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2021-11-22

高血圧と食塩摂取とのあいだにはほとんど因果関係がない/『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌


『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁

 ・医原病
 ・高血圧と食塩摂取とのあいだにはほとんど因果関係がない

『日本人には塩が足りない! ミネラルバランスと心身の健康』村上譲顕
『「塩」をしっかり摂れば、病気は治る 病気の因を断つクスリ不要の治療法』石原結實
『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』小林弘幸、玉谷卓也監修
『心と体を強くする! メガビタミン健康法』藤川徳美
『最強の栄養療法「オーソモレキュラー」入門』溝口徹
『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博
『オーソモレキュラー医学入門』エイブラハム・ホッファー、アンドリュー・W・ソウル

身体革命
必読書リスト その一

 基本的に、高血圧と食塩摂取とのあいだにはほとんど因果関係がない。(中略)
 たしかに、食塩の過剰摂取が原因で高血圧になる人はいる。ただし、それが原因になっているケースは、高血圧患者100人のうちたった一人か二人という割合なのである。明らかに少数派なのである。食塩に含まれるナトリウムは、体内に水分を保持させる働きをしている。その濃度が高くなると体液が増え、その結果、血管を通る血液の量も増えて血圧が高くなるのは事実である。しかし、高血圧の原因はけっしてそれだけではない。
 にもかかわらず、画一的なマニュアルに沿った治療しかしようとしない医者は、すべての高血圧患者に減塩を指示する。しかし、そのマニュアルが有効な患者は全体の1~2パーセントにすぎない。残りの98~99パーセントには効果がないどころか、逆に必要な塩分が不足して健康を損(そこ)ねてしまう恐れまである。こんな愚かなマニュアルが「常識」として“日本の医師全般”に通用しているから、私は医者を信用できないでいる。

【『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌〈みついし・いわお〉(祥伝社黄金文庫、2009年)以下同】

 で、確かマウスで行った実験だったと記憶している。だからといって、ジャンジャン塩を摂って構わないと考えるのも早合点だ。医療のデタラメさを弁えることが大切なのだ。日本人の塩分摂取量が多いのは確かだが、それよりも問題なのは「汗をかかなくなった生活」にあると私は考えている。

 さて、「食塩原因説」である。この説の有力な根拠として引用されたのが、日本の東北地方で高血圧が多いという調査結果だった。(中略)
 食塩の平均摂取量が多い地域で高血圧が多いという統計があれば、とりあえず食塩と高血圧を結びつける仮設は成立するだろう。だが、それだけで結論を引き出すのはあまりに性急すぎる。実際、このときの調査では「食塩原因説」と矛盾する事実も出ていたと聞く。個別に調べてみると、食塩の摂取量が少ないのに血圧が高い人もいれば、食塩摂取量が多いのに血圧が低い人もいたという。一人ひとりの個体差から目を逸(そ)らしがちになるのも、疫学の抱える大きな問題点の一つである。また、同じ東北地方でもリンゴの生産地では高血圧が少なかった。こうした事実は、いずれも研究者にとって都合が悪いために、「例外」として切り捨てられたのである。
 リンゴをたくさん食べている人が高血圧になりにくいことは、栄養学的にも裏付けられている。血圧を平常に保(たも)つためには、食塩により摂取されるナトリウムと、カリウムというミネラルの比率が重要である。健康な体内になるナトリウムのカリウムに対する比率は0.6である。よって食物から摂取されるナトリウムとカリウムの比も、ほぼこの数値に近いことが望ましい。
 カリウムはリンゴ、メロン、スイカ、バナナといった果物や野菜などに多く含まれている。食塩を平均より多く摂取する地域でも、リンゴを日常的によく食べる地域では高血圧が少なかったのは、これで説明がつく。したがって、高血圧の一つの原因は、食塩の過剰摂取ではなく、カリウムの不足といったほうが正しいわけである。

 私は酒を断ってから血圧が高くなった。もともと好きな方ではなかったのだが、あると呑んでしまう。最後に呑んだ宴会では胸が悪くなって真っ先に退席し、家路につく途中で道路に横たわり、ほうほうの体で帰宅し、吐き気があるのに吐けない情況でトイレの床に坐り込んだ。

 で、血圧である。高血圧の利点は目覚めがいいことに尽きる。テレビの電源を入れるようにパッと目が覚める。ボーッとすることがこれっぽっちもない。それくらいかな。

 数年間にわたって180前後の血圧を維持してきたが、時折200を超えることがあった。血圧をコントロールするのはさほど難しくない、と私は考えていた。色々調べた。そして方針を定めた。運動はウォーキングのみ。食事は酢納豆とサバ缶玉ねぎで攻めた。1週間で140台まで下がった。ま、こんなもんだよ。

 カリウムは知らなかった。


 サツマイモとピーナッツはかなり食べているのでドンピシャリである。人体に最も必要なミネラルは塩である。古来、塩は貴重品であった。世界中で税をかけられ、専売制で国家が管理をした。「敵に塩を送る」という俚諺(りげん)は、敵を高血圧にするという意味ではない。

 高血圧治療薬(降圧剤)が認知症の原因となっていることは予(かね)てから指摘されている。


 血の巡りを悪くさせるわけだから惚けるのも当然だろう。因みに降圧剤は5500億円市場となっている(【降圧薬】市場は5500億円 ジェネリックのシェアは1.6%|日刊ゲンダイヘルスケア)。映画の市場規模が2600億円で、地方競馬が1750億円である(市場規模マップ | visualizing.info)。で、認知症患者が増えれば、またぞろ薬漬けにできるわけだよ。お前らはドラッグマフィアか?

  

医原病/『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌


『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁

 ・医原病
 ・高血圧と食塩摂取とのあいだにはほとんど因果関係がない

『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』小林弘幸、玉谷卓也監修
『心と体を強くする! メガビタミン健康法』藤川徳美
『最強の栄養療法「オーソモレキュラー」入門』溝口徹
『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博
『オーソモレキュラー医学入門』エイブラハム・ホッファー、アンドリュー・W・ソウル

身体革命
必読書リスト その一

 一方では、製薬会社や医療機器メーカーと結託して私腹を肥(こ)やしているような医者もいる。患者の命や健康を守ることより、自分たちの利権を守ることを最優先に考えているのである。多くの血友病患者に深刻な被害を与えた薬害エイズ事件も、おそらくはそういう構造によって惹(ひ)き起こされたものだと考えてよい。
 患者に無闇やたらと薬を出す医者も、似たような体質を持っているといえるだろう。医療費の大半が健康保険で賄(まかな)われていることを考えれば、効(き)きもしない薬を出す医者を野放しにしておくのは、国家的な損失だといえる。
 いずれにしても、そんな医者に自分の体を委(ゆだ)ねていたのでは、治る病気も治らなくなってしまう。それどころか、不勉強な医者にかかったために、かえって深刻な病状に悩みつづけている患者も多い。これを私は「医原病」――医学の無知によって惹き起こされる病気――と呼んでいる。ウェルニッケ脳症という「医原病」で苦しんでいる人たちの痛ましい話も知った。

【『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌〈みついし・いわお〉(祥伝社黄金文庫、2009年)】

必読書リスト その一」は読みやすさと、命に関わることを重視している。後はジャンル~関連書で括っている。大雑把に言えば科学~歴史~宗教の順番である。私の個人的興味で網羅しているわけだが、順を追って読めば意図するところが理解できよう。ま、古本屋だからね、並べるのは得意なわけよ。ただし古典はほぼ入っていない。私の知性が及ばぬゆえに。

 高度経済成長が神聖な職業を卑俗なものに変えてしまったのだろう。医師、教師、僧侶など。入れ替わりで台頭してきたのが学者、ジャーナリスト、タレントであった。ま、左翼の巣窟といってよい。媒体(メディア)は活字から映像へシフトした。

 どんな仕事でも一流と二流、あるいは平均とそれ以下の多数が存在する。難しいのは患者にとっては痛みや不調が問題であり、まずはそこを理解する医師かどうかを見る。つまり、コミュニケーション能力だ。次に来るのが説明能力だ。症状から原因を類推し、いかなる処置をするのか。どういうリスクとリターンがあるのか。特にリスクの説明が不可欠だ。私は病院へゆく機会が少ないこともあるが、かつて優れていると思った医師は一人しかいない。他は勉強不足の「仕事だからやってます」みたいな手合いばかりだった。一時期、仕事の関係で複数の医師と接することがあったのだが、「人間のクズ」の標本かと思った。それくらい酷い。

 医師の仕事は自分の古い知識に照らして、判例に沿った判断をする裁判官みたいなものだ。現在にあっては薬を処方するのが主な仕事となっている。彼らが自ら実験することはない。治験を行うのは製薬会社である。つまり、他人の知識で相撲を取っているわけだ。

 その集大成ともいうべき動向が新型コロナ騒動である。効果があるとされたヒドロキシクロロキンとイベルメクチンは完全に封殺された。




 医療の中でも特に精神科・心療内科が酷い。医師の知遇はないのだが、苦しみ喘ぐ患者をたくさん見てきた。奴らの仕事は患者を薬漬けにすることだ。まして、診断の国際基準とされる「精神障害の診断と統計マニュアル」の第5版(DSM-5)が製薬会社の利益に寄り添った内容に改変されているのだ(『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス)。更に多剤併用(ポリファーマシー)の害すら説明していない。

 日本医師会は開業医(町医者)の団体である。彼らは政府に散々難癖をつけながらも、自らがコロナ患者を診ることはなかった。

【新型コロナウイルス】尾身会長「系列病院」にコロナ患者受け入れ“後ろ向き”疑惑|日刊ゲンダイDIGITAL

 最前線で格闘する医師と看護師は特攻隊を思わせるほど奮闘している。開業医の利権を潰す絶好の機会であったが、政府も自民党もあっさりとスルーした。

 大体だな、病気ってえのあ、生活に原因がある(遺伝子やウイルス由来もあるが)。その人の数十年に及ぶ生活の問題を数分の問診で見抜くことは無理だろう。しかも、それを薬で治そうなんて料簡(りょうけん)が気に入らない。医学を恃(たの)むよりも体の声に耳を傾けるのが正しい。食事と運動こそ最高の良薬(ろうやく)である。それで駄目なら寿命と割り切るまでだ。

  

2021-02-26

人間が「マシン化」する未来/『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド


『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本

 ・人間が「マシン化」する未来

『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『養老孟司の人間科学講義』養老孟司
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン

 コートニー・S・キャンベルを中心とする生命倫理学者の研究グループは、2007年にCambridge Quarterly of Healthcare Ethics誌に論文を投稿して、次のように述べている。
「ある時点まで来ると、おそらく『他者』であるマシンと、それが埋め込まれている『自己』との区別をつけることが、ますます困難になるだろう。マサチューセッツ工科大学人工知能研究所のディレクター、ロドニー・A・ブルックスの見解によると、『人は過去50年ほどの間にマシンに【頼る】ようになったが、今世紀になってからは、人が【マシン化】しつつある』」。

【『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド:佐藤やえ訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年)】

 現代人が眼鏡や靴を文明の恩恵と感じることはない。「あるのが当たり前」で思い出すのはなくした時くらいだろう。例えば義歯がなければ健康を維持することは難しい。あるいは鬘(かつら)によって人間心理ががらりと変わる場合もあるだろう。デバイスや周辺機器が脳内や体内に埋め込まれれば人類はポストヒューマンへと進化する。マンマシンシステムが構築されると我々の視界もターミネーターのようになるはずだ。


 すでに、障害を持つ人たちにコンピュータチップや半導体アレイを植え込んで、視覚や聴覚、運動能力、記憶力などを修復しようとする試みは、もう準備が整いつつある。この流れでいくと、いずれ私たちが現在持っている「標準」的な能力をはるかに超えて、知覚を増幅させたり、記憶力や学習能力を強化したりするテクノロジーへと進化することは間違いない。

 知識や記憶は既にパソコンかウェブ上に存在する。思い出す営みは検索という作業に変わり果てた。知識は記憶するよりも、ラベルやタグで検索に紐づける方が効果的だ。完璧なライフハックがあれば記憶や性格のアップロード、ダウンロードも可能になるはずだ。人間は情報的存在と化して死んでも尚ウェブ上で生き続けることだろう。

 この事態が避けられないと見る理由のひとつは、「標準」という概念の定義のしにくさにある。科学者と哲学者の間では「標準」の定義についての議論が続いているが、いつか私たちが能力増強テクノロジーを幅広く受け入れるようになれば、何を「標準」とするかの考え方も変わってくることだろう。

 既に高性能の義足は陸上競技において健康な脚を上回るポテンシャルを秘めている。ゆくゆくはタイヤ付きの義足が登場するかもしれない。更にモーターやエンジンがつけば年老いた人々もどんどん外に出ることができる。

 ただしユートピアを想像するのは間違いだ。国家が国民に対して常に求めるのは賦役(ふえき)と徴兵である。ロボットが不得手なのは肉体労働である。知的労働のスキルを持たない多くの人々はやがて肉体労働に従事する羽目となる。社会は形を変えた貴族と奴隷に分かれる。こうした未来を察知すればこそ発達障害や自閉傾向が顕著になってきているのだろう。貧困層は炭水化物中心の食事となり生活習慣病や慢性疾患、あるいはアレルギー疾患や知的障碍を持つ子供たちが生まれてくる。

2020-08-15

手洗いを拒否した医師たち/『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ


『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ

 ・手洗いを拒否した医師たち

『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

 1847年、ウィーン在住の弱冠28歳の産科医、イグナーツ・センメルヴェイス産褥熱の原因は医師自身の手洗い不足にあることを証明した。医師ならばだれでも知っている有名な話である。感染症の原因は病原体にあることがわかり、抗生物質が発見される前までは、産褥熱は妊婦の死因のトップだった。産褥熱は細菌感染症であり、溶連菌が原因のトップである。溶連菌は急性咽頭炎の原因でもある。センメルヴェイスが働いていた病院では、毎年3000人のお産があり、そのうち600人以上がこの病気のために亡くなっていた。お産で2割が死ぬと聞けばだれでも怖くなるだろう。一方、当時、自宅でのお産では1パーセントしか亡くならなかったのである。センメルヴェイスはこの差の原因は、医師自身が菌を患者から患者に運んでいるからだと結論した。彼は自分が働く病棟では、医師も看護師も一人の患者の処置が終わるごとに爪の間までブラシと塩素でこすり洗いするようにさせた。病棟での産褥熱による死亡は1パーセント以下になった。これだけでも動かしがたい証拠のように見える。しかし、それでも医師の習慣は変わらなかった。同僚の産科医の中には、センメルヴェイスの主張を批判するものもいた。医師が菌を運んで患者を殺しているという考え自体が受け入れられなかったのである。センメルヴェイスは結局、賞賛を受けるどころか、病院での職を追われることになった。

【『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ:原井宏明〈はらい・ひろあき〉訳(みすず書房、2013年/原書、2007年)以下同】

 当時、産褥熱の原因は瘴気(しょうき)と信じられていた。日本だと疫病の原因は「鬼」(き)と考えられてきた。節分の「鬼は外」も感染症の原因を祓(はら)う目的があった。鬼に関しては面白い話がたくさんあるのだが以下のページを紹介するにとどめておく。

鬼と呼ばれたもの
PDF:「鬼」のもたらす病―中国および日本の古医学における病因観とその意義―(上)/長谷川雅雄・辻本裕成・ペトロ・クネヒト

 話はこれで終わらない。センメルヴェイスは動物実験で証明することや論文を書くことを求められたが激しく拒んだ。理由は不明である。彼は侮辱されたとして激越な個人攻撃で応じた。病院スタッフにも厳しく当たるようになった。天才は狂信者に変貌した。

 病院とは患者の集まる場所である。時に医師や病院が感染を拡大させることがある。現場では基本である手洗いの励行すら難しいという。

 通常の石けんでもていねいに洗えば、感染症をそこそこ防げる。表面活性作用によってはほこりやあかが取り除かれる。しかし、15秒間洗ったとしても、菌の数はひと桁減る程度である。通常の石けんでは不十分であることをセンメルヴェイスは知っていて、だからこそ塩素水を感染症予防に使うようにした。今日の殺菌性石けんは菌の細胞膜と蛋白を破壊する塩化ヘキシジンのような薬品を含んでいる。このような石けんを使ったとしても、正しい手洗いを行うためには、厳密なやり方に従わなければならない。最初に、時計や指輪などの装飾品を取り外さなければならない。これらは細菌の住処として悪名高い。次に蛇口からのお湯で手を濡らす。石けんを出し、前腕の3分の1を含む手の皮膚全体につけ、15秒から30秒間(石けんによって異なる)洗いつづけなければならない。そして、すすぎを30秒間続ける。綺麗な使い捨てタオルで完全に乾かす。最後に、使い捨てタオルを使って蛇口を閉める。患者に触れるたびにこれを繰り返す。
 だれもこの通りにはやっていない。事実上不可能だ。朝の回診では、一人のレジデントが1時間あたり20人の患者を診て回る。集中治療室の看護師も同じくらいの密度で患者と接しており、そのたびに手洗いが必要である。手洗い1回に要する時間をなんとか1分以内に納めたとしても、それでも労働時間の3分の1は手洗いに使っていることになる。そして、何度も手を洗えば、皮膚が荒れ、結果的に皮膚炎を引き起こし、それがさらに細菌の数を増やす。

 感染症拡大の最も大きな原因は都市化による過密な人口だが、病院そのものが患者を過密化するシステムとして作動する。人類が目指した効率はウイルスや細菌にとって絶好の機会となった。

 結論は自ずと導かれる。都市化をやめるか、妥協をするかである。都市化をやめるのは政治決断である。通信技術は電話~FAX~オフィスオートメーション~インターネットと進展してきたが労働時間は決して短くならない。「OAによって事務が効率化したにもかかわらず、ジャパニーズビジネスマンの超過勤務がたった半時間でも減ったわけではない」(『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆)。霞が関の官僚が国会対策で深夜まで残業を強いられているわけだから、民間の効率化が進むことはまず考えにくい。まずは自民党が経団連の顔色を窺うことをやめて、霞が関改革と労働改革を推進する必要がある。

 日本の手洗い文化は神道の手水(ちょうず)に端を発する。元々は川で身を清めていた禊(みそぎ)を簡略化したのが手水の始まりとされる(手洗い、うがいの歴史は2500年続く | 一般社団法人京すずめ文化観光研究所)。西洋に2000年先んじていたといえば自慢が過ぎるが、国土に河川が多い地の利も見逃せない。水が豊富な国は存外少ない。

2020-05-10

老人ホームに革命を起こす/『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ


『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

 ・病苦への対処
 ・老人ホームに革命を起こす

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『悲しみの秘義』若松英輔

必読書リスト その二

 トーマスはチェイスの管理事務所に相談に行った。革新的サービスに対するニューヨーク州の小規模援助金を申請できると提案した。トーマスを雇った所長のロバート・ハルバートはトーマスのアイデアを基本の部分では気に入った。何か新しいことをやってみるのは楽しそうだった。(中略)
 トーマスは自分のアイデアの背景を説明した。彼が言うには、この目的は彼が命名したナーシング・ホームに蔓延する三大伝染病を叩くことである――退屈と孤独、絶望である。三大伝染病を退治するためには何かの命を入れる必要がある。ホームの各部屋に観葉植物を置く。芝生を剥がして、野菜畑と花園を作る。そして動物を入れる。
 おおよそ、この程度ならば大丈夫なようにみえる。衛生と安全の問題があるので、動物は場合によっては微妙である。しかし、ニューヨーク州のナーシング・ホームに対する規制は、1匹の犬と1匹の猫だけを許可している。ハルバートはトーマスに、過去に2~3匹犬を入れようとしたが、不首尾に終わったことを説明した。動物の性格が悪かったり、動物にきちんとした世話をするのが難しかったりした。しかし、ハルバートはもう一度試す気はあると話した。(中略)
 みなで申請書を記入した。まあ、おそらく無理だろうとハルバートは踏んだ。しかし、トーマスは作業チームを引き連れて州議会議事堂に行き、担当官を相手にロビー活動をした。そして、補助金申請が通り、規制についても必要な特例措置がすべて認められた。

【『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ:原井宏明〈はらい・ひろあき〉訳(みすず書房、2017年)以下同】

 2匹の犬、4匹の猫、そして鳥100羽、更にスタッフは自分の子供を連れてきた。ただ死を待つばかりだった老人ホームに生そのものが吹き込まれた。ナーシング・ホームとは看護師つきの老人ホームなのだろう(ナーシングホームとは)。日本の場合、介護や医療は7~9割を保険報酬に負っている。経済的に余裕のある人であれば自費でサービスを受けることも可能だが、普通の人は国が決めた基準のサービスしか受けられない。対価を支払う内容は細かく決められており、有無を言わさず見直しされる。施設を経営するのは営利企業だから優しさや親切が過剰なサービスとなっていないかどうか厳しく管理している。「余計な真似をするな」というルールに貫かれている。

 植物や動物、そして子供は自然そのものだ。管理しようと思って管理できる対象ではない。それこそが「生きる」ということだ。管理された人生は「死んだ生」だ。老人ホームは死を待つバス停でしかない。

 一人の男性が老人ホームに革命を起こした。環境を一変させたのだ。誰もが思いつくようなことだが、いざ実行となれば話は別だ。施設のスタッフは上を下への大騒ぎとなった。

 このプログラムの効果を知るために、2年以上にわたってチェイスの入所者と近くの他の施設の入所者を研究者がさまざまな指標を用いて比較した。研究の結果、非各群と比べると一人当たりに使われた薬の数が半分になったことがわかった。興奮を鎮静させるために使うハロベリドールのような向精神薬の減少が特に大きかった。薬剤費のトータルが他施設と比べて38パーセント減少した。死亡は15パーセント減少した。

 見事な結果が出た。生きる希望を与え、生きる気力を奮い立たせたと言ってよい。元気になるお年寄りの姿を見てスタッフも充実感を覚えたことだろう。

 社会全体が子供と老人をどのように扱うかでその国の命運は決まる。子供は国家の未来そのものであり老人は伝統を現す。革命を標榜する政党がいつまで経っても国民の支持を得られないのは伝統に対する敬意を欠くためだ。左翼は革新の名の下に伝統の破壊を試みる。進歩を標榜したソ連が崩壊したにも関わらず。

 かつて長寿は幸福を意味した。それが今、不幸に変わりつつある。厳しい戦後を生き抜き、日本の高度経済成長を支えてきた人々が、老人ホームで何もすることがない日々を黙って生きている。



サンセベリアの植え替え/『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード

2020-01-03

医療事故は防げない/『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ


 ・医療事故は防げない

『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

 本書のタイトル Complications とは、治療によって思いがけないことが起きるという意味だけでなく、治療に伴う不確かさとジレンマも意味している。これは、教科書に書かれていない医学の世界について、そしてこの職業に就いてからというもの、私がずっと戸惑ったり悩んだり驚いたりしてきた医療について書かれた本である。

【『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ:古屋美登里・小田嶋由美子訳、石黒達昌監修(みすず書房、2017年/医学評論社、2004年『コード・ブルー 外科研修医救急コール』改題/原書は2002年)以下同】

 柔らかな精神と透徹した眼差し、そして薫り高い文章が竹山道雄と似通っている。ガワンデのデビュー作だ。彼の著作は全部読んだが今のところ外れなし。

 かつて日本語ラップの嚆矢(こうし)とされたのが佐野元春の「COMPLICATION SHAKEDOWN」(1984年)だった。ライナーノーツには「物事が複雑化してゆれ動いていること」とある。SHAKEDOWNには「間に合わせの寝床」という意味があるので性的な含みを持たせているのだろう。複雑系は complex system なのでコンプレックスでもよさそうなものだが、やはりニュアンスが違うようだ(「複雑」のcomplexとcomplicatedの違い | ネイティブと英語について話したこと)。

 著者は研修医で一般外科での8年に及ぶ訓練を終える時期に差し掛かっていた。大いなる疑問が胸をよぎる。「8年?」。なんと8年を要しても一人前とは言えないのだ。医大を卒業して8年経てば30歳である。その間に培われる知識や技術を思えば医療を取り巻く複雑な様相が何となく見えてくる。

 もちろん、患者は飛行機に比べてはるかに複雑で、それぞれがまったく違う体質を持っている。それに、医療は完成品を納品したり製品カタログを配布したりする仕事とはわけが違う。どんな分野の活動でも、医療ほど複雑ではないだろう。認知心理学、「人間」工学、あるいはスリーマイル島ボパールの事故などの研究から、私たちが過去20年に学んできたことだけをとっても、同じことがわかる。つまり、すべての人間が過ちを犯すだけでなく、われわれは予測可能なパターン化された方法で、頻繁に過ちを犯している。そして、この現実に対応できないシステムは、ミスを排除するどころかそれを増加させるのである。
 英国の心理学者ジェームズ・リーズンは、著書『ヒューマンエラー』の中で、次のように主張している。激しく変化する状況で、入ってくる知覚情報を無駄なく切り替えるためには、直観的に考え行動する能力がなければならない。人間がある一定の間違いを犯してしまう性癖は、この優れた脳の能力と引き替えに支払わなければならない代償なのである。このため、人間の完全さを当てにしたシステムは、リーズンが呼ぶところの「潜在的ミス(起きることを待っているようなミス)」をもたらす。医学の現場はこの実例に満ちている。たとえば、処方箋を書くときのことを考えてみよう。記憶に頼る方法は当てにならない。医者は、誤った薬や誤った分量を処方してしまうかもしれないし、処方箋が正しく書かれていても、読み間違えることもある(コンピュータ化された発注システムでは、この種のミスはほとんど起こらないが、こうしたシステムを採用している病院はまだ一握りしかない)。また、人が使うことを十分に考慮して設計されている医療器具は少なく、それが原因で潜在的なミスを引き起こすことがある。医師が除細動器を使うときにたびたび問題が起こるのは、その装置に標準的な設計規格がないためである。また、煩雑な仕事内容、劣悪な作業環境、スタッフ間でのコミュニケーション不足といったことも潜在的ミスを引き起こす。
 ジェームズ・リーズンは、もう一つ重要な意見を述べている。失敗はただ起こるのではなく波及する、ということだ。

 例えば少し考えれば想像できることだが保険は多種多様な病気や怪我、複雑化する事故や災害を網羅することは難しい。既に保険会社の社員ですら保険でカバーできる範囲を認識できていない。医療の場合、病気の種類、薬の種類、人体の構造、医療器具の使い方、感染症の予防対策、患者と家族の病歴、そして個人情報など知っておかねばならない情報量は厖大なものとなる。しかも病気や薬は次々と増え続ける。

 ガワンデは医療事故を防ぐことはできないと述べる。それは医師の単なる言いわけではない。現実問題として「防げる」と考えるのが間違っているのだ。医療現場の救急処置がドラマチックに描かれている。どのエピソードを読んでも判断の難しさがよく理解できる。世間は医療過誤に目くじらを立てるが、いくらミスを追求してもミスがなくなることはない。社会が折り合いをつけて許容するしかなさそうだ。ただし必要とされる代償はあまりにも大きい。生け贄(にえ)と言ってよかろう。何らかの補償制度が不可欠だ。

 一方で医師には人間のクズが多い。世間の常識も知らないような輩が白衣をまとっている。しかも勉強不足だ。そして勉強不足を恥じることがない。私は医師の話をありがたがって拝聴するタイプの人間ではないので、あからさまに異論を述べ、反論し、「医学を利用する気はあるが医学の言いなりにはならない」との信条を披瀝する。

 医療リテラシーを充実させるべきだ。で、病院側はもっと修理屋としての自覚を持ち、「治るか治らないかはわかりません。失敗すれば死ぬこともあります」とはっきり告げた方がいいと思う。医療への過剰な信頼が患者の瞳を曇らせている側面がある。医療に万能を求めてはなるまい。我々は諦(あきら)める術(すべ)を身につけ、観念すべき時を見極める勇気を持つべきだ。

 医療といえども需給関係が経済性を決める。我々が不老不死を求めれば医療費は無限に増え続けることだろう。それでも人は死ぬ。必ず死ぬ。死は恐るべきものではないという社会常識を構築できないものか。

2019-11-15

アトゥール・ガワンデ


『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』山村武彦
『人が死なない防災』片田敏孝
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド

 ・読書日記
 ・ハリケーン・カトリーナとウォルマート

『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

必読書リスト その二

「人」は誤りやすい。だが、「人々」は誤りにくいのではないだろうか。(79ページ)

【『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ:吉田竜〈よしだ・りゅう〉訳(晋遊舎、2011年)】

 内容に興味はなかった。ただガワンデを辿ってみただけだ。しかしながら彼の文才と着想に驚嘆した。凡庸なタイトル、意味不明な片仮名(アナタ)から受ける底の浅い印象が木っ端微塵となった。上に挙げた関連書は決して盛り込みすぎたわけではない。日本人に襲い掛かった現実問題として振り返り、本書まで読み進めば何らかの災害対応チェックリストの必然性が浮かび上がってくるのだ。ハリケーン・カトリーナに襲われた際にウォルマートがとった臨機応変の対応、そして「ハドソン川の奇跡」など、それぞれのエピソードが完成されたノンフィクションでありながら短篇小説の香りを放っている。ユヴァル・ノア・ハラリシッダールタ・ムカジー、そしてアトゥール・ガワンデはたぶん「進化した人類」に違いない。

2019-10-26

米国三大死因の第3位は「回避可能な医療過誤」/『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド


『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

 ・米国三大死因の第3位は「回避可能な医療過誤」

『予言がはずれるとき この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』L・フェスティンガー、H・W・リーケン、S・シャクター
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ

必読書リスト その二

 実はこうした失敗と成功には、切っても切れない関係がある。まずはその関係を理解するために、安全重視にかかわる二大業界、医療業界と航空業界を比較してみよう。両者の組織文化や心理的背景には大きな違いがある。中でも根本的に異なるのが、失敗に対するアプローチだ。
 航空業界のアプローチは傑出している。航空機にはすべて、ほぼ破砕不可能な「ブラックボックス」がふたつ装備されている。ひとつは飛行データ(機体の動作に関するデータ)を記録し、もうひとつはコックピット内の音声を録音するものだ。事故があれば、このブラックボックスが回収され、データ分析によって原因が究明される。そして、二度と同じ失敗が起こらないよう速やかに対策がとられる。
 この仕組みによって、航空業界はいまや圧倒的な安全記録を達成している。しかし、1912年当時には、米陸軍パイロットの14人に8人が事故で命を落としていた。2人に1人以上の割合だ。(中略)
 今日、状況は大きく改善されている。国際航空運送協会(IATA)によれば、2013年には、3640万機の民間機が30億人の乗客を乗せて世界中の空を飛んだが、そのうち亡くなったのは210人のみだ。欧米で製造されたジェット機については、事故率は【フライト100万回につき0.41回】。単純計算すると約240万フライトに1回の割合となる。(中略)
 航空業界においては、新たな課題が毎週のように生じるため、不測の事態はいつでも起こり得るという認識がある。だからこそ彼らは過去の失敗から学ぶ努力を絶やさない。
 しかし、医療業界では状況が大きく異なる。1999年、米国医学研究所は「人は誰でも間違える」と題した画期的な調査レポートを発表した。その調査によれば、アメリカでは毎年4万4000~9万8000人が、【回避可能な医療過誤】によって死亡しているという。
 ハーバード大学のルシアン・リープ教授が行った包括的調査では、さらにその数が増える。アメリカ国内だけで、毎年100万人が医療過誤による健康被害を受け、12万人が死亡しているというのだ。(中略)
 現在世界で最も尊敬を集める医師の1人、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部のピーター・プロノボスト教授は、2014年の米上院公聴会で次のように発言した。

【つまり、ボーイング747が毎日2機、事故を起こしているようなものです。あるいは、2カ月に1回「9.11事件」が起こっているのに等しい。回避可能な医療過誤がこれだけの頻度で起こっている事実を黙認することは許されません】。

 この数値で見ると、「回避可能な医療過誤」は「心疾患」「がん」に次ぐ、アメリカの三大死因の第3位に浮上する。しかし、まだ不完全だ。老人ホームでの死亡率のほか、薬局、個人病院(歯科や眼科も含む)など、調査が行き届きにくい死亡事故はこのデータに含まれていない。

【『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド:有枝春〈うえだ・はる〉訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)】

 冒頭で医療ミスのエピソードが語られる。信じ難いヒューマンエラーがいくつも重なりエレインという女性が37歳の若さで亡くなった。続いて「生命を預かる仕事」の代表である医療業界と航空業界を比較して医療業界の杜撰さと被害者の多さを検証する。エレインの夫マーティンは死までの経過を知りたかった。決して医療ミスを見抜いたわけではなかった。ただ知りたかったのだ。マーティンの職業はパイロットであった。

 マーティン・ブロミリーは巻末にも登場する。彼は若き妻を失ったことにより、医療ミスを防止するための世界的なネットワークを構築した。航空業界は「失敗から学び」、医療業界は「失敗を隠す」。たったこれだけの違いが25万人もの人々を死なせているのだ(CNN.co.jp 2016年5月4日)。

 失敗には必ずパターンがある。ヒューマンエラーを防ぐことは不可能だが、仕組みや手順を変えることでエラーの数を減らすことは可能だ。これは仕事のみならず日常生活においても同様である。いくら「同じ轍(てつ)を踏まない」と力んでも無駄だ。システムを見直すことが最も重要で、ミスを犯す直前の動きを検証する眼が必要なのだ。

「命を守る」べき病院で殺される現実に現代社会の複雑さがある。医療の仕組みは保険報酬で規定される。薬を処方するのが医師の仕事と化した感があり、不要な薬が新たな医原病を生んでいる。

 一人の医療過誤被害者家族が立ち上がって世界の医療システムを変えつつある。一人の力は侮れない。

『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』を先に読めば衝撃の度合いが深まる。今年読んだ本の中で最も面白かった一冊である。

2019-10-25

病苦への対処/『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ


『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

 ・病苦への対処
 ・老人ホームに革命を起こす

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『悲しみの秘義』若松英輔

必読書リスト その二

 超高齢者にとっての行き場所が火山に行く(※スピリット湖のハリー・トルーマン)か、人生のすべての自由を捨てるかの二者択一になってしまったのはどうしてなのだろう。何が起こったのかを理解するためには、救貧院がどのようにして今ある施設に置き換えられたのか、その歴史を辿る必要がある――そして、それは医療の歴史にもなっている。今あるナーシング・ホームは、弱ったお年寄りに悲惨な場所とは違う、よい暮らしを与えようという願いから始まったものではない。全体を見渡し、こんなふうにまわりに問いかけた人は一人もいなかった、「みなが知っているように、人生には自分一人では生活できない時期というのがある、だから、その時期を過ごしやすくする手段を私たちは見つけなければいけない」。このような質問ではなく、かわりに「これは医学上の問題のようだ。この人たちを病院に入れよう。医師が何とかしてくれるだろう」。現代のナーシング・ホームはここから始まった。成り行き上そうなったのである。
 20世紀の中ごろ、医学は急速な歴史的な変革を経験した。それまでは重病人が来たとき、医師は家に帰らせることが通常だった。病院の主な役割は保護だった。
 偉大な作家兼医師であるルイス・トーマスが、1937年のボストン市立病院でのインターンシップの経験をもとにこのように書いている。「もし病院のベッドに何かよいものがあるとしたならば、それはぬくもりと保護、食事、そして注意深くフレンドリーなケア、加えてこれらを司る看護師の比類ないスキルだ。生き延びられるかどうかは疾病それ自体の自然な経過にかかっている。医学それ自体の影響はまったくないか、あってもわずかだ」
 第二次世界大戦後、状況は根本的に変わった。サルファ剤やペニシリン、そして数え切れないほどの抗生物質が使えるようになり、感染症を治せるようになった。血圧をコントロールしたり、ホルモン・バランスの乱れを治したりできる薬が見つかった。心臓手術から人工呼吸器、さらに腎臓移植と医学の飛躍的な進歩が常識になった。医師はヒーローになり、病院は病いと失望の象徴から希望と快癒の場所になった。
 病院を建てるスピードは十分ではなかった。米国では1946年に連邦議会がヒル・バートン法を成立させ、多額の政府資金が病院建設に投じられることになった。法の成立後、20年間で米国全体で9000以上の医療施設に補助金が下りた。歴史上初めて、国民のほとんどが近くに病院をもつようになった。これは他の工業国でも同様である。
 この変革の影響力はいくら強調しても強調しすぎることはない。人類が地球に出現してい以来、ほとんどの間、人は自分の身体から生じる苦痛に対して自分自身で対処することが基本だった。自然と運、そして家族と宗教に頼るしかなかった。

【『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ:原井宏明〈はらい・ひろあき〉訳(みすず書房、2017年)】

 シッダールタ・ムカジーに続いてまたぞろインド系アメリカ人である。しかもこの二人は文筆業を生業(なりわい)とする人物ではないことまで共通している。ガワンデは現役の医師だ。

 長々とテキストを綴ったのは最後の一文で受けた私の衝撃を少しでも理解して欲しいためだ。人類が宗教を必要とした理由をこれほど端的に語った言葉はない。

 都市部に集中する人口や核家族化によって、年老いた親の面倒を子供が見るというそれまで当たり前とされた義務を果たすことができなくなった。手に負えない情況に陥ればあっさりと親は老人ホームや介護施設に預けられる。保険報酬と低賃金で運営される施設の介護とは名ばかりで、まともな客としてすら扱っていない。老人は籠の中の鳥として生きるのみだ。ま、苦労と苦痛のアウトソーシングといってよい。あるいは親を殺す羽目になることを避けるための保険料と言い得るかもしれない。

「自然と運、そして家族と宗教に頼るしかなかった」人類は病院と薬を得て人生の恐怖を克服した。家の中から死は消え去った。数千年間に渡って人類を支えてきた宗教は滅び去り、家族は小ぢんまりとしたサイズに移り変わった。そこに登場したのがテレビであった。核家族はテレビの前で肩を寄せ合い、団らんを繰り広げた。未来の薔薇色を示した情報化社会は逆説的に灰色となって複雑な問題を露見し始めた。校内暴力~親殺し~いじめ~学級崩壊~引きこもりは社会の歪(ひず)みが子供という弱い部分に現れた現象である。

 宗教を手放した人類はバラバラの存在になってしまった。もはや我々はイデオロギーのもとに集まることもない。ただ辛うじて利益を共有する会社に身を置いているだけだ。その会社が経費のかからない手軽な人材の派遣を認めれば、もはやつながりは社会から失われる。

 幕末の知識人はエコノミーを経世済民と訳した。「世を経(おさ)め民を済(すく)う」のが経済の本義である。ところが21世紀の経営者は低賃金を求めて工場を海外へ移転して日本を空洞化し、国内においては移民政策を推進して安い労働力の確保に血道を上げている。その所業は「民を喰う」有り様を呈している。所業無情。

 今元気な人もやがて必ず医療・介護の世話になる。日本人の平均寿命から健康寿命を差し引けば10年となる。これが要介護年数の平均だ。スウェーデンは寝たきり老人ゼロ社会であるという(『週刊現代』2015年9月26日・10月6日合併号)。『欧米に寝たきり老人はいない 自分で決める人生最後の医療』という本もある。社会的コストを軽減するための形を変えた姥(うば)捨て文化なのだろう。もちろんそういった選択肢をする人がいてもよい。ただし老病と向き合う姿勢が忌避であることに変わりはなかろう。

 生き甲斐は現代病の一つである。生き甲斐という物語を想定すると「生き甲斐がなければ死んだ方がまし」と単純に思い込んでしまう。本当にそうなのか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 まずは介護環境を変えることから始める必要がある。保険報酬も予防に重きを置くべきだ。基本は食事療法と運動療法が中心となる。運動→武術→ヨガ→瞑想という流れが私の考える理想である。

 介護施設に関しては施設内のコミュニティ化・社会化を目指せばよい。実際に行うのは何らかの作業と会話であるが、コミュニケーションに最大の目的がある。誰かとコミュニケートできれば人は生きてゆけるのだから。

2018-10-16

コレステロールは「安全」/『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁


『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル

 ・コレステロールは「安全」

『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『DNA再起動 人生を変える最高の食事法』シャロン・モアレム

「栄養」を考えるうえでの基本――人間にとって、昔は入手できなかったものは不要である。
 この基本さえ覚えておけば、あとはすべて自分で判断できる。実に簡単だ。大昔「食べていなかった」もの、それは、栄養学的には「要らないもの」なのである。
 たとえば植物油。太古の昔にコーン油、オリーブ油、ゴマ油などの植物油があっただろうか? もちろん、なかった。だから食べなくても大丈夫なのだ。
(中略)
 なぜ、大昔に食べていないものは不要といいきれるのだろう。
 古来、人間は、「その土地で入手できるもの」だけを食べて生きてきた。生活するために必要なものが得られない場所では、人は死に絶えていた。たとえば、飲料水が毎日入手できないような場所には人は住んでいない。逆に、昔から人が住んでいた土地で入手できるものだけあれば、人は生きていけるのだ。

【『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁〈はまざき・ともひと〉(講談社+α新書、2011年)以下同】

『コレステロール 嘘とプロパガンダ』より端的にエビデンスが示されていて理解しやすい。浜崎は翻訳を手掛けた人物で医学博士。植物油を批判した上記テキストは不思議にも地産地消を示していて興味深い。海外の大規模農業や低賃金が輸送コストを加えても安価な農産品となって市場に出回っている。消費者が注目するのは価格で、たとえ内容を吟味としたとしても買う買わないは価格で判断する。しかも食品は毎日のように買う必要があるため消費者のコスト意識は極めて高い。よく言われることだが数円安い卵を買うために数キロ先のスーパーへゆくことも主婦はよしとする。

 日本動脈硬化学会が発表している「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」は総コレステロール値を重視していたが、総死亡率との関係で不都合が生じてきたため、悪玉コレステロール(LDL-コレステロール)を重要視になる。だが総死亡率との関連性は明らかになっていないという。大体「日本動脈硬化学会」なんて名称自体が利益団体にしか見えない。

 2007年度版の「ガイドライン」では、「LDL-コレステロール値が高いと心筋梗塞になる」という疫学(えきがく)調査がないどころか、いくつかの疫学調査により「LDL-コレステロールは高くても、総死亡率から見れば問題ない」ことが判明してしまっている。(中略)
 せっかく乗り換えた「悪玉」LDL-コレステロールも、こうして情けない結末を迎えることになり、早くも次の「悪玉」を出す準備をしないといけないわけだ。

 これに乗じた健康食品の広告もツイッターのタイムラインで最近よく見掛ける。宗教と製薬会社は不安産業といってよい。「不安を解消したければカネを払え」というのが彼らの論法である。

 結論からいおう。もともとコレステロールは【安全】なのだ。動物に【必要】な、細胞膜の構成成分なのだから、どこまでいってもきりがない。
「コレステロール悪玉説」を唱える人たちが、こうして次から次へと方針を変えることになるのは、いったいなぜなのだろう。
 その理由は、恐ろしいことに、コレステロール=悪玉としておいたほうが、圧倒的に経済効果が高いからだ。コレステロール値を低下させる「スタチン」という薬だけで、日本では年に2500億円も使用されている。全世界だとその金額は3兆円に上る。
 そうなると、スタチンの関係者にとって「コレステロール【無害】説」など許せるはずがない。大量の「情報」を発信して、反対派の声をかき消さなければならないことになる。コレステロールの是非に関して何十年も決着がつかないのは、間違った理論を守るために巨大な金銭的バックがついているからである。

 非科学的といえば真っ先に浮かぶのが栄養学であるが、2位には医学を推薦したい。私は55年生きてきたが頭のよい医者は一人しかお目にかかったことがない。他は見るからに不勉強で本業は「金儲け専門」といった印象を受けた。

 医学は裁判と似ていて、ただ単に過去の判例に基づいて判断を下しているだけだ。患者や体そのものを直接見ようとはしない。医師は薬を処方するだけの小役人に成り下がってしまった。

 幼い子供がいる家庭では大変かもしれないが、マーガリンではなくバターを、植物油ではなくラードを使った方がいいだろう。

2018-10-15

現実の虚構化/『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル


『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美

 ・現実の虚構化

『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁

 コレステロールとスタチン(訳注:世界中でもっとも売られているコレステロール低下薬、総称名)の問題は、どう見ても、途方もない医学的・科学的詐欺である。しかも現代社会、ポストモダン社会で前例のない詐欺である。これが私の結論だ。
 大多数の専門家や一般大衆に非常識な考えを認めさせるために、恐ろしく手の込んだプロパガンダと情報操作が行われたのである。(序文)

【『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル:浜崎智仁〈はまざき・ともひと〉訳(篠原出版新社、2009年)以下同】

 コレステロール値が低ければ低いほどよいとする考えを支持する科学的データはないという。つまりコレステロールという名の悪魔を作り出すことに製薬会社は成功したわけだ。当たり前のことだが薬はもともと毒である。健康な人が服用することはない。毒をもって毒を制すのが薬の役割だ。著者の指摘が正しければ副作用を避けられないことだろう。

 20世紀末には、もっと手の込んだプロパガンダが登場した。これはコレステロール学説の不合理な成功を理解するうえでも興味深い。このプロパガンダのテクニックを用いた新たなマーケティングは【ストーリーテリング】と呼ばれる。この悪夢を理論的に解明しているクリスティアン・サーモンは以下のように説明している。
「人間の想像力に対してピストルを突きつけることであり、合理的理性に取って代わるしゃべる機械である…この新たな『語りの秩序』は、思考を罠にかけるメディア的ニュースピーク(訳注:新語法ともいう。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に描かれた架空の言語。作中の全体主義体制国家が英語を基に作っている新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を抱かないようにして、支配を盤石なものにすることである)の創造以上のものとなるだろう。つまり、この『語りの秩序』が画一化しようとする個人とは、架空の世界に呪いをかけられ、そこに埋没した人たちなのだ。その世界では知覚は検閲され、感情は刺激され、行動や思考は枠に嵌められている」
 コレステロールの問題、およびその問題が消費者ばかりか医師の側にも引き起こした行動は――私たちの社会で今日観察される行動――この「現実の虚構化」に対する顕著な反応である。「現実の虚構化」は私たちの日常のいたるところで、日々発生している事態だ。ホワイト・ハウスの【スピン・ドクター】たちは戦争を正当化するためにイラクの大量破壊兵器をでっち上げた。一方、製薬業界の【スピン・ドクター】たちも彼らの戦争を正当化するためにコレステロールを不倶戴天の敵としてでっち上げた。バーチャル・リアリティを創り上げ、疑う能力を停止させること、これが【ストーリーテリング】によるプロパガンダの真骨頂である。

 製薬会社は「患者を消費者」に変えるマシンだ。そのために「投薬=治療」という物語を編み出す。更には病気という不安をこれでもかと煽り立て、溺れる者に藁(わら)を示すのだ。患者が望むのは治癒であるが消費者が求めるのは購入に過ぎない。しかも薬には一定のプラシーボ(偽薬)効果が認められる。恐ろしいことに高価な薬になればなるほどプラシーボ効果は高まる。つまり効果は高価というわけだ。

『一九八四年』は全体主義を戯画化した傑作だが、我々が生きる社会(群れ)は大なり小なり全体主義化を避けることができない。民主政は少数の犠牲の上に多数の幸福を築くシステムである。日本の安全保障のためには沖縄県民に我慢してもらう必要があるというわけだ。政治がわかりにくいのは政治家が「国民」を語りながら、特定の利益団体のために働いているからだ。彼らもまた「現実の虚構化」を試み、一部の問題があたかも全体の問題であるかのように絵を描き、言葉巧みに飾り立てた政策を喧伝する。財務省にとっては増税こそ正義であり、大企業にとっては安価な労働力としての移民政策が理想となる。

 政治・経済・学術・教育のありとあらゆる社会で「現実の虚構化」が繰り広げられる。最もわかりやすいのは宗教であろう。そして罪と罰を規定し幸福と恩寵を与える彼らが望むのもまたカネである。布施・寄付・賽銭・喜捨を不要とする宗教は存在しない。

 一切は経済化する。そこに流通する最大の情報は「マネー」である(『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード)。我々が普段考える情報はマネーにとっての付加価値でしかない。ここに「現実の虚構化」=プロパガンダの目的がある。我々は「カネがなければ生きてゆけない」と信じて疑うことがない。もはや完全なマネー教徒である。とすれば騙される度合いの問題であって、被害の大小が幸福のバロメーターと化すことだろう。

2014-08-16

癌治療の光明 ゲルソン療法/『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン


 私の治療法は主として、肉体の栄養状態の改善を武器とする治療法である。この領域で発見されたこと、およびその応用法の具体的な内容の多くは、すでに科学的な研究によってその確かさが確認されている。

【『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン:今村光一訳(徳間書店、1989年)以下同】

 原書が刊行されたのは1958年(昭和33年)のこと。マックス・ゲルソン(1881-1959年)は1946年にアメリカ議会の公聴会で自身の研究を発表したが耳を貸す人はいなかった。きっと半世紀以上も時代に先んじていたのだろう。

 その後、様々な技術が進展することで、農業・畜産業は工業と化した。土壌のバクテリアを死滅させ、農薬をまき散らし、現在では遺伝子をも操作し「自殺する種」(『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子)が世界中に出回っている。

 家畜には成長を促進するためのホルモン剤や抗生物質が大量に投与されている。加工食品には防腐剤や得体の知れない食品添加物がてんこ盛りだ。市場に出回る食料品はそのすべてが微量の毒に侵されているといっても過言ではあるまい。

 公認の治療法とは別のガンの治療法を世間に公表することには、大きな困難が伴う。また非常に強い反応が起きることもよく知られている。しかし慢性病、とくにガンの治療に関して、多くの医者が持っている根深い悲観主義を一掃すべき時期はもう熟したはずである。
 もちろん何世紀にもわたってきたこの悲観主義を、一挙に根こそぎにするのは不可能である。医学を含む生物学の世界が、数学や物理学の世界のように正確なものでないことは、誰でも知っている。
 私は現代の農業や文明が、われわれの生命に対してもたらしてきた危機を全て一掃し、修復するこはすぐには不可能だろうと心配している。私は人々が人間本位の立場から一つの考えにまとまり、古来のやり方によって、自分の家族と将来の世代のためにできるだけ自然で精製加工していない食品を提供するようになることこそが、もっとも大切なことだと信じている。
 一般的な退化病やガンの予防、そしてガンの治療に必要な有機栽培の果物や野菜を入手することは、今後は今までよりなお難しくなりそうである。


「大きな困難」「非常に強い反応」とは医学界の保守的な傾向もさることながら、製薬会社の利権に関わってくるためだ。世界1位のファイザー(米国)の売り上げは500億ドル前後を推移している(世界の医薬品メーカーの医薬品売上高ランキング2013年)。国内トップは武田薬品工業で157億ドル弱となっている。

 薬漬けにされる精神疾患の場合が特に酷い。エリオット・S・ヴァレンスタイン著『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』を読めば、病気そのものがでっち上げられていることがよくわかる。しかし溺れるものが藁(わら)を掴(つか)むように病者は薬を求める。医療は現代の宗教であり呪術でもある。我々は医師の言葉を疑うことが難しい。ひたすら信じるだけだ。よく考えてみよう。医者は裁判官のようなものだ。彼らは過去の例に基づいた発想しかできない。しかも西洋医学は対症療法である。患部を切除あるいは攻撃する治療法が主で、身体全体に対する視線を欠いている。患者はまな板の上の鯉みたいなものだ。

 私の基本的な考えは、当初から次のようなものであり、これは今もまったく同じである。
 ノーマルな肉体は、全ての細胞の働きを正常に保たせる能力を持っている。だから、この能力は異常な細胞の形成やその成長を防ぐものでもある。したがってガンの自然な療法の役割とは、肉体の生理をノーマルなものに戻してやるとか、できる限りノーマルに近いものに戻してやることに他ならない。そして次に、代謝のプロセスを自然な平衡状態の中に保たせるようにするのだ。

 自然治癒力の発揮と言い換えてもよい。病は身体が発するサインなのだ。マックス・ゲルソン博士は友人であったアルベルト・シュバイツァーの糖尿病とシュバイツァー夫人の肺結核をも食事療法で完治させている。

 マックス・ゲルソンは2冊目となる著書の出版を準備していた時に急死する。そして跡形もなく原稿も消えていた。毒殺説が根強い。その死を悼(いた)んでシュバイツァーは次のように語った。

「ゲルソン医師は、医学史上もっとも傑出した天才だと思う。いちいち彼の名は残っていないが、数多くの医学知識のなかに、じつは彼が考え出したというものが多くある。そして、悪条件下でも多くの成果を出した。遺産と呼ぶにふさわしい彼の偉業が、彼の正当な評価そのものだ。彼が治した患者たちが、その証拠である」(マックス・ゲルソン医師について

 尚、本書は医学書のためかなり難解な内容となっている。関連書と私がゲルソン療法を知った動画を紹介しておこう。具体的な食事療法については「ゲルソン療法とは」のページを参照せよ。一人でも多くの人にゲルソン療法を知ってもらえればと痛切に願う。

ガン食事療法全書決定版 ゲルソンがん食事療法ゲルソン療法―がんと慢性病のための食事療法あなたのがんを消すのはあなたです 厳格なゲルソン療法体験記


『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
筋肉と免疫力/『「食べない」健康法 』石原結實