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2014-05-13

生活保護申請で女性に誓約書 「異性との生活禁止」


 京都府宇治市の職員が、生活保護を申請した母子世帯の女性に対し、異性と生活することを禁止したり、妊娠出産した場合は生活保護に頼らないことを誓わせたりする誓約書に署名させていたことが13日、分かった。

 市によると、誓約書は、ケースワーカーが個人的に作成し、母子世帯のほか、外国人などへの誓約事項を列挙。「日本語を理解しないのは自己責任。仕事が見つからないとの言い訳は認められない」とも書かれていた。市は不適切だったとして、関係者に謝罪した。

 生活支援課の30代の男性ケースワーカーが署名させていた。「受給中はぜいたくや無駄遣いをせず、社会的モラルを守ることを誓う」などとも書かれていた。

共同通信 2012-03-13

人権侵害の誓約書 宇治市が生活保護申請で市民に強要|おおきに宇治市議会議員の水谷修です。
村野瀬玲奈の秘書課広報室 | 京都府宇治市のケースワーカーが生活保護受給者に署名させた「誓約書」が心底おぞましい。

2015-10-10

保護された姉妹、1カ月ぶり入浴 親子が月4万円で生活 ”日本の将来を担う子どもたち”


■子どもと貧困

 6畳ほどの面談室に、すえた臭いが広がった。
 2年前の9月。関東地方にあるDV被害者のシェルターの職員は、39歳の母親と7歳の長女、4歳の次女を迎えた。
 差し出したオレンジジュースを、姉妹は一気に飲み干した。白とピンクの長袖シャツはあかで灰色に変わり、頭にはシラミがいた。
 一家の手荷物は、ランドセルとポリ袋二つ。サイズの合わないシャツ、穴の開いた靴下や下着が、汚れたまま詰め込まれていた。
 風呂は約1カ月ぶりだという。翌日から一緒に入り、姉妹の髪をとかし、数百匹のシラミをつぶした。
「お姉ちゃん、もうこれでいじめられなくなるね」。次女がそう言うのを何度も聞いた。
 いま、3人は母子生活支援施設で暮らし、自立を模索する。
 保護されるまでの暮らしぶりを、母親は振り返って語る。
 夫はトラック運転手や倉庫管理など10年で10回以上転職した。年収は200万円前後。家賃や光熱費以外は酒やたばこに消え、自分の事務職の給料などでやりくりしていた。
 9年前に長女が生まれてから、「頭が悪い」「ダメな女」などと毎日なじられた。洗濯物がたためない。ご飯を作りながら、子どもに気を配れない。酒が入ると、胸ぐらをつかまれ殴られた。後に分かることだが、母親には二つのことが同時にできない「広汎(こうはん)性発達障害」などがあった。
 6年前に次女が生まれた後、「能力不足」との理由で解雇された。次の職が見つからず、家計は悪化。夫の失業で約2年間は生活保護も受けたが、夫が再就職すると打ち切られた。夫は給料を家計に入れず、月約4万円で生活した。長女が小1になったころから電気、ガス、水道のどれかが止まるようになった。
 母(41)と姉妹の生活は、夫のDVや失業などでより一層苦しくなっていった。
 朝食はパン1枚。夕食はご飯と冷凍ギョーザか納豆。夏休みの学童保育のお弁当は、おにぎり1個だった。
「おなか痛い。今日は休む」。嫌がる長女を、集団登校の待ち合わせ場所に引っ張っていく日も増えた。そんな日は保健室登校になった。理由を聞くと「くさい、毎日同じ服って言われた」と泣かれた。
「シラミがいるみたいよ。駆除してあげて」。長女が小2になった夏、同級生の母親から指摘され、薬局に走った。薬は2千円。手が出なかった。
 夫の叱責(しっせき)は続き、うつ状態になった。警察署に通報したのは夫だった。「子どもの前で妻にDVしてしまう。彼女たちを保護してください」。シェルターにつながり、夫とは別れた。
「つらいことなんてなかったよ。学校もおうちも楽しかったんだよ」。そんな長女の言葉を、母は自分への気遣いだと推し量る。
 母は母子生活支援施設の職員から勧められ、精神障害者保健福祉手帳を取得した。生きづらさの訳がわかり、自分を責める気持ちは薄らいだ。長女からいろいろ要求されても、「一つずつ言ってね」と言えるようになった。  カレーライスや肉うどん。料理は苦手だが、職員と一緒に夕食を作り、一家3人で食卓を囲むようになった。ときどき姉妹が職員に「味見して」と料理を差し入れる。「よくできたね」と褒められると、跳びはねて喜んだ。「ここがいい。職員さんや他の子もいるから」と長女は言う。
 子どもが18歳まで施設にいられるのが原則だが、利用者の約6割が2年未満で退所する。生活保護を受け始める人が多く、施設の費用と二重措置になる期間を短くしたい行政の思惑もある。
 母も生活保護を受けながら週3回、障害者の作業所で働く。施設に来て2年。退所後の生活は描けていない。

■専門家「貧困から抜け出せない連鎖が広がっている」

 子どもの貧困に詳しい首都大学東京の阿部彩教授に現状や課題を聞いた。
 親の経済状況でいや応なく不利を背負った子どもが、大人になっても貧困から抜け出せない連鎖が広がっている。低所得の背景にある非正規労働は拡大している。
 親自身が抱える困難もある。労働政策研究・研修機構の調査では、子ども時代に、親の生活保護受給や離婚、虐待、父との死別を一つでも経験した母親は、未経験の母親に比べて貧困率が約2~3倍だった。母子世帯の母親のうつ傾向も、配偶者のいる母親の2~3倍だ。
 病気やうつ、失職、離婚などが一つでも起きると、今そうでない人も貧困になりうる。この母子のように、要因が複数になると深刻な事態に陥りやすい。
 子どもは、人権の剥奪(はくだつ)と言わざるを得ないほどの衣食住の不足、不健康、低学力、孤立やいじめ、非行、不登校、自尊心の低下などのリスクにさらされる。日本ではこうした問題について、何十年も親の資質やしつけなどの面から論じ、背後にある貧困をきちんと直視してこなかった。
 将来の社会の担い手である子どもの貧困を放置すると、社会的損失になる。児童扶養手当の拡充など経済的支援は必須だ。そのうえで、教育や医療面での支援など、親を含めた包括的対策が求められている。

《子どもの貧困》厚生労働省によると、日本の子どもの貧困率は16・3%(2014年発表)で、過去最高を更新している。実数換算すると約328万人。貧困率とは、世帯収入から国民一人ひとりの所得を子どもを含めて試算し、順に並べたとき、まん中の人の所得の半分に届かない人の割合。ひとり親など大人が1人の家庭に限ると54・6%と、先進国でも最悪の水準に達する。中でも深刻なのは母子世帯だ。母子世帯になる原因の8割は離婚で、養育費が払われているのは約2割。8割の母親は働いているが、同居親族も含めた年間世帯収入は平均291万円(10年)。

【朝日新聞DIGITAL 2015年10月10日】

2012-07-19

申請却下は二審も「違法」=路上生活者の生活保護訴訟-東京高裁


 わずかな所持金しかなく、住む場所もないのに生活保護の申請を却下したのは違法だとして、路上生活者だった男性(61)が東京都新宿区に対し、却下決定の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(春日通良裁判長)は18日、却下決定を取り消し、生活保護開始を決定するよう命じた一審東京地裁判決を支持し、同区の控訴を棄却した。
 同区は、男性は働く能力があるのに機会を得る努力をしておらず、支給要件を満たさないと主張していた。春日裁判長は、男性に働く意思はあったが、住居や所持金がなかったことなどから直ちに就労できたとは言えないとした一審の判断を支持した。

時事ドットコム 2012-07-18

生活保護

2012-08-01

死も覚悟…「助かった」 悩み全般 専門家がよりそう電話


「つらい」「さみしい」「死ぬしかない」――。支えを求める悲痛な声が、一般社団法人社会的包摂サポートセンター(東京)の電話相談「よりそいホットライン」=0120-279(つなぐ)-338(ささえる)=に殺到している。どんな悩みでも24時間無料で受け付け、全国からの電話は250万コールに及ぶ。1日3万コールかかる日もあり、30回に1回しかつながらない状態だ。(大野孝志)

 一つの電話窓口で貧困や失業、いじめなど、あらゆる悩みを受け付けるワンストップ型。昨秋に東北で始め、東日本大震災から1年を機に今年3月から全国に拡大。38の拠点を置き、相談員は生活困窮者の支援や消費者問題などに取り組む1300人以上が交代で務める。一つの電話に二人が対応し、専門分野の知識と経験を生かして解決に導く。

「話を聞いてくれる程度かな、と思っていた。生活保護の申請に同行までしてくれるとは思わなかった」。都内の40代の男性は5月、ホットラインに電話した。

 夜勤のある派遣の仕事を、体力が続かずに昨年辞め、日雇いの仕事で食いつないだ。5月に求人がなくなり、生活費も食べ物も尽きた。生活保護の不正受給の報道で「自分も健康だから申請してもだめだろう。死ぬしかない」と思い詰めた。

 所持金は2円。3日間食べていなかった。暇つぶしに訪れた図書館のパソコンでインターネットを見て、ホットラインを知った。携帯から電話し、奇跡的に2回でつながった。父と死別し、遠方の母と妹とは10年以上音信不通。誰にも話したことのない身の上を、相談員に明かした。

 相談員は「直接支援する団体から折り返し電話する」。翌日、全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会の本多良男事務局長と会い、生活保護を申請した。「制度がよく分からず一人では申請できなかった。相談して助かった」。男性は最近、仕事が見つかった。

 配置転換された仕事が体力的にきつくなり、退職した40代の男性は貯金で食いつないだが、今年春に底をついた。両親、兄と死別し、姉とは疎遠。死ぬつもりでマンションを引き払い、故郷に戻って野宿を始めた。

 死に場所探しとハローワーク通いを繰り返した。「結局は生きようとしているんだよね」。再会した姉から「なんとかなるかも」とホットラインを教えられた。10分ほどかけ直し続けてようやくつながった。経緯を話すとその日のうちに本多事務局長から電話があり、生活保護申請に同行してくれた。

 現在は低額宿泊所に住み、仕事を探している。「困窮は自分の運命と思い込んでいた。電話しなかったら、私は今ここにいない」

東京新聞 2012-08-01 朝刊

2012-06-20

生活保護の「申請拒否」は違法



騰奔静想~司法書士とくたけさとこの「つれづれ日記」
生活保護

2012-12-12

GDPに占める生活保護費の割合


2011-12-14

松沢直樹氏による生活保護ツイートのまとめ

生活に打つ手がなくなった、たった一人の人間を養えない弱い国家が、どうやってこれから強くなっていくと言うんだ? 
Dec 13 via webFavoriteRetweetReply


松沢直樹氏による生活保護ツイートのまとめ
生活保護

2012-05-26

片山さつきと世耕弘成


次長課長河本氏の母親生活保護について片山さつき・世耕弘成議員のTL+書評家・豊崎由美さんとコラムニスト小田嶋隆さんのご意見
バッシングに便乗 小宮山厚労相こそよっぽどのワル
生活保護

2016-04-02

殺される子供たち/『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言』上野正彦、『無縁社会』NHKスペシャル取材班


『自殺死体の叫び』上野正彦

 ・殺される子供たち

「いじめをなくそう」と言いながら、一向にいじめ自殺がなくならないのは、そもそも学校も教育委員会も警察も、誰ひとりとしていじめと自殺の因果関係についての、しっかりとした事実確認を行わず、曖昧にしたまま放置してきたからではないのか?
 このような現状をこれ以上、見過ごすことはできない。いじめがあり、それを苦に子どもが自殺したとしたら、その子を死に追い詰めた原因は、紛れもなく、「いじめた側」にある。
 いじめ自殺は自己責任で死んだのではない。いじめの加害者たちによって追い詰められ、殺されたのだ。自殺だから俺たちは関係ないと、他人事で済まされてはたまらない。厳しい言い方かもしれないが、そのような表現をして、周囲の人々にも理解を求めないと自殺の予防にはつながらないと考える。
 もちろん、これは学校のいじめ自殺だけに限った話ではない。長時間の過酷な労働や職場でのストレス、家庭内暴力や身内からの疎外、恋愛のもつれなど、人が自殺を選ぶ背景には、必ずその人を精神的に追い詰めた外的な要因が存在している。

【『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言』上野正彦(カンゼン、2012年)以下同】

 83歳(※刊行時)の上野の本気を見た思いがする。静かな怒りとともに、やむにやまれぬ思いが沸々と伝わってくる。子供の死に対する大人の無責任が暴力の連鎖を助長する。尚、私は「子供」という表記に差別的な印象を抱いていないため敢えて「子供」と書く(※「子供」を「子ども」と表記するようになったいわれや時期について調べている。文部省の文書などではいつ頃からか)。

 私は「自殺は他殺である」ということを、もっと広く世間に訴えていく必要があると考える。特にいじめの場合は、いじめっ子が遊び感覚で弱い者を攻撃し、挙句の果てに死に追いやっているわけで、法的にはともかく、道義上は許されない行為として処理されることを啓蒙していくべきであろう。
 いじめて遊んでいるお前らこそ、卑屈で卑怯で、恥ずべき最低の人間である。弱者を助ける者が格好よい立派な人間である。こうした強いメッセージを社会に打ち出すことが、子どもを守るために必要なのではないだろうか。

 上野は元監察医である。司法解剖・行政解剖の専門家だ。上野は物言わぬ遺体に残された様々な痕跡から死者のメッセージを読み取る。やや乱暴な表現となっているが、我々はこれを「祖父の教え」として受け継いでゆくべきだ。いじめは動物の世界にもある。人間が知性よりも本能に支配されている間は、いじめを根絶することはできないだろう。ただし「弱者を助ける者」が増えるに連れて、いじめの数は少なくなるはずだ。

 先日、両親から虐待されている中学生が死亡した。正確に書くと2014年11月に首吊り自殺を図り意識不明となる。そして先月亡くなった。神奈川・相模原市児童相談所に保護を求めた時点ではまだ小学6年生だったという。以下に情報をピックアップする。

「私はその時点、その時点での(児相の)対応は間違ってなかったというふうに思っております」鳥谷明所長(相模原市児童相談所)。

 児相によると、2013年11月、生徒の顔がはれているなどと、市の担当課から通報があった。児相は当初、学校などを通じて対応していたが、14年6月の深夜に生徒がコンビニに駆け込み、警察官に保護される事案が発生。生徒が「親から暴行を受けた」などと説明したことから、以降は定期的に両親と生徒への直接指導を続けていた。
 だが、14年10月に母親の体調不良で両親への指導ができなくなった。児相は学校で生徒への指導は続けてきたが、生徒は11月中旬に親族宅で自殺を図った。その後、意識不明の状態が続いていたが、今年2月に死亡した。

朝日新聞DIGITAL 2016年3月22日

「あさチャン!」の取材に母親はこう答えている。「手を上げるようなことはなかったは言いません。でも、家で決めることを守らなかった。それが悪いことなんだと分かってもらえなかった時ってどうしたらいいんですか」「(子どもが)施設に行きたいみたいな話はしていたけど、それがどこまで本音だったんですかね。親に心を開かなくなったのは児相に通い始めてからです」。虐待は「しつけの範囲内」で、子どもが頑なになったのは児相のせいだと母親はいう。

J-CASTニュース > テレビウォッチ > ワイドショー通信簿 > あさチャン! 2016-03-22

相模原市男子中学生虐待自殺 母親「殴ったが虐待ではない」

 ・相模原市の中2自死事件で、虐待したとされる母親のインタビューが酷い! 2ch「なんか逆ギレしてね?」

 親の承諾なしに強制的に子どもを引き離す権限を持っているのが児相だ。子ども本人からのSOSを生かせないのでは、結果的に見殺しにしたのと同じだ。

社説/毎日新聞 2016年3月25日東京朝刊

 昨年、児童虐待があるとして県警が児童相談所に通告した子どもが前年比百一人増の四千二百九十人に上り、二〇〇〇年の児童虐待防止法施行以降で最多となったことが二十四日、県警のまとめで分かった。全国では大阪に次いで二番目に多かった。
 通告には書面によるものと、虐待がひどく親と引き離して保護するものがあり、三百六十二人が保護された。児童虐待に関係する検挙件数は三十件で、殺人、殺人未遂が計四件、傷害が八件、性的虐待などの児童福祉法違反が六件だった。

東京新聞 2016年3月25日


【NPO法人「シンクキッズ-子ども虐待・性犯罪をなくす会」代表の後藤啓二弁護士の話】男子生徒からSOSがあったのに保護しなかった対応はあり得ない。生徒の両親が「(児童相談所に)もう来られない」と指導に応じなくなったのは虐待がより深刻化するサインだった。親と対立しないよう配慮するあまり、子どもの命を守れないのは本末転倒だ。

東京新聞 2016年3月23日朝刊

 小学生がコンビニに駆け込んだ事実を思えば、生命の危険にさらされていたと考えてよい。よほどのことである。

 ここでもう一度、上野の冒頭の言葉を読み直してみよう。本来責任のある人々が「いじめを放置」してきた。世間の関心を思えばマスコミは両親、少年が訴えた保護を黙殺した児相担当者、ならびに児相所長を徹底的に取材し、責任と罪の所在を明らかにすべきである。刑事罰に問われない情況を考えれば人権蹂躙を犯しても構わない。可能であれば彼らが死ぬまで追い詰めて欲しい、というのが私の願いである。右翼だって本当はこういう時こそ街宣活動をするべきなのだ。

 少し冷静になって考えてみよう。児相に限らず役所は機能本位で人間の顔を持つ者はいない。役所は書類で動く。つまり児相の動きや判断は厚生労働省の方針に基づくものと考えてよい。そして相模原市児相の鳥谷明所長は「その時点、その時点での(児相の)対応は間違ってなかった」と語る。これは我々が考える「人道的な判断」ではなく「役所としての判断」であろう。つまり児相に保護を求める子供は否応なく殺される羽目となるのだ。

 いわゆるワーキングプアといわれる人たちが巷にあふれるようになった現在、ささいなきっかけで転げ落ちるように路上生活にまで転落する人たちの声を聞くうちに、“つながり”について考えるようになった。
 男性は、インタビューの機会があるたびに同じような言葉を発していた。
「これ以上、自分のことで誰かに迷惑をかけたくない」
 男性は、生活保護も受けずに路上生活をしながら仕事を探し続けていた。あきらめず、誰にも頼らず、生きようとしていた。
 そもそも“つながり”や“縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――。その疑問は、取材チームの内に突き刺さり、解消されることはなかった。
「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される希薄な“つながり”。
 そして、“ひとりぼっち”で生きる人が増え続ける日本社会。
 私たちは「独りでも安心して生きられる社会、独りでも安心して死を迎えられる社会」であってほしいと願い、そのために何が必要なのか、その答えを探すために取材を続けていった。

【『無縁社会』NHKスペシャル取材班(文春文庫、2012年/文藝春秋、2010年、NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会 “無縁死”三万二千人の衝撃』改題)】

 平成26年度のNHK職員平均年収は1160万2859円となっている。「取材班」の給与は当然もっと上だろう。「そもそも“つながり”や“縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――」。恵まれた待遇の彼らが放つ正論が虚しく響く。NHKスペシャル取材班は相模原市児童相談所を取材してはどうか?

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2013-03-27

生活保護を受けている人のことさえ妬まなければならないぐらい、働いている人の収入が低くて……

2011-10-08

女子割礼(女性器切除)禁止に直面するマサイ、遠い道のり ケニア


 ケニア南西の町ナロク(Narok)にある小さな教会では、女子割礼(女性器切除)から逃れてきたマサイ人(Maasai)の少女十数人が保護されている。女子割礼はマサイ人の古くからのしきたりだが、ここにきて、健康上の懸念や新法の制定により伝統にほころびが生じつつある。
 マサイの長老たちは女子割礼を文化だとして強く擁護している。そんな中、この教会の牧師ら一部のマサイ人たちは伝統に背を向け、2007年、ナロクに少女たちの「駆け込み寺」として教会直属の保護センター「マサイの少女たちの希望(Hope for the Maasai Girls)」を設立した。
 だが、運営はスムーズではない。怒った男たちがしばしば設立メンバーを脅迫したり、逃げ込んだ娘を親が勘当したりするためだ。

早ければ9歳から、割礼が根付いた社会

 マサイ社会の伝統では、少女は結婚する前にまず割礼を済ませなければならない。そして親にとって娘を嫁に出すことは、婚資(夫方から妻の実家への贈り物)をもらえることを意味する。婚資はたいてい、牛数頭。半遊牧民のマサイにとっては大きな財産だ。
「未割礼の少女を嫁にもらうと、男の価値が下がるとみなされます。割礼を受けていないと参加できない儀式もあるのです」と、保護センターを運営するマーティン・オロロイゲロさんは説明した。
 学校が休みに入ると、マサイの少女たちは早ければ9歳で、大人への通過儀礼として割礼を受ける。これは自動的に、はるかに年配の男性のもとへ嫁がされる状態になったことを意味する。
「マサイは他の部族とは違って、割礼を済ませてもいないような娘を嫁には出さない。割礼が済めばその娘は成人だ。男に嫁ぐことができるんだから良いことだ」と、ナロクのある長老は語った。
 保護センターにいる少女たちに、割礼から逃げた経緯について聞いてみた。15歳のマリーさんは、「両親が死んだあと私を引き取った保護者が私を結婚させようとしたから、ここに逃げてきたの」と語った。「割礼されて結婚させられた女の子は、苦しい生活を送ることになる。わずかな収入を得るために卑しい仕事もせざるを得なくなるから」
 同じく15歳のサラさんも同意した。「割礼されたら、出産がとても困難になる。だから割礼を拒否したんです。それに、嫁ぐ相手はおじいさんで、もし死んでしまえば残された女の子は生き延びるために大変な苦労をしなければならなくなる」

ファーストレディーも廃止に意欲

 女子割礼の風習があるのはマサイだけではない。ケニアの他の部族も行っている。割礼では陰核を時には外陰部と一緒に切除するが、使われる刃物は消毒していないことも多く、麻酔なしに行われることも少なくない。その結果、合併症を起こしたり、出血多量で死亡する例もあり、NGOやケニア政府からは批判の対象となっている。
 ケニア議会は先に、女性器切除(FGM)禁止法案を可決し、法制化した。違反者には禁錮7年または罰金5000ドル(約40万円)が科され、相手が死亡した場合は終身刑となる。
 同国のルーシー・キバキ(Lucy Kibaki)大統領夫人は9月、この新法の厳格な適用を呼び掛けた。「これらの罰則は、効果的に実施されれば十分な抑止力になる。FGMが一般的な地域では出産時の母親と新生児の死亡率が高いが、一因はFGMだ」
 とはいえ、マサイ社会では女子割礼がいまだに広く行われており、支持する人も多い。保護センターのオロロイゲロさんは次のように話した。「すぐに廃止にはならないでしょう。時間がかかります。私たちは地域社会を混乱させたいわけではありません。私たちもその一員なのですから。徐々に変わることが望ましいのです」

AFP 2011-10-07

 女子割礼(女性器切除)は宗教と似ている。たとえ誤っていたとしても、後の時代に「伝えられたもの」が正当化される仕組みとなっているからだ。「歴史とは書かれたもの」で「伝統とは伝えられたたもの」なのだ。

歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘

 学校教育をよくよく吟味すると、社会に隷属させる目的で行われていることに気づく。とすると真の教育とは「懐疑する精神」を陶冶(とうや)することなのだろう。合理的な批判精神を欠けば、我々は伝統や風習のコピー媒体と化してしまう。

 実に情けない話だが、以下の動画を私は怖くて視聴することができなかった。

女子割礼
女子割礼
女子割礼に警鐘を鳴らすアムネスティのポスター
動画
閲覧注意:動画
閲覧注意:動画

2016-06-10

ものごとが見えれば信仰はなくなる/『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ


『仏陀の真意』企志尚峰
『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール:今枝由郎訳
『日常語訳 ダンマパダ ブッダの〈真理の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元
『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』アルボムッレ・スマナサーラ
『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ
・『法句経』友松圓諦
・『法句経講義』友松圓諦
・『阿含経典』増谷文雄編訳
・『『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道』片山一良
・『パーリ語仏典『ダンマパダ』 こころの清流を求めて』ウ・ウィッジャーナンダ大長老監修、北嶋泰観訳注→ダンマパダ(法句経)を学ぶ会
『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン

 ・ものごとが見えれば信仰はなくなる
 ・筏(いかだ)の喩え
 ・ドゥッカ(苦)とは

『無(最高の状態)』鈴木祐
『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ
クリシュナムルティ、瞑想を語る

ブッダの教えを学ぶ

 ブッダを、一般的意味での「宗教の開祖」と呼ぶことができるとすれば、彼は「自分は単なる人間以上の者である」と主張しなかった唯一の開祖である。他の開祖たちは、神あるいはその化身、さもなければ神からの啓示を受けた存在である〔か、そうであると主張している〕。ブッダは、一人の人間であったばかりではなく、神あるいは人間以外の力からの啓示を受けたとは主張しなかった。彼は、自らが理解し、到達し、達成したものはすべて、人間の努力と知性によるものであると主張した。人間は、そして人間だけが、ブッダ「目覚めた人」になれる。人間は誰でも、決意と努力しだいでブッダになる可能性を秘めている。

【『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ:今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(岩波文庫、2016年/原書1959年)以下同】

 ワールポラ・ラーフラはテーラワーダ仏教の僧侶でセイロン大学に進み哲学博士号を取得。マハーヤーナ(いわゆる大乗)仏教の研究にも着手する。1950年代後半、パリ大学に留学。そこで著されたのが本書である。原書は英語で1959年刊。仏教研究の泰斗であるオックスフォード大学のR・F・ゴンブリッジ教授が「現時点で入手できる最良の仏教書」と評価する。訳者解説に神智学協会が出てきて驚いた。

 人間を超えた存在を「神」という。後期仏教(いわゆる大乗)は大日如来久遠本仏というブッダを超える存在(法身仏〈ほっしんぶつ〉)を設定した。この瞬間にブッダから遠ざかったと見てよい。想像力は像(イメージ)を求めて飛び立つ。出来上がった偶像(アイドル)は巨大な存在となる。その大きさが示すものは自分という存在の卑小さである。仏という名の人格神を創造することで日本仏教は一神教に変質した。

 ほとんどすべての宗教は、信仰――それもむしろ盲信といえるもの――に立脚している。しかし仏教で強調されているのは、「見ること」、知ること、理解することであり、信心あるいは信仰ではない。仏教経典には、一般に「信仰」あるいは「信心」と訳されるサッダー(サンスクリット語ではシュラッダー)という用語がある。しかしサッダーはいわゆる「信心」ではなく、むしろ確信から生まれる「信頼」というべきものである。とはいえ実際には、民衆レベルでの仏教でもまた仏典中の一般的用法でも、サッダーということばは、ブッダ、ダルマそしてサンガに対する一般的な意味での「信仰」的要素を含んでいることは事実として認めねばならない。

 びっくりした。見ること、知ること、理解することを説いてきたのはクリシュナムルティである。確かに「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず」(法華経)などの経文はあるが、如実知見(にょじつちけん)を強調するような文言はあまり記憶にない。ただし八正道は全て正見に納まり、四法印は正見から導かれるので、「見る」という前提があるのは確かだ。

 信仰は、ものごとが見えていない――「見える」ということばのすべての意味において――場合に生じるものである。ものごとが見えた瞬間、信仰はなくなる。もし私が「私は掌の中に宝石を隠しもっている」と言ったら、あなたはそれが見えない以上、私が言ったことが本当かどうか、私のことばを信じるかどうか、という問題が生じる。しかし、私が掌を開き宝石を見せれば、あなたはそれを自分で見ることになり、信じるかどうかという問題は起こらない。それゆえに、古い経典には、こう記してある。
「掌の中の宝石(あるいはミロバラン訶梨勒〈かりろく〉の果実〕)を見るように、真実を見よ」
 ブッダの弟子でムシーラという者が、一人の僧に言った。
「友サヴィッタよ、信仰、確信あるいは信心からではなく、気乗りあるいは好みからではなく、評判あるいは伝統からではなく、表面的な理由からではなく、もろもろの意見を検討する喜びからではなく、私はものごとの生成の消滅がニルヴァーナであると知っており、それが見えている」
 そしてブッダはこう言った。
「汚れと不純さの消滅は、ものごとを知り、ものごとが見える人にとってのみ可能なことであり、ものごとを知らず、ものごとが見えない人には不可能である」
 常に問題なのは、知ることと見ることであり、信じることではない。ブッダの教えは、「エーヒ・パッシカ」、すなわち「来て、見るように」という誘いであり、「来て、信じるように」ということではない。

 マジっすか? というわけで『スッタニパータ』の第四章「八つの詩句の章」(中村元訳)を参照してみよう。

「七七七 (何ものかを)わがものであると執着して動揺している人々を見よ」
「七七九 想いを知りつくして、激流を渡れ」
「七九二 智慧ゆたかな人は、ヴェーダ(※実践的な認識)によって知り、真理を理解して」
「七九五 かれが何ものかを知りあるいは見ても、執着することがない」
「八〇六 われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って」
「八〇九 諸々の聖者は、所有を捨てて行なって安穏(あんのん)を見たのである」
「八一七 このことわりを見たならば、淫欲の交わりを断つことを学べ」
「八二一 聖者はこの世で前後にこの災いのあることを知り」
「八三〇 このことわりを見て、論争してはならない」
「八三七 諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た」
「八四八「どのように見、どのような戒律をたもつ人が『安らかである』と言われるのか?」」
「八八四 真理は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない」
「八九六 汝らは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない」
「九〇九 見る人は名称と形態とを見る」
「九一一 バラモンは正しく知って、妄想分別におもむかない」
「九一七 内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ」
「九三七 わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった」
「九三八 (生きとし生けるものは)終極においては違逆(※老い)に会うのを見て」
「九五六 眼ある人(ブッダ)は」
「九七一 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ」

 確かに本当だ。疑問の余地はない。第四章はブッダの肉声に最も近い内容(最古層)である。バラモン教(古代ヒンドゥー教)を信じる世界でブッダは「見ること、知ること、理解すること」を説いた。そして生まれが支配するカースト社会で努力の道を開いた。

 信じる者は無知にとどまっている。迷いという蒙(くら)さが信じるという飛躍に結びつくのだ。確かなものを求めて何かを信じれば信じるほど自分自身の不確実性が増してゆく。「溺れる者は藁(わら)をも掴(つか)む」という事実はあるに違いない。しかし命からがら助かった後で「藁」をありがたがる人はいるまい。そこで求められるのは溺れた原因であり、溺れるような場所に近づかないことと、溺れることを避けるための水泳技術や救命道具(浮き輪・ライフジャケットなど)を準備することだろう。

 ブッダが信仰を説かなかったことを私が一言で示そう。信仰があれば諸法無我を理解できない。以上である。ま、簡単な話だ。信じる行為は如何なる対象であれ自我を強化する。

 最後にわかりにくいと思われるのでニルヴァーナ(涅槃〈ねはん〉)について述べる。涅槃とは煩悩の火が消えた状態を意味する。「漢訳では、滅、滅度、寂滅、寂静、不生不滅などと訳した」(Wikipedia)。クリシュナムルティが説く静謐(せいひつ)と同じだ。

 上記テキストでは「ものごとの生成の消滅」と「汚れと不純さの消滅」とが対応しているようには見えないが、煩悩・渇愛・執着というキーワードを補えばストンと腑に落ちる。現代の大衆消費社会では欲望を煽り、煩悩の火がより大きくなることに消費者は満足を覚える。煩悩まみれの社会では欲望を満たすことが我々にとっての幸福である。もっと大きな家・もっと高級なクルマ・もっと高い地位・もっと多くのマネーを我々は求める。その結果、国家は必ず戦争を目指す。一人ひとりの消費という欲望を満たすために他国の資源を奪いにゆくのだ。戦争の目的は殺すことだ。兵士は自ずと残虐を競うようになる。

 企業と企業の間で行われるのも小さな戦争であり、個人と個人の間でも戦争が繰り広げられる。受験もまた戦争であり、就職も戦争だ。更にいじめ・貧困という名の戦争もある。我々は戦いに勝つことが得点につながるゲームをしているのだ。勝者の得点を見てみよう。ビル・ゲイツの資産は9兆5040億円である(米誌『フォーブス』2015年)。日本人だと柳井正(ファーストリテイリング)が2兆5320億円、孫正義(ソフトバンク)が1兆6680億円、佐治信忠(サントリー)が1兆3080億円、三木谷浩史(楽天)が1兆2600億円となっている。因みにイチローの絶頂期の年俸が約18億円である。

 その一方に極度の貧困に喘ぐ人々がいる。老々介護が行き詰まり肉親や兄弟に手を掛ける人々がおり、修学旅行や給食の費用を支払うために売春を行う女子中高生がおり、「保育園落ちた日本死ね!」と匿名で書き連ねる若い主婦がいる。借金の肩代わりに福島の原発で働く人々がおり、ブラック企業と知りながらやめるにやめられない若者がおり、ワーキングプアは2008年以降、1000万人を突破し(劣化している雇用と格差拡大)、生活意識別世帯数の構成割合をみると、「苦しい」(「大変苦しい」と「やや苦しい」)との答えが増加している(生活意識の状況)。

 生活保護の支給総額は3.8兆円強(2012年)で155万2000世帯が受給している(2012年)。ほぼ孫正義と三木谷浩史の資産を合わせた額だ。155万2000世帯が最低限の生活を営むことのできる金額を二人が持っているのだ。どう考えてもおかしい。

「私ならそんなにいらない」と思う人が大半だろう。でも実際は違う。彼らは私なのだ。同じ立場になれば必ず同じことをする。チンパンジーですら利益の分配を行う(『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。集団(コミュニティ)が進化に有利であるならば、集団を維持することが優先されるからだ。役所の窓口で役人が生活保護を渋るようになれば、もはや国家は信用対象ではなくなる。貧困は死へと直結する。今後、予想されるのは大量死(メガデス)社会だ。

 誰かの利益は誰かの損失である。これが経済の本質だ。消費にまつわる損失を目立たなくさせるために広告会社が存在するのだ。そして広告主がメディアを支配する。広告宣伝費は経費として計上できるので規模が大きい企業ほど有利になる。

ある中学生の死』読売新聞大阪社会部(潮出版社、1978年/角川文庫、1984年)に「パンの耳」という話がある。大阪府寝屋川市の主婦(29歳)がパンの耳で辛うじて命をつなぎながらも衰弱死してしまう。私が読んだのは30年以上前だが「きょうも食べるものがなく、10円でパンの耳を買ってくる」という日記の一文はいまだに忘れることができない。ところがどうだ、昨今は餓死など珍しくない。「2011年、『食糧の不足』で亡くなったのは45人。『栄養失調』で亡くなったのは1701人。合わせて1746人が飢えて死んでいるのだ。1日あたり、5人が亡くなっていることになる」(「1日5人が餓死で亡くなるこの国」雨宮処凛)。

 欲望が満たされることはない。煩悩の焔(ほのお)はいや増して燃え盛り我が身と社会を焼き尽くす。幸福だと思っていた状態が手に入ると、直ぐに別の形の不幸が生まれる。どのような人生であれ四苦八苦を免れることはできない。苦の原因は煩悩にある。ゆえに苦を滅するためには煩悩の火を消すことが求められる。これはまさしく逆転の発想である。「幸福になりたいのであれば、幸福を目指すな」という論法だ。

 欲望が減るにつれて生命空間は広がる。煩悩の火を吹き消せば自我も消える。世界と私の間に差異はなくなる(諸法無我)。これがブッダとクリシュナムルティの説いたことである。

2020-03-23

縄文時代の介護/『病が語る日本史』酒井シヅ


『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠

 ・縄文時代の介護

『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

 ポリオの歴史は古い。紀元前3000年ごろの古代エジプト王朝の壁画に、右足が極端に細くて、短く、つま先立ちの王子が杖(つえ)をついて立つ姿が描かれている。同時に、この王子のミイラが残る。両者を調査した結果、王子はポリオを患っていたというのが定説になっている。
 縄文人の小児がポリオであったことが確かであれば、アジアの東の果ての日本でも、ポリオが発生していたことになる。興味深い問題を投げかけている。
 話は変わるが、ポリオの骨が一家族の中にあったことは、縄文社会では身体障害児が親の保護のもとで生活していたことを物語る。彼らの生活は障害者を養う余裕があったといえる。

【『病が語る日本史』酒井シヅ〈さかい・しづ〉(講談社、2002年/講談社学術文庫、2008年)以下同】

 最後の一言がずっしりと胸に堪(こた)える。現在でも大家族が織りなすインド社会では家族や親戚による介護が可能だが、核家族化が進んだ日本ではとっくに介護をアウトソーシングするようになった。1980年代から90年代にかけて共働きが増えたがバブルが弾けてからというもの生活が楽になる気配は一向にない。


 1948年(昭和23年)は5171万人(15歳以上人口):3484万人(労働力人口)で67%となっている。

・1964年 7122:4710=66%
・1981年 9017:5707=63%
・1990年 10089:6384=63%
・2019年 11092:6886=62%

 尚、15歳以上人口については2011年の11117万人で頭打ちとなっており、労働力人口は1990年以降6000万人台を推移している。労働力人口の人口比があまり変わっていないことに驚いた。高校・大学の進学率上昇と未婚率増加が共働き世帯と相殺しているのだろうか? にわかには信じ難い数字である。

 今後の人口構成に関しては人口減少と65歳以上の人口比が高まることがわかっている。


 人口ピラミッドは既にピラミッドの形を形成していない。


 ポリオを患った骨は北海道南西部の縄文後期の遺跡からも出土している。ここから出た入江9号がポリオを患っていた。鈴木隆雄氏によると、この人骨は20歳未満の男性であった。頭や胴体は正常に発育していたが、腕や足の骨が、まるで幼児の骨と間違えるほど華奢(きゃしゃ)であった。骨の発育不全をもたらす病を患っていたのだろう。
 鈴木氏は幼児期にポリオにかかって、手足が不自由になったのだと推測する。このからだでは狩猟に行っても、獲物を捕まえることはできなかっただろう。しかし、この骨は20歳ごろまで生きることができた。家族の愛情に恵まれた生活があったことを物語っている。

 人口減少社会を生きる我々は縄文人よりも豊かな生活を送ることができるだろうか? 消費税を10%に増税し国民に負担ばかりを強いてくる国家で弱者を守ることは可能だろうか? 学校で繰り広げられるいじめが大人社会を映したものであるとすれば、我々は弱者を踏みつけにすることで社会の安定を保っているのだろう。

 尚、酒井は入江9号を「男性」と書いているが、鈴木の論文には「正確な性の判定は困難である」(「北海道入江貝塚出土人骨にみられた異常四肢骨の古病理学的研究」鈴木隆雄、峰山巌、三橋公平)とある。また東京博物館の展示には「おそらく女性」と紹介されている(縄文がえりの勧め 心優しき縄文の村)。小さな誤りだが見逃せない。

2013-11-28

60年前の赤ちゃん取り違えに思う


 3800万円――これが60年間にわたって失われた「何か」の対価であった。

 原告の実の両親は取り違えの事実を知らないまま他界しており、判決(で宮坂昌利裁判長)は「生活環境の格差は歴然としており、男性は重大な不利益を被った。真の親子の交流を永遠に絶たれた両親と男性の喪失感や無念は察するに余りある」と述べた。(読売新聞 2013年11月27日)

 原告の60歳男性はどのような人生を歩んできたのだろうか?

 2歳の時に養父が死亡。1人の子供は死亡したが、養母は生活保護を受けながら女手一つで原告ら3人の子供を育て上げた。一家が暮らす6畳の部屋には、当時、他の家庭に普及しつつあった家電製品は何一つなく、2人の兄は中学卒業後、すぐに働き始めた。(産経新聞 2013年11月27日)

 男性は、中学卒業と同時に町工場に就職。自費で定時制の工業高校に通った。今はトラック運転手として働く。
 取り違えられたもう一方の新生児は、4人兄弟の「長男」として育ち、不動産会社を経営。実の弟3人は大学卒業後、上場企業に就職した。(毎日新聞 2013年11月27日)

 そうした数々の苦労が「新生児取り違え」に端を発していると考えられる。

「違う人生があったとも思う。生まれた日に時間を戻してほしい」(毎日新聞 2013年11月27日)

 原告の60歳男性はこう語った。不幸な事件である。赤ちゃん取り違えは今に始まったことではないが。

 一方15分後に生まれて裕福な家に送られてしまった男性はどうなのか? 当然、「生まれた日に時間を戻して」ほしくないはずだ。何もなければフラットな人生であったとすれば、マイナスとプラスは釣り合うはずだ。とすると裁かれたのは貧困であったのだろうか? 多分そうなのだろう。「失われた機会」といえば聞こえはいいが、結局のところ「貧しさは罪である」ということになる。

 もっとわかりやすく述べよう。15分後に生まれた裕福男性が同病院を訴えた場合、果たして賠償金はいくらになるのか? 数学的に考えれば「3800万円-実の両親と過ごすことのできなかったことに対する金額」を原告に支払えと命じることになりそうなものだが……。

 だが、訴訟を起こさなくても裕福男性には不幸の影が忍び寄っていた。

 交わることのなかった2家族の運命が動いたのは平成20年。実弟3人が「兄」とされてきた男性を相手取り、自分たちの両親との間に親子関係がないことを確認する訴訟を起こした。(産経新聞 2013年11月2日)

 ただ単にDNA鑑定で済まなかったのは相続か何かが絡んでいるような気がする。しかも60歳男性の訴訟は、

 実弟3人とともに病院側に約2億5000万円の損害賠償を求めた訴訟(毎日新聞 2013年11月27日 大阪朝刊)

 であった。

 人間は物語を生きる動物である。それは「不幸な物語」と「幸福な物語」に大別される。60年前に入れ替わったのは不幸と幸福であった。その事実を知ったことで60歳原告男性のリアルな過去は完全に否定された。ここに正真正銘の不幸がある。

 判決そのものに異論はないが、「人間は環境に支配される動物である」と言われているような気がして腑に落ちないものがある。取り違えがなければもっと幸せな人生を送れたはずだ、というのは空想に過ぎない。取り違われたおかげで交通事故死しなくて済んだのかもしれないし、事件に巻き込まれて殺害されずに済んだのかもしれない。もちろんこれまた空想だ。だが実際のことは誰にもわからない。

 不幸は、そう判断することによって生まれるのだろう。幸福もまた。

2016-09-03

精神障碍者の自立/『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『新版 分裂病と人類』中井久夫
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳

 ・精神障碍者の自立

『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男
『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト

 けれど、これがべてるの転機となる。
 先の見えない苦労がつづくなかで、いやもうそんな苦労を10年もつづけてきたところで、彼らは知らず知らずのうちにそれなりの力を身につけていた。泥沼のなかで、それでも萌え出ようとする芽が彼らのなかには生まれはじめていた。沈黙の10年の間、べてるの問題だらけの人たちは、ただ漫然と暮らしていたわけではない。ぶつかりあいと出会いをくり返しながら、そこにはいつしかゆるやかで不確かで気まぐれでありながら、肌身で感じることのできるひとつの「場」が作り出されていたのである。それはけっして強固な連帯に支えられた場でも、明晰な理念に支えられた場でもなかった。規則や取り決めや上下関係によって規定されたわざとらしい場でもなかった。ただ弱いものが弱さをきずなとして結びついた場だったのである。それはこの世のなかでもっとも力の弱い、富と地位と権力からいちばん遠く離れたところにいる人びとが作り出す、およそ世俗的な価値と力を欠いた人間どうしのつながりだった。
 けれどそこでは、だれが決めたわけでもなく、まためざしたわけでもなく、はじめから変わることなく貫き通されてきたひとつの原則があった。それは、けっして「だれも排除しない」という原則である。落ちこぼれをつくらないという生き方である。そもそも彼らのなかでは排除ということばが意味をなさない。彼らはすでに幾重にも、幾たびもこの社会から排除され落ちこぼれてきた人びとだったのだから。おたがいにもうこれ以上落ちこぼれようがない人びとの集まりが、弱さをきずなにつながり、けっして排除することなくまた排除されることもない人間関係を生きてきたとき、そこにあらわれたのは無窮の平等性ともいえる人間関係だった。そのかぎりない平等性を実現した「けっして排除しない」という関係性こそが、べてるの場をつくり、べてるの力の源泉になっていた。その力が、昆布内職打ち切り事件のさなかで発揮されようとしていた。

【『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄(みすず書房、2002年)以下同】

 後輩から勧められて読んだ一冊。べてるの家の名前は知っていたが、「どうせキリスト教だろ?」との先入観があった。斉藤道雄はガラスのように透明な文体で微妙な揺れや綾(あや)を丹念に綴る。本書で第24回講談社ノンフィクション賞を受賞した。

「三度の飯よりミーティング」がべてるの家のモットーである。彼らは話し合う。どんなことでも。生活を共にする彼らの言葉は生々しい。企業で行われる会議のような見せかけは一切ない。読み進むうちにハッと気づくのは「社会が機能している」事実である。私は政治に関しては民主政よりも貴族政を支持するが、組織や集団には民主的な議論が不可欠であることは言うまでもない。1990年代から正規雇用が綻(ほころ)び始め、格差が拡大した。普通のサラリーマンがあっという間にホームレスとなり、女子中高生が給食費や修学旅行費を納めるために売春行為に及んだ。親の遺体を放置したまま年金を受け取る家族や、生活保護の不正受給がニュースとなる裏側で、社会保障が切り詰められていった。弱者が切り捨てられるのは社会が機能していない証拠である。

 学級崩壊やブラック企業という言葉が示すのは集団のリスク化であろう。そして社会はおろか家族すら機能不全を起こしている。バラバラになってしまった人々が健全な社会を取り戻すことは可能だろうか? そんな疑問の答えがここにある。

 なにか仕事はないものか、倒れたり入院したりする仲間でもできることはないだろうか。メンバーは向谷地(むかいやち)さんとともに、道内の各所にある精神障害者の作業所も見学にいった。そこでさまざまなことを学んだが、帰るとまた延々と話しあいをくり返すばかりだった。そうした話のどこで、いつ、だれがいい出したのだろうか。ひとつのアイデアがミーティングに集う人びとのこころのなかに輝きはじめていた。
「どうだ、商売しないか」
 内職ではなく、自分たちで昆布を仕入れ、売ってみよう。
「そうだ、金もうけをするべ!」
 このひとことが、みんなの心を捉えていった。精神障害者であろうがなかろうが、金もうけと聞いて浮き立たないものはいない。人にいわれてするのではなく、内職なんかではなく、自分たちで働いて売って金もうけに挑戦してみよう。1袋5円の昆布詰めをいくらやっても仕事はきついし先は見えない。おなじ苦労をするなら、仕入れも販売も自分たちでやって商売した方がよほど納得できる。そうだ、やってみよう……。

 ケンちゃんが出入り業者と喧嘩をする。昆布詰めの内職は打ち切られた。そして彼らは自分の足で立つことを決意する。「精神障碍者の自立」と書くことはたやすい。だがその現実は決して甘くはない。本書に書かれてはいない苦労もたくさんあったことだろう。彼らは小規模共同作業所「浦河べてる」を設立した(※現在は社会福祉法人)。

 社会はコミュニケーションによって機能する。何でも話し合える組織は発展する。問題を隠蔽(いんぺい)し、陰で不平不満を吐き出すところから組織は腐ってゆく。斉藤道雄がべてるの家に見出したのは「悩む力」であった。我々は悩むことを回避し、誰かに責任を押しつけることで問題解決を図る。困っている人々は多いが本気で悩んでいる人は少ない。悩む度合いに心の深さが現れる。そして悩まずして知恵が出ることはない。

 家族に統合失調症患者がいる方はDVDも参照するといいだろう。



2014-07-24

借金人間(ホモ・デビトル)の誕生/『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート


「腐敗した銀行制度」カナダ12歳の少女による講演
30分で判る 経済の仕組み
「Money As Debt」(負債としてのお金)
『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治

 ・借金人間(ホモ・デビトル)の誕生

『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫

必読書リスト その二

「負債は、支払い終えることのできない債務者と、汲めどもつきぬ利益を得つづける債権者という関係となる」(ニーチェ)
 人類の歴史において〈負債〉とは、太古の社会では「有限」なるものであったが、キリスト教の発生によって「無限」なるものへと移行し、さらに資本主義の登場によってけっして完済することのない〈借金人間〉が創り上げられたのである。

【『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート:杉村昌昭訳(作品社、2012年)以下同】

 富の源泉は負債である。実に恐ろしいことだ。現代社会において経済に無知な者はいかなる形であれ必ず殺される。少しずつ。

 この主題の核心にある“債権者/債務者”関係は、搾取と支配のメカニズムやさまざまな関係性を横断して強化する。なぜならこの関係は、労働者/失業者、消費者/生産者、就業者/非就業者、年金生活者/生活保護の受給者などの間に、いかなる区別も設けないからである。すべての人が〈債務者〉であり、資本に対して責任があり負い目があるのであって、資本はゆるぎなき債権者、普遍的な債権者として立ち現れる。新自由主義の主要な政治的試金石は、現在の“危機”がまぎれもなく露わにしているように、今も“所有”の問題である。なぜなら“債権者/債務者”関係は、資本の“所有者”と“非所有者”の間の力関係を表現しているからである。
 公的債務を通して、社会全体が債務を負っている。しかし、そのことは逆に【不平等】を激化させることになり、その不平等は、いまや「階級の相違」と形容してもいいほどのものになっている。

 借金がないからといって胸を撫で下ろしてはいけない。税という名目で我々全員に債務が押しつけられているのだ。収奪された税金は富める場所を目指してばら撒かれる。

 もしも完璧な政府が生まれ、完璧な税制を行えば、支払った税金は100%戻ってくるはずだ。否、乗数効果を踏まえれば増えて戻ってくるのが当然である。

政府が100万円支出を増やせば、GDPが233万円増えるということになる/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信
乗数効果とは何だろうか:島倉原

 国家や地方の予算で潤っている連中が存在する。それを炙(あぶ)り出すのがジャーナリズムの仕事であろう。天下り法人についても追求が甘すぎる。

官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃

 日銀によるドル円の為替介入もアメリカに対する日本からの資金提供と見ることができる。利益が出ているにもかかわらず、東日本大震災の被災者を支援するために使われなかった。つまり利益を確定することができないのだろう。意外と知られていない事実だが、アメリカの不動産バブルを全面的に押し上げたのもゼロ金利のジャパンマネーであった。

 相次ぐ金融危機は、すでに出現していた【ある主体の姿】を荒々しく浮かび上がらせたが、それは以後、公共空間の全体を覆うことになる。すなわち〈借金人間〉(ホモ・デビトル)という相貌である。新自由主義は、われわれ全員が株主、われわれ全員が所有者、全員が企業家といった主体の実現を約束したのだが、それは結局、われわれをアッという間に、「自らの経済的な運命に全責任を負う」という原罪を背負わされた〈借金人間〉(ホモ・デビトル)という実存的状況に落とし入れた。

〈借金人間〉(ホモ・デビトル)――恐ろしい言葉だ。資本主義は遂にホモ属の定義をも変えたのだ。間もなくDNAも書き換えられることだろう。人類は生存率を高めるために、その多くを働き蜂や働き蟻のように生きることを指示し、一握りの女王蜂や女王蟻のみが自由を享受する社会が出現しつつある。

 カネが人を狂わせる、のではない。カネは人類をも狂わせるのだ。資本主義は有限なるものを奪い尽くす。エネルギーや食糧が不足した時、人類は滅びる運命にある。今からでも遅くないから、火の熾(おこ)し方や食べられる植物の見分け方を身につけておくべきだろう。



信用創造の正体は借金/『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎

2013-06-14

自民党が発信しているメッセージ

2021-11-23

紀元節と天長節/『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也


・『乃木希典』大濱徹也
・『近代日本の虚像と実像』山本七平、大濱徹也
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎

 ・戦争をめぐる「国民の物語」
 ・紀元節と天長節
 ・日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた

・『庶民のみた日清・日露戦争 帝国への歩み』大濱徹也
・『天皇と日本の近代』大濱徹也
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ

 太陽暦の採用は、太陰暦の明治5(1872)年12月3日をもって明治6年1月1日となし、日本が西暦の世界、欧米文明の秩序下に入ったことを意味しました。ここに政府は、1月4日に改暦の布告をし、いままでの式日であった五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)を廃止し、神武天皇即位日・天長節の両日を祝日としました。この祝日宣言は、1868年の革命、明治維新が「神武創業ノ始」に相応する事業と説き、神武天皇の国造りを明治天皇の治政に重ねて表現したものにほかなりません。ついで10月14日の布告による「年中祭日祝日等ノ休暇日」は、神武即位日たる紀元節と天皇誕生日たる天長節を中心に、宮中儀礼を配置してつくられたものです。
 新たなる祝祭日は、古代以来の宮廷儀礼の復活に似せておりますが、国家創立日ともいうべき紀元節や天皇誕生日を中核としていますように、西欧君主国の祝日観をとりこんだものです。それは、天皇を国民結集の器とする国家形成をめざし、祝祭日行事を、天皇への民心帰一の場たらしめようとの意図によって創出されたことによります。

【『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也〈おおはま・てつや〉(刀水書房、2002年)】

 今日は新嘗祭(にいなめさい)である。祝祭日を旧称に戻すこともできないのが嘆かわしい。敗戦だけが理由ではあるまい。旧社会党勢力の根強さは民主党を経て立憲民主党にまで受け継がれている。先の衆院選で敗れたとはいえ、まだ野党第一党である。衆議院は12%、参議院は13%の議席数を占める。戦後、インテリとは左翼を意味する用語であった。現在に至っても医師・ジャーナリスト・マスメディア・大学教授・教員・芸術家・映画監督には左巻きが多い。かつての反権力は、反原発・環境保護・女系天皇容認・夫婦別姓・同性婚・フェミニズムと赤から薄いピンクに様変わりしたが、日本の文化や伝統を破壊する魂胆はこれっぽっちも変わっていない。むしろ表現が柔らかくなった分だけ、破壊の衝動は強まっているように思われる。

 祝祭日を旧称に戻すべきだと主張する者の中に伝統を主張するものがあるが、やや不勉強である。

 天長節や紀元節は、日本の伝統的な生活慣行に根ざさず、文明国として西洋の行事観を採用したものだけに、国家的行事となるのに時間がかかったのです。

 これを憂うるベルツの日記(明治23年〈1890年〉11月3日)があると紹介されている。

 紀元節と天長節が民衆のなかで意識されるのは、明治30年代の後半、とくに日露戦争後のことです。紀元節は、2月11日に日露戦争の開戦が報道されただけに、戦勝にともなう「帝国」の栄光と重ねて記憶され、国民たることを誇る日となりました。かつ天長節は、11月3日であるがため、「天長節運動会」と称され、収穫の祭りと重ねて営まれることで、生活のなかに根づいていくこととなります。
 ここには、天皇をめぐる祝祭日ですらも、民衆の生活暦による裏づけがないと定着しえないことがうかがえます。

 日露戦争が明治37年(1904年)である。日清戦争から10年後のことだった。文部省が明治41年(1908年)9月、東京帝国大学暦に「明治42年暦」より陰暦の月日を記載せずとの告示をした。日本の近代化は明治維新で一気に成ったものではなかった。かつて「クニ」とは藩を意味した。それを藩から日本国へと格上げするために二度の戦争を必要とした。暦(こよみ)の統一に40年以上を要し、国語の普及にも同程度の時間が必要だった。

 つまり明治節(昭和23年〈1948年〉廃止)の国民的伝統は半世紀に満たないのだ。

 旗を出す日としての国家祝祭日を「ハタ日」と称し、伝統的な世界に根ざした行事日を「ハレ日」とよんだ(後略)

 国民の意識は旧社会から脱却することが難しかった。殆どが農民だったから致し方ない側面もある。そんな国が三十数年後に欧米と戦争をするのである。近代化から200年を経た欧州に追いついたのだ。奇蹟といってよい。

2014-02-11

マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 ・資本主義経済崩壊の警鐘
 ・人間と経済の漂白
 ・マンデラを釈放しアパルトヘイトを廃止したデクラークの正体

『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹

必読書リスト その二

 怒りに駆られ眠ることができなくなった。そして今、脱力感に覆われている。不屈の闘士ネルソン・マンデラは27年半にわたって獄につながれた(1962年8月5日、逮捕~1990年2月11日、釈放)。マンデラを釈放し、アパルトヘイトを廃止したのはデクラーク大統領だった。1993年、マンデラと共にノーベル平和賞を受賞している。1994年、マンデラ政権が発足。デクラークは副大統領として起用された。そしてデクラークはANC(アフリカ民族会議)が長年にわたって掲げてきた「自由憲章」を骨抜きにし、白人の資産を完璧に守り抜き、マンデラ大統領の手足に枷(かせ)をはめたのだ。南アフリカの希望は線香花火のようにはかないものだった。

ネルソン・マンデラ。人種差別主義を超えたアフリカの偉人

 ではなぜ偉大な大統領が誕生したにもかかわらず南アフリカの状況が変わらないのか?

南アフリカの若いチンピラたちがひとりの男を殺す一部始終(※18禁、閲覧注意)

 その答えが本書に書かれている。


 和解とは、歴史の裏面にいた人々が抑圧と自由の間の質的な違いを本当に理解したときに成立するものです。彼らにとって自由とは、清潔な水が十分あり、電気がいつでも使え、まともな家に住み、きちんとした職業に就き、子どもに教育を受けさせ、必要なときに医療を受けられることを意味します。言い換えれば、これらの人々の生活の質が改善されなければ、政権が移行する意味などどこにもないし、投票する意味もまったくないのです。
   ――デズモンド・ツツ大主教(南アフリカ真実和解委員会委員長、2001年)

【『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン:幾島幸子〈いくしま・さちこ〉、村上由見子訳(岩波書店、2011年)以下同】

 多くの黒人が望んだのはたったそれだけのことだった。最低限の人間らしい暮らしといってよい。ANCは1955年、5万人のボランティアを各地へ派遣し、「自由への要望」を集めた。ここから「自由憲章」が起草された。そこにはアパルトヘイトで奪われた富の再分配が高らかに謳われていた。ANC政権は権力を手に入れた代わりに経済政策を譲った。デクラークは白人保護の網を巧妙に張り巡らせ、マンデラは国際舞台へ登場するたびにワシントン・コンセンサスを頭に叩き込まれ、南アフリカはマーケットの動きに翻弄された。


 新政権発足後の数年間、マンデラ政権の経済顧問を務めたパトリック・ボンドは、当時、政府内でこんな皮肉が飛び交ったと言う――「政権は取ったのに、権力はどこへ行ってしまったんだ?」。新政権が自由憲章に込められた夢を具体化しようとしたとき、それを行なうための権限は別のところにあることが明らかになっったのだ。
 土地の再分配は不可能になった。交渉の最終段階で、新憲法にすべての私有財産を保護する条項が付け加えられることになったため、土地改革は事実上不可能になってしまったのだ。何百万もの失業者のために職を創出することもできない。ANCが世界貿易機関(WHO)の前身であるGATTに加盟したため、自動車工場や繊維工場に助成金を出すことは違法になったからである。AIDS(エイズ)が恐ろしいほどの勢いで広がっているタウンシップに、無料のAIDS治療薬を提供することもできない。GATTの延長としてANCが国民の議論なしに加盟した、WTOの知的財産権保護に関する規定に反するためだ。貧困層のためにもっと広い住宅を数多く建設し、黒人居住区に無料で電気を提供することも不可能。アパルトヘイト時代からひそかに引き継がれた巨大な債務の返済のため、予算にそんな余裕はないのだ。紙幣の増刷も、中央銀行総裁がアパルトヘイト時代と同じである以上、許可するわけはない。すべての人に無料で水道水を提供することも、できそうにない。国内の経済学者や研究者、教官など「知識バンク」を自称する人々を大量に味方につけた世銀が、民間部門との提携を公共サービスの基準にしているからだ。無謀な投機を防止するために通過統制を行なうことも、IMFから8億5000万ドルの融資(都合よく選挙の直前に承認された)を受けるための条件に違反するので無理。同様に、アパルトヘイト時代の所得格差を緩和するために最低賃金を引き上げることも、IMFとの取り決めに「賃金抑制」があるからできない。これらの約束を無視することなど、もってのほかだ。取り決めを守らなければ信用できない危険な国とみなされ、「改革」への熱意が不足し、「ルールに基づく制度」が欠けていると受け取られてしまう。そしてもし、これらのことが実行されれば通貨は暴落し、援助はカットされ、資本は逃避する。ひとことで言えば、南アは自由であると同時に束縛されていた。一般の人々には理解しがたいこれらのアルファベットの頭文字を並べた専門用語のひとつひとつが網を構成する糸となり、新政権の手足をがんじがらめに縛っていたのだ。
 長年にわたる反アパルトヘイト逃走の活動家ラスール・スナイマンは、こう言い切る。「彼らはわれわれを自由にはしなかった。首の周りから鎖を外しただけで、今度はその鎖を足に巻いたのです」。


 目に見えない経済という名の牢獄だ。米英を筆頭とする世界はかくも残酷だ。ハゲタカファンドではなく、ハゲタカが世界を支配しているのだ。貿易によって国家は栄え、そして今度は貿易に依存せざるを得なくなる。アメリカは軍需・金融・メディア・穀物、カルチャー、そして学問の大国である。更にアメリカの購買力が世界経済を支えている。第二次大戦後の国際的な枠組みは殆どがアメリカ主導で形成されてきた。既にIMFもシカゴ・ボーイズが自由に踊る舞台となった。

 それでも政権に就いて最初の2年間、ANCは限られた資産を用いて富の再分配という約束を実行しようと努めた。立て続けに公共投資が行なわれ、貧困層向けの住宅10万戸以上が建設され、数百万世帯に水道、電気、電話が引かれた。だがご多分に漏れず債務に圧迫され、公共サービスの民営化を求める国際的圧力がかかるなか、政府はやがて価格を上昇させ始める。ANC政権発足から10年経った頃には、料金を払うことのできない何百万もの人々が、せっかく引かれた水道や電気を利用できなくなった。2003年には、新しい電話線のうち少なくとも40%が使用されていなかった。マンデラが国営化すると約束した「銀行、鉱山および独占企業」も、依然として白人所有の4大コングロマリットに所有されたままであり、これらのコングロマリットはヨハネスブルク証券取引所上場企業の80%を支配していた。2005年には、同証券取引所上場企業のうち黒人が所有するものはたった4%にすぎなかった。2006年には、いまだに南アの土地の7割が人口の1割にすぎない白人によって独占されていた。悲惨きわまりないのは、ANC政権が500万人にも上るHIV感染者の生命を救うための薬を手に入れるより、問題の深刻さを否定するほうにはるかに多大な時間を費やしてきたことだ(2007年初めの時点では、いくらか前進の兆しが見られるが)。もっとも顕著にこのことを物語るのは、おそらく次の数字だろう。マンデラが釈放された1990年以降、南ア国民の平均寿命はじつに13年も短くなっているのだ。

 後にマンデラの後継となるムベキは公の場で言った。「私をサッチャー主義者と呼んでください」と。ANCは玉手箱を開けてしまった。革命の夢が実現した直後に志は崩れ去った。現実は変わらないどころか悪くなる一方だった。

 本書で次から次へと繰り出される衝撃の事実に感情が追いつかない。本物の事実は所感を拒絶する。我々はただありのままにそれを見つめる他ない。


 そのうえ、債務が具体的に何に使われている金なのかという問題がある。体制移行の交渉の際、デクラーク大統領側はすべての公務員に移行後も職を保障すること、退職を希望する者については多額の生涯年金を支給することを要求した。これは社会的なセーフティーネットと呼ぶべきものが存在しない国においては、まさに法外な要求だったにもかかわらず、ANCはこの要求をはじめとするいくつかの要求を「専門的」問題としてデクラーク側に委ねてしまったのだ。この譲歩によって、ANCは自らの政府と、すでに退職した影の白人政府という二つの政府のコストを負うことになり、これが膨大な国内債務としてのしかかっている。南アの年間の債務支払のじつに40%は、この大規模な年金基金に振り向けられ、年金受給者の大多数は、かつてのアパルトヘイト政権の政府職員で占められているのである。
 最終的に南アには、主客が逆転したねじれた状況が生じることになった。つまりアパルトヘイト時代に黒人労働者を使って膨大な利益を得た白人企業は【びた】一文賠償金を支払わず、アパルトヘイトの犠牲者の側が、かつての加害者に対して多額の支払いをし続けるという構図である。しかもこの多額の金額を調達するのに取られたのは、民営化によって国家の財産を奪うという方法だった。それはANCが交渉に同意するにあたって、隣国モザンビーク独立の際に起きたことをくり返さないために断固として回避しようとした「略奪」の現代版にほかならなかった。もっともモザンビークでは、旧宗主国の政府職員が機械類を破壊し、ポケットに詰められるだけのものを詰めて去って行ったのに対し、南アでは国家の解体と資産の略奪が今日に至るまで続いているのだ。

 マンデラの苦衷を思う。獄舎から放たれた後の方が苦しい人生だったのではあるまいか。

 昨夜から今朝にかけて私は密かに復讐を誓った。もちろん蟷螂の斧であることは自覚している。蟷螂の小野と呼んでくれ給え。寒い朝が白々と明けるなかで今日が2月11日であることに気づいた。24年前にマンデラが釈放された日だ。悲惨を生き続けるアフリカに太陽が昇る気配はまだない。地獄は続くことだろう。だが永遠に続く地獄は存在しない。マンデラの夢がかなうのはいつの日か。そして実現させるのは誰か。

2021-10-24

1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠


『経済は世界史から学べ!』茂木誠
『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』茂木誠
『「米中激突」の地政学』茂木誠

 ・「アメリカ合衆国」は誤訳
 ・1948年、『共産党宣言』と『一九八四年』
 ・尊皇思想と朱子学~水戸学と尊皇攘夷
 ・意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく
 ・GHQはハーグ陸戦条約に違反
 ・親北朝鮮派の辻元清美と山崎拓

世界史の教科書
必読書リスト その四

 19世紀、産業革命が進む欧州ではすさまじい貧富の格差を生み出され、労働者階級の解放を掲げる社会主義運動が起こりました。フランス革命前のルソーの思想を淵源(えんげん)とし、マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』で暴力による労働者政権の樹立を訴えたのが1848年でした。暴力革命は1871年のパリ・コミューンまで断続的に起こります。
 この間、マグマのように沸騰する貧困層のエネルギーの安全弁となったのが、【アメリカへの大量移住】でした。アメリカが存在しなかったら、欧州全体がロシアのように社会主義化していたかもしれません。

 社会主義は貧困の撲滅、富の平等を目標に掲げます。自由競争が勝ち組・負け組を作るので競争そのものを禁止し、個人や私企業が土地や工場といった生産手段を持つことを規制します。土地や企業は国有化して国家がコントロールし、利益を平等に分配するのです。
 政府が経済をコントロールするわけですから、膨大な官僚機構(大きな政府)が必要となり、個人の自由は制限されます。その行き着く先は、ソ連・中国・北朝鮮で実現した共産党一党独裁体制です。
 これこそ、「自分の生活は自分で切り開く」「政府は邪魔するな」というアメリカ中西部、【レッド・ステイツの「草の根」のアメリカ人が最も嫌悪する国家体制】なのです。【アメリカ人の反共主義の源泉】はここにあります。
 一方、南北戦争に敗れた民主党は、もはや「南部の奴隷制を守る」という古い看板では選挙を戦えません。北部の資本家と組んだ共和党政権への対抗軸を示して政権を奪回するため、【「移民労働者を保護する」という新しい看板に掛け替えた】のです。まさに、生き残るためには何でもあり、というわけですが、この方針転換はアメリカの政治地図を塗り替えました。
 欧州からの大量移民は、ニューヨークの自由の女神を目指してやってくると、そのまま東海岸に住み着きます。対して、アヘン戦争に負けて衰退する中国や内旋が続くメキシコからの移民は、西海岸のカリフォルニアに定住します。
 アメリカ国籍は出生主義ですから、彼ら移民の2世は参政権を持ちます。この【移民系アメリカ人が民主党の新たな支持基盤】となったのです。これが、【ブルー・ステイツの誕生】です。
 逆に共和党は、「本来のアメリカ白人」の生活を守るため、移民の制限を主張するようになります。「アメリカ人が納めた税金で、移民にタダ飯を食わせるな」という主張です。
 こうして【民主党に幻滅したレッド・ステイツの人々は、共和党支持にくら替えした】のです。このとき生まれた政治地図が、今日まで続いているわけです。
 一方安い労働力で働く移民の流入は、産業界にとっては朗報でした。すると、【これまで共和党の基盤だったニューヨークなどの都市部の財界は「民主党政権でもよいのではないか」と考え初めます】。その結果、20世紀の初頭に財界と民主党とのある種の談合が成立し、1913年ウッドロウ・ウィルソン政権が発足しました。
 労働組合を支持基盤としつつ、財界からも政治資金を提供されるという二重人格的な政権で、ヒラリー・クリントンとそっくりです。JPモルガンを中心とするニューヨークの金融資本家グループに、米中央銀行(連邦準備制度理事会〔FRB〕)を組織させ、通貨ドルの発行権を与えたのがこのウィルソンです。このことも日本の教科書では教えていません。

【『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠〈もぎ・まこと〉(祥伝社、2021年)】

 読書中。『共産党宣言』が刊行された1948年は『一九八四年』が脱稿された年でもある(刊行は翌年)。ジョージ・オーウェルは下二桁の48年を引っくり返して84年とした。

 産業革命が貧富の差を拡大したとは知らなかった。まあ、でもラッダイト運動なんかを踏まえると、「やっぱりね」という感じもある。資本主義が加速する時、貧富の差は拡がるのだろう。そしてデジタルトランスフォーメーションが一気に進み、ビッグテックが国家をも凌駕しようとする今、二極化に拍車がかかるのは当然と言うべきか。

 問題はAIやロボットの台頭により人間の仕事が減ってゆくことだ。コンビニや工場を見ても、明らかに老人より外国人の方が目立つ。大衆は暴力に訴えるほどの気力も既に持ち合わせていない。静かに困窮しつつある生活が霧のようなストレスとなり、知らずしらずのうちに無気力な日々を送っている。

 国際基準に照らせば自民党の政策はセンターレフトと言われる。中道左派だ。かつての金融業における護送船団方式を思えばわかりやすいだろう。競争を排除するのだから完璧な社会主義政策である。小渕政権までは社会民主主義政策を推進してきたものと考えてよい。終身雇用も極めて社会主義的である。振り返れば江戸時代のメンタリティも社会主義っぽい。一君万民と公平・平等は響き合うものがある。革命なき社会主義が日本人のメンタリティか。

 自分よりも世間を重んじるのが日本の文化である。これを世間体とは申すなり。中国の天よりも日本の世間は卑近である。世間は近隣の眼差しの中にある。日本には虐殺の歴史も殆どない。せいぜい村八分が関の山だ(残り二分は火事と葬式)。

 ウェブ上におけるビッグテック支配を思えば、富の偏重は恐るべきスピードで進むことだろう。しかも雇用が縮小していく事実を踏まえれば、今後は大きな政府でやり過ごすのが手っ取り早い。

 財産権を犯すような税制には反対だが、使い切れない資産を有する富豪には何らかの税制措置が必要だろう。

 茂木本は本当に勉強になる。藤井厳喜〈ふじい・げんき〉よりもはるかにお奨めだ。