2018-05-12

武田邦彦「スポーツは無意味」


 sport という語は 19世紀から 20世紀にかけて使用されるようになった英語です。その語源はラテン語の「deportare」です。 この語は、日々の生活から離れること、すなわち、気晴らしをする、休養する、楽しむ、遊ぶなどを意味しました。

第1回 スポーツの語源 « 基礎教育センター活動ブログ

 多分「競争」は資本主義経済の影響なのだろう。「スポーツのルールには何の合理性もない。非合理な制約を設けて競争するのがスポーツで、スポーツそのものに意味はない」との主旨。「非合理な制約を設けて競争する」のは宗教も一緒だ。

2018-05-06

米ドル崩壊のシナリオ/『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫

 ・米ドル崩壊のシナリオ

『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ
『金価格は6倍になる いますぐ金を買いなさい』ジェームズ・リカーズ

 1971年8月15日、穏やかな日曜日の夜、リチャード・ニクソン大統領はアメリカで最も高視聴率を誇っていたテレビ番組の時間に、電波を使って新経済政策を発表した。政府は価格統制を行い、高率の輸入課徴金を課し、ドルと金の交換を停止すると宣言したのである。継続中の通貨戦争によって米ドルに対する信認が打ち砕かれ、アメリカは危機のさなかにあった。思い切った措置が必要だと、大統領は決断していたのである。

【『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ:藤井清美訳(朝日新聞出版、2012年)以下同】

「トランプ米大統領は8日の記者会見で、鉄鋼とアルミニウムにそれぞれ25%と10%の関税を課す輸入制限を実施することを正式に発表した。カナダとメキシコを対象外とすることも改めて明らかにした」(ロイター 2018年3月9日)――あとはドル安に誘導すればニクソンショックの再現となる。東京オリンピックの翌年がちょうど半世紀後に当たるから、日中戦争はこのタイミングになるような気がする。もちろん米国債を大量保有している日中を戦わせるシナリオを用意しているのはアメリカだ。序文の続きを紹介しよう。

 今日、われわれは新たな通貨戦争の渦中にあり、ドルに対する信認の危機がふたたび訪れようとしている。危機の影響は、ニクソンが直面したものよりはるかに深刻になるだろう。あれから40年の間にグローバル化が進み、デリバティブ(金融派生商品)やレバレッジ(借り入れを利用する投資)が多用されるようになったことで、金融パニックやその伝播(でんぱ)を抑え込むのはほぼ不可能になっているからだ。
 新しい危機は為替(かわせ)市場で始まって、またたく間に株式や債権やコモディティ(商品)市場に波及するだろう。ドルが崩壊したら、ドル建て金融商品の市場も崩壊する。パニックはまたたく間に世界中に広がるだろう。
 その結果、アメリカ大統領が――それはオバマ大統領かもしれない――電波とサイバー空間を使って、ドルを全面崩壊から救うための大胆な介入計画を発表し、法的権限を行使するだろう。この新しい介入計画には、金本位制への復帰という策まで含まれるかもしれない。もしそうなったら、膨張したマネーサプライ(通貨供給量)を限られた量の金で支えるために、金の価格は現在より劇的に高い水準に設定されるだろう。早くから金に投資していたアメリカ人は、金価格の上昇による棚ぼた利益に対して、公正の名の下に90パーセントの「超過利潤税」を課せられるだろう。現在ニューヨークに保管されているヨーロッパや日本の金は、接収されて「新ドル政策」を支えるために使われるだろう。ヨーロッパや日本は接収された金の代わりに受取書を与えられ、その受取書は以前より大幅に高い新価格で新しいドルと交換できるとされるだろう。
 もう一つの可能性として、大統領は金本位制への復帰は避けて、さまざまな資本規制やIMF(国際通貨基金)のマネー創造機能を使って流動性を供給し、状況を安定させようとするかもしれない。IMFによるこのグローバルな救済は、金との兌換(だかん)性のない古いドルではなく、新たに発行されるSDR(特別引き出し権)と呼ばれるグローバル通貨で行われるだろう。世界は回り続けるだろうが、国際通貨精度はすっかり様変わりするだろう。
 これは荒唐無稽(むけい)な推論ではない。そっくり同じことがかつて起きているのである。紙券通貨が崩壊して、資産の凍結、金の接収、資本規制という措置が取られたことは過去に何度もある。アメリカもこうした措置と無縁ではなかった。それどころか、アメリカは1770年代から1970年代まで、独立戦争、南北戦争、大恐慌、そしてカーター政権時代のハイパーインフレーション(物価暴騰)を経験するなかで、ドル安政策を積極的に推し進めてきた。通貨崩壊が30年余り起きていないという事実は、次の崩壊の機が熟しすぎるほど熟していることを暗に示しているだけだ。単なる推論の所産ではなく、前提条件はすでに整っているのである。

 二度の世界大戦で英ポンドは凋落(ちょうらく)し基軸通貨は米ドルに変わった(1944年)。ブレトン・ウッズ体制はニクソン・ショック(1971年)で終焉を迎え、為替(かわせ)の変動相場制が幕を開ける。それにしても米ドルが現在も基軸通貨の地位を譲っていないのは何とも不思議な話である。兌換(だかん)紙幣は死んだ。金(ゴールド)の裏づけを失ったマネーは物としての価値を消失したが信用情報として生き延びた。

 基軸通貨とは簡単に言えば「石油や武器を買う時に使用できる通貨」のことだ。日本が中東から石油を購入した場合、1万円札で支払えば相手が困るのは誰にでも理解できよう。国家の基盤が弱い国ほど外貨が必要となる。

 イラクのフセイン大統領は原油の決済通貨をドルからユーロに変えたために殺された。「要するに、イラク戦争というのは、イラクにある石油利権を植民地主義敵に囲い込むための戦争だったのではなく、ドルを基軸としてまわっている国際石油市場のルールを守るための戦争だった」(『超マクロ展望 世界経済の真実』水野和夫、萱野稔人)。ルールを決めるのはいつだって強者だ。


 1ドル360円が半分の価値になるまでわずか10年である。1990年代から2000年代初頭にかけてアメリカではITバブルが、続いて住宅バブルが絶頂を迎える(2007年7月)。そして物づくりを放棄して金融工学にうつつを抜かしていた彼の国を襲ったのがリーマン・ショックであった(2008年9月)。10月28日には日経平均が7000円台を割り込んだ。グローバリゼーションは恐慌のスピードを加速する。

 トランプ大統領が唱えるアメリカ・ファーストとは、今まで世界中から物を買ってきたアメリカが「物を売る側」にシフトするとの宣言である。とすればドルが強くなることはあり得ない。しかしながら世界から資金を集める必要があれば株価は釣り上げてくることだろう。更にはアメリカが覇権から一歩退くことで東アジアと中東に混乱が生じるに違いない。

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2018-04-30

「洛中洛外図」の日本的視点/『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾


・『怖い絵』中野京子

 ・「洛中洛外図」の日本的視点

『日本人の身体』安田登
『新・悪の論理』倉前盛通
『肚 人間の重心』 カールフリート・デュルクハイム

必読書リスト その四

 西欧の遠近法や明暗法は、ちょうどある位置でカメラを構えてシャッターを切った時のように、画家の視点は一定の場所に固定されていて、対象も変化のない一定不変の状態にあるということが、基本的前提になっている。画家と対象との距離の差を画面における形態の大小や色彩の鮮明度に翻訳して表現するのが遠近法であり、対象に対する光のあたり方を陰影によって表現するのが明暗法だからである。(中略)だが、画家と対象との距離というものは、当然のことながら、画家の位置が変わればそれに応じて変わる。もし画家が人物を描くたびに、つねにそのすぐそばまで移動して描いたとしたら、遠近法は成立しないであろう。その代り、画中の人物は、つねに同じ大きさで鮮明に描き出されるということになる。洛中洛外図において日本の画家が行なったのは、まさにそのようなことである。画家は町のなかを自由に動き廻って、さまざまの場所を観察し、店先の様子や人びとの姿などをいわば至近距離から眺めて、それぞれの部分を次つぎと画面の上に並べていった。つまり洛中洛外図は、ひとつの固定した視点から眺められた都市図ではなく、都市のさまざまの部分を、つまり複数の視点による都市の姿を画面の上に並置したものなのである。そのそれぞれの部分は、いずれも、例えば人物たちの顔かたちや衣裳の模様まではっきりとわかるように鮮明に描かれているので、相互のあいだに距離感の差はなく、全体として画面は平面的な拡がりを見せることとなる。
 しかも、視点の自由な移動は、町のなかだけにはとどまらない。都市の構造の基本的骨格を形成する建物の配置を描く時は、画家は視点を高めて、あたかも高い塔の上から町を見下ろしたかのような具合に描き出す。われわれの日常の体験において、高い所から見下ろした時の方が町の構成はよくわかるが、洛中洛外図の画家は、まさしくそのような視点によって、都市の空間構造を見る者に伝えてくれるのである。そしてその上で、それぞれの場所における人びとの姿や生活情景が描き出される。その場合、建物そのものは上方から見られているから、例えば屋根などがそのように描き出されるが、しかしその正面部、例えば店先の様子やあるいは通りを歩く人びとの姿は、通常の水平方向の視点で描かれる。つまり、洛中洛外図は、さまざまの部分的情景の集合であるが、そのひとつひとつの部分においても、俯瞰視と水平視という異なった視点が共存しているのである。

【『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾〈たかしな・しゅうじ〉(岩波現代文庫、2009年/旧版、岩波書店、1991年新板、同時代ライブラリー、1996年)】

 まずは「洛中洛外図」(らくちゅうらくがいず)をご覧いただこう。

Wikipedia
洛中洛外図屏風(上杉本)狩野永徳
洛中洛外図 - 日テレ
狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》 金雲に輝く名画の謎を読む──「黒田日出男」:影山幸一

 確かに妙な絵である。のっぺりとしていて奥行きがない。私の印象はそこで止まってしまう。ところが高階秀爾の眼は画家の手法を解析し、西洋美術との視座の異なりにまで及ぶ。専門家とは「見る世界」を広げてくれる人物であることがよくわかる。

 西欧の視点が固定されているのは「個人」という意識が確立されていたためだ。もちろんその背景には「神」の存在がある(『翻訳語成立事情』柳父章)。つまり思想や価値観によって目の前の世界は違って見えるということだ。視覚情報は視覚野が翻訳したものだ。現実は都合のいいように歪められる。例えば常に見えているはずの自分の鼻を我々は気にかけることがない。

 戦後教育はGHQによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に基づいており、日本の過去は否定されるべき歴史として描かれるようになった。また輪を掛けるように左翼や進歩的文化人が江戸時代から戦前までを革命前段階の抑圧世界と位置づけた。原爆慰霊碑に記された「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」との碑文がまさしくその象徴である(原爆を正当化する米国のプロパガンダを、日本人が鵜呑みにする必要はない | 私的憂国の書)。

 19世紀半ばにヨーロッパで日本美術が注目を浴びジャポニスム文化が花開いた。「きっと物珍しかったのだろう」などと思うのは不届き者だ。長らく続いた白人支配は「人間には理性がある→理性とは神を理解する能力である→神を信じない者は人間に非ず」という三段論法に基づいている。アメリカ先住民のインディアンやアフリカの黒人を彼らは【人間と見なさなかった】のだ。大量虐殺は文字通り虫けらを退治するように粛々と行われた。こうした歴史にとどめを刺したのが日露戦争だった(『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭)。

 しかも西ヨーロッパが日本の文化を認めたということはキリスト教世界に衝撃を与え、混乱を招いたことをも示唆している。なぜなら文化は人間の社会からしか生まれないからだ。現代においてすらフランスは文化を鼻に引っ掛けイギリス人を猿だと馬鹿にしている。フランス人のピエール・ブールは第二次世界大戦でフランス領インドシナに派兵され日本軍の捕虜となった。この体験から着想を得て後に小説としたのが『猿の惑星』である。そう。猿とは日本人のことなのだ。

 彼らの人種差別意識に対して日本美術が亀裂を入れた事実を我々は誇っていいだろう。



武術の達人/『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀