一番の問題は「『罪を犯したらそれに相応する罰が加えられる』という応報概念が現行法には全く見られない」(少年法に関する基礎知識)点にある。法の目的は社会秩序の維持にある。チンパンジーの群れは20~100頭(チンパンジーについて)でルールを破った者はその場で殺される。人類は近代以降、魔女狩りなどを経て私刑を禁じた。数千万人から数億人単位の国家というコミュニティを形成したヒトは法律に則って暮らすこととなる。

 異常者は法律を軽々と超え、コミュニティを崩壊する。社会から隔離するのは当然であり、日本国民の80%以上は死刑もやむなしと考えている。これに対して左翼系弁護士は声高に人権を唱え、反対運動を展開してきた。古くは永山則夫連続射殺事件(1968年)が知られる。酒鬼薔薇事件でも彼らは少年Aを擁護した。

 私は少年Aに生きる資格はないと考える。もしも私が彼の親であれば迷うことなく自分の手で始末をつけるだろう。

 事件から20年が経過した。

【神戸連続児童殺傷20年】「生きている限り、償い…」加害男性の両親、連絡取っているが会ってない 書面で心境

 神戸市須磨区で平成9年に起きた連続児童殺傷事件で、小学6年だった土師(はせ)淳君=当時(11)=が殺害されてから24日で20年となるのを前に、加害男性(34)の両親が代理人の弁護士を通じ、報道各社に文書で現在の心境などを明らかにした。男性とは連絡を取り合っているが直接会ってはいないとみられ、「生活状況は分からない」という。遺族や被害者に対しては謝罪の言葉を繰り返し、将来的に男性から事件の真相を聞き取って遺族らに伝えたいとの希望も明かした。
 両親はこの20年を振り返り、「被害者遺族の方々には大変申し訳なく思っています。年月が流れるにつれ、怒り、悲しみ、憎悪は増していると思います」と改めて謝罪。「生きている限り、ご冥福を祈りながら償いをさせていただきたい」とした。
 男性とはたまに連絡を取り合っているが、生活状況については話してもらえないといい、「(男性が)心配をかけないようにしているのではないか」との見方を示した。会うことはできていないとみられ、「長い時間がかかると思いますが、少しずつ色々な話をしていきたい。本人自身が私たちに会いたいと思う気持ちになるまで待ち続けたい」とした。
 さらに、男性が平成27年6月に手記「絶歌」を出版したことについては「順序を間違えている」とする一方、「少年院を退院してからの様子など一部が分かった」と言及。「(男性から)まだ何も聞けていないという思いがある」と明かし、「何とか会って『絶歌』を出したことや事件の真相について聞きたい。それがかなえば、ご遺族にもお伝えしたいと考えております」とした。

【産経WEST 2017年5月23日】

 二人の児童を殺意満々で殺しても14歳というだけで死刑を免れるのが腑に落ちない。更生の可能性を考慮するのもおかしな話だ。飽くまでも犯した罪を見つめるのが筋ではないのか。

 脳が「なぜ?」という物語(因果)から自由になることはない。本当は幸福も不幸も幻想なのだろう。仏教では殺人といえばアングリマーラのエピソードが必ず引き合いに出されるが、サンガと国家を同列に論じることはできない。

 その後、佐世保小6女児同級生殺害事件(2004年)、佐世保女子高生殺害事件(2014年)などが起こっている。定期的に心理テストなどを行い、異常性を早期発見する手立てが必要ではないか。

2017-05-20

スマックボールの壁打ちに関する覚え書き


 ・バドミントン~自宅で壁打ちをする方法(スマックボール)
 ・スマックボールの壁打ちに関する覚え書き

 先日、初めて橋脚で壁打ちを行った。実際にシャトルを打ってみるとやはり勝手が違う。不規則なバウンドが多く、1時間ほど頑張ったのだが50回続けるのがやっとだった。スマックボールの欠点は何と言ってもインパクトの弱さにある。そしてガットが少しずつスマックボールを削ってゆく。意外と無視できないほどのゴミが生じる。

 あれこれと思案した結果、妙案が浮かんだ。素振り用のラケットカバーを着用するのだ。風の抵抗でインパクトの弱さをカバーできるしゴミも出ない。早速注文したのだが、やはり正解であった。カバーの風圧で恐ろしいほど変化する。100回くらい打っていると手首が疲れてくる。

 amazonは高いので楽天での購入を推奨する。

認知革命~虚構を語り信じる能力/『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ


物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『ものぐさ精神分析』岸田秀
『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・読書日記
 ・目次
 ・マクロ歴史学
 ・認知革命~虚構を語り信じる能力
 ・イスラエル人歴史学者の恐るべき仏教理解

・『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』ユヴァル・ノア・ハラリ

世界史の教科書
必読書リストその五

 今からおよそ135億年前、いわゆる「ビッグバン」によって、物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。私たちの宇宙の根本を成すこれらの要素の物語を「物理学」という。
 物質とエネルギーは、この世に現れてから30万年ほど後に融合し始め、原子と呼ばれる複雑な構造体を成し、やがてその原子が統合して分子ができた。原子と分子とそれらの相互作用の物語を「化学」という。
 およそ38億年前、地球と呼ばれる惑星の上で特定の分子が結合し、格別大きく入り組んだ構造体、すなわち有機体(生物)を形作った。有機体の物語を「生物学」という。
 そしておよそ7万年前、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、なおさら精巧な構造体、すなわち文化を形成し始めた。そうした人間文化のその後の発展を「歴史」という。
 歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約7万年前に歴史を始動させた認知革命、約1万2000年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか500年前に始まった科学革命だ。三つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。本書ではこれら三つの革命が、人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものにどのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく。

【『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(上下)ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2016年)以下同】

 高い視点が抽象度を上げる(『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人)。しゃがんだ位置から見える世界と高層ビルから見下ろす世界は異なる。宇宙空間から俯瞰すれば全くの別世界が開ける。

 約7万年前から約3万年前にかけて、人類は舟やランプ、弓矢、針(暖かい服を縫うのに不可欠)を発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼるし、宗教や交易、社会的階層化の最初の明白な証拠にしても同じだ。
 ほとんどの研究者は、こられの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物だと考えている。(中略)
 このように7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを「認知革命」という。


 歴史の痕跡が人類における革命を物語っている。認知革命とは言葉の獲得によって虚構(フィクション)を想像し、虚構を共有することで集団の協力が可能となったことを意味する。言語-社会化という図式は誰もが何となく気づくことだが、実は言語そのものが虚構である。

 共同が協働に結びつき、その過程で表現する力が養われたのだろう。「見てくれる人」がいなければ表現という欲求は生まれない。そして新たな表現が言葉をより豊かに発展させ神話や宗教が生まれる。

 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。
 現実には存在しないものについて語り、『鏡の国のアリス』ではないけれど、ありえないことを朝食前に六つも信じられるのはホモ・サピエンスだけであるという点には、比較的容易に同意してもらえるだろう。(中略)
 だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、【集団】でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。

 たぶん宗教は天候不良や災害の説明から始まったのだろう。雷を「天(神)の怒り」と想像するのはそれほど難しいことではない。日本では稲妻(元は稲夫〈いなづま〉)が受精して米という実りをもたらすと考えられてきた。

 岸田秀が語った「共同幻想」をユヴァル・ノア・ハラリはより学術的に精緻な検証を試みる。信仰や政治、そして恋愛や戦争もフィクションなのだろうか? そうだとすれば我々が感じる幸不幸は妄想である可能性が高い。

 我々は何となく言葉の虚構性に気づいている。だからこそスポーツに熱狂し、歌詞のない音楽の虜(とりこ)となり、性行為に溺れるのだろう。本来であれば言葉はコミュニケーションの道具に過ぎないのだが、言葉以外のコミュニケーションを失ってしまった。

「理解というものは、私たち、つまり私とあなたが、同時に、同じレベルで出会うときに生まれてきます」(『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ)。人間と人間の出会いを言葉が妨げている。知識はあっても知性を欠き、語られる愛情は欲望に基づいている。

 虚構は国家という大きさにまで拡張した。更に大きな虚構を人類は手にすることができるのだろうか? それとも虚構を捨て去って全く新しい生き方に目覚めるのだろうか?



信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
現代の華厳経/『アファメーション』ルー・タイス
人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム