2013-09-13

集合知は群衆の叡智に非ず/『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン


『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー

 ・集合知は群衆の叡智に非ず
 ・集合知は沈黙の中から生まれる
 ・真のコミュニケーション

『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

 批判するべく本書を開いた。パラダイムシフトを促してきたのは抜きん出た人物の傑出した視点であり、集団から導かれるのは所詮平均値のみである、と。最初の章で目論見は潰(つい)えた。いつの間にか私は集合知を群衆の叡智と勘違いしていたのだ。

「群衆の叡智」の理論によれば、多様な人々の集団にみられる異なる意見を集めれば、ひとりの専門家に意見を聞く場合より、最良の結論に達する可能性がはるかに高い。たとえば、ある牛の体重を多様な集団に推測させれば、その平均値は実際の体重に非常に近くなる。多様なギャンブラーの集団に、たとえば大統領選挙の結果を予測させれば、その予測の平均が実際の結果になる可能性が高い。「群衆の叡智」がはたらかないのは、群衆を構成する人々がそれほど多様ではないときだ。

【『「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理』サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー:森田浩之訳(NHK出版、2010年)】

 その意味で以下の記事も誤っていると言わざるを得ない。

集合知から考える、これからの情報社会のかたち
「個人」と「集合知」
予測市場が「集合知」を生み出す驚異の仕組み

 集合知は群衆の叡智ではない。またビッグデータを意味しない。

 Wikipediaによれば「多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である」と定義されているが、本書で競争という指摘はない。多分(既に読んでから2年が経過している)。

 知とは、人間の共同体が賢明な選択をし、未来は決して他人事ではないと実感し、それを軸に軌道修正していくことのできる力を意味する。知とは連帯のことだ。人と人、あるいは人と総体との結びつきのことだ。知は本質として相関的な概念であり、それを特定の人物と同一視しすぎれば沈下するものなのだ。(ピーター・センゲ

【『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン:上原裕美子〈うえはら・ゆみこ〉訳(英治出版、2010年)以下同】

 いきなりこれだよ。カウンター気味のフックだ。わかるとは「分ける」ことだ。ゆえに行き過ぎた分析を要素還元主義と批判したのではなかったか(その後量子論の台頭によって引っ込めたわけだが)。

「わかる」とは/『「分ける」こと「わかる」こと』坂本賢三

 しかし「知とは連帯のことだ」という指摘も頷ける。そもそも科学の発達自体が連帯を示している。先人の英知は確かに受け継がれている。

 開発援助の業界では今も、貧困や、いわゆる発展途上地域の課題を解決するため、大々的で機械的、中央集権的なアプローチがとられている。発展という名目の下、村や地域の人々は、共同体的な関係性を損なうような方法への適応を迫られる。(外部の人間によって)問題が解決されてしまうのだ――その地域の人々自身が発展の主体性を担うことの必要性は考慮されない。(マリアンヌ・クヌース)

 もちろんそうだ。開発は金を出す側の都合で決められる。事実上、発展途上国の要人に対する賄賂と化しているケースも目立つ。IMFや世界銀行の仕事は途上国を債務漬けにすることだ。

経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
世界銀行とIMFの手口

 こうして貧しい国々は強制的に「依存」させられるのだ。資源や労働力は先進国に奪われ疲弊の一途を辿る。

 検索してわかったのだが、ピーター・センゲとマリアンヌ・クヌースは「ALiA」という団体のメンバーらしい。

オーセンティック・リーダーシップ探求の旅|僕達はどうしたらもっと良く話し合えるだろう?

 人との出会いから始まるのです。……どのように人と出会うかがすべてを決めるのです。相手のために最善を尽くそう、という前提で、人と出会っているでしょうか。人と人が結びつくという奇跡に関心を持って、それぞれに出会っているでしょうか。それとも、助けなければならないかわいそうな人間として、出会っているのでしょうか。(マリアンヌ・クヌース)

 同じ視線に立たなければ連帯することはできない。すなわち上下関係から集合知が生まれることはない。人と人とが対等に向き合う中から本物の英知が湧き起こる。

 紛争処理ファシリテーター、リーダーシップ・トレーナーの第一人者であり、『対立を通じたリーダーシップ』の著者マーク・ガーゾンは、次のような見解を寄せた。
「人間は知を求める。思いやり(コンパッション)ではない、愛でもない、平和でもない、優しさでもない――私の耳に何より入ってくるのは、知を求める声だ。それ以外の言葉には、いずれも深い意味があり、独特のパワーがある。だが、世界中の千差万別の領域で人の心をつかむのは、ほかでもない知であるらしい。私自身、この言葉に心を惹かれる。私は多種多様な環境を経験しているが、その多くにおいて、知こそが横断的なテーマであるからだ」

 これまた目から鱗が落ちる指摘だ。人は慰めを求める動物ではあるが、問題解決の過程では知を求めるのだろう。徳だけでは集団を救うことができない。

 では具体的に集合知が発揮された場面を見てみよう。

(※ホームランを打った選手が膝に痛みを感じて走塁中に倒れる。コーチが言った。「私がさわればアウトになる」。そしてチームメイトが支えた場合はホームランではなくヒットとなる)
 すると、セントラル・ワシントン大の一塁手で、他のチームからもっとも恐れられている選手、マロリー・ホルトマンが口をはさんだ。彼女はシンプルな解決策を提案した。サラがベースを回るのをチームメイトが助けられないなら、セントラル・ワシントン大の選手が助けたらどうか。審判は、敵の補助を禁じるルールはないと判断した。
(※ホームベースに達すると、ウエスタン・オレゴン大のチーム全員が泣いていた)

 集合知は敵味方の区別をも軽々と超越するのだ。真の英知は人々を結びつける。

「モンタナ州に、窓辺にメノーラー〔7本のろうそくを立てる燭台。ユダヤ教の祝日ハヌカの装飾に使われる〕を立てていたユダヤ人の家族がありました。あるとき、その家族の家が徹底的に荒らされてしまいました。すると翌朝には話が伝わり、その日の夕方までには、地域のすべての家で窓にメノーラーが飾られたのです。集合体で暴力が食い止められた例であり、団結行動によって暴力を食い止めた例でもありました」(アンジェレス・アライエン、文化人類学者)

 これぞ集合知の成せる業(わざ)。連帯は強くそして美しい。

 集合知は、本質的に言えば、「連帯」(コネクション)の体験を引き出すものである。大きな目的を感じ、正しい行動を皆で認識する。それは単なる知識でもなく、ひとりの理解だけにもとづいた認識でもない。ひとりの知識が集合知の形成に貢献することは多いが、連帯こそが知を集合させるのである。
 集合知は、人間の品性や社会的正義、精神的気づきを示す集団行動として表面化する。こうした行動が驚くべき影響をもたらしたり、単一の原因に帰すことのできない成果につながったりする例も少なくない。ときにはきわめて当たり前で、ときにはきわめて深い意味を持つ状況で、新たな視点と高い志が生じるとき、集合知は生まれる。多くの場合は、これまでと違う形で瞬間の即時性、すなわち「今」に注意が払われた際に、ふっと出現するのだ。

 即時性とは現在性+共時性と言い換えてもよかろう。つまり集合知とは一種の悟りなのだ。それは一つのテーマに即して人と人との脳がつながった瞬間でもある。何ということだろう。集合知は本当の意味で人類が一つになれることを示唆しているのだ。

 あと2回書く予定であるが、アマンダ・リプリー著『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』を先に読んでおくと本書の理解がより一層深まる。

集合知の力、衆愚の罠――人と組織にとって最もすばらしいことは何か

脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
戦後民主主義は民主主義に非ず/『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹

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