2015-09-17

失われた日本の文明/『逝きし世の面影』渡辺京二


『日本人の誇り』藤原正彦

 ・失われた日本の文明

『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
日本の近代史を学ぶ

 文化は滅びないし、ある民族の特性も滅びはしない。それはただ変容するだけだ。滅びるのは文明である。つまり歴史的個性としての生活総体のありようである。ある特定のコスモロジーと価値観によって支えられ、独自の社会構造と習慣と生活様式を具現化し、それらのありかたが自然や生きものとの関係にも及ぶような、そして食器から装身具・玩具にいたる特有の器具類に反映されるような、そういう生活総体を文明と呼ぶならば、18世紀初頭から19世紀にかけて存続したわれわれの祖先の生活は、たしかに文明の名に値した。

【『逝きし世の面影』渡辺京二(平凡社ライブラリー、2005年/1998年、葦書房『逝きし世の面影 日本近代素描 I』改題)以下同】

「在野の思想史家」(「解説」平川祐弘)が幕末前後に日本を訪れた外国人の目を通して描いた文明論である。渡辺の『無名の人生』では同じ熊本に住む石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉の名前が何度も出てくる。つまり著者の立ち位置は保守ではないと察せられる。単なる江戸礼賛本と誤読してはなるまい。

 今年の暫定1位であるが、検索したところ小谷野敦〈こやの・あつし〉の批判がamazonレビューに埋もれていることを知った。

現代最大の悪書:小谷野敦(詳論については小谷野著『日本文化論のインチキ』)

 ま、意に介することはない。「天皇制」廃止論者(※天皇制という言葉は左翼用語であるためカギ括弧を付けた)である小谷野の矛先は平川祐弘にも向けられている模様。『もてない男』の歪んだ瞳を通せば、どんなものだって曲がって見えるのだろう。

 遺漏(いろう)があったとしても本書で引用されている文献は数多く、外国人という第三者の視点で一つの時代を俯瞰することが無意味であるとは思えない。しかも長期間にわたる戦後教育において日本の近代史は否定的に扱われ、詳細を知る機会すら奪われてきたのだから。

 日本における近代登山の開拓者ウェストン( Walter Weston 1861~1940)も、1925(大正14)年に出版した『知られざる日本を旅して』の中で次のように書いている。「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」。

 今回紹介する部分は本書の思想的骨子となる部分である。小難しく感じる向きもあるだろうが決して読みにくい本ではない。帝国主義の先兵たちが遂に極東へ押し寄せる。有色人種に対する差別的情況を思えば、彼らが日本に寄せた愛着は瞠目に値する。東京裁判(1946-48)は連合国による「文明の裁き」であった。20世紀半ばに至っても尚、日本人は「野蛮な劣等民族」と考えられていたことが明らかであろう。

 ヒュースケン( Henry Heusken 1832~61)は有能な通訳として、ハリスに形影のごとくつき従った人であるが、江戸で幕府有司と通商条約をめぐって交渉が続く1857(安政4)年12月7日の日記に、次のように記した。「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」。
 ヒュースケンはこのとき、すでに1年2ヵ月の観察期間をもっていたのであるから、けっして単なる旅行者の安っぽい感傷を語ったわけではない。同様に長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケ( Huijssen van Kattendijke 1816~66)が1859年、帰国に当って次のような感想を抱いたとき、彼はすでに2年余の長崎で過していて、この国の生活については十分な知見を蓄えていたのである。「私は心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに希った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった」。彼は自分がこの国にもたらそうとしている文明が「日本古来のそれより一層高い」ものであることに革新をもっていた。しかし、それが日本に「果して一層多くの幸福をもたらすかどうか」という点では、まったく自信をもてなかったのである。

 カッテンディーケのもとで学んだのが勝海舟や榎本武揚である。それまで交易実績のあったオランダとアメリカの利益は異なり、オランダは様々な権謀術数をめぐらした。その両国を代表する者が同じ感慨を述べている。略奪されることへの哀れみではなく、近代化によって失われる「古きよき伝統」が彼らの目には見えていたのだろう。日清・日露戦争から二度の大戦へ向かう歴史まで洞察しているように感ずる。

 異邦人たちが予感し、やがて目撃し証言することになった古き日本の死は、個々の制度や文物や景観の消滅にとどまらぬ、ひとつの全体的関連としての有機的生命、すなわちひとつの個性をもった文明の滅亡であった。これは再度確認しておかねばならぬ肝要な事実である。

 そうしなければ日本は生き延びることができなかった。それを「世界史への適応」と言い換えてもよいだろう。アメリカという外敵の登場によって日本を取り巻く環境は一変したのだ。進化には犠牲を伴った。哀惜にも似た郷愁が心の中でせり上がる。明治期に文明が滅び、大東亜戦争の敗北によって歴史まで滅んだ。自国を悪しざまに罵る言論活動が文化人の仕事となった。我が国は今尚、外国に振り回され続けている。次に滅びるのは国家そのものであろう。米中のはざまで翻弄されるよりも第三の道を模索すべきだ。自ら均衡を生み出す政治力・外交力を欠けば、アメリカにつこうが中国につこうが衰亡は避けられない。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

2015-09-15

宮城谷昌光


 4冊読了。

 108~111冊目『晏子 第一巻』『晏子 第ニ巻』『晏子 第三巻』『晏子 第四巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/再読。2日間で読了。史書に忠実すぎて人物の揺れが大きいように感じた。特に冒頭で登場する頃公〈けいこう〉の生母、蕭同叔子〈しょうどうしゅくし〉の描き方に戸惑う。連載小説のせいかもしれない。最初に読んだ時ほどの昂奮は覚えなかった。それでも2日で読ませるほどの筆力があるのだから凄い。

2015-09-14

祖国への誇りを失った日本/『日本人の誇り』藤原正彦


藤原正彦
『国家の品格』藤原正彦
『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子

 ・祖国への誇りを失った日本

『逝きし世の面影』渡辺京二
日本の近代史を学ぶ

 自らの国を自分で守ることもできず他国にすがっているような国は、当然ながら半人前として各国の侮(あなど)りを受け、外交上で卑屈になるしかありません。そして国民は何よりも大事な祖国への誇りさえ持てなくなってしまうのです。

【『日本人の誇り』藤原正彦(文春新書、2011年)】

 当たり前のことが当たり前でなくなったところに戦後教育の問題がある。1960年代に生まれた私の世代でも「愛国心」というキーワードは右翼を示すものとして扱われた。そしてバブル景気を挟んで右翼とやくざは見分けがつかなくなった。日本は「核の傘の下の平和」を70年にわたって享受してきた。米軍基地を沖縄に押し付けながら。

 私はパレスチナやチベット、ウイグルなどを通して軍事力を持たない国家や民族の悲惨を知った。彼らは「ただ殺される」。子供であってもだ。多少まとまった人数でなければ報じられることもない。

 日本人がこよなく愛する平和は反戦アレルギーによるもので、その実態は引きこもりと酷似している。確かに平和だ。外に出ない限りは。

 明治維新から昭和にかけて日本が営々と築いてきた努力をGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領が木っ端微塵にした。敗戦という事実よりも占領下で行われた数々の施策によってである。その後日本は7年間に及ぶ占領期間を無視したまま経済というレールの上を疾走する。

 日本経済が「失われた20年」に埋没する間に中国は着々と軍事力・経済力を増強してきた。東シナ海ガス田問題前後から国境を巡るトラブルが増えている(『緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕、春原剛、富坂聰)。TPPAIIBの行方も定かではない。

 国家の安全保障をアメリカ一国に依存するリスクが高まりつつある。オバマ大統領のG2構想で日本は目を覚ますべきであった。ロシア、インド、ASEAN諸国と手を結び、中国・韓国包囲網を築く必要があろう。拉致問題を一挙に解決し北朝鮮との国交回復も視野に入れてしかるべきだ。

日本人の誇り (文春新書)

東シナ海ガス田開発って実態はこういうことらしい